こんにちは。
最近1か月に一回ペースが定着してますね。
この1か月はうつ病が深刻でずっと希死念慮と戦ってたわけですが、
なんとか抜け出して今はケツメイシの
「また君に会える」でノれるくらいにはなりました。
なんでこんなに病んでいたのか。
サークルでは全くやりたくもないことを押し付けられ、
周囲には春の雰囲気に心躍っている姿を見せつけられ、
今までできていたことも全くできなくなっていました。
例えば、関係先に挨拶をしに行くとか、
いろいろな段取りを決めるとか。
本当に気分のせいでパフォーマンスが30分の1くらいになってました。
それも少し和らいだので、今こうしてブログを書いてみているのです。
今回書こうと思ったことは、大人の不完全さについてです。
大学生になって1年と少し過ごして思ったことなんですが、
大人って不完全なんだなあってつくづく感じるのです。
子どもの頃、大人って完全なもの、とまではいきませんが、
少なくともみんな立派ですごいものだと思っていました。
今になって思うと、本当に馬鹿馬鹿しいですよね。
小さい頃は、大人になるのはまだまだ先で、自分と大人というのも
全く別の存在のように感じられていたのです。
ちゃんと考えたわけではなかったと思いますが、
こんな複雑な世界を回している大人ってすごいんだろうなあ、と、
漠然と感じていたように思います。
さらに、中学生や高校生になっても、まだまだ自分は学生だし、
社会人になるまでのあと数年で、世の大人のような仕事をする能力や心構え、
あとは、例えば家事や行政上の手続き、子育て、車の運転のような、
生きる術のようなものが身につくのだろうと思っていました。
なんというか、学生までの人生と社会人としての人生の連続性が考えられなかったんですよね。
でも、今日までの1年と少しで、
人ってみんな不完全なまま大人になるんだなあ、と思ったわけです。
社会というのは不完全な人間の集まりなんだ、と。
どうしてこんなことを思うようになったのでしょう。
きっかけはたくさんありました。
きっかけの一つは、アルバイトで塾講師をしていることですかね。
僕なんて教育の研修もほとんど受けてないし、
そんなぺーぺーが人様に授業まがいのことをしてお金をいただく。
世の中ってそんなものなのか、と思いました。
他にも、ホテルのスタッフのアルバイトもしたことは前に書きましたが、
そのときも、気に入らない人にはきつくあたるし、悪口も言う。
失敗だっていくらでもする。
そんな大人の世界を直に感じたのも初めてで。
さらに、僕は学校祭の実行委員をやっているのですが(先ほど悪態をついたサークルとは別です)、
それも関係しているだろうと思います。
学校祭を一度運営したことによって、それなりのものを自分たちにも作れたこと。
それ以降、テレビ番組をはじめとしていろいろなイベント、
さらにはあらゆるものの運営について自分の経験に沿って見るようになったというか、
よりリアルに感じるようになりました。
これは大いに影響していますね。
もう一つ、友人が社会人になっていったことも理由としてあるのでしょう。
高校は進学校でしたから、就職した人は一人も知りませんが、
中学までの友達の中には社会人になって働き、給料をもらっている人もいます。
それがどうも違和感があるのです。
その人は僕の知っている小学校や中学校時代の彼、彼女と何ら変わらないのに、
「この世界を回している。」
彼らでも社会人になれる、というと非常に言い方が悪いですが、
社会を構成しているのは、どうやら特別な何かを身に着けた人間ではなくて、
僕自身の延長線上のような人間であるようだ。
誰だって何も持たないまま、社会に放り出される。
そんなこんなで、大人というものの不完全さに気づいたことが、
高校を卒業した後の1年間で自分が大きく変わったことの一つなのです。
世界は想像するよりもずっと不完全で、それでも回り続ける。
不完全な人間が回す、不完全な世界。
ある意味自分でもできるのではないかと安心する一方で、
こんな世の中が不安になったりもします。
だから、僕はこれからどうしていけばいいのでしょうね。
やっぱり、社会に出るために何か準備をしよう、なんて思うはずはありません。
世の中こんなものなんだ、と高をくくっていく所存です。
恐らくすぐに打ち砕かれるのでしょうけど。
それならそれでもいいのです。
今回はこのくらいにしましょう。
今日は書いた文章を見返して、なんて薄っぺらい文章なんだろう、って
つい苦笑いしてしまいました。
大丈夫。何も考えずに生きていきましょう。
完璧なものなんて何もありませんから。
それではみなさん、ごきげんよう。
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