老中の市井日記

理想を失うことなく老いの中を楽しみながら、日々発見、日々刺激、日々出会いを大切にしていきたいと思っています

関西復権

2007-05-21 20:36:25 | 学研都市
「関西復権」久しく聞かなくなった言葉ですが、丁度20年前、社外出向
「関西文化学術研究都市推進機構」への内示のときに聞きました。

その当時の元の会社では、社外出向で転勤を伴うときは辞令の1ヶ月前に
内示がありました。6月21日付での異動でしたから5月21日でした。

その日は滋賀県草津事業所への出張をしていました。その頃の仕事は、
販促関係をしていまして、その業務で集めたマーケット情報を整理して
草津事業所の開発・生産部門へ「金融機関マーケット情報?」と題して
説明会を年4回やっていましたが、その年度の初っ端でした。

大学の階段教室のような大会議室で、銀行の動きや店頭機械化の状況を
説明していたその時電話がなりました。

電話を取ってくれた女性から「Kさん、電話です」「今、講義中だから
後から電話する」「事業部長からです」仕方なく電話を取りますと、
「帰り京都駅で降りてくれ、話がある」(その頃住居は大阪南部でした)

指定された時刻に京都駅八条口に下りますと、M事業部長と上司のI課長
が、ニコニコしながら立っていました。

近くのホテルへ連れて行かれ、高級なレストランに入って、「好きなものを
注文していいよ」といつもと違う温かいお言葉。なにかある。

この際だからと美味しそうなステーキを頼みました。焼きあがってくるまでに
時間があり、事業部長が神妙な顔で「社外出向をしてもらう」「え?どこへ」

事業部長は紙を見ながら「関西文化学術研究都市推進機構」と長ったらしい
名前をゆっくりと読み上げました。「なにそれ? なにすんの?」

その時返ってきた言葉が「関西復権や」

翌日から「関西復権」なるキーワードを新聞や雑誌で探しまくりました。
そこ頃は確かにあちこちに「関西復権」の記事や特集がありました。
そうですね地元関西が物凄く期待していることはよく分かりました。

そんなに期待される所へ出向できるなんて幸せと思うより、出来るかな
という不安が先でした。

なにせ、その当時の元の会社は京都以外の財界活動を殆どせず、
特に関西ではそうでした。経済界マターの財団などの第3セクターへの
出向は初めて(第1号)でした。(関連記事は以前書きました)

国家プロジェクトで第3セクターの財団への出向、そして話題の
「関西復権」もあり、大阪事業所の管理職から労組までのあちこちの
勉強会に呼ばれて、にわか「関西復権」の講師でした。

出向しての戸惑いや得た4つのことは後日記事にします。
「関西文化学術研究都市推進機構」に1度の出向延長もあり
4年間いました。

関西学研都市(けいはんな)は、まだ20年ほどで都市としはこれから
ですが、確実にいろいろなところで成果が出てきています。
「つくば」のように30年、40年と経つと素晴らしい都市になります。

「関西復権」や○○再生は、その後余り聞かなくなりましたが、復権や再生
と言っている間はだめかもしえません。

関西人は、今までの考えを一度リセットして、首都圏の二番煎じではなく
みんなが楽しんでいつまでも長がーくできる文化や企業を作って
いきましょう。

企業で言えば、今出来た企業が100年後存在する小さくても
「老舗企業」のように。



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