定年だ!!世界一周

サラリーマン36年、
いよいよ念願だった世界一周に出発2015年4月1日
2016年1月22日219日間27か国達成

田部井淳子さんあなたは本物でした

2016-10-22 23:35:15 | その他日常

 私がお目にかかったのは、昭和56年ぐらいでした。講演会の講師として来ていただきました。とても小柄で気さくな奥様でした。こんな小さくて本当にヒマラヤに登れたのかと思うほどでした。しかしお話を聞いて、会社の帰りに訓練のために三浦半島の崖にハンモックをつるして寝て、朝会社に行ったとか。小麦粉を圧縮するために鉄工所に行って大型プレス機でどんとやったら全部粉が吹っ飛んだとか・・・・・

とても気さくな方でした。ご冥福をお祈りします。

<田部井さん死去>女性登山家に道開く 7大陸の「頂」踏む

エベレストの頂上で日の丸を掲げる田部井淳子さん=1975年5月(女子登攀クラブ提供)

 国内外の数々の高峰の登頂に成功した登山家の田部井淳子さんが20日、亡くなった。女性登山家の草分けであり、人なつこい笑顔で登山の魅力を伝えた田部井さんは、広く親しまれる存在だった。

【永六輔さん、大橋巨泉さん…】2016レクイエム~さよならあの人

 小学4年の時、栃木・那須連峰に登ったことが登山家としての原点。「自分の足で頂上までたどり着いたのは強烈な印象だった」という。東京の大学に進学したが、なまりがコンプレックスで人と話すことができなくなってしまう。心配した友人に誘われ、定期的に山に出かけるようになった。

 1969年に女性だけの登山クラブを設立した。なかなか遠征費用は集まらず、準備に4年を要して、75年にエベレスト(ネパール)登頂に成功した。登山隊の一員だった北村節子さん(67)は「当時は『山に行く女性は変わり者だ』くらいに思われていたが、田部井さんは常に明るく、前向きだった。あの笑顔を見ると力をもらえた」と振り返る。

 その後も田部井さんはアフリカのキリマンジャロ(タンザニア)、南米のアコンカグア(アルゼンチン)、北米のデナリ(米国、2015年にマッキンリーから改称)、南極のビンソンマッシーフと、次々に各大陸の最高峰を制した。92年にはオセアニアのカルステンツ・ピラミッド(インドネシア)と欧州のエルブルース(ロシア)を登り、女性では世界初の7大陸最高峰登頂を達成した。

 06年にはマナスル(ネパール、8163メートル)に挑戦。悪天候などで登頂は断念したが、7000メートル地点まで到達。今年4月には、日本隊のマナスル初登頂60年を祝う記念式典に出席するため、カトマンズを訪問した。

 北村さんは「登頂が難しいときにはあきらめる決断も早く、非常に合理的な考えの持ち主でもあった」と述懐する。時に厳しくもある自然にあらがわず、冷静な判断力が、富士山を含め70カ国以上の最高峰・最高地点への登頂に成功した田部井さんを支えていた。

 今年7月には早大2年の南谷真鈴(まりん)さんが日本人最年少の19歳で7大陸最高峰登頂を達成した。近年は「山ガール」と呼ばれ、気軽に山歩きを楽しむ若い女性も増えた。北村さんは「田部井さんの功績が大きいと思う。女性もアウトドアを楽しんで良いという空気を作り出し、社会参画できることを証明してくれた」。田部井さんがパイオニアとなって道を開き、今も女性たちが山を楽しみ、活躍している。【村社拓信、長田舞子、田原和宏】

 日本山岳協会・神崎忠男前会長 先月、田部井さんの喜寿のお祝いで集まったのが最後。つらそうだったが、きちんとした姿を見せようと気力を振り絞っていた。「日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト」(HAT-J)を設立した頃だったか、環境シンポジウムを開催した。(エベレストに初めて無酸素で登頂した)メスナーらトップクラスの登山家が多数集まったが、田部井さんの人柄と知名度があったからこそ。精力的に動き回る姿が思い出される。

 日本山岳協会・尾形好雄副会長 1975年のエベレスト初登頂が田部井さんの人生を変えた。その年が国際婦人年ということもあり、本人が驚くほどの高い評価につながった。後年は山岳環境保護団体の設立に関わり、ヒマラヤの植林活動に取り組むなどエベレストに恩返しをする人生だった。同郷(福島県)だったこともあるが、本当に気さくな方だった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿