老中の市井日記

理想を失うことなく老いの中を楽しみながら、日々発見、日々刺激、日々出会いを大切にしていきたいと思っています

日本文化の伝統 梅原猛 記念講演会

2007-11-29 18:50:26 | 勉強
昨日は午前中ついにカミさんに送り迎えで近くの総合病院に行きました。
咳の薬を飲んで体制を整えて、夕方から大阪経済大学へ「大阪経大論集
300号」記念講演会「日本文化の伝統」梅原猛氏を聞きに行きました。

1年前に来た時は、堺屋太一氏の文化講演会でした。もう1年経ちました。
今回は少し早い目に行きましたのでメインホールの1階で聞くことが
できました。

大学へ入学した頃、教養の単位で「哲学」を勉強をしたことがありますが、
あまり熱心に勉強はしませんでした。その頃、分厚い哲学書を持ち歩いて
いた友達から「君も読みなよ」と言って本のリストを渡されました。
その中に「梅原猛」の本も入っていたような記憶があります。

会場に入ると何故かステージには、パネルディスカッションみたいな
3人用の白いテーブルが用意されています。その白いテーブルの重森学長
の挨拶、続いて元学長と「梅原猛伝記?」の本を出されている方の
「梅原猛」にまつわる話。

本音の話、「そんなんいらんから、早くやってくれ」と思いましたが、
梅原猛氏が渋滞に巻き込まれて遅れているとの由、納得。

講演の気になるポイント
1.日本の伝統とは何か
・最近の「伝統に帰れ」は戦前の日本国家に帰れ
・明治の日本は植民地支配を行う西洋国家主義の思想を移入し、
 その国家主義思想のもとに日本の伝統を歪めた
・日本の神道は、自らの祖先神より祖先神が征服した神々を厚く祀った。
 出雲大社は伊勢神宮より巨大である
・明治初年、廃仏毀釈というものが行われ、仏のみならず神をも殺害
 した。そしてその神も仏もいない空白の場所に新たに国家という神を
 作り出した。

2.聖徳太子の思想
・日本最初の憲法である聖徳太子の十七条憲法を顧みなけらばならない
・十七条憲法の核心は和の精神である。その和の精神の源は仏教である
・聖徳太子「和を以って尊しと為す」「篤く三法を敬え」
・仏教を国教としたが、儒教や道教も取り入れて、日本を文化的な
 道徳国家にしようとした
・和とは、内政の和であると同時に国家間の和である
・和すなわち仏教の寛容の精神で日本を治めていこうが太子の内政の理念
・大国中国との対等の国家関係を樹立し、諸外国との平和的友好関係を
 保とうとするのが太子の外交理念。遣隋使で文化国家にしていった。
・十七条憲法は単なる法律ではなく、同時に道徳であった
・聖徳太子は官吏に勤勉に務めることを命じ、裁判官の公正を切に願った
・太子がその悪を責めるのは、民衆ではなく民衆を支配する政治家や
 官吏である
・今、復古主義者が考える道徳は、上には緩く下に厳しい道徳である
・仏教はやがて神道と融合し神仏習合となり、空海・弘法大師で完成。
 これが日本の伝統である。

3.天台本覚論の思想
4.人類の危機と日本の伝統
は又の機会にと言うことで。


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