太田市長とれたて日記

清水まさよしが太田の元気をお届けします

「国土交通大学」でおしゃべり

2005年07月15日 | Weblog

 小平市ははじめて。緑が多くて、田舎っぽくて、箱庭という感じのまち。玉川上水の駅寄りに「国土交通大学校」がある。

 今日は1時間半のおしゃべり。国の役人に講釈するなんてうれしいことだが、中身のない話もできないと少々緊張もした。これを皮切りに7月はこの手の出番が続く。

 

 私のお相手をしてくれた方は大学校の管理科長の清水さん。

 外に出て、たまに清水さんという方にお会いすることがある。どう表現していいかわからないが、なにか、おかしな感じがする。収入役が秘書課長だったころ、親戚でもなんでもないのになにか変だった。彼のことを「小清水さん」なんて言う人もいて迷惑だったのではないか。

 今日の清水さんは太田市にいたことがあるという。私の住んでいる町内に拘置所がある。お父さんがそこに勤めていたという。そういえば、拘置所の中に家がある。そこに住んでいたというのだ。転勤族だったそうだ。

 「私は拘置所で生まれたのですよ」

 おもしろいことをいう。

 「市役所に勤めている浅海さんと同期で、電話しておきました」縁というのはこんなものである。

 

 1時間半はけっこう長い。話し始めが肝心だ。市役所の建設見直しのことから始めた。

 「土木事業なら変更はつきもの。でも、基礎工事を完成させて、それから建物を変えるというのは聞いたことがありません。」

 教授の宮尾さんは驚いていた。いや、あきれていたのかも。

 しめくくりは「地方から変わらなければ国は変わらない」と話した。ISOやぐんま国際アカデミーのこと。

 国土交通省の中堅幹部のみなさんは「笑って欲しいなあ」というときには必ず笑ってくれた。居眠りもなかった。

 

 いろんなところで講釈をしてくることを、私の「パフォーマンス」と批判する人がいる。しゃべりたくても講師依頼がなければ出て行けない。そのことで太田市を印象づけられれば大儲けではないか。お金を出さないで宣伝できれば、こんなに良いことはないのではないか。

 過日も国土交通省の方が見えられて「なんでもお手伝いします」といって帰られた。私がまちを売り込んで、それが仕事につながっていくのだから文句を言われる筋合いではないと思うのだが。

 所詮は、人と人のつながりで社会は構成されている。いささか疲れはするが、PR係をこれからも続けたい。

 年間、視察が150組にもなったようだ。

 私一人では何もできない。職員と市民といっしょになってまちづくりをしてきた。それが、他のまちの一歩先をいっているのだと思う。


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