生涯大学 生活科 三四会

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松戸市民講座「江戸時代の武士の暮らし」(1)大名編 報告

2015年03月15日 16時45分20秒 | 日記

 全3回に渡り伊勢丹隣の「文化ホール」で行われた。講師は、江戸文化研究家の金子國昭氏。本郷生まれのチャキチャキの江戸っ子。本業は1級建築士。

 小学生の頃から休みの日は1日中「鈴本」で過ごしたほどの落語好き。落語に出てくる武士や庶民の長屋暮らしに興味を持ち、独学で独自の江戸文化を研究し、今ではこちらが専門になったという変わった経歴の持ち主。毎回、着物姿で兵児帯に扇子を差し込み見るからに風流人。落柿庵という別名まで持っている。江戸時代265年間を1年1㎝巾で年表を独自に作成し、講座室の前面に掲示するなど、さすが建築士と思わせる。

 では、印象に残った話を、史実と余談を入り混ぜながら紹介したい。

〇大名家の格は次の3点で決まる。・・①将軍家との繋がりによる区分・・親藩、譜代、外様。外様は関ヶ原以降徳川家に仕えた大名家で、けっして中枢にはなれない。   ②領地の所有形態による区分・・国主、領主、城主。領主は居城を持たない大名家のこと。③官位(冠位)による区分・・官:大臣(左・右) 権(ごん):納言(大・中・小)。位:正〇位、従〇位。(例)従三位中納言(中納言を「黄門」というー水戸黄門。

〇大名家は初期には豪奢な生活だったが、時代が進むとともに経済状況が厳しくなった。借財の山・・例えば紀州徳川家は、京駿河屋本店(三井家)からの借財340万両(およそ3400億円)。

〇大名家統率対策の一つが参勤交代(大名行列)。あと一つが、それに伴う江戸の大名屋敷制度で何れも、将軍家の大名家統率対策。大名家に経済負担を強いることにより、弱体化させる。(大名は一年おきに角をもぎー川柳)。上、中、下屋敷は将軍家から貸し与えられた敷地で、その建設・維持は大名家の負担。

〇大名行列の実例・・安政6年1859年の例 鳥取池田家35万石、総勢500人。行程ー鳥取~江戸(21泊22日)、180里(702㎞)、1日平均8,2里。(32,8㎞)*のんびりと歩く映画やドラマの大名行列は真っ赤なウソ。総額1957両(1両10万円として、1億9570万円)風雨でも川越し・山越しを続け、多額の経費を持参。借金、送金あり、病を厭わず進むのみ。

<参勤交代、大名江戸屋敷制度は、将軍家の大名支配策として極めて有効な施策であったが、時代が進むとともにそのことによって武士全体の勢力が衰え、滅亡の道を歩むことになる。何か現代の国家の存亡と同じ運命を感じさせる。ーーというのが、講師の先生の個人的な感想として紹介された。実際の講義は、講師の小噺風のジョークが随所に盛り込まれたり、受講者が途中でどんどん勝手に質問したり、感想を述べたりというかなり自由な質疑応答があった。>

均ちゃんレポートのようにすっきりいかず、改めて均ちゃんの偉大さを痛感している。(エステリア)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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