‘황금빛 내 인생’, 서지안의 행보는 정말 자기주도적일까? 역설적 응원 난무하는 이유
meditator 승인 2018.03.05 12:29
KBS2 주말드라마 <황금빛 내 인생>
KBS2週末ドラマ<黄金色の私の人生>(訳)
KBS2 주말드라마 <황금빛 내 인생>
KBS2週末ドラマ<黄金色の私の人生>(訳)
KBS2 주말드라마 <황금빛 내 인생>
KBS2週末ドラマ<黄金色の私の人生>(訳)
KBS2 주말드라마 <황금빛 내 인생>
KBS2週末ドラマ<黄金色の私の人生>(訳)
KBS2 주말드라마 <황금빛 내 인생>
KBS2週末ドラマ<黄金色の私の人生>(訳)
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へっぽこ訳~~
‘黄金色の私の人生’、
ソ・ジアンの歩みは本当に自分主導的であろうか?
逆説的応援乱舞する理由
meditator |承認2018.03.05 12:29
敵になった二つの一族の息子、娘だった
ロミオとジュリエットは
'愛'を選んだ。
自身の兄を殺した敵ロミオに対する愛を選んだジュリエットは
彼との愛を成し遂げるために
喜んで毒杯を選び、
その結果死を迎えた。
古典的な時代の愛は地上最大の価値であった。
だが、
時代が変わって愛も変わり始めた。
女性の社会的進出と共に
愛の物語の中女主人公は
愛と成功という二兎を得るために孤軍奮闘して、
喜んでこの二つを成就した。
そしてもう2018年
3砲、5砲、9砲世代の代弁者になった
<黄金色の私の人生>のソ・ジアン(シン・ヘソン扮)は
そこで一歩さらに出る。
お父さんが死を控えながらも
希望した'フィンランド行'を
自分たちの愛のために
少し先送りして欲しいと云うチェ・ドギョン(パク・シフ扮)に怒る。
「君が私にしてくれた事何があるのか」で、
何故、嫌か、
自身の道を行くと云う自分に‘愛’という名前で足をかけるのかと
ほえ叫ぶ。
シンデレラコンプレックスなんて!
<黄金色の私の人生>は
典型的な'ロミオとジュリエット'の構図だ。
母ヤン・ミジョンの嘘で入れ替わった実の娘、
その事実が明らかになって
敵の関係になった二家族の男女、
そして
古典的な葛藤構造に合わせて
二人の男女
ソ・ジアンとチェ・ドギョンは恋に落ちてしまう。
ところが
ただ'ロミオとジュリエット'の敵同士だけでない。
国内10大財閥企業を眺めるヘソン家と、
一時貿易マンだったが借家を転々とする
貧しい家の愛は
我が国(韓国)のドラマで
これまで馴染んで借用してきた'シンデレラ'叙事でもある。
ソ・ヒョンギョン作家は
このような古典的ながらも慣れた葛藤の叙事を
2018年バージョンとして
新たに解釈しようと試みる。
白馬に乗った王子の2018年バージョンである
チェ・ドギョンと
愛に陥ったソ・ジアン.
だが、
2018年のシンデレラは
王子が乗って来た白馬を果敢に蹴飛ばす。
貧しい暮らし向き、
そしてそれよりも
さらに堪え難かった自身の現実を'逃避'するために
ヘソン家の実の娘の座を喜んで受け入れたソ・ジアンは
実は実の娘ではなかったと云う衝撃的状況を迎えて
彼女がそれまで持っていた価値観の'アノミー'を
自殺を試みという劇的な装置を通じて編み出す。
そして
海苔を乾かす養殖場の仕事まで経て
やっとの思いで帰って来た現実で
彼女はこれ以上
以前の立身出世を夢見た彼女ではなかった。
代わりに、
友達ヒョクの助けで始めた
木工の仕事を'新しい幸福の理想郷'で眺めて
そちらで成功の代わりに
成就のロマンを再び夢見始める。
そしてその様な彼女の変化に対する
応答がすぐに'フィンランド行きチケット'で具現される予定だった。
このように去る50回の旅程で
辛うじて自身の本当の夢を訪ねて行くソ・ジアンに
'愛'はいつも足手まといな障害物だった。
兄であったチェ・ドギョンとは
'再び会ってはいけない'間柄であり、
彼が自身の家まで捨てて
ソ・ジアンの周辺をうろついた時にも
'ヘソン家'を地獄の様に感じたソ・ジアンは
堅固に彼の愛を無視しようと努めた。
ドラマは一貫してソ・ジアンを通じて、
2018年の愛は
二人が共にする愛よりは
'個人の実存と確立'が先だと強弁してきた。
故に
チェ・ドギョンとソ・ジアンの愛は
盾を以って愛を食い止めるソ・ジアンと、
自身の全てのものを捨てながら
そのような彼女に駆け付けて行く
犠牲的なチェ・ドギョンの猪突的な疾走の
'ダ・カーポ'で繰り返してきた。
この様に50部作の大長征を進めてきたドラマで
メインの叙事である二人の主人公の愛は
'逆シンデレラ'ストーリーの骨組みを持って進めてきた。
そのような中でも
'眼差しだけは切実だった'二人の関係に
視聴者たちは
それでも愛の完成を夢見て応援した。
だが続く
‘ヘソン家だけではない’と云うソ・ジアンと、
それでも
'君に行く道'を放棄出来ないという
チェ・ドギョンの一方的な様な
一方的でない愛のリピートは
視聴者たちを疲れるようにさせた。
結局50話、
もう一度チェ・ドギョンと会うという事で
なぜ私を愛に陥るようにしたのかと怒るソ・ジアンで
終えられたこのドラマに
視聴者たちさえこれまでの応援を諦める。
そうだもうそろそろ'別れなさい'と。
50部の旅程で
結局は視聴者たちさえも
諦める様にさせたこの'逆シンデレラ ストーリー'を
追求したのが
2018年の自分主導的愛の結末であろうか?
やはり2018年には愛さえ贅沢なのが合うのであろうか?
お父さんの陰がとても大きい子供、ソ・ジアン
愛を成し遂げるよりは
今はもう別れる方が良いと云うこの愛.
その執拗な愛の主人公ソ・ジアンを
ソ・ヒョンギョン作家は
ガールクラッシュしたこの時代の
自分主導的女性で描き出している。
だが、
この'自分主導的’という地点で
ソ・ジアンの歩みは果たしてそうだろうか?
劇中ソ・ジアンが
劇的に心境変化を起こすいくつかの場面がある。
その最初が
自らを自殺に追い込んだその時点、
ヘソン家から追い出されて
大変な思いで家に戻ったソ・ジアンは
ヘソン家の父チェ・ジェソン(チョン・ノミン扮)に
実父ソ・テス(チョン・ホジン扮)が殴られる場面を目撃する。
ヘソン家に入っている間
終始ソ・ジアンに罪悪感を持たせたのは
自身が最も愛する父を冷遇した事。
その様な罪悪感の対象である父が
自身により侮辱を受ける事になって、
ソ・ジアンは直ちに現実を捨てる。
その次、
やっと海苔を乾かす養殖場で
ヒョクの助けで落ち着いて出て来たが
まだ家へ帰る勇気が出なかった時点.
周辺を徘徊したチェ・ドギョンが
自身の生還を父に教えたと云う事実に
ソ・ジアンはチェ・ドギョンに
「それが君だったよ!」と泣き叫ぶ。
そして50話、
胃癌にかかった父が
自身のせいでヘソン家の祖父に横っ面を叩かれて、
自身の家族を救うために
土下座までした事実を知る事になったソ・ジアンは
もう一度チェ・ドギョンに怒りを降り注ぐ。
50回の旅程で
ソ・ジアンは
チェ・ドギョンと愛の揉め事を行うが、
彼女に最も大きい愛、
最も大きい陰を落したのは'父'だ。
ソ・ヒョンギョン作家の前作<検事プリンセス>や、
<私の娘ソヨン>の様に相変らず
娘に最も大きい愛は父だ。
ジュリエットになったソ・ジアンが選択したのは
私の家族を殺しても愛する人でなく
相変わらず私の‘家族’、そして'私'である。
愛は
男女の出会いだが、それは'成長'だ。
家族の懐の中で育った男女が
家族を克服して成人として
自身の人生を始めるという意味でもある。
それでいつも'成長叙事’では
愛が重要な通過儀礼で登場する。
そのような意味で
<黄金色の私の人生>のソ・ジアンは
一見、自分主導的な'ガールクラッシュ'だが、
去る旅程で
彼女の沸騰点を顧みれば
相変らず彼女は'父'の陰から抜け出す事が
出来なかった未成年だ。
15,6才だったがロミオとジュリエットは
愛して'成人'になって自身の家族を抜け出した。
だが、
家族ならば、その中でもパパならば
感情が先んじるソ・ジアンは
相変らず父の陰にある、
もしかしたら
まだ愛するには
準備ができなかった‘未成熟な存在’かも知れない。
神話の中
英雄の叙事に肉部が通過儀礼になったのは、
父が障害物になるのは
'大人としての独立'を象徴する。
そのような意味で
ソ・ジアンは相変らず
'父'の陰に置かれている。
ドラマは死んで生きてまでも
娘の将来を心配する父性を話すが、
その父性は残念な事に娘の遅滞だ。
50話でソ・ジアンが見せた怒りの表出に
「いっそ別れる方がより良い」という反応は
まさに
こういう準備をされなかった愛に対する当然の反応だ。
もちろん
ソ・ヒョンギョン作家は
加害者であったソ・テスの家族を
名探偵ソ・テスを通じて'恩人'に変化させた。
そうした中で
ヘソンという財閥家は相変わらず'甲質'の象徴で堅固だ。
さらに
そのようなヘソンを出てソ・ジアンに向かって
自身が持ったものを捨てようとしたチェ・ドギョンさえ
'利己的な愛'の方式で規定する。
さらに
'胃癌末期'という設定でソ・ジアンの父は
死んで生きながらも犠牲的な父性愛の象徴に昇華される。
KBS2週末ドラマ<黄金色の私の人生>
50話でソ・ジアンの台詞は
内容上では'間違っていない'だろう。
胃癌末期の父が侮辱を受けた事の娘の怒りは正当だ。
だが、
その態度の問題が
視聴者たちを背を向けるようにしたのだ。
父ならば相変らず感情が先んじる娘は
愛する準備が出来ていないとみられる。
愛のために自身が持ったものを諦めて駆け付けた
恋人の'フィンランド行'引き止めに
相変らず怒る'自己愛'ならば、
いっそ自身の道を行けと薦めたいのだ。
愛まで障害物になったソ・ジアン、
自身の家族の中で縮こまったソ・ジアンには
まだ時間が必要だ。
ところがドラマは50話、
愛の前に勇気を出す事を待った視聴者たちには余裕がない。
だから
もう愛での‘成熟’代わりに、
各自の人生に戻れとの逆説的応援が
乱舞する事になるのだ。
ソ・ヒョンギョン作家が
<黄金色の私の人生>を通じて
絶えず批判的に提示してきた'財閥甲質'の弊害、
そして
そのような財閥家とのシンデレラ叙事の克服という
野心に充ちた試みは
残念なことに後半部に入って
作為的な‘父性愛’の強調によって方向を失ってしまう。
作家が父を健気に作れば作るほど、
娘の愛は方向を失ってしまう。
さらにもう愛の応援さえ失う状況に達した。
果たして
この様な状況を突き抜けて
ソ・ヒョンギョン作家は
週末家族ドラマの定石‘ハッピーエンド’を作って
視聴者を説得出来るのか、
でなければ
週末ドラマ初
メインカップルの別れで終えられるのか気がかりだ。
もしかしたら今
<黄金色の私の人生>が
有終の美を収めるために必要なことは
'ハッピーエンド'可否より
むしろ別れで視聴者を説得できる可能性ある叙事であるようだ。
メディアを通じて世の中を眺めます。
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