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Dear wonderful world

もっと強く。

人生のおわりに

2014-10-28 22:34:19 | 日記

本当に久しぶりです。


今日も静かにだらだらと書いていきます。
はじめにどうでもいいことをおことわりしておきますが、一人称変えますね。


さて前回から今日までどんな生活を送っていたかというと、
テストの勉強をして、テストを受けて、夏休みになって、帰省して、
地元の友達と遊びまくって、戻ってきて、サークルに行って、
また遊んで、寝て、筋トレして、料理して、新学期が始まって、また鬱、って感じですね。


夏休みも終わってから1か月経ちますが、夏休みについて書きます。

夏休みは本当に楽しかったです。
やっぱり地元の友達が一番だなと思いました。
大学にもそれなりに友達はいるんですが、なんというか大学は自由すぎる分、
彼らとそんなに一緒にいる必要がなくて、それ故にそこまで深い関係にならないのかな、と思います。

高校まではほとんどいつもクラス単位で行動だったし、毎日のように部活も一緒にやってましたから。
大学みたいに「ここは何となく居心地が悪いからやめよう」っていうふうに、
いくらでも逃げ道があるわけではありませんし。

思えば高校に入ったばかりのときも、中学までの友達の方がよかったって思ってましたが、
今では高校の友達が一番ですからね。
やっぱり苦楽を共にしていくことで、次第に仲は深まっていくんでしょうね。



夏休みの間には、もう一つ出来事がありました。
祖母が亡くなりました。

僕の親戚は結構高齢なのですが、不思議と直接かかわりのある親戚が亡くなったのは初めてでした。

悲しかったです。

僕の実家は北海道ですが祖父母は大阪にいたので、年末年始と夏休みくらいしか祖母には会っていませんでした。
それでも祖母は本当にやさしくて好きだったし、尊敬していました。

最後に遺体と対面すると、本当に痩せこけていて、頬は沈み込んでいて、
ああ、これが死ぬってことなんだ、と実感しました。

それと同時に、祖母は亡くなるときに何を思っていたのだろう、と思いました。
GReeeeNの『刹那』という歌の歌詞に、

「運命だとか 人生だとか ようは最後の1秒に
笑ってたくて ただそれだけで 全て答えは自分の中」

というフレーズがあります。

こんなお葬式の最中にJPOPなんか思い出して何考えてるんだろう、とも思いましたが、
祖母は最後の1秒に笑っていられたのだろうか、どんな気持ちで人生を終えたのだろうか、
そんなことを考えていました。

祖母は僕の知っている中でも一番優しい人だと思います。心からそう思います。
いつも自分よりもひとのことを第一に考えていて、絶対に誰からも恨まれるような人ではありませんでした。

そんな祖母が最後に笑って人生を終えられたことを、心の底から願っています。


もう一つ、死の直前について。
これはこの前ツイッターでたまたま流れてきた言葉なのですが、

「『ああ、面白かった 疲れた――』って言って死ぬのが夢なんだ」

という台詞が漫画に登場するようです(何の漫画かはよく知りません)。

これを見たとき、なんだか心が震えました。まさにこれだな、と思いました。
最高に楽しくて、充実した人生を送ったということがこの上なく表されているように感じました。
楽しかった、ではなくて面白かったというところに少し人生の余裕のようなものを感じるし、
疲れた、というところにもう十分だ、ちょうどいい頃だ、という満足感を感じます。

本当に人生最後の、最高の夢だと思います。


そんなことに憧れている今日この頃ですが、後悔しない人生を送ろうというのは高校の頃からずっと思っているわけです。
でも高校時代からヘタレだった僕は、なかなか勇気も出せずに周りに流されて生きてきた節が大いにあります。
だから、いつも自分の信念のままに最良の決断をしてきたとは到底言い難いです。

それでも、今は数々の選択を後悔する気にはならないんです。
なぜかというと、それはきっと自分が運命論者だからですかね。

ことあるごとに、「あのときこうしていればよかったのかな」と思うことはあります。
例えば「、違う大学行ってた方が楽しかったのかな」とか、
「あのときあの子と付き合っておけばよかったかな」とか。

でもそういうことを考えたすぐ後に、
「どうしたって自分はこうなっていたんだろう」と思うんです。
つまり、「自分はこうなることしかできなかったんだ、これが運命なんだ」と。

歴史にたらればは存在しない、この言葉に尽きる気がします。
道はいくつもに分かれているように見えて、実ははじめから一本しかないのです。

心の芯から諦念が溢れ出ているように思えるかもしれませんが、どちらかと言えばこれは過去に対してのみ考えますし、
今や未来を良くしようと努力する必要がないとは思いません。
目の前には道がいくつもに分かれているけど、振り返ってみると後ろには選ばなかった道はなくなっている、
実ははじめからそれ以外の道は存在しなかったんだ、というふうに考えています。
実に都合がいいですね。

これもつい最近ですが、「自分はプラスの多そうな道よりも、マイナスの少なそうな道を選んで来た」
って気づいたんです。
これじゃ人生面白くないんじゃないかと。

だからそれ以降、少しずつ、本当に少しずづ、今までとは逆の道を選ぶようにしています。
いろんなところに顔を出したり、思い立ったらすぐに出かけてみたり。

これでいいんじゃないかと思っています。
いつまで続くかはわかりませんが、最期に笑って人生を終えられるように。
祖母に褒められる生き方をできるように。


それではみなさん、さようなら。

ハナミズキ

2014-07-06 19:22:16 | 日記

こんにちは、お久しぶりです。


今日は、一青窈さんの「ハナミズキ」について書きたいと思います。


この曲、なんだかとても不思議な歌詞で、どういう意味なんだろうと昔調べてみたことがあります。
そこで、この曲が9.11をモチーフに書かれた曲だと知りました。

そのときに目にしたあるブログに個人的な解釈がのっていて、とても心打たれました。
数年前のことなのでどのブログだったか思い出せないのですが・・・

以下はそのブログの記憶を頼りに歌詞の解釈をまとめたものです。


この歌詞の語り手は、妻と小さな子どものいる男性と考えられます。
そしてこの男性は、テロの現場に居合わせてしまった。

命を奪われようとしている主人公は、死ぬ前にもう一度会いたいと思いながらも、

(=どうか来てほしい 水際まで来てほしい)

子どもたちにはこれからも生きて、自分のように夢半ばで途切れることなく、夢を叶え、完結させてほしいと願っています。

(=薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように)


私が最も印象に残ったのは次の部分です。

「どうぞ行きなさい お先に行きなさい」

いくつか見たほかの解釈には上と同じように、
自分の命は終わろうとしているけど、君たちはこの先も生きて行ってほしい。
というような解釈があったと思いますが、『お先に』という部分がどうも引っかかっていました。

そこで、このブログには次のように書いてありました。

 主人公は、パニック状態にあるビルの中で、女性やお年寄りを先に避難させようと誘導しています。
 僕は後でいいから、お先に避難しなさい。


そうして、次の部分につながります。

「僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと 止まりますように」

主人公は自分の死を覚悟しつつ、いつかはこの憎しみの波や暴力の波に終わりが来ることを願っています。


このように考えると、倒壊してゆくビルの情景が鮮明に目に浮かぶようで、
さらにその中で自分を犠牲にして家族のことを想い、弱い人の命を守り、
平和への願いをかける主人公の気持ちが胸に突き刺さります。


いかがでしょうか。
こういうふうに「ハナミズキ」を聞くと、心が揺さぶられる気がしませんか。


僕は本当に戦争が嫌いです。
少しでも戦争が仕方ないと思う人は、理不尽で強大な力で命を奪われる人が何を思うか、
遺された家族が何を思うか、想像してみてほしいと思います。


以前私は集団的自衛権には反対だと書きましたが、今も変わりません。
それでもこうなってしまった限りは、安倍さんの言うようにこれが抑止力になって
戦争が起きないようになることを願うばかりです。

ただ、そのような方法でしか戦争を防げない人間の性質を悲しく思います。


果てない波がちゃんと、終わりますように。

エンターテイメントのなんと素晴らしいこと。

2014-05-31 22:55:53 | 日記

お久しぶりです。
気が向いたので少し書こうと思います。


今回の内容は、タイトルの通り。
エンターテイメントって素晴らしいなってことです。

まず、なぜこう思うかについてですが、
一つ目の記事で私が書いたことに関連します。
アーティストたちは、政治や社会なんかのいざこざを持ち込まずに、
普遍的な価値を私たちに提供してくれる。だからこそ私たちは、嫌なことを忘れて
エンターテイメントに熱中し、いつもは意見が対立する人とも感動を共有することができる。

そりゃアーティストだってたまには社会風刺を盛り込んだりもしますが、
それでも彼らは普遍的な価値を追求し続けているはずです。


要するに私、社会の喧騒にうんざりしてるんです。
ここから抜け出したいんです。
そんなときに一瞬現実から離れて、逃げる場所を与えてくれるアーティストの
みなさん、どうもありがとうございますということです。

だから私は、あんまりアーティストの方々に政治活動とかしてほしくありません。
その人の政治的意見が、自分のそれと同じか異なるかにかかわらず。
その人の作品の背景にはこういう社会状況があって、こういう思想を持つ人の
表現なんだとかいう考えがよぎるのが嫌なのです。


少し話は変わって、この前は政治とかもうどうでもいいと書きましたが、
実際のところ、私も政治について意見はあります。

直近のことでいうと、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使には反対ですし。

ここからは相当言い方悪いですがご勘弁ください。

今実権を握っている50~60歳くらいの人って、
高度経済成長の時代に生まれて、若いときにはバブルも経験してますよね。
それで勝手にバブルはじけさせて、後戻りできないほど国の借金増やして、
私たちが生まれたころからずっと日本はこんな有様です。
もちろん生きている間に戦争なんかなかったでしょう。

それを最近の若者は愛国心に欠ける、平和ボケしてるですって。
周辺諸国の状況が変わってるから、有事に備えろ。
時代が変わってるから、ほかの国の戦争助けてあげないと。
自分たちはもう歳だから戦争には行かないけど。

もちろん、理屈はわかりますよ。
仲間が攻撃されているのに、黙って見過ごすんですかってことですよね。
海外にいる邦人を、自衛隊は助けられなくていいんですかってことですよね。

それなら、国民に全部説明したうえで、信を問えばいい。

まあ私がもし投票するなら普通に反対しますけど。
だってこの世で一番戦争が嫌いだし。
すぐ戦争になるわけじゃないって言っても、少なくとも一歩は戦争に近づくわけだし。

まあ、抑止力として軍事力持とうって人の意見も一応理解できるから、
軍事力以外に何をもって隣国に対処するんだと言われたらさして良い案も思いつかないから、
国民投票で憲法変えるってことになったら仕方ないです。
無気力モードに戻ります。
戦争に行けって言われたら、黙って行って誰も殺さずに死にます。

自分を戦争に行かせた、戦争を起こした人を心の中で憎みながら。

責任逃れだと言いますか?
私は納得のいく答えがほしいです。
戦争が起こりかねないほどに、国際関係を悪くしたのは誰ですか。
無気力になるほどに、国の将来を暗くしたのは誰ですか。
少なくとも私たちの世代ではないでしょう。
でも、若い人に右寄りの人が増えてるのは怖いです。

とにかく私は、時代遅れと言われても、お花畑と言われても、
ヘタレと言われても、戦争に近づくようなことは反対です。
もし他国が攻めてきても、国のために人を殺したりはしたくない。

と、そんなことを思うのですが、いくら私がこう思ったところで、
私たちの手の届かないところで閣議決定されてしまうんです。


もう、何も期待していない。
だから私は、エンターテイメントに酔います。
アーティストと言ってますが、音楽だけじゃなくお笑いも好きです。
嫌なことを忘れさせてくれるすべてが好きです。

ちなみに私はMr.Childrenが大好きです(^^)


あとあと怖いからこういうガチな意見あんまり書くつもりなかったんですが、
すごい荒ぶって語ってしまいました。反論とかあればどうぞ。

どんなことが起こるんだろう?

2014-04-27 22:21:35 | 日記

前回、もう書かないかもといいましたが、書いてみます。

引き続き鬱な内容です。


私はこの春に高校を出て大学に入ったわけですが、
この春はいろんな思いが渦巻く季節でした。
というのも、やはり受験のことが主ですね。


私は、第一志望に合格しました。
なかなか優秀な大学、と一般的に言われている大学だと思います。
しかし合格発表の日の私の気持ちは、嬉しさ3割、悔しさ7割
といったところでした。

より詳しく言うと、一応大学に合格した喜びはありましたが、
それよりも一緒に同じ大学を目指し、私より情熱を持ち努力していた友人たちが
落ちたことへの悔しさがまさっていたのです。

自分が合格したのに素直に喜べなかった理由は他にもいくつかありました。

一つは、ともに地元を離れ、知らない場所へ行く仲間が少なくなってしまった心細さ。

もう一つは、確実に合格すると思っていた人、さらに言えば一番ふさわしいと思っていた人が
落ちてしまったことへの動揺。
うまく言い表せませんが、あの人には受かってほしかったし、受かるべきだった思います。

そして最後が、この大学が本当の第一志望ではなかったということでした。


私ははじめから地元の大学に行きたかった。
それほど向学心も出世欲もない私は、すごい大学に行きたいという思いもなく、
そこそこの大学に進学してそこそこの企業にでも就職したかった。
どちらかといえば私は内向きで冒険心もないので、地元を離れたいという気持ちも全くありませんでした。

それなのに、私は地元を離れてこの大学を受験しました。
理由は簡単、先生に勧められたからです。
高校2年生のときからこの大学を本格的に打診されていましたが、
いつの間にか逃げられない雰囲気になってしまったのです。

何度か意思表示はしましたが、きっぱりとは断れませんでした。
「この大学を嫌がる理由もないんだろ?」
そう言われると、何も反論できませんでした。

なぜ先生方はあれほどまでにこの大学を勧めたのか、
それは私には、学校の難関大合格者数を上げるためとしか思えません。
生徒の将来を考えてのことだとはどうしても思えないのです。
その証拠に、先生方は一度も私が大学を出て将来何をしたいかなんて聞いてくれませんでした。

高校生なんだからそんなことは自分で考えろと言われれば、
そうですねとしか言えませんが。

それに、もう一つ気が進まなかった理由は、この大学に入ることによって得る肩書きは
きっと私に一生ついて回り、重圧をかけてくるだろうと思ったことです。
私は何もすごくなんかない。

今思えば、自分の気持ちを貫かなかったことを後悔しますが、
そのときは拒否に伴う摩擦に抗うことの方が面倒だったのです。


とにかく周りに流される形でA大学を受験し、合格してしまいました。

合格してしまった、などと言うと落ちた人に恨まれるので、実際には言えません。
しかしそれが私の本心です。


前向きにならねばと自分に言い聞かせます。

今はまだ四月。

どんなことが起こるんだろう?
想像してみよう。

ゆめ。

2014-04-21 01:46:44 | 日記
こんな時間にブログを始めたわけですが、なぜこういう運びになったかというと、
あるブログにコメントしたかったから。
全然知らない人のブログをたまたま読んだのですが、どうしても異論があって。

そしてコメントしてから気づいたけど、コメントするのに自分のブログ持つ必要なかったのかい。

まあ、せっかくだから自分のブログも何か少し書こうかと。

特に友達にこのブログの存在を知らせるつもりもないので、
誰が読むかわからないし、誰も読まないかもしれない。
おそらく誰も読まないと思います。

ですから気楽に書いていきます。


私の自己紹介としては、この春高校を卒業して、大学に入りました。男です。
今はそれくらいにします。


まず、私の基本的な思考回路について。

何かを深く考えたとき、5分くらい考えた末にいつもおもうのは、
「これによって何かが大きく変わるんだろうか?私の行動や考えがそんなに多くの人に
影響するわけでもないし、もし仮にバタフライ効果か何かで影響したとしても、
一億年もすりゃどうせ人類なんてもういないよな。」

人類に限らない。もっと言えば、地球が爆発してなくなったって誰も気にしないし、
ていうか気にする人はいなくなるし、宇宙全部がなくなったってそれについて悩む人もいない。

だから、まじめな顔して政治だの教育だのについて論じてる人とか見ると、
「で?」
ってなります。
人間って、すごくすごく小さなものなのに、と思います。

正直政治についても自民党がやろうと民主党がやろうとどっちでもいいし、
お隣の国と仲良くしようとネットの人の望み通り断交しようとどっちでもいい。
生命が脅かされない程度になら消費税上げても法人税下げても何でもかまいません。
生活大変になるかもしれないけど、それも運命ということで。

どのみち日本はこれから衰退の一途なんでしょ。
子供は減って、お年寄りは増えて、税収は減って、社会保障費は増える。
この出生率じゃどうしようもないんじゃない?みんなはそう思わないのかな?
それからいつかは新興国も日本と同じように頭打ちになって、世界中が。

そういうことで、難しいこととか先を見据えたことはわかりません。
特に未来に希望も見いだせません。国や世界を変えたいとも変えられるとも思いません。
希望を持った人がいろいろ考えてやってほしい。
でもやっぱり、戦争は嫌だな。


だから私がしたいことといえば、今一瞬を楽しく生きることです。
言い換えれば、刹那主義ですよね。
でもなかなかこれが難しい。
矛盾するようだけど、些細なことをくよくよ考える質だし、周りをいっつも気にしてるから。
おおらかになりたいです。

あと、さっき希望がないって言ったけど、将来の夢はあります。
サービス業をやって、一人でも多くの人に一瞬でも嫌なこと忘れて笑顔になってほしい。
いろいろ言ってるけど、みんなが幸せになれば最高だとは思うんです。おそらく人一倍。
ただ、政治とか経済とか、そんな大きなスケールでの手だてなんては私には見つけられない。
できるのはせいぜいこれくらいのことだと思います。



これだけ書いたらもう書きたいことほとんどなくなってしまいました。
このブログ一回限りかもしれません。
まあ気が向いたら更新します。


ちなみに、この記事のタイトル「ゆめ。」は、
太宰治の『斜陽』で、直治の遺書の場面が明けたところで登場する言葉です。
意味はよくわかりません。どなたか知ってたら教えてください。