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美瑛の「四季」

北海道フードマイスターの宿主が綴る「今日もない物ねだり」

ディア・ハンター

2013-02-17 18:32:45 | 映画、音楽、本・・・
1978年のハリウッド映画を見ました。この映画にはあれこれ想い出があってぜひ1度全編(183分の長編!)見たいと思っていた映画です。そもそも見たこともないのにどうして思い出深いのかと言うと、いくつか理由があります。
当時僕は大学に入学したばかりでした。そしてどちらかと言うと奥手だった僕は、ちょっと遅い多感な青春時代を生きていたように思います(青春時代って、これも死語っぽいですね?)。高校に入学していわゆる世の中とか世間みたいなものに触れる中で、視野は友人から学校へ、地域から日本全体へ、さらには世界にも興味が増えたような時期だったのかもしれません。そして、当時僕に刺激的だった出来事のひとつは、ベトナム戦争でした。

僕の高校時代に終焉を迎えていたベトナム戦争は、ある面アメリカの果て無い消耗戦であったため、真実や価値について直視した評論は出て来にくい状況だったように思います。1975年にサイゴンが陥落して撤退したアメリカが、ベトナム戦争のいろいろな真実を表に出すようになったのは、数年後のことだったのではないでしょうか。
そんな時代背景の中で「ディア・ハンター」はロードショーとなり、いろいろなメディア(当時は新聞や、映画誌が中心でしたね)で大々的に取り上げられました。ロバート・デ・ニーロやメリル・ストリープの名前には、当時は興味がありませんでした(と言うか、知らなかったですね)が、ロシアン・ルーレットという自殺的なゲームに取りつかれてしまう戦場の生き残りの物語は、予告編やあらすじで深く印象に残ったものです。

大学に入学したばかりでしたからいろいろやりたいことも多く、晩秋に上映なったこの映画を見に行く機会は、ついにありませんでした。けれども年が明けて迎えた成人式に、僕は出席できませんでした。世界には徴兵で戦場の最前線に送られている若者が大勢いると言うのに、艶やかな晴れ着や、似つかわしくもない羽織り姿で式に参列している日本の新成人の姿を想像すると、何だか馬鹿馬鹿しく思えのです。
それはもちろん見てもいない「ディア・ハンター」の影響からでした。

ディア・ハンターは、この年のアカデミー賞を総なめにしました。主演のロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープはノミネートされたものの選ばれませんでしたが、作品賞、監督賞、音響賞や助演男優賞など、ほとんどの賞に輝きました。
あらためてこの映画を見ることが出来て、とても良かったです。戦争(と言うよりは戦場)の不条理や、必要悪がぎっしり詰まっていて、わかっているつもりのあれこれが、そんな生易しいものじゃないんだと切々と迫って来ます。休日に仲間内で鹿狩りに出かけるピッツバーグ郊外の山々(アレゲニー山脈)の美しい映像が、戦場の悲惨さと強いコントラストを表していて、胸に詰まります。戦場が地獄絵であるがゆえに、故郷の大自然があまりにも美しく、それは今僕がいる美瑛を呼び覚まさせるようでもあります。

日本が経済成長にひた走っていたあのころ、政治判断に翻弄されたアメリカ合衆国の若き兵士たちは、全く別の人生を生きていたんだ、と思い出しました。それが良いのかどうかはとても複雑で、単純には決められないことではあります。けれどもこういう状態に突入してしまったら、何が待っているのか、どんな悲しい出来事が個人、個人の人生に襲いかかって来るのかをあらためて考えさせられる映画でした。

もし叶うことなら、多くの日本人に、そして中国の人にも見て欲しい映画だと思いました。

それから言うまでもありませんが、若き日のデ・ニーロとストリープはそれぞれに素晴らしいです!35年の歳月を経ても、それぞれに第一線で活躍しているなんて、すごいね。


ニュー・シネマ・パラダイス_名画の魔法に時のたつのも忘れました。

2013-02-01 21:21:13 | 映画、音楽、本・・・
昨日31日、そして今日2月1日は、いずれも前日のお天気予報がぴっかぴかの快晴マークだったのでカメラ片手にいざ突撃!と朝から意気込んでいましたが空振り終わりました。何しろ2日間続けて厚い雲が美瑛を覆っていたのです。おまけに今日は最高気温2.4℃!プラスですよ、プラス。
1年でいちばん寒い時期のはずが、あちこちで雪が融けて屋根から雫がポタポタと落ちています。明日2日から始まる「美瑛雪遊び」のために用意された駅横の広場には、大きな雪のすべり台や、雪像(トトロやどらえもん)が準備万端待っているのにどうしたことでしょう・・・。
お天気には文句は言えませんので、美瑛の雪景色からちょっと離れて、今日は映画のことを記してみようと思います。美瑛の風景等の話題ご希望の方におかれましては、大変申し訳ありません。

見た映画は「ニュー・シネマ・パラダイス」。この映画は1989年の末に公開されたイタリア映画ですが、僕は全然予備知識もありませんでした(って名画なのに、ダメですね)。ただただエンニオ・モリコーネ作の主題曲をヨーヨー・マがカバーした名盤を擦り切れるほど聞いてはいました。そもそもニュー・シネマ・パラダイスって何だろう・・・?とタイトルの意味さえ知らなかったのです。

ストーリーについてはWikipediaはじめ多くのサイトで紹介されていますからそちらに譲るとしますが、情感あふれる素晴らしい映画でとても感動しました。僕もけっこうな年齢になり、ちょっとした感動シーンになると涙腺が緩みがちですが、この映画ではそんな場面は最後の最後に少しだけ。
まずスタートから美しいシチリアの田舎町が画面いっぱいに広がり、その景色の中で始まるトト役のサルバトーレ・カシオの愛くるしい演技に魅せられてしまいます。最近日本にもあっと驚くような子役が出て来ていますが、カシオ少年の自然な演技はホーム・アローンのマコーレ・カルキンにまったく引けを取りません。

シネマ・パラダイスという田舎町にある映画館で繰り広げられる、映写技師とトト少年の不思議で素敵な人間関係が、少しずつ育まれて行きます。その展開に深みをもたらしているのがカメラワークと、モリコーネの美しいメロディー。ヨーヨー・マ版しか知らなかった僕ですが、映画ではもっとすごくシンプルにとつとつと流れる音楽が、この映画全体の雰囲気をすごく引き立てています。

パラダイス(映画館)の火事、切ない初恋、ローマに出て映画界で一世を風靡するまでに成長した主人公が、30年の歳月を経て戻った故郷シチリアでこみ上げる懐かしさと失った宝物のような時間を噛みしめながらエンディングを迎えます。人生の秋を切々と表現するカメラ・アングルを通して、誰もがそれぞれの少年時代と青年時代の甘く切ない思い出の中に舞い込んでいることに気づきます。


日本農業への正しい絶望法 神門善久著 新潮新書

2013-01-31 01:30:20 | 映画、音楽、本・・・
愚痴だらけの内容です。残念ながら八方塞がりで、建設的なあるいは提案型の出口があんまり用意されていません。読む前にある程度は中身の予想が出来るので、読まずに済ますこともできたのですが、やっぱり読んでおこうとページを捲りました。

著者の愚痴は、いくつかに整理されていますが、大別すると生産者の問題(川上の問題)と消費者の問題(川下の問題)、マスコミや研究者の問題に大別されると思います。大雑把に言ってしまえば、腕(生産技術)を持たない農産物生産者(=農家ですね)がデキの悪い野菜を作り、味を知らない消費者が出来の悪さを看過し、その実態を直視しないマスコミや専門家がさらに良くない方向へ農業を迷走させてしまう、と言ったところになるでしょうか。
タイトルが「絶望法」ですから、著者の意図は大いに内容に盛り込まれ、読者を絶望の淵に追いやるのに十分です。

でも・・・、やっぱりそうであって欲しくない、と思う読者も少なくない(希望としては「ほとんど」の)はずですし、著者もそれが狙い(のはず)です。
僕は等身大でしかモノゴトを考えにくいし、行動だってその範疇になってしまいます。つまり「出来る範囲で」という展開ですよね。こうして美瑛と言う1大農産地で宿屋をなりわいとしている身からすると、食と農は切っても切り離せません。普段から農家とコミュニケーションをとるように努めて、実際に懇意な農家さんから野菜や果物を仕入れています。その中で、著者の視点の1つでもある川上問題については、深く知ることは出来ません。例えば販路や宣伝などをどう生産者が取り入れて行くかを、生産技術の向上と相反する(優先順位的に)内容として否定される内容ですが、それを判断できるだけの情報も知識もありません。他方より直接的な問題になるのは川下です。

美味しい野菜を見分ける眼力のない僕に、美味しい野菜を購入する手立てはありませんし、美味しい野菜の味を知らない僕に、美味しい野菜を使った料理が出来るのか疑問だ、と著者は迫って来ます。そして、直接農家から購入していることをいいことに、地産地消だ、安心安全だ、と能書きを並べることが空しいと結ばれてしまいます。

果たして現実にはどうかと言うと、悲しいかな言い得ている部分がないでもありません。昨年北海道フードマイスターのライセンスを更新し、カミさんはこの春上級試験にも挑むべく勉強中です(僕はどうする?という質問は却下します)。また、僕自身美味しいパンを作るための指導を今も受けていますし、美味しい「食」にこだわっているつもりです。
それでも・・・、違いが分かるのかどうかとなると、分かる!と言い切れない自分がいます。この手の事件は巷でもたくさんあって、比内地鶏しかり吉兆しかり赤福餅しかり、食の偽装を「舌」で判別することが難しい事例は枚挙に事欠きません。

ちょうど「食材」について上手な流通方法を考えたいな、と思っていた矢先、目の覚めるような往復ビンタを喰らったような気持ちにしてくれた本書は、カバーにある通り少しでも食や農に興味のある人は読んでおいて損のない内容だと感じました。すごくアバウトになってしまいますが、食に限らずクルマとかオーディオ機器のような嗜好性の高い、そして価格も高額な工業製品でさえ、川下問題には似たようなことが言えるかもしれません。つまりクルマの良さを判別できないユーザーが、高級車をありがたがって購入することだって普通にあると思います。
クルマを食と同じ土俵に並べることに無理があるのは当然ですが、半分は「仕方がない」と絶望しつつも、やっぱり無駄な抵抗を重ねつつ、少しでも美味しい野菜を少しでも鮮度よく、そしてリーズナブルに(=適正価格で)購入して、それを料理にして提供したい・・・と思う気持ちは変わらないな。


バットマン_ダークナイトライジング。

2013-01-22 01:03:09 | 映画、音楽、本・・・
「地球が静止する日」、「トランス・フォーマー」を地上波で見て、勢いでDVDにて「バットマン_ダークナイトライジング」を見ました。ここのところ少し時間があるのをいいことに、やるべき大きな仕事(最大のヤマは確定申告です!)を後回しにして、せっせと映画を見ています。この3作はどれもSFと言えばそうですし、アクションものと言うとその範疇にも入ると思います。

普通映画の主題はたいては愛だったり正義だったりがバックボーンにあって、それがアクションっぽく、あるいはロマンスを絡めながら展開し、そのテーマに厚みを増して行くんだろうなと思います。そんな映画のテーマも時代と共にどんどん変化して行きます。愛と言うテーマであっても、恋人同士の愛が家族愛になり、愛国心になり、さらには人類愛にまで広がったりします。同じように正義の描き方も様々で、時代を先取りする感性豊かな脚本家、プロデューサー、映画監督が具現化する映画世界は、私たちの「今」を鮮明に映し出しているように感じます。

そんな切り口で最近の映画から「今」をまったくもって独断的にひも解いてみると、戦争や核兵器が、もうひとつは地球環境が大きなテーマになっているように感じるのではないでしょうか(当たり前ですよね?)。2009年末公開のアバターだって環境破壊に対する警告を色濃く映していました。また地球が静止する日は、ご存知の方も多いと思いますが1951年にリリースされた作品のリメイク版ですが、今風に大きく雰囲気を変えています。
そんな映画の作風から、どうしても現実の環境破壊と国家間の緊張を意識しないわけには行きません。良くないとわかっていても浪費し続けるエネルギーや食糧があって、その浪費と引き換えに、環境汚染が密かに、しかし確実に浸透していく現代社会を、最新映画の多くが憂えているのは間違いなさそうです。
例えばお隣の中国やロシアとの領土問題も、このままエスカレートしていくのはまずいと誰しもがわかりながら、引くに引けない諸事情がどんどん問題を複雑化させているように見受けられます。

1979年ロード・ショーの「ディア・ハンター」や1999年の「ライフ・イズ・ビューティフル」でストレートに胸に突き刺さった感動が、2010年前後頃からもっと厄介でもやもやと心の中をさまようテーマになって来ていると思います。


フェルメール展にて。

2013-01-15 01:50:22 | 映画、音楽、本・・・
先月末から(つまり年末からってことになりますね)旭川の西武百貨店でやっているフェルメール展を知ったのは、ユングさんという方のブログから。北海道の札幌以外の街で、フェルメールの作品展が、複製(と言ってもリ・クリエイト版という、描き終えた瞬間の状態を極めて精緻に再現したデジタル・マスタリング)ではありますが、現存する37点全点が一堂に(もちろん原寸大で)見れるなんて、めったにあることではありません。

とても私的な所用が旭川空港であった14日、帰りに足を延ばして見に行くことにしました。会場は西武の最上階9階。エレベーターで行くにも大変だなぁなんて田舎者丸出し気分で会場に到着すると、けっこうな人だかりで少々びっくりです。
この日は3連休の最終日。フェルメール展も16日までですから、実質最終日的な賑わいだったのかもしれません。
早速チケットを購入すると同時に展覧会に入りました。昔から(高校生くらいでしょうか)フェルメールは大好きな画家。しかもやはり大好きなサルバドール・ダリのお気に入りでもあるらしく、僕にとっては特に好きな画家だと思います。最初に飛び込んできたのが「聖プラクセデス」。まだ初期の頃ともいえるこの作品でさえ、浮かび上がるような女性のやわらかな顔の表情が、まるで生を感じさせるかのように息づいています。

こういう展覧会では、作者フェルメールの作品のみならず、その人となり、さらには生涯について紹介されることが多いと思います。もちろんそんな説明を見たり読んだりするうちに、さらに作品に対する理解や親近感(=特別な想い)が増幅されていくのに違いありません。と同時に、勝手な妄想や想像、そして自由な決めつけを締め出してしまうのも事実です。
例えば「恋文」と言う作品と、この題から全く個人的に思い描く絵の世界と、絵の隅々まで描かれている対象の暗示するものを解き明かし、鮮やかな色を醸す油絵の原料を紹介され、遠近法や透視画法を説明された後に感じる作品への思いは、随分違ったものになりますよね・・・。きっと多くの事を知った後でさえ、イマジネーションが膨らんで、あれこれと絵に対する想いが幾重にも膨らむ場合もあるかもしれませんが、僕にはちょっとビミョーかな・・・?
なんて何だかケチをつけるようなことを書いてしまいましたが、この展覧会ではとても詳しい資料が数多く展示され、加えてフェルメールが得意とした題材の部屋を再現したコーナーや、やはりフェルメールがよく描いた床のいわゆる市松模様のコーナーなど、サービスの行き届いた楽しい展覧会でした。気が付けば、画集と解説本もしっかり購入。

フェルメールをもし知らなかったとしても、「真珠の耳飾りの少女」を知らない人って珍しいかも・・・。フェルメール、光の王国展。美瑛から35分くらいで行ける場所で、大満足の展覧会でした。