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Dear wonderful world

もっと強く。

輝き

2015-03-09 00:43:11 | 日記

こんにちは。
前回はタイトルをつけ忘れててどうもすみませんでした。

ということで懲りずに今回も書いていきたいと思います。

今回は、「老い」について若造の意見を書かせていただきます。


まず、はっきりと言うと、僕は老いを恐れています。

その理由は、輝きが薄れていくような気がするからです。
さらに、時代が様々な新しいものを生み出し続ける中で
自分がそれについていけなくなるのが悲しいからです。

他にも老いを恐れてしまう理由は山ほどありますが、
老いを歓迎する理由はどうも思いつきません。


今回このことについて書こうと思ったきっかけは、祖父の姿を見たことです。

先日、親戚が集まって一泊したんですけど、
祖父はもともと自他ともに認める昔人間であった上にだいぶ頭の方も弱ってきているようで、
頑固で封建的な性格がもはや病的なくらいになっていたんです。

それが原因で、その日の夜、祖父と娘、僕からすれば叔母にあたるわけですが、二人が大喧嘩をしたのです。
だいぶ難しくなっている祖父の生活を叔母たちは精一杯世話しているのですが、
祖父は叔母の言葉尻を捕まえて「おまえは親を敬っているのか」
なんて言ったりして。
叔母からすればこれ以上ないほどの献身をしているのに、
本人からそんな風に言われたことが悔しかったんでしょう。

まあ普通に考えて祖父が悪いんですが、それで僕が祖父が嫌いだってことはありません。

夏に祖母に先立たれて一層弱弱しく見える姿や、
たまに見せる笑顔や寂しそうな表情の一つひとつが、人間らしさや切なさを感じさせて、
なんだか愛おしくてこの人にどうか不幸なことが起こりませんように、なんて思ってしまうんです。


とりあえず祖父のことはこれくらいにしておいて。



僕はあと3、4か月で10代を終えて成人します。
それが本当に嫌というか、悲しいというか、そんな気持ちなのです。

もしかしたら前にも書いたかもしれませんが、
僕は高校2年だった1年を上回る最高の時代はもう訪れないだろうと半ば確信しています。

あの頃は僕も輝いていたし、周りのみんなも輝いていた。
最高に楽しい仲間がいて、かわいい女子がたくさんいて、部活にも行事にも打ち込んで。
まあそのときはそのときで悩みを抱えてはいましたが。


僕の一番好きな本である村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の中に、
こんな言葉があります。


私の人生の輝きの九十三パーセントが前半の三十五年で使い果たされてしまっていたとしても、それでもかまわない。私はその七パーセントを大事に抱えたままこの世界の成り立ち方をどこまでも眺めていきたいのだ。


僕はまだこの人物の半分くらいしか生きていませんが、
もう既に人生の輝きの大部分を使い果たしたんだろうなあ、と思います。

高校や大学までは、イベントと言ったら軽いですが、大きな変化や出会いが多いですよね。

でも大人になって社会に出たら、これまでとは比べ物にならないほどの長い期間、
同じ環境で同じ毎日を繰り返すことになる。かもしれない。業種によっては。

一方で若者たちは、毎日毎日新しい人に出会い、新しいものを生み出し、新しい自分に変化していく。
それを傍目に見ながら僕は歳を重ねていける気がしないのです。
どうしても彼らを羨んでしまうんだろうなあ、と思います。

このことは僕は中学校のときから思っていて、
先生には「今はそんなこと気にせずにひたすら前に進みなさい」
という言葉を頂いたのですが、どうしても考えてしまうんですよね。

確かに社会に出てもいろいろな道があって、常に新しい出会いをしている方もいらっしゃいます。
それでも僕はあの頃ほどの輝きは得られないだろうなあと思うし、
じゃあ人生の輝きって何なの?と聞かれてはっきりと答えることはできなくても、
僕の中では「若さ」に関連の深い何かだと思っています。



と、まあ、もっといろいろ思うところはありますが、
ざっとこの辺が19歳の小僧の考えていることです。

もし人生の先輩で僕を導いてくださる方がいらっしゃいましたら、お願いします。



それではみなさん、ごきげんよう。

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2015-02-23 23:04:03 | 日記

お久しぶりです。

テストも終わり春休みに入っております。
ということは、大学での一年目が終わろうとしているということです。

そこで、今年一年で自分がどう変わったかということを考えてみたいと思いまして。


絶望的な書き方をすると、
自信を失って、卑屈になって、
体力落ちて、大切な時間を浪費して、
夢を忘れて、優しさをなくして、
心が歪んで、人を嫌いになって、

こんなところですね。
でも嘘は一つもないです。

まあいいところもあったんじゃないですかね。
今年一年は僕の人生の中で間違いなく一番多くの人と出会った年になりましたし、
新しい場所で生活して、いろいろなことを知ることができました。
それに思い通りにならないことに直面して自分を鍛えることもできました。
あとは、水垢のついた排水口も素手で洗えるようになったとか。

とにかく、4月はやっぱり新生活を始めるにあたって、
色んなことに挑戦しようとか、新しいところに行ってみようとか、
それなりに思ってたわけですね。

だから、内向的な自分にしては頑張って、
色んなサークルに参加したり、バイトを始めたりしたんです。
本当に自分なりに頑張ったと思う。


でも最近、こうも思ったんです。
辛いこと全てから逃げて生きていたらへなちょこになるのは当たり前かもしれないけど、
辛いことが多ければ多いほど強くなれるかっていうと、
そうでもないんじゃないか、って。
わざわざそんなに自分を苦しめる必要はないんじゃないか、じゃあ逃げよう。
と思ったんですよね。

ストイックに、最後まで逃げずにやり遂げなければいけない、
みたいな風潮はありますけど、
そうしたからといってその分強くなれるとは限らないし、
全ての楽しみを犠牲にして壊れてしまってはいけないのです。


僕は中学生のとき野球部だったんですけど、
本当に練習がきつくて、怒られるのが嫌で、
何回か仮病を使ったことがあったんです。
でもそのあと少しすると、ずるい手を使って辛いことから逃げている自分が本当に嫌になって、
僕はもう逃げないぞ、嘘もつかないぞ、って固く決心したんです。

それ以来高校でも、すごく嫌な先生がいても皆勤賞だったし、
本当に無理なとき以外部活も休みませんでした。
いわゆる、頑張ってたんです。

それで僕はどうしたかったのか?
僕は何も主体的に選んでなかった。
周りにやれと言われたことだけを、がむしゃらにやっていた。
自分が本当にやりたいことを止むに止まれず頑張ったわけではなかった。

そんなことを頑張ったところで、何になるんでしょう。
自分の望まないところに流れ着いて終わりでした。

それならあの努力は、苦労は、何のためだったんだろう?
残念ながら、そう思ってしまいますよね。

まあ先のことなんてわかりませんから、
もしかしたらこれから何かに繋がるのかもしれませんが、
自分の納得のいく人生を歩めている気はしないんです。

じゃあ、やりたくないことなんかやめて、
自分のやりたいことを見つけたい、そう思いました。

そのやりたいことを見つけないことには何も始まらない。

何をやるか周りに決められていた高校までとは違います。
自由は手元にあるけど、それを自分のものにするには大きな力が必要です。


与えられた期間はあと3年です。
進むべき道を見つけ、邁進できたら幸せです。


ちょっと自分でも何言ってるかよくわかんなくなりましたが、
みなさんごきげんよう。

思い出、音楽、生きる力

2015-01-09 20:18:46 | 日記

こんばんは。
新しい年になりましたね。
今年もみなさんにとって良い年になるといいですね。

さて今年の一回目の更新ですが、別に新年の抱負とかを語るわけでもなく、
いつもようなテンションで行きましょうね。


今回は、僕の思い出と音楽について書きたいと思います。

僕は前にも書きましたが、音楽が大好きなんです。
音楽といってもほとんど邦楽しか聴きませんが。
ウォークマンに入っているのはビル・エヴァンスのジャズピアノ以外全部J-POPなんです。

そんな風にやや偏ってはいますが、僕の生活にとって音楽は欠かせないものです。

今回言いたいのは、思い出と音楽って結びついていませんか、ということです。

僕は過去に相当固執してしまう性格なのですが、実際のこととなると
そこまで多くの思い出を鮮明に思い出せるわけでもないんですよね。

でも、いくつかの思い出は、音楽と結びついて鮮明に思い出せるのです。


スキマスイッチの「アカツキの詩」を聴くと思い出す、小5の初恋。

EXILEの「your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~」を聴くと思い出す、
何も考えずにただただ遊んでいた中1の冬の日の帰り道。

Mr.Childrenの「HERO」を聴くと思い出す、中3の受験勉強。

aikoの「KissHug」を聴くと思い出す、高3の夏に僕に告白してくれた女の子。

アジカンの「ソラニン」を聴くと思い出す、大好きな地元との別れ。


ほとんどその曲が流行った年代とはずれていますが、気にしないでくださいね。

なぜこの曲たちが深く心に刻まれているのかはよくわかりませんが、
ふとしたときにこの曲たちを聴くとその時の情景が鮮やかに蘇ります。

僕はこの通りネガティブな人間ですから、いつでもしょんぼりしているし、
常に生きることに疲れているのですが、こうした思い出を思い出すと、
これまでの自分の人生もなかなか悪くなかったな、
もしかしたらまだいいことが起きるんじゃないかな、と思えてきます。

これからも、ゆっくり、ゆっくりと呼吸を続けていこうかな、と思えるのです。


これも前に書いたことですが、
僕は、どんな人も、どれだけすばらしい(といわれる)人も、
生きる意味なんてあるのか怪しいものだと思っています。

だから将来に希望というものを見出せずにいるし、よく死にたくなってしまいます。

それでも音楽に彩られた思い出が僕の周りに現れると、その病的な考えは少しの間姿を消して、
生きる気力、とまではいきませんが、ちょっとだけ前向きな気持ちになれるのです。


ですから、本当の意味で僕は音楽なしには生きられないのかもしれません。


僕は今も音楽を聴いています。
何か素晴らしいことが起きて、将来音楽と一緒に思い出せるように。

これからも僕の生きる力になる思い出が増えていくといいな、と思います。


みなさんのもとにも、音楽が素敵な出来事を届けてくれますように。


それでは、ごきげんよう。

クリスマスに寄せて

2014-12-23 21:58:04 | 日記

こんにちは、もうすぐクリスマスということで。

クリスマスと言ったらロマンチックなイメージがあるわけですが、
そもそも昔はそんなにクリスマス=恋人たちの日というわけでもなかったようですね。
どこかの記事で見たのですが、松任谷由美さんの「恋人がサンタクロース」や山下達郎さんの「クリスマス・イブ」
などの歌が出てきたあたりからそういう風潮が出てきたとの分析でした。

そんな中、世の大学生の多くはそれに憧れつつもできずにいるんですね。
僕の周りですと、実感としては実現できる人は半分もいないような気がします。
やはり若者の草食化は相当なものがあると思いますね、
などと自分のことは棚に上げて言ってみるのです。

僕だって決してゲイとかそういうわけではなくて、女の子と過ごしたいなあという願望はあります。
でもそれができないのはなぜでしょうね。
彼女すぐできそうなのにね、とも言われるし、自分のことを良いと言ってくれる女の子もいますが、
所詮そこまで、何か発展するということはないのです。

明らかに拗らせている。過去に原因がある。

まあ僕自身のことなんか書いてもみなさん僕のことを知らないですし、
特になんとも思われないでしょうからやめておきます。
いつか昔話をしたくなったら書きます。


ということでクリスマスを前に思うことは、やっぱりみんな幸せになるといいなあ、ということです。

みなさんは、NHKの「72時間」という番組をご存知ですか?
これはある場所にカメラが72時間密着してそこを訪れる人々に話を聞く、という番組です。
ある場所というのがいつもおもしろくて、
ガソリンスタンドや大阪ミナミの雑居ビル、一人カラオケ店、ハローワークまであるわけですが、
なんというかどれも華々しい場所じゃなくて少し疲れた場所なんですね。
だからそこを訪れる人も順風満帆な人生を送る人というよりも
少し変わった人、行き詰った人、暗い過去を抱えた人が多いんです。

そういった人たちを見てると、本当に世の中にはいろいろな人がいるんだ、
僕は本当にその一部しか知らないんだ、と実感します。

前回の記事でもちらっと書きましたね、新宿西口に行った日のこと。
そこにもホームレスの人がいたりして、全く同じようなことを思いました。

このことは一回友人に話したことがあるんですが、そのときは
「そうやって自分の相対的な幸せを感じてるの?(笑)」
と言われました。
彼はだいぶ冗談っぽく言っていたんですが、僕はそれについてしばらく考えてしまいました。

果たしてそうなんだろうか。

いや、違う、はずだ、と思いました。

やはり僕には、親の教育が良かったのかカトリックの幼稚園に通っていたからなのか、
人の幸せを願う気持ちが強いんです。良くも悪くも。

だから本当に、正直に謙虚に生きてる人は望むことが最大限叶うといいと思うし、
幸せになってほしいと思うんです。


少しまた話は変わりますが、この前ホテルでアルバイトをしました。2回だけですが。
ホテルで働きたい、というのは以前の記事でも書いていたんですが、
ついにアルバイトとはいえ少し望みが叶ったのです。

しかし、ホテルでの2日間は、なんか違うんじゃないかな、と感じる2日間でした。

確かに初めてだったので怒られまくってそれどころじゃなかったというのもありますが、
お客さんと接してみて、自分の想いと違う部分が感じられたのです。

働きにいったのは、東京でもだいぶ有名な高級ホテルでした。
だからもちろん、そこに泊りに来る人なんかも多くがお金持ちなわけです。
そういった人たちの相手をしていると、
「僕が幸せにしたいのはこういう人たちなのか」という思いがわいてきたのです。

中には傲慢で態度の悪いお客さんもいて、こんな人のために力を使いたくないな、と思うこともありました。

確かにたくさんの人が訪れるわけですから、少しはそういった困った人もいるのでしょう。
しかし、全体的な層として、僕はもう少し違う人たちの幸せを願っていると感じます。

もちろん、究極的には皆が幸せになればいいんです。
でも、そこにいたようなお金もたくさん持っているような人は、お金が世の中の全てじゃないにせよ、
比較的幸せに近いでしょうし、少なくとも物質的には恵まれているはずです。

僕はそういった人たちよりも、もっと恵まれてしかるべきなのに、
運悪く幸せを手にできないような人のお手伝いをしたいと思うんです。


そのために自分はどうしていくべきなのか、もう一度考えてみたいと思いました。


とりあえず、クリスマスです。

この前電車に乗っていたら、
「幸せな人生を送る」
と書いたクマのストラップを付けた、疲れた顔をした女の人がいました。
なんて大胆なストラップを付けているんだとも思いましたが、
今はその人が僕の中で一番幸せになってほしい人です。

彼女の全身にありあまるほどの幸せが訪れるといいな、と思います。

主の祝福があらんことを。

どうかみなさん、お体に気を付けて、良いクリスマスをお過ごしください。
それではごきげんよう。

がんばれ!

2014-11-03 23:39:50 | 日記

こんにちは。
今日は少し明るめかな。


まず今日は、いや今日も、なかなか踏んだり蹴ったりな一日でした。

まあ簡単にまとめると、
午前中はサークルで働かされて、
めっちゃ行きたかった打ち上げはバイトで行けなくて、
バイトでは生徒が来なくて、
親から1時間以上愚痴を言われて、
やけになってラーメン食べまくったら吐きそうになった。
ただそれだけです。


そうして相当酷いメンタルで、もう一人カラオケでも行ってしまおうかと思って新宿西口を出たんです。


そしたら、ストリートライブをやってる人たちがいました。
名前は「クルール」
男性と女性のデュオでした。
とにかく歌声はすばらしかったです。
二人とも仲が良くて、明るくて、前向きな性格なんだろうなっていうのが伝わってきました。

特に『がんばれ』という歌は、本当に今の自分にすごく刺さる歌でした。

そんな歌を聞いているうちに、なんだか自分まで前向きな気持ちになって。
こんなことあるんですね。

クルールのお二人は関西の方なんですが、今は東京にも部屋を借りて行ったり来たりしているようです。
本当にまっすぐに夢を追いかけているんだな、って心を打たれました。

Mr.Childrenの『東京』って歌にもあるように、実際に夢をつかめるのは一握りの人なんでしょう。
それでも本当に、本当にがんばってほしいなって思いました。

いつもは乗換で通過するだけの新宿なのに、たまたま地上に出た。
そしてクルールが歌っていた。

僕がクルールの歌で前向きになれたように、
僕の拍手がクルールのお二人の力になればいいなと心から思います。
苦学生だからCDは買えなかったけど…


その後、もう少し新宿駅の周りを歩いてみると、ホームレスのおじさんがいたり、
恵まれない子供たちのために募金を集めている外国人女性がいたり。
本当にいろんな人がいるんだなって改めて実感しました。


そんな中で、自分の夢に向かって真っすぐに進める人は、半分もいないのではないでしょうか。
経済的な壁とか、周囲の環境の壁とかのせいで夢があっても追いかけられない人や、
そもそも夢なんか見つけられないっていう人もたくさんいるでしょう。

自分も正直に言って、将来にそれほど夢を抱いている方ではありません。
それでも、夢を追いかけている人は本当に応援したいし、
無理だってわかってはいるけど全ての人の夢が叶ってほしいと思います。

そのために自分にできることがあれば、助けてあげたい。
強いて言えば、それが夢でしょうか。


クルールのお二人には本当にありがとうと言いたいです。
どうか、みなさんもよければクルールさんを応援してください。


一人でも多くの人が夢を持って、夢を追いかけて、夢を叶えられますように。

全ての人に幸せが訪れますように。



いつもと違うテンションだからかいつにも増して酷い文章ですが、
今日はこのあたりで、ごきげんよう。