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1971年 日本グランプリ 決勝 【富士スピードウェイ】 1971.5.3

2019-03-08 19:42:35 | 自動車

★ 1971年 日本グランプリ 決勝 【富士スピードウェイ】 1971.5.3

富士スピードウェイには、自宅からだと、小田急線で成城学園から新松田まで急行で行き、
御殿場線に乗り換えて駿河小山まで行き、バスで目的地まで行くという経路だったと思う。
バスで行く人は殆どなく、車で行くケースが大半だったはず。バスもレースが開催されても
決勝を終えるともう駿河小山までいくバスもなく、歩いて帰ったことが何度かある。
確か10Km位だっかか。下り坂だからそう辛くなかったが、1時半以上くらい掛かったはず。
中学時代で無茶をしたものだと今更思う。

さて、本題。1970年位から、鉄道模型から少しレースカーに興味が移り、雑誌オートスポーツを
読むようになり、1971年3月に開催された「東京レーシングカーショー」へ出向き、益々実戦を
観たいと思い続け、朋友と1971年5月3日に開催されたJAF-GPを観戦に行ったのです。

色々と撮影はできず、ここで紹介できるのは比較的まともに写っているものです。

TOP画像は、メインイベントのフォーミラーカー・レースのスタート直後の30度バング直後の
S次カーブを抜けた辺りです。1位に三菱コルトF2000に乗る永松、2位に同じく益子、3位は黄色の
MILDRENを駆けるマックス・スチュワート。
生沢のロータス69がいるはずなのだが、この画像では分からない。


終盤、永松の独走となる。


マックス・スチュワートはメインストレートでリタイア。その現場を撮影。
当時は、大らかでコースのガードレール越しまで行けたのです。







【タグ】1971年 日本グランプリ 決勝  富士スピードウェイ FISCO
三菱 コルト F2000 永松 益子 MILDREN マックス・スチュワート ロータス69 生沢
オリンパス ペン ハーフサイズ 一眼レフ FT






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4 コメント

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[あの益子治が現みいつびし]様 (SDTM)
2019-01-17 19:18:22
☆ SDTMです。コメントを有難う御座います。
  この記事はアクセスが多いので、新しいBLOG
  に転載して、コメントに対するレスポンスを改善
  しようと思います。

  転載記事のURLは以下の通りです。
  https://blog.goo.ne.jp/sdtm-2/e/96baf503b5ac75d643b597c92082504b
  よろしくお願いします。
返信する
Unknown (あの益子治が現みいつびし)
2018-12-07 23:16:42
三菱自動車 思い出す永松国臣 益子修 今も胸が熱くなる あの日本グランプリ コルトF2000
r29bエンジン懐かしく思い出す
返信する
御殿場線は、 (SDTM)
2015-10-05 17:57:52
★ 電化されておりました。
   茶色の電車だったと思います。
   72系じゃないかな。
   そういうのを撮っていないのは、、
   まずかったですね。
   小田急は撮っているんですが、、
返信する
貴重な (EF65-1111)
2015-10-05 15:37:48
貴重な画像,堪能させていただきました.

コースまでそういう経路だったのですね.
もしかして,御殿場線は非電化だったのでしょうか?
返信する