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ニッポンのゆる~い日常

鳩山首相の最後の決断を称える

2010-06-03 08:36:56 | 正論より
6月3日付       産経新聞【正論】より


鳩山首相の最後の決断を称える    元駐タイ大使・岡崎久彦氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100603/plc1006030303007-n1.htm



 鳩山由紀夫総理が辞任を表明した。私はここに鳩山内閣を送るにあたって、普天間問題について鳩山総理が最後に下した勇断を称(たた)えたいと思う。

 実は、5月下旬、私はTVのインタビューを2度受けた。それは普天間決着の鳩山総理の公式記者会見前であったが、総理の決断はすでにその前の沖縄訪問で明らかな時期だった。




 ≪日米合意の優先は正しい≫


 私は総理の決断を称えた。ただ、その時に私は取材のTV記者に言った。「おたくの編集部がこれを放映する度胸があるだろうか?」と。若い記者は、多分大丈夫だろうと言った。一人は、冗談まじりに『鳩山総理の勇気を称える』というフリップを考えると言った。ところが、どの放送局もその部分を放映しなかった。

 そこで、やや長いが私の発言要旨を、ここに記録に留(とど)めておく。

 「初めて鳩山という人の美質を見た感がある。おそらくは育ちの良さからくるものなのだろう。今までの誤りを認めて、ごめんなさいといえば、すべて許してもらえると思っている。過ちを素直に認め、自分の考えが浅かったなどということは、普通の人にはなかなかできないことである。


 鳩山氏のしたことで何が悪かったかといえば、日米合意、沖縄の世論、連立与党の同意を同列に置いて論じ、結果として沖縄の反対論を煽(あお)り、自ら板挟みになったことである。何が国家国民の安全に必要かという議論こそ真っ先にこなければいけない。その意味で日本および東アジアの安全に関する日米二つの国家の方針をまず合意して、それを、沖縄および政府与党に対して説明し説得するという鳩山総理の決断は正しい。

 そしてそれは今までの自民党政権の基本方針でもあった」




 ≪外交・安保は「超党派」で≫


 TV発言を続ける。

 「私は永く沖縄問題を論じてきたが、ある論文で、これを船のエンジンと乗客に譬(たと)えた。つまり、沖縄県民も日本国民も日本と言う一つの船に乗っている。沖縄の人は、エンジン・ルームに近いので熱いとか煩(うるさ)いとか不平がある。しかしエンジンを止めて船が漂流して岩礁にでもぶつかれば、沖縄の人も含めて全員溺(おぼ)れ死んでしまう。船のエンジンは絶対に止められない。あとは、エンジンの傍(そば)の部屋の人に別途どういう補償措置を講じるかという問題だ、と。


 つまり国の安全保障は絶対の条件であり、これだけは譲れないのである。戦争になれば真っ先に戦場となる地理的条件にある沖縄の人々こそ、このことは肝に銘じて知っていると思う。そこで鳩山総理の『抑止力』という言葉の意味も出てくる。

 自民党もまた鳩山総理の英断を称えるべきである。自民党が従来主張してきた正しい路線に戻ったのだから。鳩山発言を国家国民の安全の視点から論ぜず、他の野党と一緒になって、言動のブレばかり指摘するのは、自民党のすることではない。

 そんなことをしていては、外交安保の超党派性というものを確立するチャンスが失われ、日本は永久に二大政党体制の運用不能力者になるではないか」

 どうしてTVの編集は、これを放映しなかったのだろうか。

 私が「度胸があるか?」と訊(き)いたのに深い意味はない。ただ鳩山批判の大合唱の中で、ムードに弱いTVがこれを取り上げられるかな?と言っただけである。




 ≪ムードでなく物事の本質を≫


 考えてみると、あるいはもう少し深い意味があるのかもしれない。まだマスコミは日教組教育で育った世代の左翼的ムード的支配の世界なのかもしれない。

 それでいてかつてのような左翼の確信犯が居るわけではない。日本の安全保障を第一に考えることの是非は誰も論(あげつら)ってはいない。議論すれば負けることは知っている。その問題は棚上げして、鳩山氏の態度がブレたことだけを批判しているのである。


 問題の本質の是非を正面から論じないで周辺の事情だけを論じる、これは安倍晋三内閣の退陣の時にも経験したことである。


 安倍内閣は教育諸法の改正、国民投票法、防衛省昇格など、過去半世紀の自民党政権ができなかったことを一挙に完成させた。しかし、辞職後そのことを論じた議論は皆無であった。議論して、その是非を論じれば、功績を認めざるを得ないからであろう。


 マスコミはただ、途(みち)半ばにして病気に倒れたことを、政権投げ出しの一語で批判するだけだった。実は病気自体、教育法案などを通した通常国会と引き続く参院選の過労の結果であったのであるが。


 物事の本質の議論を避けて、その時のムードに合った片々たる事象だけを取り上げる、しかもその背後には漠然として整理しきれない日教組教育の残滓(ざんし)がある。

 こんな状況は、もういい加減に整理してほしい。

 後継の内閣が、国家国民の利益を優先した鳩山内閣の最後の決断を尊重し、再び日米の信頼関係を損なうことのないように望む。(おかざき ひさひこ)






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「権力」掌握だけが目的だった水と油の「小鳩」関係

2010-06-03 08:34:30 | 民主党
【首相辞任】「権力」掌握だけが目的だった水と油の「小鳩」関係

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100602/stt1006022145039-n1.htm


 鳩山由紀夫首相は2日、辞任表明に当たって二人三脚で政権奪取を果たした民主党の小沢一郎幹事長を道連れにした。本来は「水と油」ほどにタイプの違う2人は、権力を掌握するという目的のために相手を必要とし、利用し合ってきた。だが、思い描く理想も好む政治手法もあまりに異質で、互いの足らざる点を補い合う協力関係の破綻(はたん)は起こるべくして起こったように見える。(阿比留瑠比)




かつては小沢嫌い


 首相と小沢氏はかつてはともに自民党旧竹下派に所属し、平成5年に同じく「政治改革」を掲げて離党した。そして非自民の7党1会派による細川護煕政権では、首相は官房副長官として、小沢氏は与党・新生党の代表幹事として政権を支える立場だった。

 この間の経緯だけを見ると、2人はもともと深い関係にあったように思える。だが、実際は違う。

 首相より17年も長い衆院議員としてのキャリアを持ち、田中角栄元首相の寵愛(ちようあい)の下で頭角を現していた小沢氏の眼中に、首相があったかどうかは疑問だ。

 逆に首相には、自民党内では小沢氏より、正面から政策論を戦わせる橋本龍太郎元首相の方を好んでいたようだ。首相の目には小沢氏はむしろ独裁的で非民主主義的な古いタイプの政治家として映っていた。実際、首相はかつて小沢氏をこう批判していた。

 「自分の主張を遂げるために民主主義の基本的原則を超越、無視してきた部分があって信奉者が離れていった」(平成10年4月、産経新聞のインタビュー)

 「いわゆる独裁者の思考なのです。『自自連立』政権が続いて小沢首相が誕生することになれば、『オレは法律だ』『オレに従え』と振る舞われるつもりなのか?」(同年12月、夕刊フジのコラム)

 「結局、小沢氏が5年前に自民党を飛び出したのは、派閥内や自民党の権力闘争に敗れて飛び出しただけで、国民にそれを悟らせないために『政治改革』の旗を掲げていただけ」(11年2月、同コラム)


そして昨年9月の鳩山政権誕生以降、小沢氏はこれら首相の指摘・警告通りの言動をとってきた。政府・与党の一体化を進めてその頂点に君臨し、陳情窓口も自ら率いる幹事長室に一本化した。中国や北朝鮮とみまがう「民主集中制」を敷いたのだ。





ただ権力のため


 首相がこれまで、かつては最も嫌っていた小沢氏の政治手法を黙認・追認していたのはなぜか。首相の実弟の鳩山邦夫元総務相は2日、都内で行った講演でこう述べている。

 「小沢さんがいなければ兄は首相になっていない」

 講演で邦夫氏は、こうも強調した。

 「兄は私に比べれば10倍の権力欲を持っている。権謀術策にもたけている」

 強い権力志向が、首相を小沢氏との連携に駆り立てた。一方の小沢氏に関しては、亀井静香郵政改革・金融相の次の言葉がずばり言い当てている。

 「あの人はね、権力を構築するにはどうしたらいいかってことばかり考えている人だよ」(21年2月、産経新聞のインタビュー)

 互いが欲する権力を手中に収め、さらに強大にするには何が必要か。そこに2人の利害は一致したのだ。

 小沢氏は自由党党首時代の12年4月に自民党との連立を解消して以降、しばらく政治的に不遇をかこっていた。少数野党のトップでは、発信力も影響力もおのずと限界があったからだ。

 そこに手を差しのべたのが民主党代表となっていた首相だった。「数」で大きく後れをとる自民党に対抗し、二大政党政治をつくるためには、小沢氏らを迎え入れる必要があった。

 首相は党内で菅直人副総理・財務相や横路孝弘衆院議長らに相談し、根回しを始めた。そして、民主党は菅代表時代の15年9月、自由党を吸収合併した。





交わらない線


 首相と小沢氏の協力は実を結び、民主党は6年後に見事、政権与党となった。ここまでは思惑通りにことが運んだと言える。

 だが、実際に政権運営に携わると、2人の路線の違いはそれまで以上に浮き彫りとなった。自身の理念にこだわる首相と、選挙対策をすべてに優先させる小沢氏との二人三脚は、次第に歩調が乱れていった。


 端的に表れたのが、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題での社民党へのスタンスだった。

 今回、首相が代替施設を現行案と同じ名護市辺野古に建設することを決めたことで、社民党は連立を離脱した。ただ、首相は昨年12月の時点で、いったんは社民党の反対を押し切って現行案を採用する方針を決めていた。それをひっくり返したのが小沢氏だった。

 小沢氏にとっては、社民党抜きでは参院で思うように法律も通せず、参院選でも苦戦するのは自明の理だった。逆に首相は、もともと社民党と組むこと自体に懐疑的だった。

 小沢氏は民主党との合併直前の15年8月、産経新聞のインタビューで将来は社民勢力との連携・合併を進める考えを表明した。

 「社民党票は創価学会の票より堅い。しかも、自民党と同じで地方ほど強い」

 一方、首相は同年9月、毎日新聞のインタビューで小沢氏に反論している。

 「私と違うところはそこだ。政権も取らねばならないが、そのために社民系の勢力が加わることで国民に『あの政党は何を考えているか分からない』と思われたら結果としてマイナス」

 結局、社民勢力に対する姿勢の違いは最後まで埋まることがなく、首相と小沢氏はたもとを分かった。

 首相は辞任表明した2日の党両院議員総会で、北海道教職員組合の違法献金事件で陣営幹部らが起訴された小林千代美衆院議員に対し、「その責めをぜひ負っていただきたい」と述べ、議員辞職を求めた。

 教職員組合とカネの問題をめぐっては、旧社会党出身の輿石東参院議員会長も似たような問題を抱えている。首相の言葉は、小沢氏と一緒に自分に退陣を迫った輿石氏をあてこすっているようにも聞こえた。 

2010.6.2 21:36






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