パク・シフ贔屓ぱくのしふ道

へっぽこ探偵団より愛を込めて

livedoorニュースさんより~~

2017-06-02 01:50:29 | hyororin分室

韓流スターのペ・ヨンジュン 現在の大成功ぶりに驚愕

5月31日放送の「世界カリスマ履歴ショー」(テレビ朝日系)で、

韓流ブームの火付け役となった韓国俳優、

ペ・ヨンジュンの現在の活躍ぶりが明かされた。

番組では、

かつて一世を風靡した世界の「カリスマ」の現在に

スポットを当てる中、

2002年に大人気を博した韓国ドラマ「冬のソナタ」で主演を務め、

日本でも大人気だった、ぺ・ヨンジュンの成功ぶりを、

スタジオで「履歴書」を作成して伝えることに。

番組が制作した履歴書によると、

ヨンジュンは2006年、

34歳で10億円を出資し、

芸能プロダクションを設立したということだ。

また、

韓国では芸能人が保有する株式の評価額を

集計する慣例があるとのこと。

そんな中、

ヨンジュンは2009年に、

37歳で芸能人保有株式長者1位となったそうだ。

ヨンジュンが保有する株式評価額は約13億円だったという。

さらに2015年には、

43歳で保有株式評価額が約152億円にまで膨れ上がったとのこと。

この驚きの展開に、

スタジオで番組を進行していたネプチューンの原田泰造は

「最近、ヨン様見ないなと思ってて。

何やってんのかなと思ったら、大成功してたんだね!」とコメント。

堀内健が「『冬のソナタ』がピークだったと思ったのに」と驚けば、

武井壮は「そのうち大統領とかになっちゃいそう」と

その成功ぶりに感心しきりだった。

ちなみに、

ヨンジュンの経営する芸能プロ・KEYEASTは、

韓国5大芸能プロダクションの1つで、

元KARAのク・ハラなど40人が所属しているということだ。

http://news.livedoor.com/article/detail/13141837/


ロコレさんの記事より~

2017-05-26 15:37:07 | hyororin分室

ロコレ

キム・スヒョン!研ぎ澄まされた演技力

「学校に通いたかった」

それは、2013年5月27日のことだった。

ソウルにあるメガボックス東大門で、

映画『隠密に偉大に』(邦題は『シークレット・ミッション』)の

マスコミ試写会が開催された。

キム・スヒョンは、

「芸能人でなかったら一番やってみたいことは?」と尋ねられて、

こう答えた。

「平凡に暮らせるなら、学校にきちんと通いたいですね」

このように、勉学への意欲を語った。

さらに、

撮影時のエピソードについてはこう補足した。

「現場では殴られたり倒れたりいろいろありますが、

冬だったので寒くて空気も乾燥していて、

そのせいで疲れたり(肌などが)ひび割れたりしました。

この映画で最初に準備したのはアクションでした。

撮影に入る6カ月前から、

アクションスクールに通いながら練習してきました。

初めは肉体的苦痛が続きましたが、

ある程度の水準になってきたら実戦に入るので、

そこからは本当に面白かったです。

男なら誰でもこういうことは好きなものじゃないですか」

ペ・ヨンジュンとの出会い

2013年6月30日のキム・スヒョンも忘れられない。

この日に行なわれたのは、

日本公式ファンクラブが発足したことを

記念したファンミーティングだった。

その中で、

自分がスターになるきっかけとなった

『ドリームハイ』について質問されると、

キム・スヒョンはきっぱり言った。

「まずは『ドリームハイ』という作品を通して、

韓国でも日本でも、

たくさんの方に僕を知っていただくことができました」

「ペ・ヨンジュン先輩とは、

『ドリームハイ』の撮影を通して、

少しずつ親しくなることができました。

いつのまにか僕の映像を見て

いろいろと意見を言ってくださったんですね。

『この部分はこうだったよ、あの部分はこうだったよ』と

指導してくださいました。

それが『太陽を抱く月』まで続きまして、

いろいろな意見を聞かせてくださってよかったです。

本当に感謝しています」

ペ・ヨンジュンと出会ったことが、

キム・スヒョンの俳優人生にはとても大きかった。

「やらなかったら後悔していた」

さらには、

2013年10月5日の彼のコメントも印象深かった。

東京ドームシティホールでイベントを行なったキム・スヒョンは、

「『星から来たあなた』でどんなチャレンジをしたのか」と聞かれて、

こう答えた。

「今回のドラマで、僕は教える役柄を演じることになりました。

しかし、

誰かを教えたことがないとぎこちなくなって、

知ったかぶりのような感じになってしまうんです。

それを自分自身の宿題としていました。

すごく長い間生きている人物を演じなければいけないのが

魅力的なところだと思います」

役柄になりきることに最善を

尽くしてきたキム・スヒョンらしいコメントだった。

今回の新しい映画『リアル』では、

キム・スヒョンが1人2役で骨太の演技に挑戦している。

「この作品をやらなかったら後悔していた」

そう語るキム・スヒョン。

作品を厳選しながらストイックに取り組む彼は、

20代にして早くも大物俳優の風格を漂わせている。

http://syukakusha.com/2017/05/26/%e3%82%ad%e3%83%a0%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%83%92%e3%83%a7%e3%83%b3%ef%bc%81%e7%a0%94%e3%81%8e%e6%be%84%e3%81%be%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e6%bc%94%e6%8a%80%e5%8a%9b/


JYP物語~MI11

 

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と、冗談はさておき~~

 

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ドリハイ、連日視聴率TOPでございますです~~

 

Dreamhigh

だって、面白いですもん~~

あ、私は、放送の翌日に、あらすじを読んで、頭に叩き込み、

ようつべ視聴しています~(その労力、もっと他に。。。爆)

細かい事は分かりませんが、大筋で満足しています~

それで、物凄く驚いたのが、↓サムドン役のスヒョン君です~

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こちらの↓コスの子役時代を演じたのを見てましたから

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王子の事務所がスヒョン君をスカウトしたと知った時

凄く「先見の明」があると思ったのですが

まさか、歌って踊れるようになるとは思ってもいませんでした

他の出演者も、演技は始めてだとは思えないほど上手ですけど

スヒョン君は、本当に凄く頑張ったと思います

猛特訓したのでしょうね~

2176

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ドリハイ、確か16話でしたから、もう半分を過ぎました

来週10話は「名古屋ロケ」のシーンがあると思いますね

何故なら~~

予告編↓

1

2

言葉が分かったワケではありません~~ぶぶぶ

|

http://hyororin.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post.html

あははははははは~~爆~~

いつ拝見させて頂いても

楽しくて素晴らしい~~~~

もち子社長最高傑作hyororin-ペヨンジュン宅


ロコレさんの記事より~ヨン様記事

2017-01-23 17:44:33 | hyororin分室

15周年!『冬のソナタ』の初放送を振り返る(後編)

韓国のKBSで2002年1月14日から放送が始まった『冬のソナタ』。

視聴率が良くて上々のスタートを切った背景には、用意周到なマーケティング戦略があった。

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積極的なPR

韓国のテレビドラマの制作費は、当時は1話当たりおよそ1億ウォン(約1000万円)と言われていた。

20話のシリーズなら総額で20億ウォンというわけだ。

それがテレビ局から外注の制作会社に支払われる金額である。
しかし、制作のパン・エンターテインメントは、

オリジナル・サウンド・トラックで一定の売り上げを確保できるという予測を立てていた。

その収入をあてにできたので、予算の枠を広げて大規模な宣伝に乗り出した。
通常のテレビドラマでは例がないほど大量の広告を放ち、

街頭看板も派手に並べた。

確かに経費はかかったが、

同時間帯に放送されているライバルに勝つためにも積極的なPRが必要だった。
それが功を奏した。

しかも、

『冬のソナタ』の放送開始とともに雪が降り、

冬を舞台にしたドラマの雰囲気も大いに盛り上がった。

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毎回70分の放送枠

放送時間の延長も功を奏した。
通常のミニシリーズの1話分はそれまで60分だった。

しかし、

『冬のソナタ』は月曜日も火曜日も午後9時50分からの70分間だった。

異例の長さである。
なぜ長くなったのか。

それは視聴率競争で優位に立つためである。

少しでも放送時間が長いと、総視聴占有率が高くなるために、

発表される視聴率も高くなる。

いわば、

視聴率という数字を上げるための放送時間延長であった。
同時間帯に放送されている他のドラマも追随するようになり、

夜10時台の看板ドラマは軒並み70分ドラマになった。
もともと70分ドラマというのは、

特別企画ドラマの初回分にかぎって採用される戦略の一つだったのに、

それが標準化してしまったのである。
しかし、

毎回70分になると、制作する側の負担が大きい。
1週間に2回分120分だった放送が140分、と20分も増える計算になる。

韓国ドラマに回想シーンが多いのも、この70分ドラマが増えてから。

回想シーンを何度も流して時間を稼ごうというわけである。
もっとも、視聴者にすれば、

あこがれのペ・ヨンジュンを長く見られるわけだから、70分ドラマの反応は上々だった。

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物語の内容が一番

後に日本で放送されるときは、

放送時間の「70分」がネックになった。

日本の放送枠に合わせるために10分弱のカットが必要になったのだ。
かくしてオリジナルの韓国版とカットされた日本版は、

内容の細やかさが変わってしまった。

しかし、後にはノーカット版をDVDで見た人も多かっただろう。
とにかく、マーケティング戦略や放送時間延長が功を奏したのは確かだが、

ドラマが真の人気を得たのは、究極的には物語の内容がよかったからである。
……忘れられない初恋、恋人の事故死、10年後の再会、果たして瓜二つの男性の正体は?
この基本設定にはゾクゾクさせられた。
<一体ミニョンはチュンサンなのか。それとも別人なのか>
視聴者は不思議な思いでドラマを見守った。

次も見たい、と思わせる仕掛けに満ちていたのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)


ロコレさんの記事より~ヨン様記事

2017-01-21 21:35:00 | hyororin分室

『冬のソナタ』の続編は本当に制作されるのか

2016/12/24

 

12月21日にNHK・BSプレミアムで『冬のソナタ』を追憶する番組が放送された。

そこに登場したのが脚本家のユン・ウンギョンとキム・ウニだったが、

番組の最後で『冬のソナタ』のシーズン2の執筆を語っていた。

 

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脚本家が続編制作を明言

 

『冬のソナタ』の脚本を執筆したユン・ウンギョンとキム・ウニ。

NHK・BSプレミアムの番組に出てきた彼女たちの口から、シーズン2の脚本執筆が語られた。
前々から公表されてきた続編の制作が、いよいよ本格的に始まりそうだ。
しかし、

『宮廷女官 チャングムの誓い』の続編も

イ・ヨンエに断られてから暗礁に乗り上げている。

果たして、『冬のソナタ』の場合はどうなのか。

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初恋が再び私を呼んだら

2002年に韓国で放送された『冬のソナタ』。

大ヒットした要因の1つが

ユン・ウンギョンとキム・ウニが共同執筆した脚本のすばらしさだ。
このドラマが企画された当時、

ユン・ソクホ監督は冬をテーマに描きたいという基本線を持っていた。
冬にふさわしいラブストーリーを求めて、彼は様々な企画を検討した。
しかし、

経験豊富な脚本家が提案してきた内容案にはあまり新鮮味がなかった。

最初の脚本選びでつまづいた。
そんなときに持ち込まれたのが、

ユン・ウンギョンとキム・ウニという二人の若い女性の企画案だった。
その企画案の最初のページには印象的なキャッチコピーが付いていた。
「……けれど、初恋が再び私を呼んだら、どうすればいいの?」
思わず引き込まれる言葉だった。

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若い感性を大事にしたい

強い印象を受けたユン・ソクホ監督は、

若い二人のアイディアをじっくりと聞いた。
「高校生の男女が初恋に落ちる。

しかし、男性のほうが事故で死んでしまう。

それなのに、何年後かに初恋の男性が女性の目の前に現れる。

でも、記憶喪失に陥っていた……」
このアイディアにユン・ソクホ監督はすっかり魅せられた。
もちろん、

経験の浅い脚本家を起用することは不安だった。

ドラマ全体が台なしになりかねない危険性をはらんでいる。
だが、自分がフォローすれば大丈夫だ、と思った。
何よりも、若い感性を大事にしたかった。
若手を脚本に起用すること……この勇気ある決断が、

後にすばらしい結果をもたらすことになった。

前作を上回る傑作を!

『冬のソナタ』の制作から15年の歳月が流れた。
永遠の傑作であるだけに、続編の制作には賛否がある。
もう一度、

純粋な初恋のラブストーリーを見たいと願う人は、続編の制作に賛成だろう。

2人の女性脚本家の手腕にも期待がかかる。
しかし、

ペ・ヨンジュンとチェ・ジウというベストカップルの演技を堪能した人たちは、

手放しでは喜べない。

あの傑作のイメージを崩すような続編では困る、という心配も先立つのだ。
いずれにしても、

脚本家が明言するほどだから、続編の制作が動きだしているのは事実だ。

本気で続編を制作するなら、前作を上回る傑作をぜひ作ってほしい。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

 

 

 

15周年!『冬のソナタ』の初放送を振り返る(前編)

2017/1/17

現在、続編の脚本が執筆されている『冬のソナタ』。

ついにパート2の制作が実現しそうだ。

振り返ってみれば、永遠の傑作が韓国で初めて放送されたのが、ちょうど15年前であった。

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ライバルが強かった

韓国のKBSで2002年1月14日に『冬のソナタ』の第1回が放送された。

時間は、毎週月曜日と火曜日の午後9時50分からの70分間である。
放送するKBSの期待は非常に大きかったが、

視聴率の面からは苦戦が予想された。

それはライバルが強すぎたのである。
当時、

KBSのドラマは視聴率が悪く軒並み不振に陥っていたが、

特に月曜日と火曜日の夜10時台がひどかった。
当時の月・火の夜10時台は、時代劇が圧倒的に強く、

平均視聴率ではSBSの『女人天下』が40%、

MBCの『商道』が20%を記録して、

KBSのドラマはわずか6%という惨敗ぶりだった。

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視聴率が3倍近くに上昇

人気絶頂の『女人天下』は、

朝鮮王朝時代の宮廷を仕切る女性たちの壮絶な権力闘争を生々しく描いた時代劇である。

一方の『商道』は、

朝鮮王朝時代に実在した巨商の波瀾万丈の生涯を綴った作品。

ベストセラー小説をテレビドラマ化したものだ。
当時、

韓国の固定視聴率は65%と言われていた。

『女人天下』と『商道』で60%をあげていたので、残りは5%前後しかなかった。
しかも、

『冬のソナタ』は視聴率の数字を取りにくい恋愛ドラマ。

果たしてどの程度の視聴率をあげられるかがKBSも不安だった。
しかし、

『冬のソナタ』は強かった。
第1回の視聴率が16・3%。

前週までは平均6%の時間帯だったのに、一気に3倍近くまで上昇させた。
そのあおりをもろにくらったのが『女人天下』だった。

平均40%の視聴率だったのに、一気に31・7%まで下落した。

『商道』のほうは前週とほとんど変わらない20・1%だった。
要するに、

『女人天下』が描くドロドロした女たちの争いに一喜一憂していた女性たちが、

一転して高校生たちの純愛物語にシフトしていったのである。

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驚異の1000万件

『冬のソナタ』の視聴率は上昇を続け、第4話は20%を超えた。

それによって、一時は50%を越えたこともある『女人天下』は29・2%となり、

ついに30%を割り込んでしまった。
『冬のソナタ』も特別に高い数字というわけではないが、

それまでのKBSのドラマが総崩れだったことを考えると、

期待以上のスタートを切った。
さらに、人気の凄さを示したのが、

『冬のソナタ』のサイトへの接続件数だった。
初回放送の翌日の2002年1月15日に169万件の接続があり、

以後もうなぎのぼりとなって1月29日には860万件にも達した。
あまりの多さにサイトがダウンしてしまう始末。

この異常人気に驚いたKBSはサイトの容量を増やして1000万件に備えた。
その準備が生きて、

1月末には1000万件を突破。

単一番組へのサイト件数として史上初の大台を達成した。
いかに視聴者が『冬のソナタ』に関する情報を知りたがっていたか。

そのことを端的に示す「驚異の1000万件」だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)


ロコレさんの記事より~ヨン様記事

2016-12-23 15:55:43 | hyororin分室

冬になるとやっぱり『冬のソナタ』が見たくなる

寒くなって雪が降る季節になると、またまた見てしまうのが『冬のソナタ』だ。

純愛を描いて、あれほどの傑作は他になかった。

この作品の撮影が始まったのが2001年12月12日だった。

もう15年も経っているが、

この記事では改めて当時のことを振り返ってみよう。

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美しい並木道を歩く恋人たち

2001年12月12日、

初冬の雨が降る南怡島(ナミソム)で、『冬のソナタ』の初めての撮影が行なわれた。


ロケ地の南怡島は、ユン・ソクホ監督が特に厳選した場所だ。


この南怡島はソウルの東北側60キロメートルのところにある。
ソウルから鉄道で春川(チュンチョン)方面に向かうと、

その途中に加平(カピョン)という駅がある。

そこで下車すればタクシーと渡し船で南怡島へ行くことができる。
島とはいっても、実際には北漢江の中州である。


ちょうど葉っぱのような形をしていて、周囲は6キロメートル。

美しい並木道が多いので、恋人たちの散策コースとして知られていた。


その静かな佇まいにユン・ソクホ監督は目をつけた。
中州だけに、どこにいても美しい川の流れを眺めることができる。

しかも、チュンサンとユジンが、

恥じらいながら寄り添って歩くのにふさわしい並木道が随所にあった。

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ペ・ヨンジュンとチェ・ジウ

南怡島での撮影を通して、

ペ・ヨンジュンはこのドラマにグイグイと引き込まれていった。


「ドラマの内容がとてもいいですね。

初恋の人への追憶というのは、誰にとっても大切なものだから……。

スタッフが苦労に苦労を重ねて撮影している冬の風景も、本当に美しいですね」


俳優の熱意が伝わってくるのは、監督としてもうれしいものだ。

ユン・ソクホ監督も、ペ・ヨンジュンの演技を高く評価する。


「デビュー作のときは初々しさがあった。

何年ぶりかに会ってみると、いつのまにか大人になったなあという感じ。

ようやく愛の痛みや悲しみを表現できる年になってきたと思いますね」


チェ・ジウも、活動的な女性の役をまかされて生き生きしていた。

「高校生のユジンのちょっといたずら好きな雰囲気は私によく似ています。

このときこそ、できるだけ明るい姿を見せておこうと思います。

そのほうが、あとで心の痛みが際立つはずです。

少しオーバーでも精一杯に演じます」
チェ・ジウは明るくそう語った。

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『冬のソナタ』なのに雪がない

撮影はハードだった。
ペ・ヨンジュンも音を上げた。
「もう死にそうですよ。最近は1日に2時間以上寝たことがないし、

徹夜が続くこともあります。

5日間で放送2回分(140分)を撮影するんですから。

1週間に映画を一つずつ撮るようなものですよ」


それほどきつくても手を抜かない。

ユン・ソクホ監督からOKが出ても、彼は一向に納得しないのだ。


「ちょっとセリフをかんでしまいました。もう1回お願いします」


そう言ってやり直しを申し出る。

自分に厳しいのが彼の真骨頂である。


しかし、撮影に思わぬ難題が残って、

制作陣には重苦しい雰囲気も流れた。


2002年1月14日から放送が始まるのに、

その1か月前を切っても南怡島では雪が降らなかった。
このままでは初雪のシーンを撮影できない。

幸運を運ぶ天使のような雪

「こうなったら北海道へ行って撮ろう」
そう決断したのだが、脚本のできあがりが大幅に遅れ、

北海道へ行くこともままならぬ状態になった。
「なんとか雪が降ってくれ」
雨乞いならぬ雪乞いの日々が続いた。

リミットが迫っていた。

このままでは雪のない世界で冬を描かざるをえない……。


しかし、スタッフの願いが最後に通じて、

幸運を運ぶ天使のような雪が、

2011年の年末になって大量に空から舞い降りてきた。

おかげで、思い通りの撮影をすることができた。


ドラマのタイトルバックに流れる雪のシーンの数々……。
俳優もスタッフも待望久しい雪に歓喜したが、

その喜びが、チュンサンとユジンが戯れる美しい雪の場面を一層美しく彩っていた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)


WoW!Koreaさんより~ヨン様記事~

2016-11-17 14:10:09 | hyororin分室

韓国ドラマ・韓流ドラマのWoWKorea

ペ・ヨンジュン、アイドルグループ「防弾少年団」ファンミを再び訪問

ペ・ヨンジュン、アイドルグループ「防弾少年団」ファンミを再び訪問

ヨン様こと俳優ペ・ヨンジュン(44)が、アイドルグループ「防弾少年団」のイベントを訪問した。

 「防弾少年団」は去る14日夜、公式SNSにペ・ヨンジュンと共に撮影した写真を掲載した。

「防弾少年団」は、

「ファンミーティングに来てくださったペ・ヨンジュン先輩と! 再度訪問してくださり、ありがとうございました! 」

という文章で写真について説明した。

 この写真でペ・ヨンジュンは”ヨン様印”の笑顔を見せ、

「防弾少年団」のメンバーはやや緊張した面持ちでカメラを見つめている。

 ペ・ヨンジュンが「防弾少年団」の公演会場を訪ねたのは、今回が初めてではない。

去る8月、妊娠中の妻パク・スジン(30)と共に夫婦そろって「防弾少年団」の日本コンサートを訪問。

その際も記念ショットを残しており、話題を呼んでいた。

 一方、「防弾少年団」は去る12日と13日の両日間、

ソウル市内で公式ファンクラブ「A.R.M.Y」3期ファンミーティング「BTS 3RD MUSTER [ARMY.ZIP+]」を開催した。

2016年11月15日9時30分配信 (C)WoW!Korea

Kstyleさん韓流記事より~~

2016-11-01 00:03:32 | hyororin分室

ヨン様&東方神起から始まった「韓流」「K-POP」ブーム…今後の課題とは

YONHAP |2016年10月31日18時00分

韓流は1990年代後半に韓国ドラマ、K-POPがアジア周辺国に進出したことでブームに火がついた。

2003年にヒットしたドラマ「冬のソナタ」をきっかけに、
日本列島で「ヨン様」ブームが巻き起こり、アジア市場で韓国ドラマの人気が高まった。

しかし、国境を越えて広がる韓流ブームは外部要因に影響を受けやすい根本的な弱点を持つ。

日本の右傾化と嫌韓ムードの高まりで勢いを失った韓流は、
米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の韓国配備に反発する中国でも勢いに陰りが見える。
一方で、米州や欧州、中東では新たに韓流ブームの芽が育っている。

韓流が新たな市場を開拓できるかの岐路に立っている。専門家は韓流の新たなパラダイム構築を急ぐべきだと強調する。


◇ドラマ中心の韓流から多角化を

日本を熱くした韓国ドラマブームは、
2012年にチャン・グンソクが主演した「ラブレイン」が
1話当たり30万ドル(現在のレートで3159万円) という高値をつけたのを最後に鳴りを潜めている。

「星から来たあなた」と「太陽の末裔」(原題) が大ヒットした中国でも、
時代劇ドラマ「麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~」が1話当たり40万ドルで輸出された直後にTHAAD問題が浮上した。

こうした中、米国や欧州、中東などが新たな市場として注目されている。

「グッド・ドクター」「バッドガイズ-悪い奴ら-」「応答せよ1997」などがエンターテインメントの本場、
米国にフォーマット輸出されたほか、動画プラットフォームなどを通じた韓流ドラマの視聴が新たなトレンドになっている。

さまざまな言語圏にあるファンが自ら字幕を付けネットを通じて韓流ドラマを鑑賞する姿は、
「冬のソナタ」をテレビでのみ視聴していた日本のファンの姿とは異なる。

市場の変化に伴いコンテンツにも変化が求められている。

「太陽の末裔」を手がけたKBS関係者は
「韓流がさらに飛躍するためにはより高い価値を持たせなければならない」と指摘した。

同関係者は、
「市場は多様化したジャンルと価値を受け入れようとするため、われわれもより広く深く掘り下げなければならない」と話した。


◇K-POPブーム コンテンツのあり方を見直すとき

K-POPブームは2000年代初めから半ばにかけ、
BoA、RAIN(ピ)、東方神起がアジア市場を切り開き飛躍のきっかけをつくった。

続いて、2000年代後半に第2世代のアイドルグループが
アジアを超え米国、欧州、南米、中東へと活動の範囲を広げ「K-POP」というブランドが誕生した。

特に、交流サイト(SNS) などデジタルメディアの発展に伴い
プロモーションなしでも現地の若者の心をつかめるようになった。

「江南スタイル」が動画投稿サイト「YouTube」を通じ世界的な注目を集めたほか、
防弾少年団などのグループが米ビルボードや全英チャートにランクインするまでになった。

 
ただ、依然として日本と中国市場に偏った活動は
政治的な問題が発生するたびに影響を受けやすい環境にある。

ネットやモバイルプラットフォームを通じ市場の境界線が消えたいま、
K-POPはコンテンツのあり方を見直すときだ。

業界は現地化を通じた地域別のオーダーメイド型コンテンツでありながら、
世界に通じるコンテンツの制作に注力する必要があるとみている。

この過程で、K-POPを世界に広めたダンス音楽だけでなく
ヒップホップやR&B、バラードなどジャンルの多角化を図ることが求められる。

また、音楽とさまざまな文化・技術を組み合わせた融合コンテンツも
積極的に制作していかなければならない。

元記事配信日時 : 2016年10月30日11時21分記者 : 聯合ニュース


ロコレさんの記事より~ヨン様記事

2016-10-25 14:16:59 | hyororin分室

父親になったペ・ヨンジュンの今後は?

2015年7月に結婚したペ・ヨンジュンとパク・スジン。

この夫婦が2016年10月23日に男児を授かった。

ついにペ・ヨンジュンは44歳にしてパパになったのである。

今後の彼は、我が子の父親としてどう活動していくのだろうか。

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40歳なかばにして父親に!

1996年、まだ24歳だったペ・ヨンジュンはドラマ『パパ』で、

かわいい娘を持つ父親を演じている。
そのときはあまりに若すぎて、意表をつくような役柄だったのだが、

それから20年を経て、ペ・ヨンジュンは実生活でもついに父親になった。

夫人のパク・スジンが10月23日に息子を出産したのである。
ペ・ヨンジュンの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
パク・スジンは13歳も年下。

ペ・ヨンジュンは無事に出産を終えた妻をいたわり、

40代なかばにして父親になった感慨にひたっていたことだろう。

彼が行なった具体的なこと

ペ・ヨンジュンが父親になったと聞いて、真っ先に思い出すのは、

彼が「子供たちが安心して暮らせる未来をどう作っていくべきか」ということに強い関心を寄せていた事実だ。

ペ・ヨンジュンは具体的に行動を起こしている。
それは、2010年の春のことだった。

ペ・ヨンジュンは新生児用集中治療ベッドを日本全国の8カ所の病院に寄贈した。
その頃、彼は、早期出産によって低体重となった新生児の問題に深い関心を示していた。

特に、治療用ベッドや担当医師がとても不足していることを憂慮。

そこでペ・ヨンジュンは、

新生児たちが十分な治療を受けて健康に育ってほしいと願い、新生児用集中治療ベッドを寄贈したのである。

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子供たちのために何をすべきか

ペ・ヨンジュンは、こう述べている。
「子供たちの苦しみというのは、誰にでも起こりうることでしょう。

汚染された空気や水、良くない食品や環境によって低体重児がたくさん生まれています。

その原因は私たちにあり、みんなで責任を持ってこの問題に取り組んでいきたいと思います。

多くの関心を寄せてください。そして、命をみんなで守っていきましょう」
彼は同時に、地球環境問題に深い関心を示し、未来に向けて自分が何をすべきなのかを考え続けた。
その一環として、

ペ・ヨンジュンは2010年12月14日に東京ドームで開催された、

アジアの恵まれない子供たちを支援するチャリティ・イベントに参加した。

 

彼にしかできないこと

チャリティ・イベントに出たとき、ペ・ヨンジュンはこう述べている。
「このプロジェクトは、アジアの子供たちに希望を与えるというものです。

ほほえみを届けられる意味あるスタートを切れればいいと思います」
「私は普段から子供たちや地球環境に関心を持っていました。

アジアの子供たちが笑顔を取り戻すきっかけになればうれしいと思います」
このように、未来を担う子供たちのために具体的なアクションを起こしていたペ・ヨンジュン。

そんな彼が、実生活でもパパになり、今後は我が子に理想的な父親像を見せていくことになる。
そうであるならば、ぜひペ・ヨンジュンにお願いがある。
彼しかできないことをしてほしいのだ。
それは、実業界から俳優の世界に戻り、『太王四神記』以来の主演作を撮るということである。
ぜひとも、我が息子に「お父さんは、たぐいまれな俳優であること」を示してほしいのだ。
ファンの願いも同じだろう。
父親として、新作に出るという決断をしてくれることを期待したい。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

ペ・ヨンジュン 過去への旅路〔最終回〕


WoW!Koreaさんより~ヨン様ジュニアお誕生おめでとうございます!!

2016-10-24 16:38:47 | hyororin分室

韓国ドラマ・韓流ドラマのWoWKorea

ペ・ヨンジュン&パク・スジン夫妻に男児誕生! 「母子ともに健康」

 韓国俳優ペ・ヨンジュン(44)とパク・スジン(30)夫妻に男児が誕生した。

 ペ・ヨンジュン側の関係者は24日午前、「ペ・ヨンジュン、パク・スジン夫妻が23日、子供の父・母となった」と伝えた。

 続けて「去る23日、江南(カンナム)某所で出産した。元気な男の子で、母子共に健康だ。多くの祝福をお願いする」と付け加えた。

 一方、ペ・ヨンジュンとパク・スジンは2015年7月27日に夫婦の縁を結んだ。

2016年10月24日11時55分配信 (C)WoW!Korea
ペ・ヨンジュン&パク・スジン夫妻に男児誕生! 「母子ともに健康」

 


もち子巨匠の正倉院蔵出し~~

2016-09-29 07:00:01 | hyororin分室

もち子社長の『王子』記事return~~

2014年8月29日HR掲載記事

お誕生日おめでとう!

 

王子~

王子~

王じぃ~

何度呼んでも、応えてくれないのね、、、シクシク

そんなツンデレな貴方に(違っ!爆)

はっぴばすでー!

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え~~~皆様~~~
今回で~~~何とっ何とっ
「もち子巨匠の正倉院蔵出し~~」はFinalで御座います~~
お名残り惜しゅう御座います~~
ホントに素敵で楽しくてキレッキレッのもち子社長の「hyororin-ペヨンジュン宅」http://hyororin.cocolog-nifty.com/blog/cat30896537/index.html
いつまでもいつまでも輝いてます~~
もち子社長ぉぉぉ
分室でお披露目させて頂いて本当に有難う御座いました~~
 
 

ロコレさんの記事より~「冬ソナ」ロケ地~

2016-09-28 14:45:30 | hyororin分室

追憶の中の韓国紅葉紀行1

第1回/『冬のソナタ』を彩った島

韓流ドラマの最高傑作といえば、やはり『冬のソナタ』。

このドラマには美しいロケ地がたくさん出てきたが、一番思い出深いのは南恰島(ナミソム)。

ここは、韓国でも紅葉が大変美しいところとしても有名だ。

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ソウル市民が紅葉を楽しむ島

『冬のソナタ』のメインのロケ地となった南恰島(ナミソム)は、

ソウル市民にすれば、日帰りで紅葉を楽しめる絶好の観光スポットである。

場所は、ソウルから東北方向に70キロ。

北漢江の中州にできた小さな島である。

ちょうど葉っぱのような形をしている。

島をのぞむ水辺の風景も浮世離れしていて行楽地として申し分のないところだ。

北漢江を渡る船に5分ほど乗って南恰島に着く。

すぐに島の全体を示す大きなボードがあり、いまだに『冬のソナタ』の雰囲気を漂わせている。

いかに、南恰島が『冬のソナタ』と切っても切れないかがわかる。

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紅葉の真っ盛りは10月中旬

しばらく歩くと、ドラマで見た並木道にいくつも出くわした。

あらためて、

美しい映像に残せる並木道が非常に多い島だということがよくわかった。

また、

中央広場に出ると、そこから等間隔で並ぶ銀杏の小道が通っていて、葉は見事に黄色に彩られていた。

『冬のソナタ』というドラマの中では、並木道は常に静寂の中にあった。

相手の息づかいまで聞こえる静けさが、チュンサンとユジンの愛を深めていく役割を果たしていた。

しかし、紅葉が美しい10月中旬の週末となると観光客が絶えない。

島の東側にも広場があって、家族連れが食事をしたりボール遊びをしたりしていた。

そんな家族たちを囲む紅葉の美しさ。

最高の休日だろう。

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美しいシーンの数々

そのうち、

バレーボール用のコートがある一角に出た。

ネットが古ぼけていたが、妙に懐かしい感じがした。

「ああ、ここだったのか」

途端に頭の中にあるシーンが浮かんできた。

チュンサンとユジンが、

雪が積もった上でバレーボールを楽しむ。

ボールは雪だ。

その雪が、手で打つ度に弾けていく。

本当に幸せそうな2人だった。

しかし、すぐに雪はとける。

はかない愛のように……。

それは誰にも止められない。

しばらくバレーコートのそばのベンチに佇んでいたら、

若い男女が現れて、本当にバレーボールを始めた。

しっかりボールを使っている。わざわざ持参したのだろうか。

ドラマの世界では、

10年後に再びバレーコートを見つけたチュンサンとユジンは、

高校時代のことを思い出し、

ボールを使わないでバレーボールのジェスチャーだけをする。

雪もない。

ボールもない。

しかし、あのときの2人にはかけがえのない愛があった。

美しい紅葉の中で、

印象的なシーンをいくつも思い浮かべた。

それは、本当に心地よい時間だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)


今日の「もち子巨匠の正倉院蔵出し~~」 が~~

偶然にもっ

の中ではしゃぐもち子巨匠神gif作品で~~

康 熙奉氏の今日のコラム記事を

拝読させて頂いても~

もち子巨匠神gif作品

やっぱり~~

思い浮かぶッス~~~~

Yujina

Tyu3

Nantekireina


もち子巨匠の正倉院蔵出し~~

2016-09-27 07:00:01 | hyororin分室

もち子社長の『王子』記事return~~

2013年4月23日HR掲載記事

王子~早く俳優復帰してくれないとぉ~

 

更新が無いのに訪問して下さってる皆さん

本当にありがとうございます(嬉滝涙~cryingナイアガラ級~)

萌え画像が上がってきてましたね~

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全部スキだわ~

やっぱ、本当に綺麗な男だな~ 


もち子巨匠の正倉院蔵出し~~

2016-09-26 07:00:01 | hyororin分室

もち子社長の『王子』記事return~~

2013年2月8日HR掲載記事

奥さ~~~ん!こんな記事がーー!!

 

ヨン様ことペ・ヨンジュン(41)が、米国ハワイに長期滞在中だ。

ペ・ヨンジュンは昨年12月末にコーヒーショップ事業やリハビリ治療などの理由でハワイに出国し、その後1カ月以上現地にとどまっている。

ペ・ヨンジュンが最大株主の芸能事務所「キーイースト」は、昨年6月に(株)ゴリラライフウェイと手を組み、コーヒー専門店「ゴリラ・イン・ザ・カフェ」をハワイ・ワイキキの中心街のカラカウ通りに1号店をオープンした。

ペ・ヨンジュンは現地でカフェの経営を自ら監督している。一方でこれまで先延ばしにしていたリハビリ治療も兼ねている。

ドラマや映画の撮影中に負傷した首の脊椎や肩などが完治せず、物理治療を受けながら快方へ向かっているという。

キーイーストの関係者は「当時は完治していたと思っていたが、時間が経つにつれて後遺症が表れてきた。スケジュールにおされてしっかりとリハビリ治療を受けられなかったので、暖かいところで運動したりリハビリ治療を受けたりして過ごしている」と説明した。

今年1月には会社のスタッフをハワイに招待して休暇を一緒に過ごした。

ペ・ヨンジュンはキーイーストの事務スタッフおよそ20人に5泊7日のハワイ旅行を“褒章休暇”としてプレゼントした。

およそ1億ウォン(約860万円)の旅行経費のうち、半分を会社が、もう半分をペ・ヨンジュンと所属俳優のキム・ヒョンジュンとキム・スヒョンらが折半して出したという。

キーイースト側は「マネージメント所属スタッフは俳優らと海外撮影に行く機会は多いが、事務スタッフは海外に出ることがほとんどない。

そのためペ・ヨンジュンが事務スタッフを呼んだ。水泳を一緒にしたり、スタッフにビーチ衣装もプレゼントした」と伝えた。

2011年に放送が終了したKBS(韓国放送公社)第2テレビのドラマ『ドリームハイ』に友情出演して以来、演技活動を休んでいるペ・ヨンジュンは、ドラマや映画の脚本を検討し、次回作の選定に頭を悩ませている。

所属事務所側は「キャラクターと作品が気に入れば、すぐにでも復帰するつもりだ。継続して作品を見ているところ」と明かした。中央日報

なんしか切ない。。。weep

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