今日は昨年突然亡くなった友人(同級生)の一周忌で、お寺での
法要のあとお昼から「おとき」の席に着きます。
亡くなった友人とは幼稚園から高校まで同じ学校で過ごし、
大学は違いましたが社会人になってからは二人とも実家の家業を
継ぐために帰ってきて、それからは青年会議所やいろいろな
ボランティア活動などを通じてつきあってきました。
私の街にとっては貴重な人材でした。
一年近くたった今でも、ひょっこり長い出張から帰ってきたみたいに
顔を出すような気がしています。
残された家族の悲しみははかりしれませんが、自分たちのように
彼といろいろな場面でつきあっていた人たちは自分の体の中に
ポッカリと大きな穴があいたような「喪失感」を感じていると
思います。
自分のことより人のことを優先する男だったのでいつも忙しそうに
バイタリティにあふれて動き回っていました。
あれから一年が過ぎ、私にもいろいろなことがありましたが
彼の訃報とくらべればかすり傷みたいなものです。
久しぶりに彼の遺影に会って、心の中で彼と語り合いたいと
思います。
合掌
法要のあとお昼から「おとき」の席に着きます。
亡くなった友人とは幼稚園から高校まで同じ学校で過ごし、
大学は違いましたが社会人になってからは二人とも実家の家業を
継ぐために帰ってきて、それからは青年会議所やいろいろな
ボランティア活動などを通じてつきあってきました。
私の街にとっては貴重な人材でした。
一年近くたった今でも、ひょっこり長い出張から帰ってきたみたいに
顔を出すような気がしています。
残された家族の悲しみははかりしれませんが、自分たちのように
彼といろいろな場面でつきあっていた人たちは自分の体の中に
ポッカリと大きな穴があいたような「喪失感」を感じていると
思います。
自分のことより人のことを優先する男だったのでいつも忙しそうに
バイタリティにあふれて動き回っていました。
あれから一年が過ぎ、私にもいろいろなことがありましたが
彼の訃報とくらべればかすり傷みたいなものです。
久しぶりに彼の遺影に会って、心の中で彼と語り合いたいと
思います。
合掌