昨日は終日在宅でした。午後から雲が厚くなり、時々雷鳴が響きましたが雨はほとんど降りませんでした。ところが夜のニュースを見たら、拙宅から5キロ程度離れた千葉市中心部での豪雨の様子が放送されていました。その時間に拙宅からそこへ向かっていたら、雨の境目が見られたのでしょうね。
第131回 義経北行伝説 第7幕(青森県八戸市 新羅神社)
パソコン不調で止まっていた「私的義経北行伝説」を再開します。今回も青森県八戸市に残る伝説の史跡です。パンフレット「義経北行伝説」は山中を北行した「岩手版」と船で八戸に上陸した「八戸版」が混ざって載っており、36箇所のうち10箇所は八戸市の史跡です。八戸と岩手県がひとつになって載っている・・、こういう所にも八戸は青森県ながら岩手県に近いという事を感じます。
今回ご覧いただくのは「長者山新羅神社」です。創建は江戸時代なので神社自体が義経北行伝説の舞台になったわけではありませんが、奥州藤原氏三代目の秀衡(ひでひら)が死んだ後、義経の家臣である板橋長治(いたばしちょうじ)を送り、義経の居所をこしらえようとした場所という伝説が残っています。昔は長治山と呼ばれていたのが長者山に転じたとされています。
(三社祭最中の新羅神社 -青森県八戸市 2008/08/03-)
北行伝説が事実と仮定して、秀衡の死後すぐに義経が長治に居所づくりを命じたとすれば、義経は秀衡が子の泰衡(やすひら)・国衡(くにひら)兄弟に遺した「義経を主君として仕えるよう」という遺言が守られないことを予期していたのでしょうか。
2011/08/12の一品・・・1044)房総ワンデイハイク 茂原市(5景目 鷲山寺)
2010/08/12の一品・・・768)私的岩手通史の旅 第40回
2009/08/12の一品・・・お休みでした
2008/08/12の一品・・・331)盛岡散歩 雫石川8橋(東北本線)
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第131回 義経北行伝説 第7幕(青森県八戸市 新羅神社)
パソコン不調で止まっていた「私的義経北行伝説」を再開します。今回も青森県八戸市に残る伝説の史跡です。パンフレット「義経北行伝説」は山中を北行した「岩手版」と船で八戸に上陸した「八戸版」が混ざって載っており、36箇所のうち10箇所は八戸市の史跡です。八戸と岩手県がひとつになって載っている・・、こういう所にも八戸は青森県ながら岩手県に近いという事を感じます。
今回ご覧いただくのは「長者山新羅神社」です。創建は江戸時代なので神社自体が義経北行伝説の舞台になったわけではありませんが、奥州藤原氏三代目の秀衡(ひでひら)が死んだ後、義経の家臣である板橋長治(いたばしちょうじ)を送り、義経の居所をこしらえようとした場所という伝説が残っています。昔は長治山と呼ばれていたのが長者山に転じたとされています。
(三社祭最中の新羅神社 -青森県八戸市 2008/08/03-)
北行伝説が事実と仮定して、秀衡の死後すぐに義経が長治に居所づくりを命じたとすれば、義経は秀衡が子の泰衡(やすひら)・国衡(くにひら)兄弟に遺した「義経を主君として仕えるよう」という遺言が守られないことを予期していたのでしょうか。
2011/08/12の一品・・・1044)房総ワンデイハイク 茂原市(5景目 鷲山寺)
2010/08/12の一品・・・768)私的岩手通史の旅 第40回
2009/08/12の一品・・・お休みでした
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