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Dear wonderful world

もっと強く。

「花束みたいな恋をした」制作委員会を訴えたい

2021-02-06 17:18:00 | 日記
※大ネタバレです。未鑑賞の方はご注意ください

こんにちは。
今回は『花束みたいな恋をした』を観て来ましたので、感想を書きたいと思います。

とは言っても僕、この映画の後半、特に80分〜115分くらいまでの間、ずっと頭を抱えていてスクリーンを直視できていなかったんですよね。怖すぎて。残酷すぎて。観るのが辛すぎて。一人で観に行ったんですが、「この映画を作った人たちは僕になぜこんな酷い仕打ちをするのか?こんなに気持ちを掻き乱して何がしたいのか?」ということばかり考えて悶絶していました。
「純愛モノ、美しいラブストーリーは好きです!菅田将暉も有村架純も好きです!キャピ!」みたいな軽いノリで観に行ったら痛い目観るでほんまに…特にそこの交際3年のカップルさんよ…

この映画は、1組の男女が出会い、恋に落ち、そして恋が終わるまでの4年間を描いた作品です。

ひょんなことから出会った麦と絹は、趣味が悉く一致することがわかり、あっという間に恋に落ちます。(※天竺鼠の単独に行くような綺麗な女性がいたら恋に落ちざるをえない。あのシュールさが好きと共感できる人とはもっと深く分かり合える気しかしない)
どんどんと愛を育み、就活もそっちのけで同棲を始め、フリーターではありながらも一緒に好きなことを好きなときに楽しみ、二人の世界を築いていきます。
「僕の人生の目標は、絹ちゃんとの現状維持です」と話す麦。嬉しそうに応じる絹。
これ以上の幸せはないという様子の二人。

潮目が変わるのは、両親からの仕送りを止められた麦が、生活のために就職を決めた時です。
苦労の末に就職には成功します。最初は「仕事は5時に終わる」「絵も続けられるし、絵が軌道に乗ってくればそちらに戻れる」と喜んでいましたが、そうは問屋がおろさない。

いざ仕事が始まってみると、話と違う不規則な勤務とストレスによって麦の心は枯れていきます。
絵を描く余裕がなくなるのはもちろんのこと、今まで絹と一緒に楽しんでいたものが楽しめなくなります。これめちゃくちゃわかる。仕事で忙しいと感受性もへったくれもなくなっていくんだよね。ストリートビューで大興奮していたかわいい麦くんが…。
それまで絹と一緒にこの小説面白いねって言ってたのに、『人生の勝算』なんていう自己啓発本を立ち読みし始める始末。(※ちなみに僕は自己啓発本で殴られて親を殺されたレベルで自己啓発本が嫌いです)
こうなったらそりゃ絹の心も離れる。「人生は、責任だ。」

僕が個人的に胸が傷んだのは、二人とも嫌だなと思うことがあっても、気を遣って現状を保とうと取り繕うところです。最高につまらなさそうに映画を観たクリスマスの夜、「映画面白かったね」「そうだね」という渇き切った会話。麦が絹の転職を否定したことから喧嘩になったとき、お互い少し謝った後、「お茶飲む?少し苦くなっちゃった」「これくらいの方が好きかも」なんていう上っ面だけのやりとり。あれ、これ僕の生活見られてる?っていうくらい心当たりしかない。リアリティの鬼。このあたりからスクリーンが恐怖の壁面になってきます。

極めつけは、おそらく相当久しぶりのセックスをした二人の、事後の無表情です。この後のシーンで「何も感情がないんだよね」という言葉が出て来ますが、それとリンクする場面。恐ろしいほどの演技力です。

友人の結婚式の日、二人はお互いに胸の中で別れを告げることを決意しています。
その思いを胸に秘めながら、最後の日を楽しく過ごします。
そして最後にやって来たのは二人が最初に付き合ったファミレス。この映画の一番の見どころです。
どちらからともなく別れを切り出し、絹は現実的な後処理の話をし始めた…と思いきや、麦が「絹ちゃんと別れたくない」と言い出します。いきなりどうしたとは思いますが、ここからの麦のアンチテーゼはなかなか考えさせられるものがあります。

「恋愛感情は確かにいつまでも同じではないけど、世の夫婦たちもそうだと思う。ある程度嫌なところには目を瞑りながらとは言え、家族として『空気みたいな』幸せを作ろうよ」と話します。僕はまだ結婚していませんが、現実を見るにこういった夫婦は実際多いのではないかと思います(人生の先輩、実際のところどうなんでしょう?)。
初めのうちは小さく首を横に振っていた絹ですが、麦の論に押されたのか次第に「そうだね、確かに…」と言い始めた矢先。隣の席(4年前に二人が座っていた席)に、初々しい男女が座ってきます。巡る命。ちょうど4年前の二人と同じように、これから始まる素敵な出来事への予感に胸をときめかせる彼らの会話を聞くうちに、今はもう無くしてしまったものをまざまざと見せつけられ、涙が止まらなくなってしまう麦と絹と僕(※友情出演)
もうね、このあたりは劇場のそこら中で手首から血が流されていてもおかしくないと思いました。観ているのが辛すぎる。
「こうして僕たちは、別れた。」

この映画は、先ほどの「世の中の夫婦も恋愛感情はなく、我慢しながらなんとなくの幸せを享受している説」に対して答えを出していません。夫婦の形として、賞味期限のある生モノたる恋愛感情の形として、何が正しいのかは教えてくれません。
だからこそ、「思うところは色々あるけどなんとなくこのまま結婚するのかなあ、でもそれでいいのかなあ」と思っている、少しマンネリ気味のカップルには危険なのです。この映画を観て「諦めとしての結婚」が怖くなって別れてしまうカップルも中にはいるんじゃないかと思います。

一方で、観ている途中は感情がぐちゃぐちゃになっていた僕ですが、終了後は不思議とすっきりした気持ちになったんですよね。別れた二人がなんやかんや楽しそうに過ごしているポップな後日談が緩和してくれたのか知らないですけど。

この映画の随所で出てくるAwesome City Clubがこの映画のインスパイアソングとして書き下ろした『勿忘』のMVがYouTubeにアップされていて(2021年の傑作MV暫定1位なので知らない人がいるはずはないのですが)、そのコメント欄でも同じようなやり取りをしている方がいました。




「映画見て別れを決意するカップルいそう」
「逆じゃね?もっと大切にしよって思った」

これ、どっちもわかるんですよね。この映画に辛い未来を投影してしまって別れるカップルと、こうならないように、すれ違わないようにお互いを大切にしようと思うカップル。できれば後者でありたいとは思っています。でも、そこは本当に気持ちの問題、ですからね…

長々と書いてきました。多分まだまだ重要な点があると思いますが、きりがないのでこの辺で…。

結論として、この映画は近代稀に見るレベルで胸を抉る危険な映画です。この「誰のせいでもない、必然的な流れとしてのすれ違い」は『秒速5センチメートル』を彷彿とさせます。この映画はじわじわと後半にかけて痛めつけてくるお化け屋敷で、『秒速5センチメートル』は楽しい白雪姫のアトラクションだと思ったら最後えげつないフリーフォールだった、みたいな違いはありますが。

ただ、ここまで抉られるのは当然ながら映画としての完成度が抜群に高いからで、坂元裕二のリアリティ溢れすぎる脚本と、菅田将暉と有村架純の異次元の演技力が破壊力を極限まで高めています。
ご視聴後の破局や傷心については誰も責任を取れませんのでご注意ください。

結局はみんな、幸せになりたいだけなんだよね。

それではまた、ごきげんよう。

『別の人の彼女になったよ』を聴いて胸が苦しくなる話

2020-06-12 20:40:58 | 日記
こんにちは。
コロナウィルスの影響下、皆さんいかがお過ごしですか。

今回はちょっと気になっていることについて。

少し前に流行った曲で、wacciさんの『別の人の彼女になったよ』という曲がありますね。
去年、YouTubeのおすすめによく出てきて、有線とかでもよく流れていました。

wacci 『別の人の彼女になったよ』Full Ver.

【フルバージョン公開!】SNS上などで話題の通称"ベツカノ"。歌詞の情景にホロっと泣けるエモ良い曲ここにあり。

※YouTube上の設定で...

youtube#video

 


この曲、簡単に言うと別れたカップルの女性が、しばらくして別の人と付き合うことになり、
その人と付き合っている中でも前の彼氏への想いを忘れられず、
会うわけにいかない、でももう一度会いたいという気持ちを歌った切ない一曲です。

女性目線で、前の彼氏と今の彼氏の違いが語られていて、
少しガサツで喧嘩もしたりするけど、人間味があって、
何より、前の彼氏の前ではありのままの自分でいられたということに気づき、
そういったことの大切さが共感を呼んでいるのだと思います。

ただ、タイトルにある通り僕がこの曲を聴いて胸が苦しくなるのは、
「新しい彼氏」の方に感情移入してしまうからなんですよね…
もしかしたらそういう方、結構いるんじゃないかと思います。

というのも、この「新しい彼氏」、
「余裕があって」「大人で」「本当に優しくしてくれる」
「どんなことにも詳しくて」「本当に尊敬できる」
と、あらゆる面で褒められます。おまけに、
「キスや態度だけで終わらせたりせずに、ちゃんと好きだと言う言葉でくれる」
ときたもんだ。これ、めちゃくちゃ大事ですよね。
女性にとって、愛情表現の言葉っていうのは、
男に対するそれよりも何倍も重要度の大きいものだと経験的に思っているので…
そこもバッチリ押さえてる。大したもんじゃないか。

じゃあ、何が不満なのか。
「あなたみたいに一緒にフェスで大はしゃぎしたりしない」
「映画見てても私より泣いてることなんてない」
と、前の彼氏に比べて感情の発露が抑え目なようで、
大人であることの裏返しとも言えるかと思いますが、さらに
「(私が愚痴を言うと)少しだけ叱られてしまう」
「夢や理想とかを語ることが嫌い」
「ちゃんと現実を見て、正しいことしか言わない」
その結果、私は
「さらけ出せず、大人しくしてる」
というのです。

おわかりかと思いますが。
一言で言うと、この男、「つまんねぇ男」なんですね。

あーーーしんどい。

新しい彼氏、何にも悪いことはしてないんですよね。
地に足ついた生き方してるのはむしろ良いことだし、
しかも彼女のことちゃんと大切にしてるのもよくわかる。

それでも彼女は、前の彼氏に会いたいと思うんです。
現実的な、いろんな優れた面を持っている彼氏であっても、
やっぱり「つまんねぇ男」だと耐えられないんですわ。
前の彼氏の方が「しっくり来る」んでしょうね。

そして個人的に、僕は完全に「つまんねぇ男」側の人間です。
そういう人って、できるだけ彼女のためにベストを尽くそうとするし、
周囲からも「ちゃんとしてるし、良い彼氏、旦那さんになりそう」なんて言われるけど、
深く付き合うとどこかで女性の方が物足りなくなってきて、
最終的に浮気されたり、冷められたりするんですよね。

結局のところ、相性、これに尽きるんでしょう。
「つまんねぇ男」で満足してくれる女性というか、
つまんねぇ自分の中にもおもしろさを見出してくれる、
そして自分も相手に対して見出せる存在に出会うしかないんですね。
それまでに、他の人よりもちょっと「ちゃんと尽くしているのに報われない」っていう
経験を多めにする運命であることは覚悟しなきゃいけないんでしょう。

そんな女性に対して恨み言を言ってるわけじゃないんですよ。
そういうものですから。誰も悪くない。
歌の中でも、何度も「ごめんね」って言葉が出てきて、
自分の気持ちが勝手なものであるという自覚があるからこそ、揺れ動くんです。
どうしようもないことなんです。気持ちに嘘をつくのはしんどいですから。

でも、そういう種類の男もいて、一生懸命生きてるんだよーってことだけ、
心に留めておいてもらえたらなって思います。

wacciの『別の人の彼女になったよ』
一つ一つの描写が的確で、進行もシンプルかつエモーショナルで、
とても良い曲ですね。もしまだ聴いていない方はぜひ。

それではまた、ごきげんよう。

新しく生まれる命について。

2015-12-12 00:01:13 | 日記

こんばんは。
前回からあまり間が空いていませんが、書きたいことができたので。


今回は、ドラマ『コウノドリ』を見て思ったことを書きたいと思います。

前回あの花について書いたときと同様、レビューというわけではなくて、
僕が考えたことをただ書いてみるだけなので、レビューが読みたい方はすみません。


とは言っても、ある程度感想から入りたいと思います。

ドラマ『コウノドリ』、鈴ノ木ユウさんのコミックが原作の、産婦人科が舞台のドラマです。

僕は主演の綾野剛さんが結構好きで、他にも星野源さんとか松岡茉優さん、吉田羊さんなど、
好きな役者さんがたくさん出ているので見始めました。

もともとは医療系のドラマとかあんまり好まなかったのですが、
このドラマは見るたびに感動して涙がじわーっと出てきてしまいます。

いろんなサイトの感想でも結構高評価みたいです。すごく納得できます。

綾野剛さんのひたすらに優しい語り口と、リアルに描かれる出産シーンと、
あとやみくもに奇跡ばかり起こらないのもリアリティがありますよね。
今日の放送が終わって、最終回を残すのみとなってしまいました。名残惜しいです。


それでは早速ここからドラマの中身とはあまり関係のないことを。早い。


いきなりですが、僕は今まで、なぜ人は子どもをつくるのか、理解できなかったのです。

そりゃ生き物が子孫を残そうとするのは当たり前でしょ、ということにもなりますが、
人間には理性があります。本能だけで生きているわけではありません。

場合によっては、というかとても多くの場面で人間は、本能を理性が上回り、他の動物には取りえない行動を取ります。
その理性の働きによって、人間は子孫を残さないという選択をしうるわけです。

ですから、人間は子孫を残すかどうか、自分で考えて決めることができるので、
そうであれば僕は子どもは作らないかな、と思っていたのです。


というのも、この世の中に生まれて楽しいのか、という想いが先行してしまって。
どう考えても今の日本は衰退に向かっています。
僕だって日本は好きですが、客観的にみて、今の日本は輝かしい未来へ邁進している、とは言えないと思います。
GDPで見てもそうですし、何より人口が減っている。
出生率が今1.4くらいですから、どう考えても増えようがない。
人口ピラミッドはきれいな逆三角形になっています。
このペースで人口が減る中で、繁栄するなんてちょっと無理な気がします。

それに、確かに今の日本はモノは豊かですが、皆がのびのびと生きがいをもって暮らせるような
世の中かというと、そうとは言い切れないような気がします。

そんな息苦しい、将来も見えない世界に産み落とされる赤ちゃんが、かわいそうなんじゃないかって。

好きな人と幸せな家庭を作りたい。好きな人と結ばれた証を残したい。
自分が叶えられなかった夢を叶えてほしい。老後、寂しくないようにいてほしい。
それって、全部生む側のエゴなんじゃないかって思っていました。

実際、これは一番親に対して言ってはいけない言葉だと思いますが、
「生んでくれなんて頼んだ覚えはない」、そうも思っていました。

親のエゴによって産み落とされ、そのせいでこの世界に直面し、苦しまなければいけない。

それなら僕は、極端な言い方をすると、「この世界に苦しめられる被害者」を、
増やしてはいけないんじゃないか、と考えていたわけです。


それじゃあ、このドラマを観て、どう考えが変わったかというと。

正直言って、なぜこの辛い世の中にあって子どもをつくるのか、その答えはわかりません。

でも、『コウノドリ』に出てくるお母さん、お父さんの様子を見て、
その問いを超越する何かがあるんだろうなあ、ということをぼんやりと感じました。


ここから少しネタバレが入りますので気を付けてくださいね。

何話かは忘れましたが、小栗旬さんがお父さんとして出演する回です。

もうすぐ生まれそうな赤ちゃんをおなかに抱えたお母さんが、交通事故に遭ってしまいます。
それによってお母さんは意識不明となり、まあ詳しい話は覚えていませんが、
母体の命を救うか、赤ちゃんを救うか、その二択をお父さんが迫られることになります。

悩みに悩んだ結果、お母さんが以前、赤ちゃんのことを
「自分の命よりもたいせつなもの」
と言っていたことを思い出したお父さんは、赤ちゃんを選ぶ決断をします。

そうして赤ちゃんが生まれ、お母さんは死んでしまいます。


この話を観たとき、すごく心に響くものがありました。
上で挙げたような親のエゴは、自分が死んでしまっては意味がありません。
それなのに、自分の命を犠牲にしてまで、赤ちゃんが大切、というのです。

なぜなのでしょう。

でも思えば僕は、その回を観たとき、何の違和感も覚えませんでした。
その言葉や選択は、いたって自然なことに思われたのです。

それは、語るお母さんの表情にあふれる幸福感や、何か「母性」というものを感じたからかもしれません。

その回以外にも、無事に生むことができたお母さん、生めなかったお母さんがたくさんいます。
それを観ていると、本当に、そのときにならないとわからない気持ちが、きっとあるんだろうなあ、と思います。


僕の疑問に対して、全然形のあるものではありませんが、
本当にぼんやりとした形で、何かを教えてくれているような気がします。

子どもをつくるということは、そう単純なことではないんだと。


今回はいつもと違う文なので、どうも良い締めくくり方が思い浮かびませんが、
とりあえず、『コウノドリ』最終回、楽しみにしていたいと思います。


それではみなさん、ごきげんよう。


不幸せであること

2015-12-01 00:28:29 | 日記

こんばんは。
しばらく忙しくて書けませんでしたが、ひと段落ついたので少し。

今日は、不幸せであることという題です。
あまり長く書くことはないと思いますが、お付き合いください。


皆さんは今、自分が幸せだと思うでしょうか。

僕は、そうでもないです。

なぜかということはよくわかりません。
中学校から地元の結構いい高校に行って、
部活もやって、友達もたくさんできて、ちゃんと勉強して、
東京の良い大学に行って、そこでもまあまあ友達もできて。
家族にも何も問題はなく、お金がないわけでもない。

あとはまあ、今恋人がいないことくらいを除けば、傍から見れば順風満帆と言っても差し支えないでしょう。
実際、人生楽しんでるよね、なんて言われたこともあります。

それなのに僕はなぜ幸せではないのでしょうか。
理由はわかりません。ただ、自分が幸せと思えないから、幸せじゃないのです。

幸せっていうのは、決して相対的なものではなく、完全に主観的なものなのです。

一般的に見て恵まれているから幸せなんてことはなくて、
本人が幸せと思わなければ幸せではありません。


さてここで。今回はいつものひたすらに鬱な記事とは違います。
普段より少し精神状態が良い今を利用して、なぜ自分が幸せと思えないか、少し考えてみました。
自分を客観視できる今のうちに、いろいろなことを書き留めておきたいと思います。


さて、なぜ自分が幸せと思えないか考えた一つの答えが、
僕は不幸せを常に探している可能性があるな、ということです。
そんなことする理由は何なのか、というのが次の疑問ですが。
それは、おそらく不幸せであることが自分のアイデンティティになっている、
あるいは、不幸せである自分が好きだという、強烈な自己愛の裏返しのような気がします。

僕は控えているつもりですが、よくありがちな例として、
Twitterなどでの非リアアピールなどもその一つなのでしょう。

このような心理に陥る理由としてパッと思いつくのは以下のようなものです。
・共感を得られる手段としては手軽で、妬まれる心配もなく安全なものである。
・今の自分がパッとしないことを自ら先手を打って言ってしまうことで、他人から指摘されることを避けている。
・こういう状況だからうまくいかなくて仕方ないという、自分への言い訳をしている。
・あるいはもっと幼児的な、自分かわいそうでしょ、といったかまってちゃんな精神の現れである。

非リアアピールの理由に関してはもっと掘り下げればいろいろある気もしますが。
とりあえず、それがTwitterのように外に発露してしまうような人もいるし、
僕のように自分の中だけで、ああ自分かわいそうだな、
というように自分を慰めるような人もいるのでしょう。

いずれにせよ、自分は不幸せであると思い込むことは、楽をする方法なのです。
自分が幸せだという状況を維持するのには努力が必要だったりしますが、
もともと不幸せだということにしておけば、うまくいかなくても大して変動はないのですから。

その楽さを求めるがゆえに、現実との整合性を確かめるために不幸せを探すのではないでしょうか。


しかし、だからといって、そんなの当人の努力不足じゃないか、心がけひとつじゃないか、
というようにすぐに治せるようなものではないように思います。
一旦染みついてしまった思考回路は、そう簡単には戻せないのです。

聞くところによると、一度ネガティブな思考回路を身に付けてしまった脳は、
形が変わってしまうということです。
まあ変形するというのは何かの比喩かもしれませんが、
ネガティブな人がポジティブにすぐに変われるなんてことはないようです。

ここから先はどうしたら良いか僕にはわかりません。

いつかポジティブになれる日が来るといいなって感じです。
少しずつ努力はしたいと思っています。


みなさんの中にもこんな状況に該当する方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
もし、こうやって抜け出したよ、というのがある方は、教えてくださるとうれしいです。


いつかポジティブになってお会いしましょうね。
それではみなさん、ごきげんよう。

作家、三秋縋さんについて。

2015-10-16 23:52:39 | 日記

こんばんは。

今回は少しいつもと違ったテンションです。
というのも、いつもは1か月くらいの間に書きたいことがだんだん溜まって、
ある程度まとまってから、よし書こう、となるのですが、
今回はこれ以外の全てのことに対するやる気をなくしてしまったから書いているのです。

つまり、今回はいつもよりグダグダになるでしょう。


ところで、このブログも始めてから1年半くらいが経つのですが、
いつの間にか閲覧数が2000を超えてるんですよね。
1年半で2000って実際だいぶ少ない方だとは思いますが、
僕が考えた適当な文章が、しかもリアルの世界では絶対に言わないような本音が、
2000回も人様の目に触れているなんてとても不思議な感じです。

大抵は別に読むつもりもないのに間違えて入っちゃったような感じだとは思いますが、
中には何度か読んでくださっている方とかいるんでしょうか。

何か感想とかあれば気軽に書いていただいて結構です。
「誰に見られようと見られまいと気にしてない」みたいな顔してても、
一人でノートに書いておけばいいようなことをインターネットに発信している時点で、
相当の自己顕示欲はあるのですから。


さて、今回は最近好きな作家さんについて書くことにしましょう。
当たり障りないですね。

とりあえず書いてみましょう。


今すごくはまっているのは、三秋縋さんという作家さんです。
この作家さんは1990年生まれということで本当に若くて、
僕と5つしか変わらない、ほぼ同世代みたいなものですね。

もちろんこれだけ若くてまだ著書もそれほど多くないのですが、
どういう経緯で知ったかというと、この方、Twitterがとてもおもしろいんですよね。

一度たまたまリツイートされてきたものを見て、
あ、すごく共感できるな、と思ってフォローさせていただき、すぐに本も買いに行きました。

比較的中高生向けのファンタジーも多いメディアワークス文庫からの出版なので、
一見そういう軽めの本かなとも思いますが、本当におもしろいです。

確かに文章もストーリーも平易ですし、誰でも読みやすいと思います。
ただ、この本にここまで共感できる層は結構限られてるかなあ、とも。


今出版されているのは5冊あって、どれも設定は違うのですが、
根底にある世界観は全て共通しています。
それを最も端的に表しているのは、
『いたいのいたいの、とんでゆけ』のあとがきにあるこの言葉でしょう。

<落とし穴の中で幸せそうにしている人>が描かれた物語

ということです。どういうことかわかりますか?

少しネタバレみたいになるかもしれませんが、多少は大丈夫でしょう。
これまでに発売されている物語の主人公は全て、人生が全くうまくいっていない青年です。
それぞれの人生の「落とし穴」にはまってしまったのでしょうね。

そんな中でも、同じように「落とし穴」にはまった女性と出会い、「幸せそう」になるのです。

ただ、この「幸せそう」も、もしこれが俗に言う「リア充」のような幸せだったら、
僕も全く読む気なんかしませんよ。
それはやはりお互いに「落とし穴」の中ですから、
どこかくすんだような、切ないような、
そうですね、表情で言うと「泣き笑い」のような感じでしょうか。

お互いに最高に不遇な人生の中で、世界に絶望しながらも(この表現に関しては少し語弊があるかな)、
二人で肩を寄せ合って、静かに、目を瞑っているような。

そんな感じの幸せに思えます。

これが僕の心に完全に合致してしまって。

随所にその世界観から生まれる表現が僕の心に刺さるものですから、
全く飽きることなく一気に読めてしまうのです。

僕が初めて三秋縋さんの作品『スターティング・オーヴァー』を手に取ってから
まだ2か月くらいしか経っていませんが、あっという間に5冊全て読んでしまいました。

なぜ僕がここまで共感してしまうのかは謎です。
でも、思えば小学校に入るか入らないかくらいの小さい頃から、
くすんだ美しさだとか、美しさの中の儚さのようなものが好きだったような気がします。
幼稚園のときからピアノを習っていたのですが、その頃からそんな曲が好きでした。


まあ僕の話は今回は良いとして、とにかく三秋縋さんの作品には共感が止まりません。
価値観が合致しすぎて、僕自身が書いたのではないかと思うくらいです。


さっきは共感できる層が限られてるかも、と書きましたが、もしかしたらこの価値観って、
今の日本に住む若い世代なら結構共通しているのではないかな、とも思い始めました。

圧倒的な閉塞感と、漠然とした不安と、少しの幸せと。

そんなことを感じている人たちには結構合うかもしれません。


少しでも気になったら、一度手に取ってみることをお勧めします。
そんなに長くないですし、気軽に読めますので。
ただ、『三日間の幸福』のラストを読むと、
僕は電車の中で顔がくしゃくしゃになったので気を付けてください。

あと、三秋縋さんはインターネット上で「げんふうけい」という名前で作品を書いていらっしゃるので、
本はまだちょっと、という方はそちらを読んでみてはいかがでしょうか。



適当に書きはじめた今回でしたが、ちゃんと好きな作家さんの紹介ができてよかったです。
それではみなさん、ごきげんよう。