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エスせんブログ

ラノベ好きなB級小学校教師のエスせんが、教育中心に色々語るブログです。少しでも面白ければ「いいね」御願いします。

手を繋いで歩くだけ…で大感動! 後編

2025-04-01 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は前回(R7.3.31)の続きで、令和6年度に担任した1年生で、最後に行った体育の授業から紹介します。
 「手を繋いで歩く」運動で、渦巻き歩きに挑戦させようと決めた私。残り全4回中3回の授業では、毎回、授業の最後に手を繋いで歩く練習を行う事にしました。使う音楽はtimeleszの「RUN」。ノリノリで歩きます。
 そして、実施した1回目の練習…まぁ、ひどいものでした。手を繋いで、単に大きく円を描く様に歩くだけなのですが、手を繋いで歩いていると、何か盛り上がってしまうらしく、ふざけてフラフラする子がいたり、わざと手を離す子がいたり…。「これは道のりが遠そうだ」と感じましたが、この程度は予想の範囲内です。練習をした後、「ふざけないで挑戦したら、きっと、思いもかけない素敵な体験が出来るよ」と予告して授業を終えました。
 2回目の練習は、少し良くなりました。ふざける子は何人かいましたが、真剣に挑戦する子が増えたのです。更に、手を離した子が、直ぐに手を繋ぎ直そうとしていました。そのため、切れたままの時間が短くなったのです。「これなら、成功するかも…」と感じて、試しに途中で曲がる動きを入れてみました。何とかなりましたが、目印があると更に良さそうです。
 そのまま調子が良くなる…訳じゃないのが、人間の面白さ。3回目の練習は、1回目と同じくらいひどいものでした。おだっていて、全然、落ち着いていないのです。目印にコーンを置いてみましたが、中には、コーンを蹴っ飛ばす子がいた程です。まぁ、土日の連休明けで、しかも1年生の残り日数も僅かですから、気持ちがふわふわしてしまったのでしょう。
 これまでの私なら、ここで、「明日の授業で実行しようか。しないか」と迷うところです…が、今回の私は迷いません。「成功しようが、失敗しようが、とにかくやってみるしかない!」の一択です。
 最後の体育の授業、1組と2組の子が混ざる様に並べさせました。もう4回目ですから子供たちも、「あ、あれ、やるんだね」、「あ~、あの歩くヤツね」などと喋っています。それを聞きながら「RUN」を流し、先頭の子と手を繋いで歩き始めました。
 予め、コーンを並べておいたのは3回目の練習と同じです。体育館の内側向きに歩きながら、「今回はコーンを蹴らないでね」と声をかけると、今回は蹴らない様に歩く子が増えました。そして、手を切らない様に、気を付けて歩こうとする子が増えた印象です。これは、学年の相方も、「今回は、手を離さない様に気を付けていたよね」と言ってましたから、私の思い込みではなさそうです。
 そのまま、コーンの外側を通って渦巻き状に歩いていくのですが、子供たちの中にコーンの内側を通る子がいました。そのため、想定したより早く、渦巻きが小さくなっていきます。音楽の3分の1くらいの段階で、もう限界まで渦が小さくなってしまいました。子供たちの中には、「どうするの?」とか「ぶつかっちゃう」とか言ってる子もいます。
 もう少し後にしたかったですが、仕方ありません。思い切って180度体を回転させ、体を体育館の外側向きにしました。後ろの子と向かい合う形になります。限界まで渦が小さかったので、本当に目の前に子供の顔があります。そのまま進んで行くと、次々に子供たちの顔が通り過ぎていきます。「え?!」と言う表情の子、「これか~!」みたいな表情の子…学年全員の子供たちの顔が、全て通り過ぎていきました。
 そして、渦は外に広がっていき、やがて体育館いっぱいの大きな円の完成です。どの子の手も離れていませんでした。大成功! 手を繋いで歩いている子供たちの姿を見ていたら、何だか、涙がこぼれそうになりました。
 や~ね~、年寄りは涙もろくて。 
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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手を繋いで歩くだけ…で大感動! 前編

2025-03-31 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、令和6年度に担任した1年生で、最後に行った体育の授業から紹介します。
 今回紹介したいのは、「手を繋いで歩く」運動です。他に、特別な事は何もしません。本当に、子供たち全員が横一列に手を繋いで歩くだけです。
 ただし、真っ直ぐ歩く訳ではありません。渦を巻く様に、渦の中心側(つまり内側)を向いて、渦の中心に向かって歩いて行きます。もちろん、そのまま歩いていると、いずれ中心でぶつかってしまいます。
 安心してください。ギリギリまで中心に近づいたら、列の先頭(今回だと私)がクルッと体の向きを変えます。今度は、外側を向くいて歩いて行きます。当然、進行方向も逆向きになり、渦の中心から遠ざかる様に進んで行く事になります。
 「後ろの子供たちとぶつからないの?」と思われるでしょうが、気になる方は図で描いて見てください。大丈夫、ぶつからないのです。渦巻き状だった列は、最終的に大きな丸い列になります。その時には、全員が外側を向いているでしょう。
 たったコレだけですが、成功すると大感動です。
 でも、失敗の可能性も高いのです。何故なら、歩いている内に興奮して走ってしまったり、ふざけてしまったりして、手を離してしまう子が少なくないからです。簡単だけど、完璧に決めるのが難しい…そう言う実践です。
 そのため、この実践、令和5年度までに1度しか実践した事がないのです。何せ、ネタとしては単純です。1度やるとネタバレして面白さが半減するので、絶対に成功する自信がないと実践できませんでした。
 あ、そうそう…大事な話を書いていませんでした。
 この実践、元ネタは私ではありません。体育の全国セミナーで、山梨県のN先生(実名を出して良いか確認できていないので、ここは伏せさせていただきます)から教えていただいた実践です。
 とても面白いと感じたので、教えていただいて直ぐの頃に、その当時、担任していた6年生でやってみました。人数が多くなればなる程、面白くなると思っていたので、学年全員での挑戦です。落ち着いた6年生たちだった事もあり、この時は大成功!
 しかし、その後、なかなかタイミングが合わなくて実践する機会がありませんでした。そうこうする内、私の教師人生も残り4年くらいに。このままだと、この実践は行わないままで終わるかもしれません。
 そんな事を漠然と考えていた時、頭の中にピンと来る何かがありました。
 いきなり挑戦するのではなく、手を繋いで歩く練習をすればイイんじゃない…と。渦巻き状にあるくのは、何回か練習した後、本番で行えばネタバレもしません。幸い、令和6年度に担任している1年生は、まだ4回の体育授業が残っています。ぎりぎり、何とかなりそうな感じがします。
 そこで、残り3回の授業では、毎回、授業の最後に手を繋いで歩く練習を行う事にしました。全員で手を繋ぎ、音楽に合わせて歩く練習です。因みに、使う音楽は、この時期ハマっていたtimeleszの「RUN」にしました。拍子が取りやすい上、旋律も盛り上がるし、歌詞も中々良いのです。
 さっそく練習1回目…と思いましたが、長くなるので続きは次回に。

 ところで、令和7年3月28日の記事に「いいね」などをいただきました。いつも、本当にありがとうございます。よし、今週も頑張るぞ!
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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教師の仕事は技術職

2025-03-25 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、教育現場の抱える問題について私なりの意見を述べるシリーズ…たぶん第5弾です。

教員の仕事は誰でも出来る?
 家庭訪問や個人懇談などで時々、すっご~く上から目線で話してくる保護者の方がいます。社会的地位の高い御家庭や、学歴の高い保護者の場合が多いです。
 別に、上から目線で話をされても、私は大した気にしていません。「言いたい人には言わせておけばイイんです」と、普段から子供たちにも指導していますから。
 ただ、その手の話の中で、「教員の仕事なんて、誰でも出来る簡単な仕事でしょ」って雰囲気を感じる事があります。その雰囲気については、いつも、「反論したいなぁ」って考えています。
 残念な事に、「教員の仕事なんて、誰にでも出来る簡単な仕事」と感じさせる様な、(失礼ですが)御粗末な仕事しかしていない教員が少なくないのは事実です。最近は少なくなりましたが、朝からNHKの教育テレビを見せているだけ…って教員もいました。そんな教員を見ていれば、「教員の仕事なんて、誰にでも出来る簡単な仕事」と思ってしまうでしょう。
 でも、そんな事はないのです。
 それは、ゲストティーチャーが行う授業を見れば分かります。
 例えば、「税金について子供たちに説明したい」とか、「人権について子供たちに考えてもらいたい」とか、色々な目的で授業をしに来校される方がいます。先程の例の前者(租税教室)であれば税務署の方とか税理士さんが、後者(人権教室)であれば人権擁護委員さんが来校するでしょう。
 法律上、この方たちが直に子供たちを指導する事は出来ません。あくまでも、授業は教員が進める建前ですから。だから普通は、授業の最初に教員が、「今日はゲストティーチャーとして、税務署の(税理士の・人権擁護委員の)△△さんが来てくれました」などと紹介します。その後、ゲストティーチャーが指導を行い、最後に教員が授業をまとめます。つまり、ゲストティーチャーの行う指導は、「授業中の資料」的な扱いとなる訳です。
 そして、この形で授業が展開するからこそ、ゲストティーチャーでも授業は進行させる事が出来ます。もちろん、何度もゲストティーチャーとして授業に参加している方だと、経験を積んで、上手に授業を進められる方はいますが、あまり経験の無い方だと、そんなに上手には授業を進める事が出来ません。
 それは、教師の仕事には様々な技術が必要だからです。

ゲストティーチャーから見える授業技術
 ゲストティーチャーの授業で最初に見えてくるのは、話し方の技術です。声が小さすぎるのは論外ですが、ある程度の声の大きさでも、喋り方が悪いと聞き取れません。滑舌が悪かったり、もごもご喋ったりしていると、聞き取りにくくなってしまうため、聞いている子供たちの集中力が休息に低下していきます。
 話し方では他にも、「間(マ)」の取り方も重要です。のべつ幕なしに喋ってるのも、必要以上に間隔があいてるのも、聞いていて頭に入ってきません。流してイイ部分はさらさらと話し、大切な部分では一瞬の間を取る…そんな話し方が出来れば、聞いている子供たちの集中が高まります。
 また、資料の提示の仕方や、書く作業の指示の仕方、質問をして答えてもらう方法なども、技術の有無が見える部分です。
 資料の提示の仕方で言えば、サッと見せるのか、焦らせてから見せるのか、それだけでも集中の度合いが変わります。子供たちが集中している時は、焦らせるよりサッと見せた方が効果的ですし、子供たちが集中してない時なら、焦らせる事で資料に意識を集中させる事が出来ます。
 こう言う事は、教員として真面目に経験を積み重ねていれば、ある程度の年数で身に付いてきますが、教員ではない方だと中々経験を積む機会はありません。当然、この様な技術が無いので、授業が進むにつれ、子供たちの集中が途切れがちとなる事が多いです。
 そうならない様に、授業をしている学級の教員は、さり気なく授業へ介入します。集中の途切れそうな子の近くに行ってアイコンタクトしたり、騒ぎ始めた子の近くに行って肩に触れたり、きょろきょろしている子に射る様な視線を送ったり…。
 授業を成立させるには、様々な技術が必要なのです。

教員自身が技術の重要性を知らない
 ところが…です。当の教員自身が、技術の重要性を知らないか、軽視しているかしているのです。
 以前の記事「ブラックとホワイトの狭間」でも書きましたが、教員養成大学では、教育に関する技術を全くと言って良いくらい教えていません。令和6年度の勤務校の若手(経験年数3年未満の教員)に聞いて確認しましたが、北海道教育大学では、先程の章で書いた「話し方」や「間の取り方」はもちろん、「資料の提示の仕方」も「書く作業の指示」も「質問して答えさせる方法」も、何一つ教わらなかったそうです。
 教育実習に行って、配属された学級の教員がやっている姿を見て、「あ~、こうやって話せばイイんだ」とか、「こんな風に資料を見せればイイんだ」とか分かりました…と言っていました。勤務校の若手は。
 実に、お寒い状況です。
 更に、学校現場に出ても技術的な指導は「日陰者」です。
 学校には「研究部」や「研修部」など、教職員が研修をして研鑽を積む組織が設定されています…が、少なくとも札幌では、「教科指導法」の研究が中心です。これはつまり、ある教科を教える時、どの様に教えると、より効果的か…を考える研究です。
 例えば国語であれば、まず、どんな教材で授業するかを決めます。仮に、新美南吉の「ごんぎつね」で授業すると決まったとしましょう。すると次は、「ごんぎつね」のどの場面で授業すれば効果的か…が検討され、それが決まったら、どんな発問や指示をすれば効果的かが検討されます。この段階になれば、かなり「話し方」や「質問して答えさせる方法」に近づきますが、技術的な話が中心になる事は少ないです。むしろ、教材文の解釈などを議論する事の方が多いでしょう。
 校内研修として技術的な事を扱う「研究部」や「研修部」もありますが、それは全体から見ると少数派です。30年以上になる私の教員経験でも、その様な校内研修を行ってもらった事は2~3割ってところでしょうか。
 だから、若手の教員が技術的な事を学ぶ機会は非常に少ないのです。そのため、その若手教員が過去に経験してきた事…つまり、自分が小学校や中学校で経験してきた事を行う事が多い訳です。
 これでは、若手の教員の学級が荒れても仕方ないでしょう。

若手には、まず技術を!
 長くなったので、まとめます。
 教員の仕事は、誰にでも出来る簡単なものではありません。学級をまとめたり、授業を成立させたりするには、幾つもの技術が必要となります。
 しかし、残念ながら、大学でも現場でも技術は軽視されています。その為、若手の教員が十分な技術を身に付けている事は少ないです。
 それが分かっているのですから、若手には技術を教えていくべきです。それは、私の様な熟年(中堅?)教員にとっては義務と言っても良いでしょう。
 また、若手も積極的に技術を学ぶべきです。本を読む事も必要ですし、勉強の場に出ていく事も必要でしょう。そして何より、同じ職場の先輩に、自分から聞きに行く貪欲さ…これが欲しいところです。

 ところで、令和7年3月24日の記事に「いいね」などをいただきました。いつも、どうも、ありがとうございます。コレを糧に、年度末も頑張りま~す。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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自分の未熟さを実感

2025-03-24 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、「あ~、私って、まだまだ未熟者だなぁ」と反省した話を。
 令和7年3月のある日、朝の児童登校前の時間、教室で色々と準備をしていた時です。教務主任(担任ではなく、学校全体の教育課程に関する仕事をする方。自分の体験から言わせてもらえば、実態は学校全体の雑用係)がノックして入ってきました。
 どうしたのかな…と思っていると、
 「いや、先週から気になっていて、どうしても言わないとならないと思ったので…」
…と切り出してきます。そして、続けて話された事は以下の様な内容でした。

  ①先週の通知表の点検では厳しい書き方をしてしまった。
  ②直前に若い先生の通知表を点検していて、色々と思うところがあり、
   そのままの勢いで点検してしまった。
  ③ベテランの先生に対して、敬意を欠いた態度で申し訳なかった。
  ④エスせん先生の所見は温かい雰囲気で、自分は、とてもステキだと
   思っている。
  ⑤今後は気を付けるので、どうか勘弁してほしい。

 これを聞いた私…「あ~、やっちまった~」と思いました。実は、先週、学年の相方と職員室で愚痴ってしまっていたからです。
 この出来事の前の週、通知表を点検に出したら、かつてないくらい沢山の付箋紙が付いて戻ってきました。全部の通知表に直しが入っていましたから、初任者の時より多いくらいです。しかも、内容も細かく修正が入っていて、通知表によっては全部書き直しに近い対応が必要でした。
 それで…つい、愚痴っちゃったのです。職員室で。「こんなに直されると、何だか、自分の行ってきた指導が否定された気持ちになるね」とか、「よく読んでもらえれば、書いた意図は伝わると思うけど」とか、「退職の近い教員に対して、もう少し温かい目で見てほしいなぁ(←これは、はっきり言って「甘え」ですね。こんな事を言ってるから、いつまでもB級なんです)」とか…。
 あまり大きな声にならないよう注意しましたが、同じ職員室にいるのですから、おそらく聞こえていたのでしょう。それで、教務主任は気になって、モヤモヤしちゃって、今回の様な対応をしたのだろう…と思います。
 これは、完全に私が悪いです。愚痴を言うなら、別室(例えば、自分の教室など)で言うべきでした。子供たちにも、「同じ教室でコソコソ話をしてるから、トラブルになるんでしょ。言いたいなら、別な場所で言うべきです」って指導しているのに…自分が出来てないじゃないですか。
 いや~、自分の未熟さを改めて実感しました。大反省です。
 因みに、教務主任は「そんな訳なんで、通知表については、誤字脱字以外は直さなくても問題ないです」と言ってくださったのですが、戻ってきた翌日には全部書き直ししていました。それをお伝えすると、「あ~、申し訳ありません」と恐縮されていました。
 でも、本当に恐縮すべきは私です。子供に指導した言葉、しっかりと自分でも噛みしめ直します。

 ところで、令和7年3月21日の記事に「いいね」などを沢山いただきました。とても嬉しいです。どうも、ありがとうございます。これで、今週も頑張れそうです。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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「思い出が無い」と言われたら…

2025-03-18 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、作文指導での出来事です。
 令和6年3月のある日、1年間を振り返って、思い出作文…と言うか、思い出カードを書く活動をしていた時の事です。
 この授業では、1年間を振り返り、思い出ベスト3を選んでカードに書きます。カードは、上3分の1くらいに大きな長方形が描かれ、その長方形の下に縦罫線が何本か引かれています。長方形の中にイラストを描き、縦罫線部分に作文を書く形式です。
 この手の活動は、一気に全部取り組ませると、作業の早い子と遅い子の差が大きく開きます。そこで今回の授業では、1コマ(1単位時間の事。普通は45分間)に1枚ずつ取り組ませる事にしました。
 問題となる出来事が発生したのは、2コマ目の事です。活動を開始して5分くらい過ぎた頃、Aさんがやってきました。そして、「先生、考えても思い出が浮かんできません。書かなくてもイイですか?」と言ってきたのです。
 Aさんは、こだわりの強い面があり、自分の興味の無い事には無関心な面もあります。おそらく、Aさんにとって「1年間を振り返って、思い出をカードにまとめる」と言う活動は、ほとんど興味の湧かない事だったのでしょう。
 ただ、さすがに、これは少し悩みました。ここでOKしてしまうと、予備の時間も含めて3コマの間、Aさんは何もしない事になってしまいます。それは駄目だと思うのですが、かと言って、代わりの活動を直ぐには思い付きません。
 そこで、次の様な話をしました。

 Aさんは、しっかり考えても思い出が思い付かなかったんだね。
 それなら、それは仕方ないと思うんだけど、先生は、それは残念な事だと思うんだ。
 先生は、この1年間、Aさんと一緒の学級で生活して、色々な思い出ができたよ。
 楽しかった事もあるし、悲しかった事も、残念だった事もある。
 そうやって思い出ができて、自分の人生が豊かになった…そう、先生は感じます。
 だから、思い出が無いAさんは可哀想だと思うし、残念だなとも思います。
 思い付かない事は悪い事でも何でもないけど、2年生では思い出が沢山できるといいね。

 これ、何の指示も出していません。私の思った事を伝えただけです。
 この後、Aさんが「書かなくてもイイですか?」と聞いてきたら、「どうぞ」と答えるつもりでしたが、Aさんは何も言わずに席へ戻りました。そして、その後、カードに何か書いては消して、書いては消して…を繰り返していたのです。
 最後に提出されたカードは、何も書かれていませんでした。それを見て私は、「頑張って思い出そうとしたけど、どうしても思い付かなかったんですね」と言い、Aさんは頷いていました。
 次回の授業、Aさんが同じ事を言ってきたら、今度は「書かなくてもイイですよ」と言おうと思います。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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体育に参加したくない子への対応

2025-03-17 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話です。今回は、体育の時の児童対応を書きます。
 令和7年3月のある日、体育で「はしごドッジボール」を行いました。
 「はしごドッジボール」と言うのは、梯子の様に、長方形が細かく&隙間無く並んだ形のコートを使って行うドッジボールです。
 もっとも、細長い長方形のコートが隙間なく並んでいますから、両端のコート以外は、長方形の短辺しか「外野」がありません。それに、センターラインで「内野」が区切られていないので、「内野」に入れるチームは1つだけになります。だから、通常のドッジボールのルールでは行えません。
 ゲームは、内野チームと外野チームの2チームで行います。
 決まった時間(概ね1分半から2分くらい)、内野チームはボールが当たらない様に逃げ続け、外野チームはひたすらボールをぶつけ続けます。ボールが当たっても、外野チームの得点となるだけで、他にペナルティはありません。
 決まった時間が過ぎたら、内野チームと外野チームを交代します。そして、また同じ時間だけゲームを行い、最後は両チームの得点を比べて多い方が勝ち…と言うのが「はしごドッジボール」です。
 因みに、1ゲームが終わるとチームは場所を移動します。基本的には、隣の長方形に移動して次のゲームを行います。狭い場所で、一気に多数のチームをゲームに参加させる事が出来て、対戦相手の交代も簡単なのが「はしごドッジボール」の利点です。
 話を戻します。
 「はしごドッジボール」を行っていると、ゲームが始まって直ぐに、1人の子がやってきました。「どうしたの?」と尋ねると、「やりたくないので、見学してもイイですか?」と言うではありませんか。
 皆さんは、こう言う風に言われたら何と答えますか?
 おそらく、「どうしたの?」と尋ねるのが王道でしょう…が、今、ゲームをしている最中です。じっくり聞き取りを行う余裕は、残念ながらありません。
 「何、自分勝手な事を言ってるの! ちゃんと参加しなさい」と言う方もいると思います。昔の私は、このパターンが多かったです。
 今回の私は、数秒(おそらく5~6秒)考え、「いいよ。あっちで座って見学して」と言いました。その子は、私が指定した場所へ行って、座って見学を始めました。
 この判断をしたのは、この子は単なるワガママで言ってきたのではなく、何か理由があって言ってきたのだろう…と考えたからです。そうであれば、頭ごなしに叱るのは、あまり良い手とは言えません。
 また、もし、何か理由があって見学したいと言ってきたなら、その内にゲームへ戻るだろう…とも考えました。本人の中で気持ちの整理を付ける時間を確保してやれば、本人が自分で何とかするだろう…って訳です。
 実際、その子は次のゲームが始まると戻ってきました。ここから考えるに、見学を申し入れてきたゲームで、何か気に入らない出来事があったのでしょう。
 本人の中で気持ちの整理を付けたのですから、私が余計な事をする必要はない…そう考え、この後も私は何ら関わりませんでした。
 この一連の対応、ベストかどうかは分かりません。もっと良い対応があった様にも思いますが、取り敢えず、今の私に出来る精一杯の対応をしました。
 果たして、これで良かったのかどうか…皆さんは、如何お考えになりますか?
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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2コマ強行で絵の具指導失敗

2025-03-11 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、図工の失敗談です。
 令和6年度の教科書から1年生では、個人持ちの絵の具を使う活動が「絶対」ではなくなりました。学校予算で購入した共有絵の具を使う活動はありますが、個人持ちの水彩絵の具セットを使う活動は、必ずしも実施しなくて良くなった訳です。
 しかし、年度当初に気付いてなかった私は、令和6年度の斡旋販売品に水彩絵の具セットを入れていました。当然、保護者は購入しました。そんな訳で、個人持ちの水彩絵の具セットを使う活動は、令和6年度中に「絶対」行わなくてはなりません。
 色々考え、「のってみたいな いきたいな」と言うテーマの絵画に取り組む事としました。自分が乗ってみたい物(乗り物でも生物でも、空想上の存在でもOK)に乗り、行きたい場所(空でも海でも森林でも宇宙でもTDRでもOK)に行った様子を描く…と言う絵画です。
 もちろん、この絵画の全てを水彩絵の具で描く訳ではありません。ほとんどはクレヨンで描き、背景を水彩絵の具で塗るのです。
 全部で4コマ(4単位時間…と言う意味。1単位時間は45分間)の授業予定の内、前半2コマでクレヨンを使用し、絵の9割を完成させました。そして、後半の2コマ…個人持ちの水彩絵の具セットを持ってこさせて、水彩絵の具の指導です。
 結論から言えば、コレ、大失敗でした。
 1年生の水彩絵の具の指導は、とにかく事前指導が沢山あります。そのため、絵の具を使って塗り始めるまでに、どうしても時間がかかるのです。ざっと列挙すると…
  1.中身の確認&用具の簡単な説明
  2.机上に新聞紙を敷く。
  3.水入れケースの高さの半分くらいまで水を入れさせる。
      ※その際、こぼしても大丈夫な様に雑巾を必ず持たせる。
  4.水入れケースを机下の通路とは反対側に置かせる。
  5.パレットの小部屋と大部屋の説明をし、小部屋に使う色を出させる。
  6.使う筆を出させて、水入れケースの上に置かせる。
  7.使わない絵の具と筆を水彩セットの収納袋に入れさせる。
…凄い量の事前指導です。まだ、何も塗ってないんですよ。
 この後、更に…
  8.小部屋から大部屋へ絵の具を出し、水で薄める方法を説明する。
  9.同じ場所を何度も塗らない様に説明する。
…と言った説明も必要です。そこまで終わって、やっと塗り始められる訳で、いや~、教える教員も教わる子供たちもメッチャ大変です。
 今回も、2コマ合計90分間の授業で、塗り始められたのは60分過ぎた辺りからでした。その為、塗り方についての詳細な指示を出す余裕がなく、結果、「たっぷりの水分を含ませた絵の具で、ふわっとした感じになる様に塗る」とはならなかったのです。
 やはり、水彩絵の具の使い方と練習塗りで2コマ、本番で2コマ…とすべきでした。そうすれば、先程の1から9までの指導を前半の2コマで行い、美しい背景になる様に塗る指導を後半の2コマで行えたでしょうから。
 とは言え、もう令和6年度の水彩絵の具指導は終了です。この反省は、令和7年度以降に活かします。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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教師を取り巻く環境の激変

2025-03-10 04:30:00 | 教育
使命感と覚悟を崩す様な状況
 月・火曜は学校教育話。今回は学校教育の問題点などを、私なりの視点で分析し、私なりの意見を述べるシリーズの第4弾です。
 ここ2回くらい、教員の仕事はブラックとホワイトの狭間にある…って話をしました。その中で、「突き詰めて考えると、教員の仕事は日本と言う国の未来を築く事が目的であり、そこに一歩でも二歩でも近付けようと言う使命感と覚悟がなければ、教員の仕事のホワイトな部分は感じられないだろう」と、私なりに結論づけました。
 しかし今、この使命感と覚悟を崩す様な状況が発生しています。それを端的に述べているのが、第2弾の記事「ブラックとホワイトの狭間」でnote仲間からいただいたコメントです。以下、全文紹介します(ただし、記号は省略し、行間も詰めてあります。また、列挙部分は見やすくするため、1文字下げました)。

こんにちは
学校で働いた経験は無いですけど、良い印象はありません
理由はいつか書いた通り、
 ・なんか、世間知らずというレッテルを貼られてる。
 ・もはや生徒の方が強い。
 ・だけど、教育的指導をしなきゃいけない。
 ・教育的指導の結果、パワハラと騒がれる。
 ・生徒や保護者の方が強いのに、何故か教員の方が強いと誤解してる人がいる。
 ・つまり、カスハラは問題視されないけど、権力が無いのにパワハラと騒がれる。
記事から読み取れるホワイトの部分も、果たして評価されるんでしょうか?
私だけ塾講師の時、授業評価はかなり高かったけど、上からの評価は低かったです
こういうことを言ったらダサいけど、年齢や外見とか、能力以外の点で低評価スタートになることが少なくないのかな? とか、思ってます。
しかし…。
ある種、手に職つけたような状態なので、これ意外に生きる道が無い
なんか愚痴みたいになりましたけど、教職はブラックで、これから志願者は減少の一途を辿る気がしてます


 このコメント中の列挙部分、本当に、その通りだと感じます。そして、こう言った流れの結果、教員は数多くの「攻撃」(コメントの言葉で言えば、「カスハラ」とか。パワハラと騒がれる」とかです)を受ける事になります。やがて、それらが教員の使命感と覚悟を少しずつ削っていき、最終的には崩してしまう…少々悲観的ですが、そんな風に私は考えています。
 もっとも、私が教師になった頃から、そんな状況だった訳ではありません。私が教師になてから少しずつ変わっていき、現在は「激変」と言ってイイくらい変わってしまった…そんな印象です。

いつから激変したのか?
 昔々の半世紀くらい前、私が小学生の頃の教員は「絶対的な存在」でした。うっかり、「学校で先生に叱られたさ~」なんて言おうものなら、「そりゃ、お前が悪いからだろ!」と家でも叱られる事、もう間違いなしです。私なんて、学校まで引きずって行かれて、職員室で謝らせられた事もありました。
 これがイイと言うつもりはありませんが、とても羨ましくは感じます。
 私が教員になった30年前は、教員を「絶対的な存在」と考える方は少数派でしたが、それでも「先生を支えよう」と言う意識は、まだまだ保護者の中にも残っていました。だから、教員が行った指導に対して、全否定から入る保護者はいませんでしたし、もっと言えば、若い教員を育てようと言う意識の保護者は、かなりの数いたものです。
 私の話で言えば、教師になって6~7年目くらいまでは、もう信じられないくらい、トンチキな失敗ばかりしていましたが、その事で保護者からクレームの入る事はありませんでした。あんな失敗、今やったら、校長室に怒鳴り込んでくる保護者が何人もいるでしょう。実際、「先生は若いから、私たちが育てていかないとね」と、保護者から言われた事もあります。
 しかし、今や、それは過去の物語です。
 その原因は、社会全体に「心の余裕」が無くなってきたからではないか…と私は考えています。「先生は若いから、私たちが育てていかないとね」なんて言葉、鷹揚に構えていられるだけの、かなり心の余裕のある方でないと言えないでしょう。
 では、何故「心の余裕」が無くなってきたのか。これについて私は、大きく2つあると仮説を立てています。
 1つ目は、「自分が損をする事を極端に忌避する様になってきた」です。ここで言う「損をする」は、「嘲笑される」とか「馬鹿にされる」も含みます。少しでも自分が損をする事を忌避する為に、鷹揚に構える事は出来なくなったのではないでしょうか。
 これは、私の感覚的には「勝ち組・負け組」と言う言葉が広まった辺りから、その傾向が強まった様に感じています。もっとも、その源流は更に少し前からかもしれません。お笑い番組やバラエティ番組などで、真面目に何かへ取り組む姿を馬鹿にする傾向が強くなってきて、その先にコレが来た印象です。
 2つ目は、「社会全体が正しさを求める様になってきた」です。「真面目に頑張っている人を馬鹿にしてはいけない」とか、「悪い事をした人が得をする社会はいけない」とか…そう言った正しさが、求められる様な社会になってきたって事です。もちろん、正しさを求める事は間違っていませんし、正しさの追求によって幸せがもたらされた部分もあります。
 ただ同時に、ギスギスした社会を生み出したとも感じています。特に、個人の考える正義と、その人が損をする事への忌避が結びつくと、一気に問題が先鋭化します。最近、問題になっているカスタマーハラスメントなども、そう言う側面があるのではないかと考えています。

流れを変える事は困難
 この、「社会全体に『心の余裕』が無くなってきた」と言う状況は、直ぐには改善されないでしょう。「自分が損をする事を極端に忌避する様になってきた」と言う傾向も、「社会全体が正しさを求める様になってきた」と言う傾向も、大きく変わる感じがしないからです。
 そうであるならば、教師を取り巻く環境の激変が、良い方向に改善される可能性は低いと考えられます。当然、教員は数多くの「攻撃」を受ける事も変わりませんし、教員の使命感と覚悟が少しずつ削られていき、最終的には崩されてしまう状況も、改善される可能性は低いと考えるべきでしょう。
 では、どうするか?
 私が考えている事は2つあります。
 1つは、より個人の使命感と覚悟を高め、鍛え、磨き上げると言う事です。それにより、削られて摩耗し切る事を防ぐ事が出来るだろう…と考えているからです。その為に、様々な学びの場に出ていき、技術的な面も人間的な面も共に鍛えていく必要があります。
 もう1つは、頼りになる仲間を得る事です。自分一人では耐えられない事でも、仲間がいて少しでも支えてくれれば、案外、耐えられる事も多いものです。その為に、学校現場での人間関係を大事にしたい…ところですが、「ドブ泥げす校長」の例もある様に難しい事もあります。ですから、学校現場以外でも人間関係を築く努力が必要です。教育研究団体へ所属したり、教育研修サークルに参加したり…もちろん、趣味の人間関係だって「あり」だと思います。
 どちらも自分が行う事です。社会を変える事が困難である以上、まぁ、それしかないですよね。コレって、教育の本質と通ずる部分がある様に感じます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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一日入学で色々と気付く・後編

2025-03-04 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は前回(R7.3.3)の続きで、一日入学で気付いた事を色々と書きます。
 全員揃ったので、いよいよ一日入学開始です。今回の流れは、折り紙で「兜」を折る→折り紙で「猫」を折る→塗り絵をする…です。
 最初に折り紙を配ります。この時、今後の事を考えて列の先頭にまとめて配る方式にしました。これは、その列の人数分の折り紙を先頭の子に配り、1枚取ったら後ろの子に渡していく…と言う方式です。これが出来れば、プリントを配る時間が大幅に短縮されるので、是非とも覚えさせたいところです…が、今回は一日入学なので様子見って感じです。
 多少もたつきましたが、順調に配れたので、さっそく折り方を教えていきます。私の折り紙を書画カメラ(実物投影機…と呼ぶ方もいます。テレビと繋がったカメラです)で大型テレビに映し出しながら、順々に説明していきます。
 指示を出してから、簡単に全体の様子を確認しながら進めていたのですが、3手順目あたりで気が付きました。指示を出しても、指示通りに出来てない子がいる…と。
 まぁ、これは考えれば当然の事です。簡単な折り紙とは言え、今回集まった子はバラバラな幼稚園や保育園から集まっており、折り紙の経験値もバラバラです。また、周りの子との人間関係も出来ていませんから、お互いに助け合う事も出来ません。
 ここで、「あ~、私の学級の子供たちは、この1年近くで色々な経験を積んで、経験値が高くなっていたし、互いに助け合う関係性も出来ていたんだなぁ」と気付きました。「子供たちに助けられていたから、最近の私は、100%の全力を出し続けなくても授業が出来ていたんだ」とも。
 即、気持ちを切り替えました。ここからは100%の全力を出し切って授業です。
 まずは、「全体指示を出したら机間巡視して状況を確認する」です。折り方を1つ指示したら、直ぐに机間巡視し、困っている子がいたら関わり、出来てる子には「いいね」と声をかけます。褒めてほしそうな子は、頭を撫でたり、ぽんぽんっと軽く叩いたりしました。
 また、指示の言葉を具体的にする様にしました。「角を下に折り曲げて」ではなく、「ココの尖った所を、ココの角の部分と重ねるんだよ」の様に…です。また、最近は少し難しい言い方をしていたので、幼児でも分かる簡単な言葉を、優しい言い方で言う様にしました。上手に折れなかった子には、「大丈夫、何とかなるよ」と言って手助けします。努力の甲斐あって、泣き出す子はいませんでした。
 活動にのってきたら、どんどん褒めながら進めます。褒めながら思ったのは、「あ~、最近、こんなに褒めてなかったかもなぁ。明日から、もっと褒める様にしなくちゃ」って事です。
 兜の後は猫を折り、まだ少し時間があったので塗り絵に突入しました。折り紙が満足する出来映えだったからか、塗り絵は穏やかに集中した感じで進みます。その内に、保護者が迎えに来たので終了となりました。
 先程も書きましたが、今回の一日入学では、普段の授業で如何に子供たちに助けてもらってるか…を実感しました。そして、それに甘えて100%で仕事をしていない自分にも…大いに反省です。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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一日入学で色々と気付く・前編

2025-03-03 04:30:00 | 教育
 月・火曜は学校教育話。今回は、一日入学で気付いた事を色々と書きます。
 令和7年2月某日、勤務校では一日入学がありました。一日入学と言うのは、次年度(今回の場合だと令和7年度)に入学する予定の子供たちが、30分程度、学校で授業を受けると言う行事です。
 この行事、子供たちが学校に慣れる事で、不安なく入学してもらおう…と言う表の理由とは別に、裏の理由もあります。それは、問題を抱えたお子さんを事前に把握しておこう…と言うものです。こだわり行動の激しい子や落ち着きの無い子、教員の指示に従えない子、乱暴な子…など、入学してからトラブルを引き起こしそうな子を把握し、特定の学級へ集中しない様にしなくてはなりません。
 これ、業界の方なら分かっていただけると思います。うっかり特定の学級に集中してしまうと、下手すりゃ5月末には学級崩壊です。そこから立て直すのは、もう至難の業ですから、事前対策は必須なのです。
 今回、私が担当する子供たちは36名。1名の欠席もなく14時15分から開始しました…が、正直に告白します。スミマセン。1名、まだ来てないのに気付いてなくて、「はい、みんな、イイ姿勢をして御覧。(姿勢が良くなったら)いいね。じゃ、先生と一緒に勉強しよう…」まで指示を出してしまいました。
 幸い、補助に入っていた方が合図してくれたので、直ぐに気付いて、「あ、ごめんね。まだ全員揃ってなかった。でも、折角だから、ちょっと協力してもらおうかな」と修正指示を出しました。ふひゅ~、危ない、危ない。
 因みに、この時は簡単な拍手ゲームをしてもらいました。私の左手をグーにして「これ、月です」と説明し、右手は人差し指を立てて「この指の先に、目には見えないけどロケットがあります」と見立てさせます。それで、人差し指の先がグーを横切ったら拍手させる…と言う単純なゲームです。単純ですが、人差し指の動かし方(或いは止め方)で子供たちの拍手のタイミングを外す事で、とても盛り上がるゲームです。子供たちが緊張した表情だったので、気持ちをリラックスさせる為にやりましたが、予想通りに盛り上がり、場の雰囲気がイイ感じになりました。
 全員揃ったら、改めて自己紹介をしてから挨拶し、いよいよ一日入学開始です。う~ん…少し長くなったので、続きは次回とさせていただきます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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