月・火曜は学校教育話。今回は、教育現場の抱える問題について私なりの意見を述べるシリーズ…たぶん第5弾です。
教員の仕事は誰でも出来る?
家庭訪問や個人懇談などで時々、すっご~く上から目線で話してくる保護者の方がいます。社会的地位の高い御家庭や、学歴の高い保護者の場合が多いです。
別に、上から目線で話をされても、私は大した気にしていません。「言いたい人には言わせておけばイイんです」と、普段から子供たちにも指導していますから。
ただ、その手の話の中で、「教員の仕事なんて、誰でも出来る簡単な仕事でしょ」って雰囲気を感じる事があります。その雰囲気については、いつも、「反論したいなぁ」って考えています。
残念な事に、「教員の仕事なんて、誰にでも出来る簡単な仕事」と感じさせる様な、(失礼ですが)御粗末な仕事しかしていない教員が少なくないのは事実です。最近は少なくなりましたが、朝からNHKの教育テレビを見せているだけ…って教員もいました。そんな教員を見ていれば、「教員の仕事なんて、誰にでも出来る簡単な仕事」と思ってしまうでしょう。
でも、そんな事はないのです。
それは、ゲストティーチャーが行う授業を見れば分かります。
例えば、「税金について子供たちに説明したい」とか、「人権について子供たちに考えてもらいたい」とか、色々な目的で授業をしに来校される方がいます。先程の例の前者(租税教室)であれば税務署の方とか税理士さんが、後者(人権教室)であれば人権擁護委員さんが来校するでしょう。
法律上、この方たちが直に子供たちを指導する事は出来ません。あくまでも、授業は教員が進める建前ですから。だから普通は、授業の最初に教員が、「今日はゲストティーチャーとして、税務署の(税理士の・人権擁護委員の)△△さんが来てくれました」などと紹介します。その後、ゲストティーチャーが指導を行い、最後に教員が授業をまとめます。つまり、ゲストティーチャーの行う指導は、「授業中の資料」的な扱いとなる訳です。
そして、この形で授業が展開するからこそ、ゲストティーチャーでも授業は進行させる事が出来ます。もちろん、何度もゲストティーチャーとして授業に参加している方だと、経験を積んで、上手に授業を進められる方はいますが、あまり経験の無い方だと、そんなに上手には授業を進める事が出来ません。
それは、教師の仕事には様々な技術が必要だからです。
ゲストティーチャーから見える授業技術
ゲストティーチャーの授業で最初に見えてくるのは、話し方の技術です。声が小さすぎるのは論外ですが、ある程度の声の大きさでも、喋り方が悪いと聞き取れません。滑舌が悪かったり、もごもご喋ったりしていると、聞き取りにくくなってしまうため、聞いている子供たちの集中力が休息に低下していきます。
話し方では他にも、「間(マ)」の取り方も重要です。のべつ幕なしに喋ってるのも、必要以上に間隔があいてるのも、聞いていて頭に入ってきません。流してイイ部分はさらさらと話し、大切な部分では一瞬の間を取る…そんな話し方が出来れば、聞いている子供たちの集中が高まります。
また、資料の提示の仕方や、書く作業の指示の仕方、質問をして答えてもらう方法なども、技術の有無が見える部分です。
資料の提示の仕方で言えば、サッと見せるのか、焦らせてから見せるのか、それだけでも集中の度合いが変わります。子供たちが集中している時は、焦らせるよりサッと見せた方が効果的ですし、子供たちが集中してない時なら、焦らせる事で資料に意識を集中させる事が出来ます。
こう言う事は、教員として真面目に経験を積み重ねていれば、ある程度の年数で身に付いてきますが、教員ではない方だと中々経験を積む機会はありません。当然、この様な技術が無いので、授業が進むにつれ、子供たちの集中が途切れがちとなる事が多いです。
そうならない様に、授業をしている学級の教員は、さり気なく授業へ介入します。集中の途切れそうな子の近くに行ってアイコンタクトしたり、騒ぎ始めた子の近くに行って肩に触れたり、きょろきょろしている子に射る様な視線を送ったり…。
授業を成立させるには、様々な技術が必要なのです。
教員自身が技術の重要性を知らない
ところが…です。当の教員自身が、技術の重要性を知らないか、軽視しているかしているのです。
以前の記事「ブラックとホワイトの狭間」でも書きましたが、教員養成大学では、教育に関する技術を全くと言って良いくらい教えていません。令和6年度の勤務校の若手(経験年数3年未満の教員)に聞いて確認しましたが、北海道教育大学では、先程の章で書いた「話し方」や「間の取り方」はもちろん、「資料の提示の仕方」も「書く作業の指示」も「質問して答えさせる方法」も、何一つ教わらなかったそうです。
教育実習に行って、配属された学級の教員がやっている姿を見て、「あ~、こうやって話せばイイんだ」とか、「こんな風に資料を見せればイイんだ」とか分かりました…と言っていました。勤務校の若手は。
実に、お寒い状況です。
更に、学校現場に出ても技術的な指導は「日陰者」です。
学校には「研究部」や「研修部」など、教職員が研修をして研鑽を積む組織が設定されています…が、少なくとも札幌では、「教科指導法」の研究が中心です。これはつまり、ある教科を教える時、どの様に教えると、より効果的か…を考える研究です。
例えば国語であれば、まず、どんな教材で授業するかを決めます。仮に、新美南吉の「ごんぎつね」で授業すると決まったとしましょう。すると次は、「ごんぎつね」のどの場面で授業すれば効果的か…が検討され、それが決まったら、どんな発問や指示をすれば効果的かが検討されます。この段階になれば、かなり「話し方」や「質問して答えさせる方法」に近づきますが、技術的な話が中心になる事は少ないです。むしろ、教材文の解釈などを議論する事の方が多いでしょう。
校内研修として技術的な事を扱う「研究部」や「研修部」もありますが、それは全体から見ると少数派です。30年以上になる私の教員経験でも、その様な校内研修を行ってもらった事は2~3割ってところでしょうか。
だから、若手の教員が技術的な事を学ぶ機会は非常に少ないのです。そのため、その若手教員が過去に経験してきた事…つまり、自分が小学校や中学校で経験してきた事を行う事が多い訳です。
これでは、若手の教員の学級が荒れても仕方ないでしょう。
若手には、まず技術を!
長くなったので、まとめます。
教員の仕事は、誰にでも出来る簡単なものではありません。学級をまとめたり、授業を成立させたりするには、幾つもの技術が必要となります。
しかし、残念ながら、大学でも現場でも技術は軽視されています。その為、若手の教員が十分な技術を身に付けている事は少ないです。
それが分かっているのですから、若手には技術を教えていくべきです。それは、私の様な熟年(中堅?)教員にとっては義務と言っても良いでしょう。
また、若手も積極的に技術を学ぶべきです。本を読む事も必要ですし、勉強の場に出ていく事も必要でしょう。そして何より、同じ職場の先輩に、自分から聞きに行く貪欲さ…これが欲しいところです。
家庭訪問や個人懇談などで時々、すっご~く上から目線で話してくる保護者の方がいます。社会的地位の高い御家庭や、学歴の高い保護者の場合が多いです。
別に、上から目線で話をされても、私は大した気にしていません。「言いたい人には言わせておけばイイんです」と、普段から子供たちにも指導していますから。
ただ、その手の話の中で、「教員の仕事なんて、誰でも出来る簡単な仕事でしょ」って雰囲気を感じる事があります。その雰囲気については、いつも、「反論したいなぁ」って考えています。
残念な事に、「教員の仕事なんて、誰にでも出来る簡単な仕事」と感じさせる様な、(失礼ですが)御粗末な仕事しかしていない教員が少なくないのは事実です。最近は少なくなりましたが、朝からNHKの教育テレビを見せているだけ…って教員もいました。そんな教員を見ていれば、「教員の仕事なんて、誰にでも出来る簡単な仕事」と思ってしまうでしょう。
でも、そんな事はないのです。
それは、ゲストティーチャーが行う授業を見れば分かります。
例えば、「税金について子供たちに説明したい」とか、「人権について子供たちに考えてもらいたい」とか、色々な目的で授業をしに来校される方がいます。先程の例の前者(租税教室)であれば税務署の方とか税理士さんが、後者(人権教室)であれば人権擁護委員さんが来校するでしょう。
法律上、この方たちが直に子供たちを指導する事は出来ません。あくまでも、授業は教員が進める建前ですから。だから普通は、授業の最初に教員が、「今日はゲストティーチャーとして、税務署の(税理士の・人権擁護委員の)△△さんが来てくれました」などと紹介します。その後、ゲストティーチャーが指導を行い、最後に教員が授業をまとめます。つまり、ゲストティーチャーの行う指導は、「授業中の資料」的な扱いとなる訳です。
そして、この形で授業が展開するからこそ、ゲストティーチャーでも授業は進行させる事が出来ます。もちろん、何度もゲストティーチャーとして授業に参加している方だと、経験を積んで、上手に授業を進められる方はいますが、あまり経験の無い方だと、そんなに上手には授業を進める事が出来ません。
それは、教師の仕事には様々な技術が必要だからです。
ゲストティーチャーから見える授業技術
ゲストティーチャーの授業で最初に見えてくるのは、話し方の技術です。声が小さすぎるのは論外ですが、ある程度の声の大きさでも、喋り方が悪いと聞き取れません。滑舌が悪かったり、もごもご喋ったりしていると、聞き取りにくくなってしまうため、聞いている子供たちの集中力が休息に低下していきます。
話し方では他にも、「間(マ)」の取り方も重要です。のべつ幕なしに喋ってるのも、必要以上に間隔があいてるのも、聞いていて頭に入ってきません。流してイイ部分はさらさらと話し、大切な部分では一瞬の間を取る…そんな話し方が出来れば、聞いている子供たちの集中が高まります。
また、資料の提示の仕方や、書く作業の指示の仕方、質問をして答えてもらう方法なども、技術の有無が見える部分です。
資料の提示の仕方で言えば、サッと見せるのか、焦らせてから見せるのか、それだけでも集中の度合いが変わります。子供たちが集中している時は、焦らせるよりサッと見せた方が効果的ですし、子供たちが集中してない時なら、焦らせる事で資料に意識を集中させる事が出来ます。
こう言う事は、教員として真面目に経験を積み重ねていれば、ある程度の年数で身に付いてきますが、教員ではない方だと中々経験を積む機会はありません。当然、この様な技術が無いので、授業が進むにつれ、子供たちの集中が途切れがちとなる事が多いです。
そうならない様に、授業をしている学級の教員は、さり気なく授業へ介入します。集中の途切れそうな子の近くに行ってアイコンタクトしたり、騒ぎ始めた子の近くに行って肩に触れたり、きょろきょろしている子に射る様な視線を送ったり…。
授業を成立させるには、様々な技術が必要なのです。
教員自身が技術の重要性を知らない
ところが…です。当の教員自身が、技術の重要性を知らないか、軽視しているかしているのです。
以前の記事「ブラックとホワイトの狭間」でも書きましたが、教員養成大学では、教育に関する技術を全くと言って良いくらい教えていません。令和6年度の勤務校の若手(経験年数3年未満の教員)に聞いて確認しましたが、北海道教育大学では、先程の章で書いた「話し方」や「間の取り方」はもちろん、「資料の提示の仕方」も「書く作業の指示」も「質問して答えさせる方法」も、何一つ教わらなかったそうです。
教育実習に行って、配属された学級の教員がやっている姿を見て、「あ~、こうやって話せばイイんだ」とか、「こんな風に資料を見せればイイんだ」とか分かりました…と言っていました。勤務校の若手は。
実に、お寒い状況です。
更に、学校現場に出ても技術的な指導は「日陰者」です。
学校には「研究部」や「研修部」など、教職員が研修をして研鑽を積む組織が設定されています…が、少なくとも札幌では、「教科指導法」の研究が中心です。これはつまり、ある教科を教える時、どの様に教えると、より効果的か…を考える研究です。
例えば国語であれば、まず、どんな教材で授業するかを決めます。仮に、新美南吉の「ごんぎつね」で授業すると決まったとしましょう。すると次は、「ごんぎつね」のどの場面で授業すれば効果的か…が検討され、それが決まったら、どんな発問や指示をすれば効果的かが検討されます。この段階になれば、かなり「話し方」や「質問して答えさせる方法」に近づきますが、技術的な話が中心になる事は少ないです。むしろ、教材文の解釈などを議論する事の方が多いでしょう。
校内研修として技術的な事を扱う「研究部」や「研修部」もありますが、それは全体から見ると少数派です。30年以上になる私の教員経験でも、その様な校内研修を行ってもらった事は2~3割ってところでしょうか。
だから、若手の教員が技術的な事を学ぶ機会は非常に少ないのです。そのため、その若手教員が過去に経験してきた事…つまり、自分が小学校や中学校で経験してきた事を行う事が多い訳です。
これでは、若手の教員の学級が荒れても仕方ないでしょう。
若手には、まず技術を!
長くなったので、まとめます。
教員の仕事は、誰にでも出来る簡単なものではありません。学級をまとめたり、授業を成立させたりするには、幾つもの技術が必要となります。
しかし、残念ながら、大学でも現場でも技術は軽視されています。その為、若手の教員が十分な技術を身に付けている事は少ないです。
それが分かっているのですから、若手には技術を教えていくべきです。それは、私の様な熟年(中堅?)教員にとっては義務と言っても良いでしょう。
また、若手も積極的に技術を学ぶべきです。本を読む事も必要ですし、勉強の場に出ていく事も必要でしょう。そして何より、同じ職場の先輩に、自分から聞きに行く貪欲さ…これが欲しいところです。
ところで、令和7年3月24日の記事に「いいね」などをいただきました。いつも、どうも、ありがとうございます。コレを糧に、年度末も頑張りま~す。
…と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
…と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。