SDTMの気まま空間-2

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1971年 日本グランプリ 決勝【富士スピードウェイ】1971.5.3 過去帳(SDTMの気まま空間)より再掲 追加修正

2019年01月15日 08時57分00秒 | 自動車

★ 1971年 日本グランプリ 決勝 【富士スピードウェイ】 1971.5.3 過去帳(SDTMの気まま空間)より再掲

#追加:JAFのレース情報(1971年 日本グランプリ決勝)

富士スピードウェイには、自宅からだと、小田急線で成城学園から新松田まで急行で行き、
御殿場線に乗り換えて駿河小山まで行き、バスで目的地まで行くという経路だったと思う。
バスで行く人は殆どなく、車で行くケースが大半だったはず。バスもレースが開催されても
決勝を終えるともう駿河小山までいくバスもなく、歩いて帰ったことが何度かある。
確か10Km位だっかか。下り坂だからそう辛くなかったが、1時半以上くらい掛かったはず。
中学時代で無茶をしたものだと今更思う。

さて、本題。1970年位から、鉄道模型から少しレースカーに興味が移り、雑誌オートスポーツを
読むようになり、1971年3月に開催された「東京レーシングカーショー」へ出向き、益々実戦を
観たいと思い続け、朋友と1971年5月3日に開催されたJAF-GPを観戦に行ったのです。

色々と撮影はできず、ここで紹介できるのは比較的まともに写っているものです。

TOP画像は、メインイベントのフォーミラーカー・レースのスタート直後の30度バング直後の
S次カーブを抜けた辺りです。1位に三菱コルトF2000に乗る永松、2位に同じく益子、3位は黄色の
MILDRENを駆けるマックス・スチュワート。
生沢のロータス69がいるはずなのだが、この画像では分からない。


終盤、永松の独走となる。


マックス・スチュワートはメインストレートでリタイア。その現場を撮影。
当時は、大らかでコースのガードレール越しまで行けたのです。






 

 http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1940&window_flg=1

 

総合順位 クラス順位 クラス ゼッケン ドライバー 車名 周回数 タイム 詳細
001   永松 邦臣 コルトF2000  35  1:04:31.69 
002   益子 治 コルトF2000  35  1:05:11.58 
003   生沢 徹 LOTUS 69  35  1:05:46.92 
004  11   G.ローレンス BRABHAM REPCO  35  1:05:47.04 
005   L.ゲオゲーガン LOTUS 59  35  1:06:18.24 
001   風戸 裕 マテルシズラースペシャル  35  1:06:18.41 

 


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