晴走雨読

古文書

というほど大したものではありませんが、父の遺品を整理していた
ら、こんなものが出てきました。



恐らく葬式の時の香典の記録かと思われます。

表紙はなんとか読めますが、中に書いてある文字はさっぱり解読
できません。
たった120年前なのに読めないとは、日本語ってどうなの?

しかし明治25年にこのド田舎の百姓でもこれだけの文字の読み
書きができたという事は結構凄い事だと思います。

識字率の高さは殖産興業、急速な近代化の大きな原動力になりま
した。

この2年後の明治27年に日清戦争、13年後に日露戦争が勃発
していますが、軍事力の増強にも寄与しています。

末端の兵士まで字が読めるという事は、命令の伝達に必要ですし
兵器も取り扱い説明書があれば誰でも使えるようになります。

日露戦争当時のロシア兵は識字率が低く、それが敗戦(実際には
負けた訳ではありませんが)のひとつの原因だと言われています。

捕虜にしたロシア兵は自分の名前も書けなかったので、収容所で
文字の教育をしたという逸話も残っています。


昭和初期の香典帳も残っており、和紙に墨書で明治時代と同じ
形式です。
昭和の後期になると葬儀屋が用意した製本された香典帳にサイン
ペンで書いてありました。

そして平成の葬式はパソコンで入力してプリントアウトしたもの
になりました。
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