風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

883) 私的岩手通史の旅 第64回(前九年合戦 第9幕)

2011年02月18日 | 私的岩手通史の旅
 全国で報じられているか存じませんが、東京湾アクアラインを使ったマラソン大会が計画されています。左右を海に挟まれて走るということは早々経験できないでしょうから、気候が良ければ新鮮な気持ちで走れそうですが、参加費壱万円には少々びっくりです。


第63回 前九年合戦 第9幕(一関市 河崎柵跡)

 1057(天喜5)年7月の安倍頼時の死によって勝機を得たと思ったのでしょうか。同年11月、源頼義は嫡男義家(よしいえ)以下、兵1800人を率いて一気に安倍氏の本拠地である衣川へ攻め込もうと進軍を開始しました。一方の安倍氏は頼時の息子貞任を中心に結束し頼義軍に抵抗します。

 この戦いが「黄海(きのみ)の戦い」です。その舞台は県南の藤沢町黄海地区ですが、迎え撃つ貞任軍は部下の金為行(こんのためゆき)が守る河崎柵に4000人の兵を引き連れ、その後東方にある黄海へ向かいました。

 河崎柵の擬定地は、一関市(旧川崎町)の砂鉄川と北上川の合流地点にあります。発見されたのは比較的新しく2003(平成15)年のことで、幅4.5m、深さ1.2m、延長約60mの掘が見つかりました。砂鉄川と北上川と共に柵を囲み、朝廷軍の侵入を防ぐ造りとなっていたのでしょうか。


(河崎柵跡 -一関市川崎町門崎 2008/09/13-)

 擬定地には石碑の脇には大きな絵があり、白馬に跨った安倍貞任らしき人物とそれに従う騎馬群が描かれています。その上部に書かれている説明を引用します。

 「前九年の役の直接の原因は、婚姻に発した差別意識だが、これはとりもなおさず中央と地方との人種的偏見、政治的経済的対立による現地住民の中央への反発等がからみあって、前後十二年にも及ぶ長い騒乱となったのである」


(河崎柵跡に描かれた安倍軍 -一関市川崎町門崎 2008/09/13-)


 河崎柵跡はこの辺りです。



2010年02月18日の一品・・・648)隣県の冬景色 秋田名物内陸線!弐
2009年02月18日の一品・・・お休みでした
2008年02月18日の一品・・・183)ご来店ありがとうございます

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