麻生首相が末吉興一・前北九州市長を内閣官房参与に任命した問題について、
公開質問状を提出しました。
公 開 質 問 状
2008年11月17日
内閣総理大臣 麻生太郎 殿
生活保護問題対策全国会議 代表幹事 尾藤廣喜
(連絡先)〒530-0047 大阪市北区西天満3-14-16
西天満パークビル3号館7階あかり法律事務所
弁護士 小久保 哲郎(事務局長)
電話 06-6363-3310 FAX 06-6363-3320
全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会 会長 澤口宣男
全国生活保護裁判連絡会 代表委員 小川政亮
自立生活サポートセンターもやい 理事長 稲葉 剛
東京都地域精神医療業務研究会 代表 飯田文子
北九州市社会保障推進協議会 会長 高木健康
生活保護支援九州ネットワーク 代表 永尾廣久
謹啓 日ごろから、日本国の発展と市民生活の向上のため力を尽くしておられる貴職に対し、心から敬意を表します。
さて、貴職は、本年10月10日、「まちづくり、地域経営担当」の内閣官房参与をわざわざ新設し、前北九州市長である末吉興一氏をこの職に任命されました。
貴職と末吉氏との関係は深く、末吉氏が国土庁(現国土交通省)を退官して初当選した1987年の北九州市長選において、貴職は末吉氏の選対本部長を務め、貴職が外務大臣を務めておられた2007年6月には、末吉氏は外務省参与に任命されたということであり、末吉氏は、今後、史上最年長の「総理の知恵袋」として、「まちづくりと地域経営」について貴職に提言していくということです(毎日新聞2008年10月24日)。
しかし、私たちは、以下の理由から、この人事に極めて強い疑問を抱いております。
その理由の第1は、末吉氏が、「闇の北九州方式」で悪名高い北九州市の違法な生活保護行政を先頭に立って推進・擁護してきた人物であり、同市においては生活保護をめぐり末吉氏在任中に限っても2年連続で餓死・孤独死事件が発生し、しかも末吉氏は、これらの事件について生活保護行政の責任を棚に上げ、反対に地域住民の協力体制を問題視する発言を行うなどした人物であることにあります。
さらに、第2には、末吉氏が推進した「表の北九州方式」といわれる「地域福祉の北九州方式」についても、「地域の課題を地域で考え地域で解決する」というスローガンのもと、福祉における行政責任を大きく後退させ、市民を「安上がりのボランティア」に仕立て上げ代替させるものだとの強い批判がなされていたところにあります。
また、第3には、「まちづくりと地域経営」にあたって、上記のような福祉における行政責任の後退とは全く対照的に、末吉氏が採った過剰な「箱ものへの投資」が、北九州市の財政を圧迫し続け、このまま推移すれば、2013年度には、財政破たんしかねない状況に陥っています(2007年10月5日北九州市「経営方針」素案、2008年10月6日北九州市「平成21年度予算編成方針)。
これらの経過からすると、貴職の今回の人事が、「闇の北九州方式」に象徴される末吉氏の棄民政策を全国の「地域経営」に取り入れ、全国を北九州化しようとしているのではないかとの懸念すら抱かざるを得ないところであります。
ついては、ご多忙中とは存じますが、末記の質問事項について、本書面到達後2週間以内にご回答をいただきますよう、お願い申し上げます。
1 北九州市で相次いだ餓死・孤独死事件
末吉氏は、1987年から2007年2月まで20年間にわたって北九州市長を務めておられましたが、市長在任中、生活に困窮して市役所で生活保護を担当する福祉事務所の窓口を訪れた人々を生活保護の申請をさせずに追い返す、「水際作戦」と呼ばれる違法行為を推進してきました。こうした窓口の違法な対応によって、北九州市では、生活保護の利用から排除された市民が餓死・孤独死するという事件が、3年連続で発覚しました。
2005年1月7日に、北九州市八幡東区において、68歳の要介護状態の男性が生活保護の申請を違法に受け付けられずに自宅で孤独死していたのが発見され、2006年5月23日には、北九州市門司区において56歳の男性がやはり生活保護の申請を違法に受け付けられずに市営住宅の一室で餓死(孤独死)していたのが、発見されました。さらに、北九州市小倉北区において52歳の男性が、末吉氏の退任直後の2007年4月に、収入の目途が全くないまま違法に生活保護の辞退を強要された後、自宅で餓死(孤独死)していたのが2007年7月10日に発見されています。
2 面接室での弁護士の同席を拒否し、密室で市民を追いつめる
「水際作戦」を行うにあたって、北九州市がとっていた手法が、面接室に第三者を同席させないということでした。市長が代わった後の2008年現在では、要保護者が希望しているのに弁護士等が同席できないということはなくなっていますが、末吉氏の在任中は、要保護者が弁護士の同席を希望しているにもかかわらず同席を拒むということが横行していました(添付資料・新聞記事)。
生活保護の申請は口頭であっても申請意思を明確にしてなされれば有効に成立し、申請が到達しさえすれば、福祉事務所は調査を開始して原則として14日以内に開始決定ないし却下決定を行う義務を負います(行政手続法7条・生活保護法24条1項・3項)。にもかかわらず、ほとんどの北九州市民はそのことを知らされておらず、市の定める様式の申請書を提出しなければ有効な申請ができないなどと思いこまされています。
そのような市民の認識につけこんで、不当な圧力をかけ、あるいは市民の言い分をのらりくらりとかわすなどして、申請を申請として扱わずに福祉事務所から帰してしまうというのが水際作戦です。ところが、面接時に要保護者以外の第三者が同席すれば、要保護者が力づけられ、不当な圧力に屈することなく申請意思を明確に示すことができるようになり、福祉事務所は申請扱いせざるを得なくなります。それを防ぐために、北九州市は、面接室を密室化して、第三者の同席を頑なに拒んでいました。
3 市民の証言で浮かび上がった末吉市政時代の生活保護行政の実態
末吉市政時代の北九州市の生活保護行政の実態について、市の福祉事務所で生活保護ケースワーカーを勤めた北九州市立大学講師の藤藪貴治氏は、「生きるか死ぬか困っている人たちからの相談であっても、課長や上司からは申請書を渡すなと言われている」「もう福祉事務所には怖くて来たくないと思わせることが求められている。ありとあらゆる嫌がらせをして、もう相談に来たくないと思わせる。それが面接室のテクニック」「保護受給者が亡くなると、『一件減ってよかったね』と祝福されたり、課長が『よかった。これで今月はマイナス報告できる』と喜ぶ」「とにかく切ること、保護受給者を減らすことばかり指導される。本当にここは『福祉事務所』なんだろうかずっと思っていた」と証言しています。
このような許しがたい北九州市の生活保護行政の実態調査と是正のために、全国各地から集った弁護士・学者・福祉関係者や地元住民ら約三百人で結成された「北九州市生活保護問題全国調査団」(団長:井上英夫・金沢大学法学部教授)が、2006年10月23日から25日まで市内各地で相談や生活保護申請の同行を行ったところ、組織をあげて憲法・生活保護法を踏みにじる違法行為・人権侵害を常態的に行っていた当時の北九州市の生活保護行政の凄惨な実態が浮き彫りになりました。
●1歳と3歳の幼い子どもを抱える28歳の女性が、米さえ買えないほどの急迫状態に陥り、一家心中まで考えた末、わらをもすがる想いで保護課に生活保護申請に訪れたところ、年齢の若さをたてに執拗に「働け」と迫られ、30回以上保護課を訪れ申請を求めても、 申請書の交付を拒絶された。女性が面接主査に「このままでは死んでしまう」と必死に訴えたところ、面接主査はただ一言、「まだ生きてるだろう」。その後、市議が同行したところ面接主査の態度が一変し申請受理され保護開始(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●「俺は1カ月に2枚しか申請書を渡さなかった」と武勇伝を語る面接主査(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●「あんたの娘は児童扶養手当をもらっている。親子して税金で食べて近所に恥ずかしくないのか。娘から冷や飯の一杯ぐらい食べさせてもらえ」と78歳の女性を追い返す面接主査(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●DVで離婚し、子どもを8人抱えた女性を「子どもを施設に入れて働け」と追い返し続けた面接主査(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●不当な処分に対し県知事に審査請求したところ、保護課の係長がやってきて処分を取り消す通知書を持ってきた。謝罪の言葉は全くなく、「事務所まで保護費を取りに来い」「患者さんは具合が悪いので行けない」と病院職員が言うと「誰に言いよるんか?」とすごんだ。(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●病気で仕事に就けないのに、区役所で「働け!」とどなられ、職員に取り囲まれて追い出された(2006年10月18日毎日新聞朝刊)
●利用者が何度行ってもきつい応対で追い返され、もう行きたくないと言っている(障害者施設の職員)(障害者施設の職員 2006年10月18日毎日新聞朝刊)
●相談窓口で「何しにきた」「さっさと帰れ」と言われることが常態化している(2006年10月24日毎日新聞朝刊)
●保護費予算の数値目標を守るため、受給希望者はあたかもハエを追い払うような扱いを受けている(2006年10月24日毎日新聞朝刊)
●保護課の職員はパソコンに向き合ってる際の顔つきが保護申請を希望する人が窓口に現われた際にがらっと変わる(大阪社保協FAX通信2006年10月25日号)
●「福祉は怖い。できれば行きたくない」と涙ながらに訴える住民(2006年10月25日毎日新聞朝刊)
4 違法行為を正当化し、地域住民に責任転嫁した末吉氏
末吉氏は、こうした市の違法行為によって人命が失われたことを反省するどころか、以下のとおり、北九州市の責任を否定し、違法な保護行政の現状を擁護する発言を繰り返して来ました。
① 門司区の餓死事件について、2006年6月9日の北九州市議会での質問に対し、「男性には扶養家族がいたので(生活保護の申請を受け付けない)対応は適正だった」「市の対応に何も問題はない。孤独死を防ぐために重要なのは、地域住民の協力体制だ」と答弁し、地域住民に責任を転嫁した(2006年6月10日読売新聞朝刊、同年10月8日読売新聞大阪本社版朝刊)
② 市議会において「あらかじめ生活保護の支給総額を定め、その枠内に収まるように管理しているのでは」と質問されたのに対し、「目標を設定しているが、目標に向けた管理はしていない」と明らかに事実に反して「闇の北九州方式」の存在を否定した(同年9月7日読売新聞朝刊)
③ 同年10月17日の会見で市の生活保護窓口の対応を問われ、「(申請書類は)必要な方には渡している。それほど問題が生じているとは思わない」と強調する一方、「生活保護は制度疲労を起こしており、変えてほしいと国に要望している」と法制度の問題にすり替えた(同年10月18日毎日新聞朝刊)
また、北九州市が地域福祉計画の中核を担わせているのが、地域住民で構成される「まちづくり協議会」ですが、同協議会が行っている「見守り」等の「地域の支え合い」の実績には、たぶんに水増しの可能性があり、公的責任を地域住民に補完させることの限界を示唆しています。重要なのは、公的責任をきちんと果たした上で、地域住民の相互扶助を上乗せ的に活用することであり、公的責任を放棄する言い訳に使ってはなりませんし、使うこともできません。しかし、末吉氏の推進した北九州市の地域福祉計画は、後者の色彩が色濃いところであります。そしてその発想は、同時に厚生労働省の「地域の支え合い」の強調へとつながっています。末吉氏の参与就任がこのような発想を国レベルで強化することにつながるとしたら、盛んに顕彰される地域福祉の裏で、公的責任はますます形骸化していくことになるでしょう。
しかしながら、世論やマスコミにおいても、市民の生存権を守れないどころか、積極的に生存権を侵害しているこのような北九州市の保護行政のあり方が繰り返し批判されたことから、2007年2月に実施された北九州市長選においても生活保護行政の改革が大きな争点となり、「孤独死事件を踏まえ、生活保護行政を検証し、人権を尊重した的確なセーフティネットの整備をすすめる」と訴えた北橋健治氏が末吉氏の後継候補を破って初当選し、20年間続いた末吉市政にピリオドが打たれました。
5 北九州市の生活保護行政は厳しく批判されている
北橋新市長は、市長就任の翌日である2007年2月21日、門司区の餓死事件が起こった市営団地を訪れて献花し、「行政にとって重く受け止めるべき死。このような事態に至った経緯を反省して総括する」と述べて、有識者による生活保護行政検証委員会の設置の意向を表明しました(同年2月22日朝日新聞朝刊)。
そして、同検証委員会は、同年10月に発表した中間報告書、同年12月に発表した最終報告書において、特に末吉氏が「適正だった」と擁護した門司区の餓死事件について、男性が「申請したい」と申し出たのに申請書を渡しておらず、「『水際作戦』と呼ばれても仕方がない」と厳しく批判しました。また、末吉氏が「数値管理はしていない」と存在を否定していた「闇の北九州方式」についても、各区の福祉事務所が設定する生活保護の給付や廃止に関する見込み数値に言及し、「これらの『(数値)目標』が実態として職員を縛っているのでは、との強い疑念をもたれる」と論じました。そして、それまでの市の生活保護行政は間違っていたと厳しく断罪し、抜本的な改善要求を行ったのです。
さらに、厚生労働省も重い腰を上げ、同年10月に実施した監査において、「相談段階で過度に稼働能力の活用や扶養義務者による援助の確認を求めた事例」など「不適切な事例が認められた」と厳しく指摘をしています(新聞記事および厚生労働省からの通知)。
このように、末吉氏が北九州市長時代に擁護し続けた同市の生活保護行政は、明らかに誤っていたことが公的にも明確にされているのです。
【質問事項】
1 「闇の北九州方式」と言われる、末吉氏が市長を務めていた時代の北九州市の保護行政のあり方を、貴職は適正であったと評価しておられるのですか、あるいは不適正であったと評価しておられるのですか。
2(1で適正と評価された場合)
(1) その理由を詳しくご回答ください。
(2) 貴職は、末吉氏が育てた「闇の北九州方式」を日本全国の「まちづくり、地域経営」に拡大することを期待して同氏を内閣官房参与に任命されたものと理解してよいですか。
3(1で不適正と評価された場合)
(1) 不適正かつ違法な北九州市の生活保護行政を20年間に渡って推進し擁護してきた末吉氏の政治家としての責任・資質に関する貴職の認識・見解を明らかにしてください。
(2) このような人物が「総理の知恵袋」として不適格であることは明らかであり、直ちに解任すべきと考えますが、もしその考えがないとすれば何故ですか。
敬具
公開質問状を提出しました。
公 開 質 問 状
2008年11月17日
内閣総理大臣 麻生太郎 殿
生活保護問題対策全国会議 代表幹事 尾藤廣喜
(連絡先)〒530-0047 大阪市北区西天満3-14-16
西天満パークビル3号館7階あかり法律事務所
弁護士 小久保 哲郎(事務局長)
電話 06-6363-3310 FAX 06-6363-3320
全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会 会長 澤口宣男
全国生活保護裁判連絡会 代表委員 小川政亮
自立生活サポートセンターもやい 理事長 稲葉 剛
東京都地域精神医療業務研究会 代表 飯田文子
北九州市社会保障推進協議会 会長 高木健康
生活保護支援九州ネットワーク 代表 永尾廣久
謹啓 日ごろから、日本国の発展と市民生活の向上のため力を尽くしておられる貴職に対し、心から敬意を表します。
さて、貴職は、本年10月10日、「まちづくり、地域経営担当」の内閣官房参与をわざわざ新設し、前北九州市長である末吉興一氏をこの職に任命されました。
貴職と末吉氏との関係は深く、末吉氏が国土庁(現国土交通省)を退官して初当選した1987年の北九州市長選において、貴職は末吉氏の選対本部長を務め、貴職が外務大臣を務めておられた2007年6月には、末吉氏は外務省参与に任命されたということであり、末吉氏は、今後、史上最年長の「総理の知恵袋」として、「まちづくりと地域経営」について貴職に提言していくということです(毎日新聞2008年10月24日)。
しかし、私たちは、以下の理由から、この人事に極めて強い疑問を抱いております。
その理由の第1は、末吉氏が、「闇の北九州方式」で悪名高い北九州市の違法な生活保護行政を先頭に立って推進・擁護してきた人物であり、同市においては生活保護をめぐり末吉氏在任中に限っても2年連続で餓死・孤独死事件が発生し、しかも末吉氏は、これらの事件について生活保護行政の責任を棚に上げ、反対に地域住民の協力体制を問題視する発言を行うなどした人物であることにあります。
さらに、第2には、末吉氏が推進した「表の北九州方式」といわれる「地域福祉の北九州方式」についても、「地域の課題を地域で考え地域で解決する」というスローガンのもと、福祉における行政責任を大きく後退させ、市民を「安上がりのボランティア」に仕立て上げ代替させるものだとの強い批判がなされていたところにあります。
また、第3には、「まちづくりと地域経営」にあたって、上記のような福祉における行政責任の後退とは全く対照的に、末吉氏が採った過剰な「箱ものへの投資」が、北九州市の財政を圧迫し続け、このまま推移すれば、2013年度には、財政破たんしかねない状況に陥っています(2007年10月5日北九州市「経営方針」素案、2008年10月6日北九州市「平成21年度予算編成方針)。
これらの経過からすると、貴職の今回の人事が、「闇の北九州方式」に象徴される末吉氏の棄民政策を全国の「地域経営」に取り入れ、全国を北九州化しようとしているのではないかとの懸念すら抱かざるを得ないところであります。
ついては、ご多忙中とは存じますが、末記の質問事項について、本書面到達後2週間以内にご回答をいただきますよう、お願い申し上げます。
1 北九州市で相次いだ餓死・孤独死事件
末吉氏は、1987年から2007年2月まで20年間にわたって北九州市長を務めておられましたが、市長在任中、生活に困窮して市役所で生活保護を担当する福祉事務所の窓口を訪れた人々を生活保護の申請をさせずに追い返す、「水際作戦」と呼ばれる違法行為を推進してきました。こうした窓口の違法な対応によって、北九州市では、生活保護の利用から排除された市民が餓死・孤独死するという事件が、3年連続で発覚しました。
2005年1月7日に、北九州市八幡東区において、68歳の要介護状態の男性が生活保護の申請を違法に受け付けられずに自宅で孤独死していたのが発見され、2006年5月23日には、北九州市門司区において56歳の男性がやはり生活保護の申請を違法に受け付けられずに市営住宅の一室で餓死(孤独死)していたのが、発見されました。さらに、北九州市小倉北区において52歳の男性が、末吉氏の退任直後の2007年4月に、収入の目途が全くないまま違法に生活保護の辞退を強要された後、自宅で餓死(孤独死)していたのが2007年7月10日に発見されています。
2 面接室での弁護士の同席を拒否し、密室で市民を追いつめる
「水際作戦」を行うにあたって、北九州市がとっていた手法が、面接室に第三者を同席させないということでした。市長が代わった後の2008年現在では、要保護者が希望しているのに弁護士等が同席できないということはなくなっていますが、末吉氏の在任中は、要保護者が弁護士の同席を希望しているにもかかわらず同席を拒むということが横行していました(添付資料・新聞記事)。
生活保護の申請は口頭であっても申請意思を明確にしてなされれば有効に成立し、申請が到達しさえすれば、福祉事務所は調査を開始して原則として14日以内に開始決定ないし却下決定を行う義務を負います(行政手続法7条・生活保護法24条1項・3項)。にもかかわらず、ほとんどの北九州市民はそのことを知らされておらず、市の定める様式の申請書を提出しなければ有効な申請ができないなどと思いこまされています。
そのような市民の認識につけこんで、不当な圧力をかけ、あるいは市民の言い分をのらりくらりとかわすなどして、申請を申請として扱わずに福祉事務所から帰してしまうというのが水際作戦です。ところが、面接時に要保護者以外の第三者が同席すれば、要保護者が力づけられ、不当な圧力に屈することなく申請意思を明確に示すことができるようになり、福祉事務所は申請扱いせざるを得なくなります。それを防ぐために、北九州市は、面接室を密室化して、第三者の同席を頑なに拒んでいました。
3 市民の証言で浮かび上がった末吉市政時代の生活保護行政の実態
末吉市政時代の北九州市の生活保護行政の実態について、市の福祉事務所で生活保護ケースワーカーを勤めた北九州市立大学講師の藤藪貴治氏は、「生きるか死ぬか困っている人たちからの相談であっても、課長や上司からは申請書を渡すなと言われている」「もう福祉事務所には怖くて来たくないと思わせることが求められている。ありとあらゆる嫌がらせをして、もう相談に来たくないと思わせる。それが面接室のテクニック」「保護受給者が亡くなると、『一件減ってよかったね』と祝福されたり、課長が『よかった。これで今月はマイナス報告できる』と喜ぶ」「とにかく切ること、保護受給者を減らすことばかり指導される。本当にここは『福祉事務所』なんだろうかずっと思っていた」と証言しています。
このような許しがたい北九州市の生活保護行政の実態調査と是正のために、全国各地から集った弁護士・学者・福祉関係者や地元住民ら約三百人で結成された「北九州市生活保護問題全国調査団」(団長:井上英夫・金沢大学法学部教授)が、2006年10月23日から25日まで市内各地で相談や生活保護申請の同行を行ったところ、組織をあげて憲法・生活保護法を踏みにじる違法行為・人権侵害を常態的に行っていた当時の北九州市の生活保護行政の凄惨な実態が浮き彫りになりました。
●1歳と3歳の幼い子どもを抱える28歳の女性が、米さえ買えないほどの急迫状態に陥り、一家心中まで考えた末、わらをもすがる想いで保護課に生活保護申請に訪れたところ、年齢の若さをたてに執拗に「働け」と迫られ、30回以上保護課を訪れ申請を求めても、 申請書の交付を拒絶された。女性が面接主査に「このままでは死んでしまう」と必死に訴えたところ、面接主査はただ一言、「まだ生きてるだろう」。その後、市議が同行したところ面接主査の態度が一変し申請受理され保護開始(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●「俺は1カ月に2枚しか申請書を渡さなかった」と武勇伝を語る面接主査(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●「あんたの娘は児童扶養手当をもらっている。親子して税金で食べて近所に恥ずかしくないのか。娘から冷や飯の一杯ぐらい食べさせてもらえ」と78歳の女性を追い返す面接主査(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●DVで離婚し、子どもを8人抱えた女性を「子どもを施設に入れて働け」と追い返し続けた面接主査(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●不当な処分に対し県知事に審査請求したところ、保護課の係長がやってきて処分を取り消す通知書を持ってきた。謝罪の言葉は全くなく、「事務所まで保護費を取りに来い」「患者さんは具合が悪いので行けない」と病院職員が言うと「誰に言いよるんか?」とすごんだ。(北九州医療・福祉総合研究所年報第15号)
●病気で仕事に就けないのに、区役所で「働け!」とどなられ、職員に取り囲まれて追い出された(2006年10月18日毎日新聞朝刊)
●利用者が何度行ってもきつい応対で追い返され、もう行きたくないと言っている(障害者施設の職員)(障害者施設の職員 2006年10月18日毎日新聞朝刊)
●相談窓口で「何しにきた」「さっさと帰れ」と言われることが常態化している(2006年10月24日毎日新聞朝刊)
●保護費予算の数値目標を守るため、受給希望者はあたかもハエを追い払うような扱いを受けている(2006年10月24日毎日新聞朝刊)
●保護課の職員はパソコンに向き合ってる際の顔つきが保護申請を希望する人が窓口に現われた際にがらっと変わる(大阪社保協FAX通信2006年10月25日号)
●「福祉は怖い。できれば行きたくない」と涙ながらに訴える住民(2006年10月25日毎日新聞朝刊)
4 違法行為を正当化し、地域住民に責任転嫁した末吉氏
末吉氏は、こうした市の違法行為によって人命が失われたことを反省するどころか、以下のとおり、北九州市の責任を否定し、違法な保護行政の現状を擁護する発言を繰り返して来ました。
① 門司区の餓死事件について、2006年6月9日の北九州市議会での質問に対し、「男性には扶養家族がいたので(生活保護の申請を受け付けない)対応は適正だった」「市の対応に何も問題はない。孤独死を防ぐために重要なのは、地域住民の協力体制だ」と答弁し、地域住民に責任を転嫁した(2006年6月10日読売新聞朝刊、同年10月8日読売新聞大阪本社版朝刊)
② 市議会において「あらかじめ生活保護の支給総額を定め、その枠内に収まるように管理しているのでは」と質問されたのに対し、「目標を設定しているが、目標に向けた管理はしていない」と明らかに事実に反して「闇の北九州方式」の存在を否定した(同年9月7日読売新聞朝刊)
③ 同年10月17日の会見で市の生活保護窓口の対応を問われ、「(申請書類は)必要な方には渡している。それほど問題が生じているとは思わない」と強調する一方、「生活保護は制度疲労を起こしており、変えてほしいと国に要望している」と法制度の問題にすり替えた(同年10月18日毎日新聞朝刊)
また、北九州市が地域福祉計画の中核を担わせているのが、地域住民で構成される「まちづくり協議会」ですが、同協議会が行っている「見守り」等の「地域の支え合い」の実績には、たぶんに水増しの可能性があり、公的責任を地域住民に補完させることの限界を示唆しています。重要なのは、公的責任をきちんと果たした上で、地域住民の相互扶助を上乗せ的に活用することであり、公的責任を放棄する言い訳に使ってはなりませんし、使うこともできません。しかし、末吉氏の推進した北九州市の地域福祉計画は、後者の色彩が色濃いところであります。そしてその発想は、同時に厚生労働省の「地域の支え合い」の強調へとつながっています。末吉氏の参与就任がこのような発想を国レベルで強化することにつながるとしたら、盛んに顕彰される地域福祉の裏で、公的責任はますます形骸化していくことになるでしょう。
しかしながら、世論やマスコミにおいても、市民の生存権を守れないどころか、積極的に生存権を侵害しているこのような北九州市の保護行政のあり方が繰り返し批判されたことから、2007年2月に実施された北九州市長選においても生活保護行政の改革が大きな争点となり、「孤独死事件を踏まえ、生活保護行政を検証し、人権を尊重した的確なセーフティネットの整備をすすめる」と訴えた北橋健治氏が末吉氏の後継候補を破って初当選し、20年間続いた末吉市政にピリオドが打たれました。
5 北九州市の生活保護行政は厳しく批判されている
北橋新市長は、市長就任の翌日である2007年2月21日、門司区の餓死事件が起こった市営団地を訪れて献花し、「行政にとって重く受け止めるべき死。このような事態に至った経緯を反省して総括する」と述べて、有識者による生活保護行政検証委員会の設置の意向を表明しました(同年2月22日朝日新聞朝刊)。
そして、同検証委員会は、同年10月に発表した中間報告書、同年12月に発表した最終報告書において、特に末吉氏が「適正だった」と擁護した門司区の餓死事件について、男性が「申請したい」と申し出たのに申請書を渡しておらず、「『水際作戦』と呼ばれても仕方がない」と厳しく批判しました。また、末吉氏が「数値管理はしていない」と存在を否定していた「闇の北九州方式」についても、各区の福祉事務所が設定する生活保護の給付や廃止に関する見込み数値に言及し、「これらの『(数値)目標』が実態として職員を縛っているのでは、との強い疑念をもたれる」と論じました。そして、それまでの市の生活保護行政は間違っていたと厳しく断罪し、抜本的な改善要求を行ったのです。
さらに、厚生労働省も重い腰を上げ、同年10月に実施した監査において、「相談段階で過度に稼働能力の活用や扶養義務者による援助の確認を求めた事例」など「不適切な事例が認められた」と厳しく指摘をしています(新聞記事および厚生労働省からの通知)。
このように、末吉氏が北九州市長時代に擁護し続けた同市の生活保護行政は、明らかに誤っていたことが公的にも明確にされているのです。
【質問事項】
1 「闇の北九州方式」と言われる、末吉氏が市長を務めていた時代の北九州市の保護行政のあり方を、貴職は適正であったと評価しておられるのですか、あるいは不適正であったと評価しておられるのですか。
2(1で適正と評価された場合)
(1) その理由を詳しくご回答ください。
(2) 貴職は、末吉氏が育てた「闇の北九州方式」を日本全国の「まちづくり、地域経営」に拡大することを期待して同氏を内閣官房参与に任命されたものと理解してよいですか。
3(1で不適正と評価された場合)
(1) 不適正かつ違法な北九州市の生活保護行政を20年間に渡って推進し擁護してきた末吉氏の政治家としての責任・資質に関する貴職の認識・見解を明らかにしてください。
(2) このような人物が「総理の知恵袋」として不適格であることは明らかであり、直ちに解任すべきと考えますが、もしその考えがないとすれば何故ですか。
敬具