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エスせんブログ

ラノベ好きなB級小学校教師のエスせんが、教育中心に色々語るブログです。少しでも面白ければ「いいね」御願いします。

「思い出が無い」と言われたら…

2025-03-18 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、作文指導での出来事です。
 令和6年3月のある日、1年間を振り返って、思い出作文…と言うか、思い出カードを書く活動をしていた時の事です。
 この授業では、1年間を振り返り、思い出ベスト3を選んでカードに書きます。カードは、上3分の1くらいに大きな長方形が描かれ、その長方形の下に縦罫線が何本か引かれています。長方形の中にイラストを描き、縦罫線部分に作文を書く形式です。
 この手の活動は、一気に全部取り組ませると、作業の早い子と遅い子の差が大きく開きます。そこで今回の授業では、1コマ(1単位時間の事。普通は45分間)に1枚ずつ取り組ませる事にしました。
 問題となる出来事が発生したのは、2コマ目の事です。活動を開始して5分くらい過ぎた頃、Aさんがやってきました。そして、「先生、考えても思い出が浮かんできません。書かなくてもイイですか?」と言ってきたのです。
 Aさんは、こだわりの強い面があり、自分の興味の無い事には無関心な面もあります。おそらく、Aさんにとって「1年間を振り返って、思い出をカードにまとめる」と言う活動は、ほとんど興味の湧かない事だったのでしょう。
 ただ、さすがに、これは少し悩みました。ここでOKしてしまうと、予備の時間も含めて3コマの間、Aさんは何もしない事になってしまいます。それは駄目だと思うのですが、かと言って、代わりの活動を直ぐには思い付きません。
 そこで、次の様な話をしました。

 Aさんは、しっかり考えても思い出が思い付かなかったんだね。
 それなら、それは仕方ないと思うんだけど、先生は、それは残念な事だと思うんだ。
 先生は、この1年間、Aさんと一緒の学級で生活して、色々な思い出ができたよ。
 楽しかった事もあるし、悲しかった事も、残念だった事もある。
 そうやって思い出ができて、自分の人生が豊かになった…そう、先生は感じます。
 だから、思い出が無いAさんは可哀想だと思うし、残念だなとも思います。
 思い付かない事は悪い事でも何でもないけど、2年生では思い出が沢山できるといいね。

 これ、何の指示も出していません。私の思った事を伝えただけです。
 この後、Aさんが「書かなくてもイイですか?」と聞いてきたら、「どうぞ」と答えるつもりでしたが、Aさんは何も言わずに席へ戻りました。そして、その後、カードに何か書いては消して、書いては消して…を繰り返していたのです。
 最後に提出されたカードは、何も書かれていませんでした。それを見て私は、「頑張って思い出そうとしたけど、どうしても思い付かなかったんですね」と言い、Aさんは頷いていました。
 次回の授業、Aさんが同じ事を言ってきたら、今度は「書かなくてもイイですよ」と言おうと思います。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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体育に参加したくない子への対応

2025-03-17 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話です。今回は、体育の時の児童対応を書きます。
 令和7年3月のある日、体育で「はしごドッジボール」を行いました。
 「はしごドッジボール」と言うのは、梯子の様に、長方形が細かく&隙間無く並んだ形のコートを使って行うドッジボールです。
 もっとも、細長い長方形のコートが隙間なく並んでいますから、両端のコート以外は、長方形の短辺しか「外野」がありません。それに、センターラインで「内野」が区切られていないので、「内野」に入れるチームは1つだけになります。だから、通常のドッジボールのルールでは行えません。
 ゲームは、内野チームと外野チームの2チームで行います。
 決まった時間(概ね1分半から2分くらい)、内野チームはボールが当たらない様に逃げ続け、外野チームはひたすらボールをぶつけ続けます。ボールが当たっても、外野チームの得点となるだけで、他にペナルティはありません。
 決まった時間が過ぎたら、内野チームと外野チームを交代します。そして、また同じ時間だけゲームを行い、最後は両チームの得点を比べて多い方が勝ち…と言うのが「はしごドッジボール」です。
 因みに、1ゲームが終わるとチームは場所を移動します。基本的には、隣の長方形に移動して次のゲームを行います。狭い場所で、一気に多数のチームをゲームに参加させる事が出来て、対戦相手の交代も簡単なのが「はしごドッジボール」の利点です。
 話を戻します。
 「はしごドッジボール」を行っていると、ゲームが始まって直ぐに、1人の子がやってきました。「どうしたの?」と尋ねると、「やりたくないので、見学してもイイですか?」と言うではありませんか。
 皆さんは、こう言う風に言われたら何と答えますか?
 おそらく、「どうしたの?」と尋ねるのが王道でしょう…が、今、ゲームをしている最中です。じっくり聞き取りを行う余裕は、残念ながらありません。
 「何、自分勝手な事を言ってるの! ちゃんと参加しなさい」と言う方もいると思います。昔の私は、このパターンが多かったです。
 今回の私は、数秒(おそらく5~6秒)考え、「いいよ。あっちで座って見学して」と言いました。その子は、私が指定した場所へ行って、座って見学を始めました。
 この判断をしたのは、この子は単なるワガママで言ってきたのではなく、何か理由があって言ってきたのだろう…と考えたからです。そうであれば、頭ごなしに叱るのは、あまり良い手とは言えません。
 また、もし、何か理由があって見学したいと言ってきたなら、その内にゲームへ戻るだろう…とも考えました。本人の中で気持ちの整理を付ける時間を確保してやれば、本人が自分で何とかするだろう…って訳です。
 実際、その子は次のゲームが始まると戻ってきました。ここから考えるに、見学を申し入れてきたゲームで、何か気に入らない出来事があったのでしょう。
 本人の中で気持ちの整理を付けたのですから、私が余計な事をする必要はない…そう考え、この後も私は何ら関わりませんでした。
 この一連の対応、ベストかどうかは分かりません。もっと良い対応があった様にも思いますが、取り敢えず、今の私に出来る精一杯の対応をしました。
 果たして、これで良かったのかどうか…皆さんは、如何お考えになりますか?
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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2コマ強行で絵の具指導失敗

2025-03-11 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、図工の失敗談です。
 令和6年度の教科書から1年生では、個人持ちの絵の具を使う活動が「絶対」ではなくなりました。学校予算で購入した共有絵の具を使う活動はありますが、個人持ちの水彩絵の具セットを使う活動は、必ずしも実施しなくて良くなった訳です。
 しかし、年度当初に気付いてなかった私は、令和6年度の斡旋販売品に水彩絵の具セットを入れていました。当然、保護者は購入しました。そんな訳で、個人持ちの水彩絵の具セットを使う活動は、令和6年度中に「絶対」行わなくてはなりません。
 色々考え、「のってみたいな いきたいな」と言うテーマの絵画に取り組む事としました。自分が乗ってみたい物(乗り物でも生物でも、空想上の存在でもOK)に乗り、行きたい場所(空でも海でも森林でも宇宙でもTDRでもOK)に行った様子を描く…と言う絵画です。
 もちろん、この絵画の全てを水彩絵の具で描く訳ではありません。ほとんどはクレヨンで描き、背景を水彩絵の具で塗るのです。
 全部で4コマ(4単位時間…と言う意味。1単位時間は45分間)の授業予定の内、前半2コマでクレヨンを使用し、絵の9割を完成させました。そして、後半の2コマ…個人持ちの水彩絵の具セットを持ってこさせて、水彩絵の具の指導です。
 結論から言えば、コレ、大失敗でした。
 1年生の水彩絵の具の指導は、とにかく事前指導が沢山あります。そのため、絵の具を使って塗り始めるまでに、どうしても時間がかかるのです。ざっと列挙すると…
  1.中身の確認&用具の簡単な説明
  2.机上に新聞紙を敷く。
  3.水入れケースの高さの半分くらいまで水を入れさせる。
      ※その際、こぼしても大丈夫な様に雑巾を必ず持たせる。
  4.水入れケースを机下の通路とは反対側に置かせる。
  5.パレットの小部屋と大部屋の説明をし、小部屋に使う色を出させる。
  6.使う筆を出させて、水入れケースの上に置かせる。
  7.使わない絵の具と筆を水彩セットの収納袋に入れさせる。
…凄い量の事前指導です。まだ、何も塗ってないんですよ。
 この後、更に…
  8.小部屋から大部屋へ絵の具を出し、水で薄める方法を説明する。
  9.同じ場所を何度も塗らない様に説明する。
…と言った説明も必要です。そこまで終わって、やっと塗り始められる訳で、いや~、教える教員も教わる子供たちもメッチャ大変です。
 今回も、2コマ合計90分間の授業で、塗り始められたのは60分過ぎた辺りからでした。その為、塗り方についての詳細な指示を出す余裕がなく、結果、「たっぷりの水分を含ませた絵の具で、ふわっとした感じになる様に塗る」とはならなかったのです。
 やはり、水彩絵の具の使い方と練習塗りで2コマ、本番で2コマ…とすべきでした。そうすれば、先程の1から9までの指導を前半の2コマで行い、美しい背景になる様に塗る指導を後半の2コマで行えたでしょうから。
 とは言え、もう令和6年度の水彩絵の具指導は終了です。この反省は、令和7年度以降に活かします。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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教師を取り巻く環境の激変

2025-03-10 04:30:00 | 教育
使命感と覚悟を崩す様な状況
 月・火曜は学校教育話。今回は学校教育の問題点などを、私なりの視点で分析し、私なりの意見を述べるシリーズの第4弾です。
 ここ2回くらい、教員の仕事はブラックとホワイトの狭間にある…って話をしました。その中で、「突き詰めて考えると、教員の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的であり、そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟がなければ、教員の仕事のホワイトな部分は感じられないだろう」と、私なりに結論づけました。
 しかし今、この使命感と覚悟を崩す様な状況が発生しています。それを端的に述べているのが、第2弾の記事「ブラックとホワイトの狭間」でnote仲間からいただいたコメントです。以下、全文紹介します(ただし、記号は省略し、行間も詰めてあります。また、列挙部分は見やすくするため、1文字下げました)。

こんにちは
学校で働いた経験は無いですけど、良い印象はありません
理由はいつか書いた通り、
 ・なんか、世間知らずというレッテルを貼られてる。
 ・もはや生徒の方が強い。
 ・だけど、教育的指導をしなきゃいけない。
 ・教育的指導の結果、パワハラと騒がれる。
 ・生徒や保護者の方が強いのに、何故か教員の方が強いと誤解してる人がいる。
 ・つまり、カスハラは問題視されないけど、権力が無いのにパワハラと騒がれる。
記事から読み取れるホワイトの部分も、果たして評価されるんでしょうか?
私だけ塾講師の時、授業評価はかなり高かったけど、上からの評価は低かったです
こういうことを言ったらダサいけど、年齢や外見とか、能力以外の点で低評価スタートになることが少なくないのかな? とか、思ってます。
しかし…。
ある種、手に職つけたような状態なので、これ意外に生きる道が無い
なんか愚痴みたいになりましたけど、教職はブラックで、これから志願者は減少の一途を辿る気がしてます


 このコメント中の列挙部分、本当に、その通りだと感じます。そして、こう言った流れの結果、教員は数多くの「攻撃」(コメントの言葉で言えば、「カスハラ」とか。パワハラと騒がれる」とかです)を受ける事になります。やがて、それらが教員の使命感と覚悟を少しずつ削っていき、最終的には崩してしまう…少々悲観的ですが、そんな風に私は考えています。
 もっとも、私が教師になった頃から、そんな状況だった訳ではありません。私が教師になてから少しずつ変わっていき、現在は「激変」と言ってイイくらい変わってしまった…そんな印象です。

いつから激変したのか?
 昔々の半世紀くらい前、私が小学生の頃の教員は「絶対的な存在」でした。うっかり、「学校で先生に叱られたさ~」なんて言おうものなら、「そりゃ、お前が悪いからだろ!」と家でも叱られる事、もう間違いなしです。私なんて、学校まで引きずって行かれて、職員室で謝らせられた事もありました。
 これがイイと言うつもりはありませんが、とても羨ましくは感じます。
 私が教員になった30年前は、教員を「絶対的な存在」と考える方は少数派でしたが、それでも「先生を支えよう」と言う意識は、まだまだ保護者の中にも残っていました。だから、教員が行った指導に対して、全否定から入る保護者はいませんでしたし、もっと言えば、若い教員を育てようと言う意識の保護者は、かなりの数いたものです。
 私の話で言えば、教師になって6~7年目くらいまでは、もう信じられないくらい、トンチキな失敗ばかりしていましたが、その事で保護者からクレームの入る事はありませんでした。あんな失敗、今やったら、校長室に怒鳴り込んでくる保護者が何人もいるでしょう。実際、「先生は若いから、私たちが育てていかないとね」と、保護者から言われた事もあります。
 しかし、今や、それは過去の物語です。
 その原因は、社会全体に「心の余裕」が無くなってきたからではないか…と私は考えています。「先生は若いから、私たちが育てていかないとね」なんて言葉、鷹揚に構えていられるだけの、かなり心の余裕のある方でないと言えないでしょう。
 では、何故「心の余裕」が無くなってきたのか。これについて私は、大きく2つあると仮説を立てています。
 1つ目は、「自分が損をする事を極端に忌避する様になってきた」です。ここで言う「損をする」は、「嘲笑される」とか「馬鹿にされる」も含みます。少しでも自分が損をする事を忌避する為に、鷹揚に構える事は出来なくなったのではないでしょうか。
 これは、私の感覚的には「勝ち組・負け組」と言う言葉が広まった辺りから、その傾向が強まった様に感じています。もっとも、その源流は更に少し前からかもしれません。お笑い番組やバラエティ番組などで、真面目に何かへ取り組む姿を馬鹿にする傾向が強くなってきて、その先にコレが来た印象です。
 2つ目は、「社会全体が正しさを求める様になってきた」です。「真面目に頑張っている人を馬鹿にしてはいけない」とか、「悪い事をした人が得をする社会はいけない」とか…そう言った正しさが、求められる様な社会になってきたって事です。もちろん、正しさを求める事は間違っていませんし、正しさの追求によって幸せがもたらされた部分もあります。
 ただ同時に、ギスギスした社会を生み出したとも感じています。特に、個人の考える正義と、その人が損をする事への忌避が結びつくと、一気に問題が先鋭化します。最近、問題になっているカスタマーハラスメントなども、そう言う側面があるのではないかと考えています。

流れを変える事は困難
 この、「社会全体に『心の余裕』が無くなってきた」と言う状況は、直ぐには改善されないでしょう。「自分が損をする事を極端に忌避する様になってきた」と言う傾向も、「社会全体が正しさを求める様になってきた」と言う傾向も、大きく変わる感じがしないからです。
 そうであるならば、教師を取り巻く環境の激変が、良い方向に改善される可能性は低いと考えられます。当然、教員は数多くの「攻撃」を受ける事も変わりませんし、教員の使命感と覚悟が少しずつ削られていき、最終的には崩されてしまう状況も、改善される可能性は低いと考えるべきでしょう。
 では、どうするか?
 私が考えている事は2つあります。
 1つは、より個人の使命感と覚悟を高め、鍛え、磨き上げると言う事です。それにより、削られて摩耗し切る事を防ぐ事が出来るだろう…と考えているからです。その為に、様々な学びの場に出ていき、技術的な面も人間的な面も共に鍛えていく必要があります。
 もう1つは、頼りになる仲間を得る事です。自分一人では耐えられない事でも、仲間がいて少しでも支えてくれれば、案外、耐えられる事も多いものです。その為に、学校現場での人間関係を大事にしたい…ところですが、「ドブ泥げす校長」の例もある様に難しい事もあります。ですから、学校現場以外でも人間関係を築く努力が必要です。教育研究団体へ所属したり、教育研修サークルに参加したり…もちろん、趣味の人間関係だって「あり」だと思います。
 どちらも自分が行う事です。社会を変える事が困難である以上、まぁ、それしかないですよね。コレって、教育の本質と通ずる部分がある様に感じます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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一日入学で色々と気付く・後編

2025-03-04 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は前回(R7.3.3)の続きで、一日入学で気付いた事を色々と書きます。
 全員揃ったので、いよいよ一日入学開始です。今回の流れは、折り紙で「兜」を折る→折り紙で「猫」を折る→塗り絵をする…です。
 最初に折り紙を配ります。この時、今後の事を考えて列の先頭にまとめて配る方式にしました。これは、その列の人数分の折り紙を先頭の子に配り、1枚取ったら後ろの子に渡していく…と言う方式です。これが出来れば、プリントを配る時間が大幅に短縮されるので、是非とも覚えさせたいところです…が、今回は一日入学なので様子見って感じです。
 多少もたつきましたが、順調に配れたので、さっそく折り方を教えていきます。私の折り紙を書画カメラ(実物投影機…と呼ぶ方もいます。テレビと繋がったカメラです)で大型テレビに映し出しながら、順々に説明していきます。
 指示を出してから、簡単に全体の様子を確認しながら進めていたのですが、3手順目あたりで気が付きました。指示を出しても、指示通りに出来てない子がいる…と。
 まぁ、これは考えれば当然の事です。簡単な折り紙とは言え、今回集まった子はバラバラな幼稚園や保育園から集まっており、折り紙の経験値もバラバラです。また、周りの子との人間関係も出来ていませんから、お互いに助け合う事も出来ません。
 ここで、「あ~、私の学級の子供たちは、この1年近くで色々な経験を積んで、経験値が高くなっていたし、互いに助け合う関係性も出来ていたんだなぁ」と気付きました。「子供たちに助けられていたから、最近の私は、100%の全力を出し続けなくても授業が出来ていたんだ」とも。
 即、気持ちを切り替えました。ここからは100%の全力を出し切って授業です。
 まずは、「全体指示を出したら机間巡視して状況を確認する」です。折り方を1つ指示したら、直ぐに机間巡視し、困っている子がいたら関わり、出来てる子には「いいね」と声をかけます。褒めてほしそうな子は、頭を撫でたり、ぽんぽんっと軽く叩いたりしました。
 また、指示の言葉を具体的にする様にしました。「角を下に折り曲げて」ではなく、「ココの尖った所を、ココの角の部分と重ねるんだよ」の様に…です。また、最近は少し難しい言い方をしていたので、幼児でも分かる簡単な言葉を、優しい言い方で言う様にしました。上手に折れなかった子には、「大丈夫、何とかなるよ」と言って手助けします。努力の甲斐あって、泣き出す子はいませんでした。
 活動にのってきたら、どんどん褒めながら進めます。褒めながら思ったのは、「あ~、最近、こんなに褒めてなかったかもなぁ。明日から、もっと褒める様にしなくちゃ」って事です。
 兜の後は猫を折り、まだ少し時間があったので塗り絵に突入しました。折り紙が満足する出来映えだったからか、塗り絵は穏やかに集中した感じで進みます。その内に、保護者が迎えに来たので終了となりました。
 先程も書きましたが、今回の一日入学では、普段の授業で如何に子供たちに助けてもらってるか…を実感しました。そして、それに甘えて100%で仕事をしていない自分にも…大いに反省です。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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一日入学で色々と気付く・前編

2025-03-03 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、一日入学で気付いた事を色々と書きます。
 令和7年2月某日、勤務校では一日入学がありました。一日入学と言うのは、次年度(今回の場合だと令和7年度)に入学する予定の子供たちが、30分程度、学校で授業を受けると言う行事です。
 この行事、子供たちが学校に慣れる事で、不安なく入学してもらおう…と言う表の理由とは別に、裏の理由もあります。それは、問題を抱えたお子さんを事前に把握しておこう…と言うものです。こだわり行動の激しい子や落ち着きの無い子、教員の指示に従えない子、乱暴な子…など、入学してからトラブルを引き起こしそうな子を把握し、特定の学級へ集中しない様にしなくてはなりません。
 これ、業界の方なら分かっていただけると思います。うっかり特定の学級に集中してしまうと、下手すりゃ5月末には学級崩壊です。そこから立て直すのは、もう至難の業ですから、事前対策は必須なのです。
 今回、私が担当する子供たちは36名。1名の欠席もなく14時15分から開始しました…が、正直に告白します。スミマセン。1名、まだ来てないのに気付いてなくて、「はい、みんな、イイ姿勢をして御覧。(姿勢が良くなったら)いいね。じゃ、先生と一緒に勉強しよう…」まで指示を出してしまいました。
 幸い、補助に入っていた方が合図してくれたので、直ぐに気付いて、「あ、ごめんね。まだ全員揃ってなかった。でも、折角だから、ちょっと協力してもらおうかな」と修正指示を出しました。ふひゅ~、危ない、危ない。
 因みに、この時は簡単な拍手ゲームをしてもらいました。私の左手をグーにして「これ、月です」と説明し、右手は人差し指を立てて「この指の先に、目には見えないけどロケットがあります」と見立てさせます。それで、人差し指の先がグーを横切ったら拍手させる…と言う単純なゲームです。単純ですが、人差し指の動かし方(或いは止め方)で子供たちの拍手のタイミングを外す事で、とても盛り上がるゲームです。子供たちが緊張した表情だったので、気持ちをリラックスさせる為にやりましたが、予想通りに盛り上がり、場の雰囲気がイイ感じになりました。
 全員揃ったら、改めて自己紹介をしてから挨拶し、いよいよ一日入学開始です。う~ん…少し長くなったので、続きは次回とさせていただきます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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ちょい悪おじさん的な板書

2025-02-25 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話です。今回は、ちょい悪おじさん的な板書をした事で、子供たちの成長を感じた話です。
 それは、「ずうっと、ずっと、大すきだよ」と言う教材で、登場人物を考えさせる国語の授業でした。黒板を見ると、前の時間の板書が、そっくりそのまま残っています。どうやら、黒板消し係が消すのを忘れていた様です。
 これが1年生の1学期や2学期なら、「消し忘れていますよ」などと声をかけて消させます…が、今は3学期。優しくするばかりでなく、厳しい指導も行っていく時期です。
 こんな時、私は、残っている板書の上に板書していく事が多いです。この時も、遠慮なく板書していきました。「登場人物(振り仮名付き)」と板書し、「①エルフ」、「②ぼく」と続けて書いていきます。最初は唖然として見ていた子供たちも、「ヤバい!」と気付き、「黒板消し係さん、消して」と声をかけ始めました。
 「⑥」まで書いたところで、黒板消し係が消し始めました。どうするのか…板書する手を止め、係の子供たちの様子を見る事にしました。
 黒板消し係は最初、重なっていて見にくい部分だけ消そうとしました…が、これは結構難しい。なかなか上手に消せません。その内、見ている子供たちから、「もう全部消しちゃおうよ」などと声がかかる様になってきました。係の子供たちも迷っている様子でしたが、最終的には全部消しました。
 さて、今度は私の番です。私は、「⑥」の続きの部分から板書していき、最後の「⑪かえる」まで書いたところで手を止めました。前半部分の無い板書です。
 さあ、子供たちはどうするのかな…と思って見ていると、一人の子(Aさん)が前に出てきました。そして、「先生、ここに⑥って書いて」と言ってきました。「え? 書いて…ですか?」と聞き返すと、Aさんはまた、「先生、ここに⑥って書いて」と言ってきます。「その言い方じゃ、書いてあげられないなぁ」と言うと、別な子(Bさん)も前に出てきました。そして、「先生、ここに⑥って書いてください」と言うので、その通りに板書してあげました。
 するとBさん、「①から⑤に何が書いてあったか覚えている人?」と声をかけたのです。それを聞いて、座っている子供たちからは、「⑤は『となりの子』だったよ」とか、「④は『いもうと』って書いてあった」などと声が挙がります。するとBさん、「先生、⑥の前に『⑤となりの子』って書いてください」と言ってきました。もちろん、直ぐに板書します。
 こうして、Bさんが座ってる子供たちに確認→分かった事柄をBさんが私に伝達→私が板書…と言う流れで板書されていき、とうとう全ての板書が元通りになりました。
 ちょっぴり意地悪な関わり方をしたのですが、それに挫けてしまわず、自分たちなりに考えて何とかしようと努力しました…子供たちは。1学期は当然として、2学期も前半だったら、こんな対応は出来なかったと思います。そう言う意味では、子供たちの成長を強く感じた出来事でした。
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続・ブラックとホワイトの狭間

2025-02-24 04:30:00 | 教育
はじめに
 月・火曜は学校教育話。令和7年1月20日&2月4日に続き、教育現場からの問題提起&自分なりの意見を述べるシリーズ第3弾です。前回の記事「ブラックとホワイトの狭間」に対し、色々と意見をいただき、自分でも色々と考えました。今回は、そうやって考えた事について、現段階での私の結論を述べます。
 さて、前回の記事では、一般的な働き手の立場から言うと、教育現場は相当にブラックだ…と書きました。それについては、ここでは省略させていただきます。興味のある方は、2月4日の記事を御覧ください。
 その記事の後半、「でも、努力した結果、子供たちに成長が見られた時の喜びは、かなりのホワイトだと思う」と書きました。それについては賛否があったのですが、この部分の説明が少々不足していた…と感じたのです。そこで、そこを中心に述べさせていただきます。

未来を築く教員の仕事
 まず、端的に結論を述べます。突き詰めて考えると、教員の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的であり、そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟がなければ、教員の仕事のホワイトな部分は感じられないだろう…が結論です。
 端的過ぎて伝わらないと思うので、もう少し詳しく述べていきます。
 教員の仕事は子供を育てる事です。どう言う子供を育てるかは、教育基本法で明確に述べられています。教育基本法の第一章「教育の目的及び理念(教育の目的)」の第一条では、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と書かれているからです。
 まぁ、法律の条文なので分かりにくいですよね。私流の解釈で大雑把に言うと、「人格的に優れた人間に育つ事を目指す」、「平和で民主的な社会を目指す人間を育てる」、「心身共に健康な人間を育てる」の3つになるでしょうか。この内、「心身共に健康な人間を育てる」は、学校教育も含まれるでしょうが、家庭教育や社会教育の割合が高いでしょう。そう考えると、学校教育で目指すべきは、「人格的に優れた人間に育つ事を目指す」と「平和で民主的な社会を目指す人間を育てる」の2つ…と言えるでしょう。
 「人格的に優れた人間」で「平和で民主的な社会を目指す人間」…こう言う人間が増えれば、日本と言う国の未来は確実に明るくなると言えます。平和で民主的な社会を目指す人間が育ち、その様な人間が増えていけば、歩みは遅くとも、より良い社会へ向けて前進していくでしょうから。
 だから、先程述べた通り、「教員の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的」だと考えられる訳です。
 もちろん、こんな大きな目的が単独の学校だけで達成される訳がありません。小学校で可能な限り育てて中学校にバトンタッチ、中学校で可能な限り育てて高等教育の学校にバトンタッチ…。もしかしたら、高等教育の学校間でも、バトンタッチが繰り返されるかもしれません。それを繰り返していき、先程の様な人間を育てる訳です。
 もっと言えば、単独の学校の中でもバトンタッチは繰り返されるでしょう。私の勤務する小学校で考えても、1年生から6年生までの間に何人かの教員が担任します。当然、担任から担任へバトンタッチが行われる事になります。
 そう考えると、1人の担任の育てられる事柄なんて、その子の人生全体から考えたら微々たるものでしょう。だから、先程の文では、「そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟」と書きました。

使命感と覚悟の仕事
 この様な使命感と覚悟で取り組まれる仕事は、決して少なくないと思います。これについては、noteに書いた記事のコメント欄で、note仲間が医者の話を書いています。せっかくなので、全文紹介させていただきます。

 医師で、「凄腕」「神の手」なんて呼ばれている人は、そうなるまでには、まさに血の滲む努力、努力、努力▪▪▪。ある程度技術と信頼がつけば、ひっきりなしの手術。休む間なしです。つまり、ブラックです。
 でも、それを、「疲れる」とは思っても、「嫌だ」「やりたくない」と思うのでしょうか?
 そこまでなくても、ある程度の技術を持った医師は、「やり甲斐」を軸として「仕事が生活の中心」ではないでしょうか?
 ブラックをブラックと思うのでしょうか?
 教師も、そうだと思います。
 人の命を預かり、人生の基盤作りをしているんですから。
 プライベートの方を大切にしたい人が、中途半端にやってみる仕事ではなく、人生をかける価値のある仕事だと思います。
 それだけの価値を世の中に認識してもらい、それなりの権限を与え、成果に見合った給料にすれば、ブラックとは思わないのでは?と思います。甘いかな。
 「みんな平等」が過ぎて、必要とする技術が違う職業が、同じ価値観で「働き方改革」を唱えるもんだから、おかしなことになってますね。


 短い文章で、とても説得力のある内容を書かれています。もう、この文章を読めば、私のダラダラした記事は不要なくらいです。
 私の考えも概ね同様ですが、あえて言えば1つだけ違う点があります。それは、私の考えだと、「使命感と覚悟の仕事」は自己完結している…と言う点です。先程のコメントですと、「それだけの価値を世の中に認識してもらい、それなりの権限を与え、成果に見合った給料にすれば」の部分、ここは絶対的な条件ではなく、可能であれば…くらいの条件だと考えています。
 大切な事は、自分が使命感と覚悟をもって仕事に取り組む事。だからこそ、自分の理想とする状態に一歩でも二歩でも近づいたと実感できれば、それは自分自身にとって仕事の満足感につながります。第三者から何と言われようと、金銭的な利益がなくても、この満足感が最も重要で、仕事のホワイト感にもつながっている…そう、私は考えています。
 医者や教員の他にも、使命感と覚悟の仕事は少なからず存在するでしょう。まぁ、考え様によっては、あらゆる仕事において使命感と覚悟がある事で、充実した仕事になっていくとは思いますし、ホワイト感も増すと思います。

少々付け足し
 ちょっと話が逸れますが、我が家の子供ちゃんのオススメで、私は最近、「timelesz project」の番組を視聴しています。STARTO ENTERTAINMENTのアイドル・グループtimelesz(タイムレス)のメンバーが、新しいメンバーを選ぶ為のオーディション番組です。
 この番組、とても勉強になります。
 例えば、三次審査の際にtimeleszの菊池風磨さんが、「3日間で振り付けを覚えるのは大変だと思うけど、実際の仕事では覚えるのは更に短期間で、もし1日あればラッキーだと思った方がイイくらいだから」と言った内容の発言をしていました。これ、かなり無茶な要求をされていると感じるし、一般のレベルで考えたらブラックだと思うのです。
 同じ三次審査の場面で、応援に来た大倉忠義さん(同じSTARTO ENTERTAINMENTのアイドル・グループSUPER EIGHTのメンバー)が述べていました。「アイドルにとって踊りや歌は大切だが、もっと大切な事は、ライブなどの会場に来てくれたお客さんを幸せにする事」と言った内容を…です。
 つまり、アイドルにとっては「お客さんを幸せにする事」が最大の目的であり、それを達成しようと言う使命感と覚悟が必要な訳です。だから、一般のレベルで考えたらブラック過ぎる仕事内容にも耐え、努力し続ける事が出来る訳です。アイドルもまた、使命感と覚悟の仕事だと言えそうです。

おわりに
 長々と語り過ぎました。一度まとめます。突き詰めて考えると、教師の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的であり、そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟がなければ、教師の仕事のホワイトな部分は感じられないだろう…と言うのが、今回の私の結論です。
 ただ、昨今、その使命感や覚悟を崩す様な事の増えているのが教育現場です。これについては、noteの記事のコメント欄で、別なnote仲間が重要な指摘をしてくれました…が、かなり長くなっています。その辺りは、また別な記事で述べさせていただこうと思います。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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ポテトピザいや~ん・後編

2025-02-18 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は前回(R7.2.17)の続きで、スキー学習での低学年指導について書きます。
 低学年のスキー指導で有効な言葉について、妻と話している内に閃いた私。
さっそく、令和7年2月某日のスキー学習で実践しました…と言うのが、前回までの内容です。
 子供たちをスキー山の登坂斜面(山に向かって右側と左側にあり、真ん中が滑降斜面となります)の登り口から、左右各1列の合計2列横隊にして並べました。そして、真ん中に立って説明します。
 私「今日のスキー学習では大事な言葉を覚えてもらいます。
   それは、『ポテト』『ピザ』『いやーん』です。
   はい、繰り返して」
 子「ポテト、ピザ、いやーん」
 私「ポテトは真っ直ぐ伸びていて、スキー板に似てるでしょ。
   だから、ポテトはスキーを指しています。
   『ポテト』と言われたら、自分の滑る方向に真っ直ぐスキーを向けます」
 ここで、理解させる為に少々の間を開けます。
 私「次はピザだけど、これは膝の事です。
   『ピザ』と言われたら、膝を曲げて、左右の膝をくっつけてください」
 ちょっと、やらせてみせます。
 私「ポテトやピザを食べ過ぎると、先生みたいに太って、お腹が出てきます。
   見られるのは恥ずかしいので、『いやーん、見ないで』とお腹を隠しましょう。
   両膝に手を当てて、腕でお腹を隠すポーズ…これが『いやーん』です」
 子供たちは笑っています。ボランティアで参加の保護者も笑ってます。
 ここで、「見本を見せますね」と言って、実際にスキー山を登りました。そして、「ポテト」でスキーを下に向け、「ピザ」で膝を曲げて両膝を合わせ、「いやーん」と言って両膝に手を当て、腕でお腹を隠しながら滑りました。当たり前ですが、コントロールを効かせたプルーク滑降なので、スピードが出ず安定して滑っていきます。子供たちから、感心した様な声が聞こえました。
 この後、子供たちを登らせ、ひたすら「ポテト」、「ピザ」、「いやーん」で滑らせました。残念ながら、令和6年度のこの日は雪面がガチガチに凍っていて、子供たちがスキーをコントロールするのは至難の業でした。
 でも、指示通りにポーズをする事が出来た子は、転ばずに滑る事が出来ていた…子の割合が高かったです。もう1回指導すれば、かなり定着し、転ばずに滑る事の出来る子が増えると思われます。
 言葉としては、なかなかインパクトがあり、子供たちにもイメージし易かったのではないか…と考えています。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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ポテトピザいや~ん・前編

2025-02-17 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回はスキー学習での低学年指導について書きます。
 低学年にスキーを指導していると、頻繁に転ぶ子をよく見かけます。転ぶ理由は様々ですが、体が後ろに傾く(札幌の教育業界では「後傾(コウケイ)」とか「後傾になる」と言われています)事が大きな割合を占めています。何で後傾になるかと言うと、ほぼ間違いなく「怖い」から。怖いから仰け反る姿勢になり、結果として後傾になる訳です。
 では、後傾にならない様にするには…これは簡単。前屈みの様な姿勢(「前傾(ゼンケイ)と言っています)になれば良いのです…が、これが難しい。前傾姿勢になると、スピードが出やすくなりますから、普通に滑るより怖くなります。だから、無意識に後傾になってしまい、結局は転んでしまいます。
 そこで、前傾姿勢を維持するため、色々と言葉かけを考えて指導してきました。
 これまでの最高傑作は、「スカートがめくれちゃう。いやーん…のポーズね」でした。両膝を合わせ、その膝を手で押さえるポーズです。これ、かなり有効なポーズなのです。両膝を合わせる事でスキーがプルーク滑降の形になりやすく、しかも両膝を両手で押さえているので、ポーズが崩れにくくなります。もちろん、この姿勢を維持すれば、間違いなく前傾姿勢で滑る事が出来ます。
 ただ、指導の言葉が、永井豪先生の『ハレンチ学園』的な雰囲気なのが問題でした。昨今のコンプラ重視社会だと、色々と批判を浴びそうです。
 そんな事を妻と話している時、「ポテト」と「ピザ」と言う指導もあると話題になりました。それぞれの指導内容を確認している内に…閃きました!
 さっそく、令和7年2月某日のスキー学習で実践です…が、ちょっと長くなるので次回に続きます。

 ところで、令和7年2月14日の記事に、「いいね」などをいただきました。どうも、ありがとうございます。今週も、気合いを入れて頑張ります。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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