「尾島ねぷた」が昨日、今日の2日間。人出がすごい。主催者発表、OO万人というのがあるが、国道354から人がはみ出していた。何万人だか数えようがない。弘前の金沢市長さんにもいらしていただいたが、その混雑ぶりに驚いていた。
尾島ねぷたの台数は15台、運行距離も街中の一部(500メートル程度)、弘前が70団体で市街地全域というから規模において、格段に劣る。少しは追いつきたいよに思った。
「市役所で出せないか、検討してみてよ」担当部長に話をしておいた。今までは尾島の企業や団体だけであったが、来年からは合併の力が出せるのではないかと期待している。
前日は新田のお祭り、これはオーソドックスなもの。木崎音頭をメインにして、ステージを広場の真ん中にこしらえて唄い、踊る。
「すごいな」と思ったのは特設ステージの周りで市民が踊っている。『あなた踊る人、私、見る人』これが最近のお祭りだが、集まってくる人が輪になって、なんて光景は見たことがない。おばさん?が主流であったが、女性はまちの元気の象徴。離れたテントの中からだったからか(いやそんなことはない)とてもきれいに見えた。
木崎音頭のはやしを聞いて、唄をじっくり聴きながら「これはたいへんな物語なんだ」ということに気がついた。同じ例幣使街道のなかで育った八木節とはまったく違う性質のものだ。
歴史は前後するのだろうが、八木節の時代は良き時代だったことがわかる。
木崎音頭というのはきびしい時代の、女性にとってとても悲しい人生を唄ったもの。昔のことだから、年頃というのは何才くらいだったのか。きっと、15才くらいか。ちょっと歳をとると売り物にならない、と唄っている。三国峠を越えて売られてくる女の子のあわれな物語である。
「貧困は悪」、でも庶民は貧困を仕方なしに受け入れざるをえなかった。政治の貧困が庶民の生活に暗闇しか与えられなかった時代が木崎音頭に唄われている。
太田の祭りも見た。薮塚の祭りは「弘前ねぷた」を見に行っていて様子は人聞きでしかなかったが、「尾島ねぷた」が好評だ。
それぞれのまちでそれぞれの祭りがあってもいい。地域の祭りとして住民が大勢参加して盛り上げるのがいい。夏祭りでも秋の収穫を祝うお祭りでも。ずっと続けていけばいいのである。「1%まちづくり会議」に提案すれば、会議で採択してもらえるのではないか。
でも、「まちのへそ」になる祭りも必要のような気がする。「太田の祭りって何?」それに答えられるような祭り。夏でも秋でも、市民の誇りになるような祭りがあればいいなあ。