「食べ処・身土不二」(札幌)は、身土不二を日本と世界へ発信する。食堂ならぬ食堂、啓蒙運動の発信地。日本よ、滅びるな!

「身土不二」は、解放思想であり、危険思想でもある。

 日本から「身土不二」を発信し、日本と世界を救おう。

すべては、金に呪縛されて・・・

2007-05-26 08:37:13 | Weblog


 食物の生産者も食物の消費者も、ともども、拝金というか、金に支配されて生きている。もちろん、例外がないわけではない。 
 

 「週刊金曜日」(1997・8・22)には、西村満「もう一つの食糧危機」という一文がある。

 「農家の人達が自ら作って食べている農作物は、見栄や日持ちは期待できませんが、昔ながらの美味い品種で、昔ながらの金肥等を使った堆肥栽培によるものです。少しばかり衛生面に問題があっても見栄えが悪くても、その味はとくかく絶品です」 

 「お米にしても同様で、皆がご飯を食べなくなったのは、化学依存農法による土壌破壊にも適用できて収穫量が多い、まずいお米が大量に栽培されているからです」

 「農家にはその安全な農作物を栽培するノウハウが、すでに失われているのです。その原因は優れた品質の堆肥が手に入らなくなっているからです」

 「農作業を真面目に行う農家の主人ほど肝臓障害(ガンなど)を起こして早死にするから、危なくて息子には継がせられないよ」 

  先の一文は、米をはじめ、農産物が美味しくなくなったのは、農産物の栽培方法つまり、農薬・化学肥料栽培にあると指摘している。

  美味しさ・安全性よりも、食べる人の健康が損なわれても、とにかく、お金さえ儲かればよい。金儲けのためならば、農薬を使おうと化学肥料を使おうと、いっこうに構わない。これが、おおかたの農業者の実態であると、先の文の筆者は嘆いている。

 先に引用した一文は、いまから10年前のものであるが、今日でも、そのまま当てはまる。

 本来、生命を養うべき農業が「生命・健康を損なう農業」「金儲け農業」に堕落してしまっている。無(減)農薬・有機栽培農業もないではないが、それは少数である。主流は、相変わらず、慣行農業(農薬・化学肥料農業)である。

  
  不味くて不健康な農産物がはびこるのは、農民だけでなく都会の人々にも、その原因があるといわなければならない。

  都会の人々の多くは、ただただ、安く買えればよい。
  農民の多くは、ただただ、高く売れればよい。

  都市の人々も農民も、その圧倒的多数にとって、すべてはお金である。生命と健康は大切だと思っているはずだが、結局、拝金に流される。その報いは、てきめんで、膨大な医療費となって現われる。

 「生命・健康志向農業」が必要と考える人々は、増えてはいるのだが・・・。がしかし、「まっとうな農業」が実現するのは、人が変わり、世の中が変わらなければダメ。農業だけ変えようとしても、それは不可能である。


1 コメント

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拝金主義という悪魔教 (斎藤一治・健康かむかむ塾)
2007-05-26 13:28:07
戦後の日本は、日本の伝統文化を、占領軍から完全否定され、拝金主義という「悪魔教」に取り付かされ、狂っているというしかありません。

かつて、お米は「水田」から栽培されました。
今や、石油精製後の粕で製造されています。
まさに、「油田」から作られています。

大部分の日本人は、油田で作られた「お米」の「粕」である「白米」を食べています。

石油の粕、その粕で作られたお米の「粕」を食べているのですから、心身が狂わないほうがおかしい情況です。

食は命なり

食事は一番重要な仕事です。

付記 石沢さんへ
私のブログに「本ブログ」をブックマートしました。
願いは、一人でも多くのかたに読んでいただきたい、です。
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