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韓国「日本海に『東海』の併記を」 国際総会で主張…日本はもっと危機意識を

2017-05-26 11:29:47 | 日本
【竹島を考える】

韓国「日本海に『東海』の併記を」 国際総会で主張…日本はもっと危機意識を 下條正男・拓殖大教授


http://www.sankei.com/west/news/171216/wst1712160003-n1.html


 北朝鮮による核・ミサイル実験で緊張が続く中、この4月24日から28日まで、5年に一度の国際水路機関(IHO)総会がモナコで開かれた。今回も、日本海の呼称をめぐって日韓の確執があった。韓国政府は1992年の第6回国連地名標準化会議で、「日本海の呼称が普及したのは日本の拡張主義や植民地支配の結果」などと主張。1997年にはIHOでも、「『大洋と海の境界』が定める日本海の呼称に『東海』を併記すべきだ」と主張していた。



◇IHO総会に向けて戦略練る韓国


 以来、韓国側は5年ごとのIHO総会をめどに戦略を練ってきた。その成果の中には、2014年の米国バージニア州での東海併記法の成立も含まれている。

 韓国の外交部によると、今回の総会には外交部、海洋水産部、国防部(海軍)、国立海洋調査委員会、東北アジア歴史財団などの専門家30名ほどで構成された代表団を派遣し、万全の準備をして臨んだという。

 事実、会場には「東海」関連のブースが設置され、そこにモナコのアルベロ2世王子とペリオウェイ総会議長らを招くなど、韓国側は戦略的な広報活動を展開した。

 これに対し、日本の外務省と海上保安庁は、「『日本海』は国際的に確立された唯一の呼称であるという確固たる原則」により、「根拠のない韓国の主張に対し、IHOの場などで正しい歴史的事実に基づき反論する」との立場をとってきた。


 そのためか、総会前日の日本の日刊紙(電子版)には、「毅然(きぜん)とした態度で交渉に臨め」とする自民党幹部のインタビュー記事が載っていた。それによると、日本政府からは外務省の相星孝一・地球規模課題審議官と海上保安庁の仙石新・海洋情報部長らが派遣され、自民党幹部は「いずれも局長級で、『日本がいかに、この問題を重視しているのか』を国際的に知らしめるチャンス」と強調していた。しかし、それは手前みそ的解釈でしかない。




◇20年前の振り出しに戻された日本


 現に、今回の総会を機に日本政府は最終的な決断を迫られることになった。韓国側の報道によると、今後は日本と韓国の2国間で対話を進め、3年後の2020年にその結果を報告することになったというのだ。


 日本側にとっては、20年前の振り出しに戻されたのにも等しい。この間の日本政府の対応は、何の意味もなさなかったということである。その事実は、外務省や海上保安庁の日本海呼称問題に関するホームページを閲覧してみれば察しがつく。

 日本では、「世界が認める日本海」として、世界の古地図では日本海と表記したものが多いとしてきた。


 だが韓国側では、世界の古地図は、日本海よりも韓国海や朝鮮海、東海と表記しているものが多いとするだけでなく、東海の表記は2千年前から使われていたとして、日本海呼称問題を「歴史問題」と捉えてきた。

 そこで、韓国側が執拗(しつよう)な宣伝工作を行った結果、2002年に2%だった東海と日本海の併記は、2009年には28%になったという。


 この状況は竹島問題や尖閣諸島問題、慰安婦問題などとも同じ構造を持っている。歴史的根拠がないにもかかわらず、中韓が歴史問題として対日攻勢を掛けると、それがいつの間にか「歴史問題」に変質し、中韓による日本批判が常態化してしまうというものだ。




◇竹島問題に深く関わる日本海呼称問題


 日本海呼称問題は、竹島問題とも深く関わっている。以前にも触れたので重複するが、それは次のような理屈から成り立っている。


 韓国側によると、竹島は竹島ではなく独島である。その独島が日本海の中にあるのは、日本の領海の中にあるようで不適切だ。それに国際水路局(IHOの前身に当たる国際組織)で日本海の呼称が定められたのは、1929年である。その時の韓国は、1910年から始まった日本の統治下にあった。このため、韓国側では2千年前から使っていた東海の呼称を主張することができなかった。これは過去の歴史を清算して、正しい歴史に戻さなければならない。




◇韓国の積極関与で成立した米州の東海併記法


 このもっともらしい理屈は、韓国が1992年に国連へ加盟すると同時に、声高に主張されるようになった。韓国政府は、国連の地名標準化委員会などを舞台に、日本海呼称の不当性を強調することになるのである。

 さらに、国策の研究機関である「東北アジア歴史財団」と「東海学会」などが積極的に関与する中で、米国のバージニア州では2014年、公立学校の教科書で日本海と表記する時は、東海を併記すべきだとする「東海併記法」を成立させている。


 その際、韓国系米国人による州議会に対するロビー活動が行われたが、今回も米国政府に対して東海併記を求める請願がなされ、10万人以上が署名したとされる。

 この韓国系米国人に対して、日本側が「『日本海』は国際的に確立された唯一の呼称」と言っても、説得力はない。現に米国ではテキストが作られ、その中では2千年前から使われていたとするだけでなく、「朝鮮海」「韓国海」「オリエンタル海」などと表記された西洋の古地図を列挙して、日本海を東海とする根拠としている。




◇韓国の歴史捏造(ねつぞう)に反論しなかった日本


 しかし歴史的事実として、韓国側が主張する「東海」は、朝鮮半島の東海岸の沿海部を指す呼称で、現在の日本海とは重複しない。それに2千年前から使用されていたとする東海は、現在の「渤海(ぼっかい)湾」及び「黄海」のことで、日本海とは関係がない。それを、あたかも日本海のことのように宣伝してきたのである。


 だが、「根拠のない韓国の主張に対し、IHOの場などで正しい歴史的事実に基づき反論する」とした日本政府は、韓国側が歴史を捏造した事実について、反論することもなかった。

 そのため、韓国の民間組織「VANK」では、青少年をサイバー外交官とし、英国の言論社やフランスのルモンド紙などに攻勢をかけ、東海併記を実現している。

 これに対して、日本政府が「『日本海』は国際的に確立された唯一の呼称」などと主張すれば、韓国側には挑発として映るだけで、逆効果である。




◇日本海呼称問題は喫緊の外交課題だ


 このゴールデンウイーク中、資料収集を兼ねて韓国に滞在した。現地は大統領選挙の最中で、国民は北朝鮮によるミサイルや核開発にはほとんど関心がなかった。

 一方、日本では、北朝鮮問題を大きく報じて改憲の必要性を強調し、野党は共謀罪の成立阻止を叫んでいるが、現実に国家主権に繋がる竹島問題関連の日本海呼称問題には、ほとんど関心がないようである。


 しかし今回、国際水路機関の総会では、日本は歴史的根拠のない東海併記で韓国側と直接対峙(たいじ)することになった。それも20年以上も解決できなかった問題である。日本の、国家としての尊厳が冒されているというのに、日本には差し迫る危機に対しての管理能力がないのである。


 日本海呼称問題は、喫緊の外交課題である。韓国側は、この問題の解決のために北朝鮮やロシアを含めて検討したいとしており、今後はこの2国などと共謀して、対日攻勢に出てくるはずだ。


 これに対して、日本の国会では、改憲と共謀罪について観念論的な論議が続いている。日本の国会議員たちは“共謀”して日本をおとしめているのだ。「共謀罪」が成立すれば、最初に適用されるのは日本の国会議員たちであろう。

 処罰の対象になれば公民権が停止され、しばらくは国会には戻れなくなる。そうならないためにも、この日本海呼称問題を見事に解決してみてはどうだろうか。


2017.5.26













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安全保障避ける学術会議 冷戦期に孕んだ時代認識の欠陥の残滓だ 

2017-05-26 11:19:08 | 正論より
5月25日付     産経新聞【正論】より


安全保障避ける学術会議 冷戦期に孕んだ時代認識の欠陥の残滓だ 

東京大学客員教授・米本昌平氏


http://www.sankei.com/column/news/170526/clm1705260004-n1.html


 ≪冷戦の過酷さとは無縁だった国≫


 3月24日に日本学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」をまとめ、軍事目的での科学研究を行わないという半世紀前の方針を再確認した。その直接の動機は、一昨年から防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」を発足させたため、これに対する態度表明を迫られたからである。


 どんな国であれ大学が防衛省関係から研究費助成を受ければ、軍事機密や達成目標などで条件をのまなければならず、大学側は当然これに対する原則を明確にする必要が出てくる。だが、声明や学術会議報告「軍事的安全保障研究について」を読んでみると、日本のアカデミズムは安全保障の議論をするのに恐ろしく逃げ腰である。

 その理由の一つに、日本が20世紀後半の世界を決定づけた冷戦の過酷さを体感しないまま21世紀に抜け出た、唯一の先進国であることがある。冷戦とは米ソ両陣営が最悪時には7万発の核弾頭を備え、国内総生産(GDP)の5~10%を国防費に割いて核戦争の恐怖に耐えた時代であった。

 この未曽有の恐怖の時代を通して日本は「冷戦不感症」国家であったため、科学技術と軍事の関係を冷静かつ客観的には語りえない欠陥をもつようになった。この点について軍民両用(デュアルユース)技術を軸に論じておきたい。





 ≪表層的な日本の軍民併用技術論≫


 最も基本的なことは、米国の科学技術は1940年を境に一変してしまったことである。第二次大戦以前の米国では、大学は東部の法文系が主流だった。ところが40年に国家防衛研究委員会が置かれ、戦争中にこの委員会が通信技術、レーダー、航空機、核兵器などの戦時研究を組織し、理工系大学がその一部を受託して力を蓄えた。戦後間もなく冷戦が始まったため、米国は41年の真珠湾攻撃から91年のソ連崩壊まで50年戦争を戦ったことになる。


 そんな中、57年10月にソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。米国は衝撃を受け、高度な科学技術研究を維持することが安全保障に直結すると確信し、翌年に国防高等研究計画局や航空宇宙局を新設する一方、理工系大学の大幅な拡張を促した。


 国防総省からの大規模な研究委託によって、マサチューセッツ工科大学(MIT)やスタンフォード大学などは急速に力をつけ、「研究大学」という特別の地位を獲得した。60年代末に大学紛争が起こると、軍からの委託研究は批判にさらされ、キャンパスの外に移されたが、これがベンチャー企業の先行形態となった。結局、冷戦の最大の受益者の一つは米国の理工系大学であった。


 冷戦後、米国の科学史の研究者は精力的に冷戦研究を行い、この時代の米国の科学技術は、核兵器の開発・小型化・配備体制の開発を最大のミッションとする「核兵器研究複合体」を形成していたと自己診断を下した。日本の議論は、この米国における科学技術史の研究成果を咀嚼(そしゃく)していない。

 90年代の米国は、科学技術を軍事から民生へ転換する「軍民転換」政策を採用した。この時、冷戦時代に開発されたコンピューター技術、インターネット、衛星利用測位システム(GPS)などが民間に開放され、巨大な情報産業が誕生した。この政策を正当化したのが「軍民併用技術」という概念であった。これと比べ、日本の軍民併用技術論は何と表層的でひ弱なものなのであろう。





 ≪米科学技術史の成果を踏まえよ≫


 かつて核戦争の危機は2度あったが、2度とも日本は重度の「冷戦不感症」を呈した。62年のキューバ危機に際し、ケネディ大統領は事態を説明するためフランス、西ドイツ、カナダに特使を派遣したが、池田勇人首相には親書で済ませた。核戦争が起こるとすれば大西洋を挟んだ撃ち合いになると考えられたからだ。この時、日本は親書の意味が読み取れないまま経済政策に邁進(まいしん)したのである。


 83年欧州のミサイル危機の時には、相互確証破壊を前提とする戦略核ミサイル体制は両陣営で完成していたから、核戦争になれば日本は全滅してしまうはずだった。だがこの時、日本で議論されたのは欧州の反核運動であった。

 冷戦時代、日本が核戦争の脅威を認知しようとしなかった理由はほぼ3つに集約される。第1に日本における核兵器の議論はヒロシマ・ナガサキで凍結されてしまい、その後に本格化する核兵器の大量配備の現実を視野に入れようとしなかったこと。第2に核戦争になれば全てが破壊されてしまうという虚無感。第3に東アジアには東西対決の緩衝地帯として中国共産党政権が存在し、日本がソ連との直接的な軍事対決にさらされることが少なかったことである。


 大学の研究と軍事研究との間に線引きが必要になった事態をもって右翼化と言ったり、戦前の日本と重ねる論法は、冷戦期に日本社会が孕(はら)んだ時代認識の欠陥の残滓(ざんし)でしかない。いやしくも日本学術会議である以上、最低限、米国の科学技術史の研究成果を踏まえた論を展開すべきだったのである。(東京大学客員教授・米本昌平 よねもとしょうへい)







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