2月4日付 産経新聞より
平松 茂雄氏
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090204/chn0902040305000-n1.htm
≪「政治的威嚇力」に重点≫
1958年夏の「金門砲撃」で、米国が空母を派遣して台湾海峡の緊張が著しく高まったときに、毛沢東が語った言葉がある。
「米国は6隻の空母のうち3隻も寄こした。6万トンの大きなのもあった。120隻を数える艦艇からなる最強の艦隊ということだ。しかしどんな艦隊を集結させても、われわれは歓迎する。どっちみち役に立たない。軍艦は、海の上でのみ使えるのであり、陸に上がってこられない。海岸線に並べるだけだ」
この言葉を文字通りに受け取ると、空母を否定したともとれる。だが、それは表面的な受け取り方であり、毛沢東は空母が政治的威嚇力であることを十分に認識していたばかりか、空母保有の意思を伝えた重要な発言だった。
毛は建国以後の数年間に、朝鮮戦争、インドシナ戦争、蒋介石軍との2回にわたる戦争と、何度も米国の核威嚇を受けた。核兵器は、見かけは強そうでも実際には使えない「張り子の虎」と揶揄(やゆ)していたが、実際は、威嚇して相手を屈服させる兵器として重要視し、原子力潜水艦を含む核ミサイル開発を決断した。
同じ時期に中国は米国の空母による威嚇を何回も受けていた。「空母は陸に上がってこられない」は、「核兵器は張り子の虎」に通じるのである。
≪2050年への長期展望≫
中国の核ミサイル開発は通常戦力の近代化を後回しにして進められた。1964年10月、東京五輪の開催中に最初の核爆発実験を敢行する。5年半後の70年4月、人工衛星が打ち上げられ、日本を含む周辺諸国を威嚇できる中距離弾道ミサイルの開発に成功したことが明らかとなった。さらに80年5月、南太平洋のフィジー諸島近海に向けて大陸間弾道ミサイルが発射されて、地上発射弾道ミサイルがひとまず完成した。
原子力潜水艦の開発には困難があったようで大幅に遅れ、外洋航海訓練に成功したのは86年12月だった。
中国は現在でも原子力潜水艦を含む核ミサイル戦力の精緻(せいち)化に懸命になっている。80年代中葉、21世紀を見据えた「国防発展戦略」といわれる遠大な軍事戦略が提示された。核ミサイル戦力の下で、限定的な、だが水準の高い通常戦力の現代化が進行している。
それと関連して「海軍発展戦略」が作成され、具体化されている。そのなかで初めて公式に、航空母艦の保有が明らかにされた。
(1)2000年までに、各種艦艇の研究開発・建造と人材の育成を進める。(2)2020年までに、大陸基地発進の中距離航空機部隊と攻撃型通常潜水艦を主要な攻撃力とし、ヘリコプター搭載中型水上艦艇を指揮・支援戦力とする。(3)2050年までに、航空母艦を核とし、対空・対水上艦艇、対潜水艦作戦能力を持つ水上艦艇と潜水艦を配備した機動艦隊を保有する。
これに基づき、空母保有計画が具体化してきている。
≪「海洋の時代」にらんで≫
70年代から80年代にかけ、中国はフランス、イタリアなどから空母建造に関連した兵器・技術を導入した。並行して、地上に設置された模擬空母甲板で、海軍航空部隊の発着訓練が実施され、空母保有に向けて着実に進んでいることが明らかにされた。
ついでソ連崩壊後のロシアからキエフ、ミンスク、ワリアーグの空母を購入し、空母の研究開発が本格化する。スホイ27Kその他の艦載機購入の商談情報も流れ、空母保有が現実の問題となっていた。実戦化されるのは、2020年以降であろうが、この時点で中国が台湾を統一し、その海軍力を西太平洋とインド洋に展開する戦略がみえる。そのためにも空母がなければならないわけだ。
わが国では、中国の空母建造、外洋進出に関連して、その能力を過小評価するような議論も散見されるが、これまで論じたように、中国の空母保有計画は長い歴史をもっており、近年、にわかに始まったものではない。それは世界が70年代に国連海洋法条約をめぐって「海洋の時代」に入ったことを契機に、中国海軍が南シナ海から東シナ海、さらには西太平洋、インド洋へと発展している動きに連動している。
毛沢東は中国の発展を、「無から有」「小から大」「低から高」という言葉で表現した。核ミサイル開発も海軍力の発展も、この言葉の通り進展している。金門島事件のころ、時代遅れの小型水上艦艇、潜水艦、短距離航空機で編成されていた中国海軍は、50年を経て外洋に進出する能力を備えた。
中国の海洋戦略はわが国の海域とシーレーンに直接影響する。中国の海洋進出を軽視することなく、また過大視することなく、その実態と動向を正面から見据える必要がある。
平松 茂雄氏
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090204/chn0902040305000-n1.htm
≪「政治的威嚇力」に重点≫
1958年夏の「金門砲撃」で、米国が空母を派遣して台湾海峡の緊張が著しく高まったときに、毛沢東が語った言葉がある。
「米国は6隻の空母のうち3隻も寄こした。6万トンの大きなのもあった。120隻を数える艦艇からなる最強の艦隊ということだ。しかしどんな艦隊を集結させても、われわれは歓迎する。どっちみち役に立たない。軍艦は、海の上でのみ使えるのであり、陸に上がってこられない。海岸線に並べるだけだ」
この言葉を文字通りに受け取ると、空母を否定したともとれる。だが、それは表面的な受け取り方であり、毛沢東は空母が政治的威嚇力であることを十分に認識していたばかりか、空母保有の意思を伝えた重要な発言だった。
毛は建国以後の数年間に、朝鮮戦争、インドシナ戦争、蒋介石軍との2回にわたる戦争と、何度も米国の核威嚇を受けた。核兵器は、見かけは強そうでも実際には使えない「張り子の虎」と揶揄(やゆ)していたが、実際は、威嚇して相手を屈服させる兵器として重要視し、原子力潜水艦を含む核ミサイル開発を決断した。
同じ時期に中国は米国の空母による威嚇を何回も受けていた。「空母は陸に上がってこられない」は、「核兵器は張り子の虎」に通じるのである。
≪2050年への長期展望≫
中国の核ミサイル開発は通常戦力の近代化を後回しにして進められた。1964年10月、東京五輪の開催中に最初の核爆発実験を敢行する。5年半後の70年4月、人工衛星が打ち上げられ、日本を含む周辺諸国を威嚇できる中距離弾道ミサイルの開発に成功したことが明らかとなった。さらに80年5月、南太平洋のフィジー諸島近海に向けて大陸間弾道ミサイルが発射されて、地上発射弾道ミサイルがひとまず完成した。
原子力潜水艦の開発には困難があったようで大幅に遅れ、外洋航海訓練に成功したのは86年12月だった。
中国は現在でも原子力潜水艦を含む核ミサイル戦力の精緻(せいち)化に懸命になっている。80年代中葉、21世紀を見据えた「国防発展戦略」といわれる遠大な軍事戦略が提示された。核ミサイル戦力の下で、限定的な、だが水準の高い通常戦力の現代化が進行している。
それと関連して「海軍発展戦略」が作成され、具体化されている。そのなかで初めて公式に、航空母艦の保有が明らかにされた。
(1)2000年までに、各種艦艇の研究開発・建造と人材の育成を進める。(2)2020年までに、大陸基地発進の中距離航空機部隊と攻撃型通常潜水艦を主要な攻撃力とし、ヘリコプター搭載中型水上艦艇を指揮・支援戦力とする。(3)2050年までに、航空母艦を核とし、対空・対水上艦艇、対潜水艦作戦能力を持つ水上艦艇と潜水艦を配備した機動艦隊を保有する。
これに基づき、空母保有計画が具体化してきている。
≪「海洋の時代」にらんで≫
70年代から80年代にかけ、中国はフランス、イタリアなどから空母建造に関連した兵器・技術を導入した。並行して、地上に設置された模擬空母甲板で、海軍航空部隊の発着訓練が実施され、空母保有に向けて着実に進んでいることが明らかにされた。
ついでソ連崩壊後のロシアからキエフ、ミンスク、ワリアーグの空母を購入し、空母の研究開発が本格化する。スホイ27Kその他の艦載機購入の商談情報も流れ、空母保有が現実の問題となっていた。実戦化されるのは、2020年以降であろうが、この時点で中国が台湾を統一し、その海軍力を西太平洋とインド洋に展開する戦略がみえる。そのためにも空母がなければならないわけだ。
わが国では、中国の空母建造、外洋進出に関連して、その能力を過小評価するような議論も散見されるが、これまで論じたように、中国の空母保有計画は長い歴史をもっており、近年、にわかに始まったものではない。それは世界が70年代に国連海洋法条約をめぐって「海洋の時代」に入ったことを契機に、中国海軍が南シナ海から東シナ海、さらには西太平洋、インド洋へと発展している動きに連動している。
毛沢東は中国の発展を、「無から有」「小から大」「低から高」という言葉で表現した。核ミサイル開発も海軍力の発展も、この言葉の通り進展している。金門島事件のころ、時代遅れの小型水上艦艇、潜水艦、短距離航空機で編成されていた中国海軍は、50年を経て外洋に進出する能力を備えた。
中国の海洋戦略はわが国の海域とシーレーンに直接影響する。中国の海洋進出を軽視することなく、また過大視することなく、その実態と動向を正面から見据える必要がある。