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マチュピチュ村の日本人は~昔の人の功績で

2020-10-18 18:34:36 | その他日常

新聞でコロナ禍の中、マチュピチュが直前で閉鎖になって何ヶ月もマチュピチュ村にいることになった日本人が現地の方の計らいで一人マチュピチュを観光できたと美談が載っていました。ところが昨日テレビを見ていると、この話には戦後直ぐにマチュピチュ村のために働いた初代町長の野内与吉の功績があって特に日本人への思いが現地にあったと報道していました。ネットでの現在の町長などの方のインタビューでも「野内」さんへの感謝の言葉を言っていました。こんなにも報道によって背景が違うんですね。こうなるとテレビのように、昔の日本人は本当に凄いとなりますよね。同じような話をブータンでもお聞きしました。ダジョウ西岡さんの話です。国王の次の高位な勲章を頂いたそうです。そう考えると定年後ぶらぶらしている自分のことが恥ずかしくなります(笑)

 マチュピチュの麓にあるマチュピチュ村は観光の玄関口。その村を日本人の野内与吉さんが作った。彼は村の初代村長になっている。約50年前に他界、彼がいなければマチュピチュは世界に知れ渡ることはなかった。番組では世界中に暮らす野内さんの親族を徹底捜索、なぜペルーに来ることに?どうやってマチュピチュを世界遺産?の謎について伺った。その裏には後世に伝えるべき日本人偉人伝説があった。

野内さんはこの地で人生の転機となる意外な体験をした。食糧不足の中、住民が食糧を分け与えてくれた。家族のように迎い入れてくれたことが何よりうれしかった。当時ペルーでは階級社会が存在し、インカの子孫は差別を受けていた。日本人移民も最下層の扱いで一緒に助けあった。野内さんは自分が恩返しをする番だと考えた。それによりマチュピチュが世界遺産として注目されていく。野内さんは工事の合間に住民の食糧の確保するために、集落に水道を通してレタスなどを栽培した。さらに日本の技術を活かし電気も通した。

 

【リオデジャネイロ=淵上隆悠】南米ペルーの世界遺産「マチュピチュ」を観光で訪れようとした日本人男性が、新型コロナウイルスによる移動制限で約7か月にわたって足止めされた末、今月10日、特別に観光を認められた。異例の世界遺産「独り占め」と、現地住民との温かい交流がSNSで話題を呼んでいる。

 遺跡の受け入れ再開を信じて村に残った片山さんは、宿泊先のオーナーのマリア・デラパスさん(36)からヨガを教わり、その家族や近所の子どもたちに、持ち歩いているグラブを使ってボクシングを教えた。現地にすっかりなじんでいた片山さんを、地元紙は「マチュピチュにいる最後の観光客」だと紹介した。

 今月9日、遺跡の管理責任者から「明日マチュピチュに行こう」とメッセージが届き、待望の遺跡訪問が決まった。この責任者の帯同で、たった一人で「空中都市」を堪能する片山さんの写真がSNSに投稿されると、ペルー人ら多くの人から祝福のメッセージが寄せられた。片山さんは読売新聞の取材に「一番感動したのは、たくさんの人が助けてくれたこと。ここで過ごした時間こそ遺産だと思う」と語る。


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