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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

991) 私的岩手通史の旅 第82回(後三年合戦 第3幕)

2011年06月19日 | 私的岩手通史の旅
 地元紙なので扱いは小さかったですが、沖縄県では夏の高校野球甲子園大会予選が始まりました。東日本大震災の直後、あまり目立たぬままにセンバツが行われましたが、もう夏の甲子園の時期なのですね。気づけば私も国替えとなってから半年、現職務従事者は代々短命なのですが、私はどうなるのでしょう?


第82回 後三年合戦-第3幕-(奥州市前沢区 白鳥館遺跡)

 前回ご覧いただいた並木屋敷と時代的に若干矛盾しますが、清原真衡は永保年間(1081~84)に白鳥村(現奥州市前沢区)の近くに館を構えました。清衡・家衡も同時に移住してきましたが、「岩手県の歴史(山川出版社)」には「伊沢郡白鳥村の近くに館を構えた」としか記載されておらず、「岩手県の歴史散歩(同)」を読んでも場所が明らかでありません。

 ところで奥州市前沢区と平泉町との境に近い北上川西岸に白鳥館地区があり、「白鳥館遺跡」があります。前九年合戦で朝廷軍と戦った安部貞任の弟である白鳥八郎則任(のりとう)の居所と伝えられているこの遺跡は、10~16世紀の長きに渡って使われていたことが明らかになっていますが、パンフレットには清原真衡や清衡達の居館があったかどうかは触れていません。


(空から見た白鳥館遺跡 -説明版より-)

 しかし安部氏の政庁があったとされる並木屋敷が、前九年合戦後に清原氏の政庁として使用されたかもしれないのですから、安部氏が住んでいた居館に清原氏が移り住んだという想像もありかな、と思います。

 白鳥館遺跡の場所は北上川が大きく蛇行しており、川が主要な交通手段であった当時は重要な場所でした。川幅が狭くなっており、行き交う船の監視にも適していたそうです。


(対岸からの白鳥館遺跡 -奥州市前沢区白鳥館 2010/07/04-)

 ところで、権力を一手に握った真衡でしたが、嫡男がいなかったので養子を迎えました。この養子が1083(永保3)年に嫁をもらったのですが、この時祝儀に訪れた清原氏長老の吉彦秀武(きみひこのひでたけ)が真衡から屈辱的な扱いを受け、真衡に対して兵を挙げました。後三年合戦の始まりです。


2010/06/19の一品・・・739)輩、遠方より来たる7(遠野市 高清水展望台)
2009/06/19の一品・・・お休みでした
2008/06/19の一品・・・お休みでした

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