というのはトスカーナ有数の大きな港町リヴォルノで、おそらくもっとも多く口にされる間投詞で
嬉しいとき、悲しいとき、悔しい時、驚いた時、ハラが立つ時などなど
平常心を乱すナニゴトかが起こったときに幅広く使えてすべてを表現できるオールマイティな言葉である。
したがって日本語に訳すのはエーカゲン難しい。
ついでに言うと、そのときどきのイントネーションを表記するのも実に難しい。
語源をたどると、語末の「デー」は標準語の「神(Dio)」、「ボイヤ」は首切り斧のことで
恐れ多くも神様の首根っこをひねってやれ、という悪態らしい。
さすがに「カチュッコ」と「へらず口」で有名な町だけあるというものである。
先日は、ロザリオシェフに大量の魚の処理を命じられたアレッサンドロ君が
ウロコとワタを取るというジミで苦手なミッションをようやく終了し、
華やかでかっこいい(?)三枚おろしに進もうと、まな板と包丁を手に空いた作業台の方に近づいてきた。
だがそこはデザートの班に必要な場所だったので
「ここはデザート用地だから、外でやるように!」と言い渡した、いや伝達したときの反応がやっぱり「ボイヤデ~」。
その時の彼の表情および少々うなだれた後姿には「キッチンの方が流しで水が使えて楽なのに、外でやんのォ~?
オレ疲れてんのにサァ~、割りに合わネェよォ~」という意味がありありと読み取れたのだが
そこにオーバーラップした「ボイヤデ~」の口調が関西弁の「ワヤやで~」(=めちゃくちゃだよ、形無しだよ)に
そっくりだったので大阪出身のH君と笑ってしまった。
いらいこのリヴォルノ弁は関西弁としか聞こえず、「ボイやで~」としか表記できない……
嬉しいとき、悲しいとき、悔しい時、驚いた時、ハラが立つ時などなど
平常心を乱すナニゴトかが起こったときに幅広く使えてすべてを表現できるオールマイティな言葉である。
したがって日本語に訳すのはエーカゲン難しい。
ついでに言うと、そのときどきのイントネーションを表記するのも実に難しい。
語源をたどると、語末の「デー」は標準語の「神(Dio)」、「ボイヤ」は首切り斧のことで
恐れ多くも神様の首根っこをひねってやれ、という悪態らしい。
さすがに「カチュッコ」と「へらず口」で有名な町だけあるというものである。
先日は、ロザリオシェフに大量の魚の処理を命じられたアレッサンドロ君が
ウロコとワタを取るというジミで苦手なミッションをようやく終了し、
華やかでかっこいい(?)三枚おろしに進もうと、まな板と包丁を手に空いた作業台の方に近づいてきた。
だがそこはデザートの班に必要な場所だったので
「ここはデザート用地だから、外でやるように!」と言い渡した、いや伝達したときの反応がやっぱり「ボイヤデ~」。
その時の彼の表情および少々うなだれた後姿には「キッチンの方が流しで水が使えて楽なのに、外でやんのォ~?
オレ疲れてんのにサァ~、割りに合わネェよォ~」という意味がありありと読み取れたのだが
そこにオーバーラップした「ボイヤデ~」の口調が関西弁の「ワヤやで~」(=めちゃくちゃだよ、形無しだよ)に
そっくりだったので大阪出身のH君と笑ってしまった。
いらいこのリヴォルノ弁は関西弁としか聞こえず、「ボイやで~」としか表記できない……