土崎港☆下酒田町BLOG☆201○

来年は…。「土崎港曳山まつり」下酒田町のex.曳山実行委員会が発信するブログです。

【土崎港曳山まつり2010回顧9】第11号車 将軍野三区

2010年10月02日 | 振り返る
11号車 将軍野三区

◎外題:
忠勇義烈 冬の華舞う真田丸


◎見返し:
オバサンの 支持率アップだ 韓(菅)流で


◎場面の解説:
慶長19年12月、大坂冬の陣。
真田幸村が率いる真田丸に前田利常ら徳川勢が攻め寄せたが、
真田勢は鉄砲で迎え撃ち徳川勢は大混乱に陥った。
そこに真田大助らが撃って出て、更なる甚大な被害を与えた。
この戦いにより幸村はその武名を世に知らしめる事となった。


◎委員長名:
吉田寮氏
◎20日夜の曳山置場:
旧高田酒店隣防火用水上

◎囃子:
港和会(保存会)

◎演芸大会:
土崎港演芸大会・大人競技の部 優秀賞

◎動画:
・御幸曳山

・携帯動画


◎御礼札


暑い一日でした。陽に照らされ、塩焼き状態で。
結果、今日もまた半袖復活中です。
とはいえ、某イベントに参戦中。
雨が降るよりはよっぽど。
どうにか明日も晴れて欲しいところです。切に。


閑話休題。



ワタクシだけなのかもしれませんが、
なぜかヤンチャなイメージがある真田幸村(信繁)。
しかし現実は素晴らしく忠義、誠実で、
かつ物静かな、素晴らしい男だったのでしょう。
(実際の話なんて誰もわからんのでしょうが)


豊臣方ながら没後後世に伝わる話はいずれも英雄伝。
時代はこういうヒーローを常に欲しているんですね。

ちなみに真田丸は土塁、砦だってことで。
その昔、船かなんかだと・・・思って辱めを・・・(恥っ)


大坂の陣の際、積極的に打って出るという自分の意見を否定されながら、
与えられた立場・環境でより良い施策を見出すという考えに、
素晴らしく共感し、尊敬すえるべきところがあります。

ほんとそうありたいし、昨今そう思うことは多々。
など、影響されやすいんですよね。


さて、将軍野三区さん。広い町内。
自衛隊通りの秋田銀行将軍野支店(ここは松宮町だそう)から
内側に何軒か入ったあたり、
昔の五十嵐病院より東側のあたりにいったほう。
正式には東、西の2町内がある連合町なので、
曳山奉納に関しては相染さんや穀保町さんとかと同様。
※10月8日雲板さんより教えていただき、
町域の話を一部訂正しました。ありがとうございます。




写真では見づらいのですが、
人形が4体。むかって左下の人形は
うつ伏せで倒れてますが、面白い構図。

幸村の鎧もしっかり赤で揃っており。


ちなみに幸村、ここ秋田にも縁があるようで、
実は死んでおらず、その後四女(佐竹義宜の弟に嫁いでいる)の繋がりで、
晩年この地に流れ着き、
大館に墓が(手前にいる息子・大助=幸昌の墓も)あるんだとか、
そんな楽しい説もあるようです。

義経とかもそうですけど、
そんな伝説も生まれてくるというのが、
まさに時代が欲したヒーローの証なんでしょう。

最新の画像もっと見る