土崎港☆下酒田町BLOG☆201○

来年は…。「土崎港曳山まつり」下酒田町のex.曳山実行委員会が発信するブログです。

【土崎港曳山まつり2010回顧18】第22号車 愛宕町

2010年10月23日 | 振り返る
22号車 愛宕町 

◎外題:
関野に花咲く 誉れの赤鬼


◎見返し:
おとうさん ボクの手当で 山車だして


◎場面の解説:
井伊直政は徳川四天王の一人として、数々の戦場を戦い抜いてきた。
武田家滅亡に際しては、武田家家臣団を迎え入れ、赤備えも継承。
小牧・長久手の戦いでは相手方であった豊臣秀吉から
赤鬼と称される程の働きをみせた。
関ヶ原の戦いで井伊直政は、敵中突破退却を図ろうとする島津義弘の軍と激突した。
この時直政は、右肩に銃弾を受けながらも島津豊久を討ち取った。

◎委員長名:
松澤国彦氏

◎20日夜の曳山置場:
山道通り能登谷良市宅駐車場
(加賀英呉服店側)

◎囃子:
旭鳳会

◎動画:
ありませんでした…

◎御礼札:



愛宕町さん。
山道通り入口、加賀英呉服店さんのあたり、
新国道両側、もちろん渡った愛宕神社、
東に行くと新しい林工務店さんがある角
(ローソンの新国道向え)、
ジャスコの前の通り海側の清水町二区さん境(旅館手前)あたりまで。


まずは
回顧の14
で書いたカッコイイ彼に対し、

別のブログ(祭の駅)
夫婦岩さんより
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管理人さん愛しの彼は愛宕町の赤備えの彼でした!!
俺の曳山集の写真がローアングルで
冑の中のお顔がバッチリ
個人的には2004年沖田総司の彼が
キュン(笑)ときます

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とのコメントを頂きました。
ありがとうございます。

そうでしたか、彼でしたか。
なるほど。確かに。恋してるなんて言っておきながら、
気づかなかった自分が恥ずかしい。
今年はあまり自分で写真を撮り歩かなかった分、
注意力不足でした。

なにより情報感謝いたします。


その赤揃えの彼。

勝手な解釈ですが、今年の愛宕町さんは場面と言うより、
彼という人間をピックアップした設定だったんじゃないのかな、と。
思っております。
あくまでも勝手な解釈ですけど。

武田の赤備えを継承し、
後に幕末まで井伊家に受け継がれる「井伊の赤揃え」。
徳川四天王である直政軍勢は「井伊の赤鬼」と言われ
恐れられたそう。

そのきっかけは武田家臣の
山県昌景が始まりだったと言われ、
将三さんのときにも軽く触れた真田幸村も同様だったよう。


ちなみに直政の子で2代井伊藩主・直孝というのが
去年、将二さんのときにも書いた






彼になるんですね。



って嘘。間違った知識です。
すみません。



「井伊の赤揃え」の起源となり、
また若き頃から小姓として家康に仕え、
外様ながら徳川四天王と言われまでの活躍をし、
関ヶ原の後には近江国彦根藩初代藩主となった井伊直政。

井伊家はその後も代々活躍、
彦根藩を確固なものとし、幕府の幾度とつき要職に多くつく。
そんで幕末には今年映画にもなるって話の、
有名な直弼の桜田門外の変へと…
繋がっていくんですね~


井伊家代々の取り組みには好き嫌い、
賛否はあると思うのですが、
長きに渡る徳川の世で活躍したことは、
きっと凄い「なにか」をもっていたって、ことでしょうし、

なにより最近では

在住の彼が
動画:初投稿じっけんです
(しつこいっ)
全国的な人気者になっているのですから、
間違いはなかったってことでしょう。



話はそれましたが、
そんな井伊さん。

本日はすっかり赤揃えのお話と、写真頼りのネタでで終始いたしました。

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