生涯大学 生活科 三四会

三四会 会員相互の交流の場です

柏南校友会「平安朝の男と女」(5月21日)

2014年05月28日 15時35分41秒 | 日記

柏南校友会は、「平安朝の男と女」(埼玉学園大学特任教授服藤早苗先生)の講演であった。小雨降る中、久しぶりに34会のメンバ12名参加と多かった。自己紹介等の前置きで、NHK「歴史秘話ヒストリア」の取材に来たが、結局放映されず、その後にお詫びの一言もなく態度が悪いとかなりご立腹であった。

奈良時代まで男女平等だった、顔を隠す女性たちの話、「婿取婚」(妻方居住)だったので、嫁姑の関係はなく、江戸時代から嫁姑の関係がでてくる。現在でも旦那の実家より、嫁さんの実家に行く機会が多い。一夫多妻制の話、「新猿楽し記」(藤原明る衡)に第1の本妻は、齢すでに六十にして・・・夫の年は僅かに五十八(58と書いて5×8=40歳のこと)で、面の皺は夕べの波のごとし・・・上下の歯は欠け落ち・・・、次の妻は、夫婦同年・・・裁縫、染張、家治、・・朝夕の厨膳心に叶ひ・・・烏帽子・狩衣・馬鞍・・・みなこの女房の徳によれり。第3の妻は年十八、容顔美麗にして放免豊顔なり・・・長生不死の薬・・・若妻に過ぎたるはなしと。と男の理想的な話であった。

「権記」の「うわなりうち」の話。第1夫人が下女30人を連れて、嫉妬により女性の家を壊しに行く話など。最後に長生きの5カ条として、1.水を毎日2ℓ以上飲むこと、2.1万歩以上歩くこと、3.カロリーを1日1500カロリー以下に、4.身だしなみをして外に出ましょう、5.元気で長生きしようとする気持ち、の話で終わった。

その後、「はなの舞」に行き懇親会で、今日の講演の話や、34会の話で盛り上がる。2軒目は近くの「わん」で飲食し分かれ帰路に着く。

均ちゃん

この先生、古典の読み下しは素晴らしけれど、女としての、恥じらい、色気、つつしみに欠けるは いと哀れ。(橋)


定九郎

2014年05月27日 00時14分02秒 | 日記

今日はクラス会で楽しさの余り羽目を外してしまいました。

カメラを向けて不愉快な思いをされた方もおられたかと思うと、

今はやりすぎたとの自責の念にかられています。

深くお詫びいたします。何卒ご容赦ください。

下の写真は田舎の祭りの “定九郎”のポートレートです。

これは本人了解済で撮らせていただいたものです。(MM)

 

 

 


セージが咲いた

2014年05月22日 19時23分28秒 | 日記

一昨年、生活科の授業で頂いたセージ。去年はMakiちゃんがきれいに咲かせた。我が家のセージはひょろひょろと背ばかり伸びて花は一つも付けなかった。園芸科の人に相談したら、「世話のやりすぎ。」だそうで、今年は3月まで水もやらなかった。4月になって気が付いたら枯れそうになっていたので、あわてて水をやった。そしたら、5月になって花が咲いた

園芸科の人に報告したら、「花も女性も一緒で、少し冷たくした方がいいんだ。」 そのことをある女性に話をしたら、「そんなことをしたら、逃げていくよ。」 女性との付き合い方は難しい。(橋ちゃん)


まつど生涯大学八班都電の旅(5月15日)

2014年05月19日 19時12分20秒 | 日記

まつど生涯大学八班のメンバ12名で5月15日に都電の旅へ。南千住下車して回向院、浄閑寺寄ってから三ノ輪から都電の旅を生憎の小雨の中スタート。最初に「荒川二丁目」で下車し、荒川自然公園寄る予定だったがあいにく定休日。入口のバラを見学して、次の駅「荒川遊園地」で下車し、入口のバラを見学。その後、「荒川車庫」から「梶原」まで、都電沿線のバラを見ながらウォーキング。梶原の商店街で都電最中をお土産に購入。都電に乗って「庚申塚」で下車し、巣鴨地蔵通りの「ときわ食堂」でランチタイム。人気ナンバーワンのアジフライを食べながらビールで喉を潤す。「とげぬき地蔵」お参りしてから、雑司ケ谷霊園に寄り、雑司ケ谷七福神のうち「大鳥神社」、「鬼子母神」の2ヶ所寄って、再び都電で「早稲田」まで行き、早稲田大学キャンパスに寄る。帰りは「町田」で下車し、最後は八柱の「ロワール」で慰労会。

均ちゃん


「秋田八郎潟町一日市願人踊り」

2014年05月09日 19時57分37秒 | 日記

三四会の皆様お元気でしょうか。みちのく秋田も桜の季節が終わり新緑の季節を迎えております。

またローカルなお話で恐縮ですが、5月5日秋田県南秋田郡八郎潟町一日市に江戸幕末時代から伝わる“願人踊り”を見てまいりました。願人とは社寺参詣の代参を生業とした“乞食坊主”のことで呼び名は各地で異なるそうですが全国に存在していたようです。この願人坊主が伝えたのが一日市願人踊りだそうですが、全国的にも異色で希少の門付け芸能になっているのだそうです。

7~8人の踊り手が、紫の手ぬぐいでほっかむりし、化粧まわしのような前垂れを腰に垂らし、女物の襦袢を東からげにはしょったいでたちで、風流傘をもった唄い手を先頭に登場します。踊りは伊勢音頭類似の調子に合わせて、手と足を同一方向に激しく上下左右に動かして踊るのです。これはなんという踊りなのだろうか!独特の風体で独特の踊り、この“一直踊り”を私は未だ見たことがありません。これは見ごたえがありました。

 そして一旦歌がやむと仮名手本忠臣蔵五段目“定九郎と与市兵衛”の荒事が寸劇風に挿入されます。百日鬘に褞袍着の山賊姿の装束は1776年に今日のスタイルに改めるまでの古型なのだそうです。

与市兵衛はその応答が軽妙な秋田弁で、これまた見ごたえ十分。定九郎が刀を振り下ろすところで寸劇は終わり、また調子のよい歌に合わせて独特の願人踊りが始まります。この間30分もありません。観衆は磨き抜かれた伝統芸能の粋に触れ、一日市郷土芸術研究会のメンバーに惜しみない拍手を送っていました。

 そしてここからが思いもよらない展開でした。

昼ご飯を食べようと役場の筋向いの寿司店に入ると、なんとそこに“定九郎と与市兵衛”がいるではありませんか。急いで車に戻ってカメラを持ち出し、写真を撮らせてくれとせがみました。定九郎は気のいい青年でした。

店内なので思うような構図のポートレイトは撮れませんでしたが、役場の産業課を経由して写真をお送りすることを約束し、その日は帰途に就きました。(MM)

 


松戸市立博物館講演会「農村松戸の民族」(4月26日)

2014年05月07日 08時36分40秒 | 日記

松戸市立博物館講演会「農村松戸の民族-1960年代調査の記録」(青木俊也先生)を聴きに行った。

1960年代に、東京教育大学史学方法論教室の学生5名が中心となり調査、松戸市域で行われた民族調査の記録をまとめた「松戸市立博物館調査報告書」(5号)として5月に刊行。第1章家と村落(家継ぎ、隣家など)、第2章生産生業、第3章人生儀礼(足入れ、土葬など)。50年前は松戸市域全体は農村地帯。昭和35年農家の戸数3033戸→平成22年649戸、耕地面積2943ヘクタール→630ヘクタール(ともに五分の一)、人口の急激な増加昭和35年86千人→平成22年484千人(約5倍半)、急激な住宅化が進み、農村が大きく変化し始める時期、急速な住宅地域化は家数が増加するが、伝統的な行事運営にはほとんど参加しない、住民の二重構造を作っている。暗い台所から解放された主婦(松戸市大谷口の農家)「農村の主婦たちを暗い台所から解放して労力のムダをなくそう。そうすれば健康維持と生活向上に役立つだろう」と生活改善クラブをつくる。などの堅い話であった。

終わってから博物館で「錦絵にみる富士山」(入場無料6月8日まで)資料展を見た。この前、茂木本家美術館で見た富士36景「下総小金原」(歌川広重)の錦絵も展示してあった。

均ちゃん


今日は憲法記念日

2014年05月03日 09時39分30秒 | 日記

このブログは政治的には無色でありたいと思っていますが、昨今の政治状況は少し気になります。

このままでは、いつのまにか、気が付いたら、自分の子供や孫が戦場に行くことになってしまうのではと心配になってきます。

3年前の3.11以前、私たちはいつの間にか原発は必要なものと思い、その存在を気にも留めなくなっていました。事故を経験してふと我に返ったとき、後戻りのできない状況になっていたことを思い知らされます。(橋)