食物の生産者も食物の消費者も、ともども、拝金というか、金に支配されて生きている。もちろん、例外がないわけではない。
「週刊金曜日」(1997・8・22)には、西村満「もう一つの食糧危機」という一文がある。
「農家の人達が自ら作って食べている農作物は、見栄や日持ちは期待できませんが、昔ながらの美味い品種で、昔ながらの金肥等を使った堆肥栽培によるものです。少しばかり衛生面に問題があっても見栄えが悪くても、その味はとくかく絶品です」
「お米にしても同様で、皆がご飯を食べなくなったのは、化学依存農法による土壌破壊にも適用できて収穫量が多い、まずいお米が大量に栽培されているからです」
「農家にはその安全な農作物を栽培するノウハウが、すでに失われているのです。その原因は優れた品質の堆肥が手に入らなくなっているからです」
「農作業を真面目に行う農家の主人ほど肝臓障害(ガンなど)を起こして早死にするから、危なくて息子には継がせられないよ」
先の一文は、米をはじめ、農産物が美味しくなくなったのは、農産物の栽培方法つまり、農薬・化学肥料栽培にあると指摘している。
美味しさ・安全性よりも、食べる人の健康が損なわれても、とにかく、お金さえ儲かればよい。金儲けのためならば、農薬を使おうと化学肥料を使おうと、いっこうに構わない。これが、おおかたの農業者の実態であると、先の文の筆者は嘆いている。
先に引用した一文は、いまから10年前のものであるが、今日でも、そのまま当てはまる。
本来、生命を養うべき農業が「生命・健康を損なう農業」「金儲け農業」に堕落してしまっている。無(減)農薬・有機栽培農業もないではないが、それは少数である。主流は、相変わらず、慣行農業(農薬・化学肥料農業)である。
不味くて不健康な農産物がはびこるのは、農民だけでなく都会の人々にも、その原因があるといわなければならない。
都会の人々の多くは、ただただ、安く買えればよい。
農民の多くは、ただただ、高く売れればよい。
都市の人々も農民も、その圧倒的多数にとって、すべてはお金である。生命と健康は大切だと思っているはずだが、結局、拝金に流される。その報いは、てきめんで、膨大な医療費となって現われる。
「生命・健康志向農業」が必要と考える人々は、増えてはいるのだが・・・。がしかし、「まっとうな農業」が実現するのは、人が変わり、世の中が変わらなければダメ。農業だけ変えようとしても、それは不可能である。
かつて、お米は「水田」から栽培されました。
今や、石油精製後の粕で製造されています。
まさに、「油田」から作られています。
大部分の日本人は、油田で作られた「お米」の「粕」である「白米」を食べています。
石油の粕、その粕で作られたお米の「粕」を食べているのですから、心身が狂わないほうがおかしい情況です。
食は命なり
食事は一番重要な仕事です。
付記 石沢さんへ
私のブログに「本ブログ」をブックマートしました。
願いは、一人でも多くのかたに読んでいただきたい、です。