生涯大学 生活科 三四会

三四会 会員相互の交流の場です

第2回競馬体験記

2015年03月30日 10時28分14秒 | 日記

3月28日(土)、総勢11名で競馬を体験してきました。企画して下さったMさんに感謝申し上げます。

中山競馬場に入場し、まず最初に「ビギナーのための競馬講習会」を受けました。

馬券の買い方と競馬新聞の見方を約20分で説明してくれました。人間以上に

馬は血統なんだと感心はしましたが、こんなに盛りだくさんの情報を頭に入れて

馬券を買うことなどできるわけはなく、◎○▲の予想をみて馬券を買うのが精一杯

でした。そしてパドックです。

出走前の馬を見て馬券を買うなどという器用なことをするつもりはなくとも、

意中の馬がうつむき加減に歩いていると、買った馬券が急に空しくなります。

レースは芝もダートもありましたが、この第9レースだけは芝2000mで第4コーナー

にスタートゲートが設けられ、撮影することができました。

スタート直後は騎手も腰を浮かして馬を走らせるようです。

尚、馬の鼻の上についているのは下方の視野を奪うためのもので、物影や自分の

足の動きに驚く馬の恐怖心を取り除くための「シャドーロール」という馬具だそうです。

第4コーナーを回ると直線では騎手は姿勢を低くし、まさに人馬一体でゴールに

飛び込んでいきます。

そして本日のメーンレース日経賞(GⅡ)ともなると、スタンドはご覧の通りです。

帰りは西船橋に出て、前回と同じ華の舞で祝勝会(残念会?)でした。「何故複勝というのだ、

名前の付け方がおかしい」などと議論白熱大いに盛り、来ることのない今日一日を惜みました。

(M.M)

 


松戸市民講座「江戸時代の武士の暮らし」(1)大名編 報告

2015年03月15日 16時45分20秒 | 日記

 全3回に渡り伊勢丹隣の「文化ホール」で行われた。講師は、江戸文化研究家の金子國昭氏。本郷生まれのチャキチャキの江戸っ子。本業は1級建築士。

 小学生の頃から休みの日は1日中「鈴本」で過ごしたほどの落語好き。落語に出てくる武士や庶民の長屋暮らしに興味を持ち、独学で独自の江戸文化を研究し、今ではこちらが専門になったという変わった経歴の持ち主。毎回、着物姿で兵児帯に扇子を差し込み見るからに風流人。落柿庵という別名まで持っている。江戸時代265年間を1年1㎝巾で年表を独自に作成し、講座室の前面に掲示するなど、さすが建築士と思わせる。

 では、印象に残った話を、史実と余談を入り混ぜながら紹介したい。

〇大名家の格は次の3点で決まる。・・①将軍家との繋がりによる区分・・親藩、譜代、外様。外様は関ヶ原以降徳川家に仕えた大名家で、けっして中枢にはなれない。   ②領地の所有形態による区分・・国主、領主、城主。領主は居城を持たない大名家のこと。③官位(冠位)による区分・・官:大臣(左・右) 権(ごん):納言(大・中・小)。位:正〇位、従〇位。(例)従三位中納言(中納言を「黄門」というー水戸黄門。

〇大名家は初期には豪奢な生活だったが、時代が進むとともに経済状況が厳しくなった。借財の山・・例えば紀州徳川家は、京駿河屋本店(三井家)からの借財340万両(およそ3400億円)。

〇大名家統率対策の一つが参勤交代(大名行列)。あと一つが、それに伴う江戸の大名屋敷制度で何れも、将軍家の大名家統率対策。大名家に経済負担を強いることにより、弱体化させる。(大名は一年おきに角をもぎー川柳)。上、中、下屋敷は将軍家から貸し与えられた敷地で、その建設・維持は大名家の負担。

〇大名行列の実例・・安政6年1859年の例 鳥取池田家35万石、総勢500人。行程ー鳥取~江戸(21泊22日)、180里(702㎞)、1日平均8,2里。(32,8㎞)*のんびりと歩く映画やドラマの大名行列は真っ赤なウソ。総額1957両(1両10万円として、1億9570万円)風雨でも川越し・山越しを続け、多額の経費を持参。借金、送金あり、病を厭わず進むのみ。

<参勤交代、大名江戸屋敷制度は、将軍家の大名支配策として極めて有効な施策であったが、時代が進むとともにそのことによって武士全体の勢力が衰え、滅亡の道を歩むことになる。何か現代の国家の存亡と同じ運命を感じさせる。ーーというのが、講師の先生の個人的な感想として紹介された。実際の講義は、講師の小噺風のジョークが随所に盛り込まれたり、受講者が途中でどんどん勝手に質問したり、感想を述べたりというかなり自由な質疑応答があった。>

均ちゃんレポートのようにすっきりいかず、改めて均ちゃんの偉大さを痛感している。(エステリア)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


松戸市民講座「江戸時代の武士の暮らし」(1)大名編 報告

2015年03月15日 16時45分20秒 | 日記

 全3回に渡り伊勢丹隣の「文化ホール」で行われた。講師は、江戸文化研究家の金子國昭氏。本郷生まれのチャキチャキの江戸っ子。本業は1級建築士。

 小学生の頃から休みの日は1日中「鈴本」で過ごしたほどの落語好き。落語に出てくる武士や庶民の長屋暮らしに興味を持ち、独学で独自の江戸文化を研究し、今ではこちらが専門になったという変わった経歴の持ち主。毎回、着物姿で兵児帯に扇子を差し込み見るからに風流人。落柿庵という別名まで持っている。江戸時代265年間を1年1㎝巾で年表を独自に作成し、講座室の前面に掲示するなど、さすが建築士と思わせる。

 では、印象に残った話を、史実と余談を入り混ぜながら紹介したい。

〇大名家の格は次の3点で決まる。・・①将軍家との繋がりによる区分・・親藩、譜代、外様。外様は関ヶ原以降徳川家に仕えた大名家で、けっして中枢にはなれない。   ②領地の所有形態による区分・・国主、領主、城主。領主は居城を持たない大名家のこと。③官位(冠位)による区分・・官:大臣(左・右) 権(ごん):納言(大・中・小)。位:正〇位、従〇位。(例)従三位中納言(中納言を「黄門」というー水戸黄門。

〇大名家は初期には豪奢な生活だったが、時代が進むとともに経済状況が厳しくなった。借財の山・・例えば紀州徳川家は、京駿河屋本店(三井家)からの借財340万両(およそ3400億円)。

〇大名家統率対策の一つが参勤交代(大名行列)。あと一つが、それに伴う江戸の大名屋敷制度で何れも、将軍家の大名家統率対策。大名家に経済負担を強いることにより、弱体化させる。(大名は一年おきに角をもぎー川柳)。上、中、下屋敷は将軍家から貸し与えられた敷地で、その建設・維持は大名家の負担。

〇大名行列の実例・・安政6年1859年の例 鳥取池田家35万石、総勢500人。行程ー鳥取~江戸(21泊22日)、180里(702㎞)、1日平均8,2里。(32,8㎞)*のんびりと歩く映画やドラマの大名行列は真っ赤なウソ。総額1957両(1両10万円として、1億9570万円)風雨でも川越し・山越しを続け、多額の経費を持参。借金、送金あり、病を厭わず進むのみ。

<参勤交代、大名江戸屋敷制度は、将軍家の大名支配策として極めて有効な施策であったが、時代が進むとともにそのことによって武士全体の勢力が衰え、滅亡の道を歩むことになる。何か現代の国家の存亡と同じ運命を感じさせる。ーーというのが、講師の先生の個人的な感想として紹介された。実際の講義は、講師の小噺風のジョークが随所に盛り込まれたり、受講者が途中でどんどん勝手に質問したり、感想を述べたりというかなり自由な質疑応答があった。>

均ちゃんレポートのようにすっきりいかず、改めて均ちゃんの偉大さを痛感している。(エステリア)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


柏南校友会「正念場のアベノミクスと世界に広がる新たなリスクへの対応(2月19日)

2015年03月04日 10時36分09秒 | 日記

柏南校友会は、「正念場のアベノミクスに広がる新たなリスクへの対応」(麗澤大学 成相修先生)であった。34会メンバ9名参加。デフレからの脱却、株価の上昇、円安、雇用改善、給与の上昇とそれなりの成果。その反面、所得格差、金融緩和は何十年前の政策。有権者も政治家も「精神的なスタミナ」が低下→今日の政治の迎合主義→有権者の投票率の低下。円安の進行が、輸出数量が増加しないうえに輸入インフレによって家計の実質購買力を低下させる。金融政策の転換、(1)円安効果に期待することをやめる、(2)インフレ目標の設定、(3)出口戦略の議論を開始すべき。「イスラム国」の話。世界の15%はシーア派、85%はスンニ派。イスラムの日本人人質問題。世界のどこにいても、日本人も「戦争」の当事者になりうることを自覚すべき。国家というものがマネーの情報と統制できない時代に入ったとの見方。国内問題にせよ、対外戦略にせよ、短期的な視点のみでは、解決にならない。日本だけが「平和」を享受できる時代ではない。防衛力、情報・・・などにおける国家としての「自覚」をもつ時。1カ国で安全を間ものことができる時代も終わった。日本経済、世界の話であった。

終わってから、柏「さかな市場」で懇親会。3月予定の中山競馬の話がでて、Mさんが生活科のメンバに馬名をつけた資料を元に、馬券の買い方など説明してくれた。馬名がよく考えられており、大いに盛り上がった。最後は、八柱「日高屋」で、半ラーメンに緑茶ハイを飲みながら、アベノミクス、競馬を振り返る至福の時。

均ちゃん