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桜沢如一・・・http://www.ci-kyokai.jp/Sakurazawa/sakurazawa_info.htm は、食養(欧米名・マクロビオティック)を世界に説いた、偉大なる日本人故・桜沢如一は、その著『新食養療法』(財団法人日本CI協会刊)で「病気になったら喜べ」といい、そのわけを次のように語る。
「自分が知らずに恐ろしい罪を数々重ねて来たことを今教えられているのである。この病気がなかったら、自分はいつまでも知らずに罪を作って行くのである。何と云う感謝すべきことであるか!」
先の引用には「自分が知らずに恐ろしい罪・・・」とあるが、この「罪」という意味は、筆者(石沢)なりの解釈は、次の通りである。
「罪」とは、正しい食物をとらず、正しく調理せず、正しくとらない結果、病に倒れることを指す。 生物としての人間は、本来、健康であるべきものであって、その人間が病気になるということ、つまり自らの怠慢で己の生命と生存を危うくするとは、愚行の最たるもの、万物の霊長としてあってはならないのである。
細菌やビールスで病に倒れるのは、生物進化の頂点に立つ人間にとっての退化現象であり、万物の霊長として恥ともいえる。
野生の動物のほうが、人間よりはるかに健康である。彼らの世界には、医師もいなければ病院もない。スズメが具合が悪いといって道端で休んでいることもない。
なぜか。彼らは、食べるべきものと食べてはいけないものを本能で区別して、害になるものは食べないからである。さらに、食べる量もわきまえていて、食べ過ぎということもない。人間は、食べるべきものでないものを、しかも大量に食べて、病に倒れる。判断力の狂いが病気のもととなる。
桜沢は「病気は治してやってはいけない。治す方法を教えてやるコトだけが許されるのだ」と語っている。
これは、冷たい仕打ちであろうか。そうではない。自力更生の勧めなのであるから、これは、病人という不健康人が更生する最もよい方法に他ならない。
病人は、自力で己の病気を克服してこそ、病気にならない人間に生まれ変わる。生涯健康人への途といってもよい。生涯、健康人でなければ、真の幸福はない。