しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

ママはどうしても「いで湯っこ市場」に行きたいらしい

2021年08月22日 | 雑感&放浪

・          【本当の地場産品売り場なら近くにもあります】

伊東の国道沿いにあって観光市場化してますが、先にあります道の駅:マリンタウンの地場産品売り場より充実の品揃えだと思います

(イノシシやシカなどの肉も入り口の冷凍庫に置いてありますし、お弁当やお菓子に植木や花なども置いてます)

・       【確かに地場野菜は置いてあります】

国道沿いですので観光客も多く訪れます、昔横浜でサッカーを教えていた時の子供の両親とばったり出会った事がありました

朝早くは地元の市民もやってきます

(僕は無人販売所で買うのが一番良いと思うのですが、無人販売所はどこも規模が小さく品揃えが不足気味です)

・       【平日なのにお客さんが一杯です】

今日は平日なのにお客さんが多いです、新コロナの流行で伊東を訪れる観光のお客さんは少なくなっています

・          【桃は福島産、玉ねぎは兵庫県産でした】

リンゴは青森産で品揃えの為には仕方ありませんが、伊東は桃やリンゴの産地ではないのです、地場産品だからと言って全てが

いい品物でなく中身を吟味して買って下さい、城ケ崎の駅前にあったうなぎ屋さんが突然いくら丼の注文を受けて慌てました

(メニューにあるので仕方ありません)

横で酒を飲んで暇そうにしていた僕が慌ててスーパーに駆け込んで密かに「いくら」を1パック買って来ました、ママは

横浜南農協の組合員なので、ここの農協でもカードが使えて5%割引と得意そうに言ってます

96歳(95歳?)になる母さんは自分史をつけていまして、先日家計簿の隅に記録された2008年、2009年の毎日を

読みました、逆算すると12年前の84,85歳当時の内容だと思います、母さんが偶然知り合った台湾の人と一緒に伊豆に

来た事がありました、この年孫たち二人も結婚しましたね、忘れていましたが親父の兄弟の慶江姉さんが亡くなった年でもありました

北海道育ちの母さんは戦後、戦地から引き揚げてきた東京出身の親父と旭川で結婚しました

そこで僕達二人の兄弟が生まれました、転職して営業マンになった親父の暮らしぶりは毎年の道内転勤生活、社宅に入った母は

仲間であるはずの社員さんの奥さんとの付き合いに苦労したと言います、子供同士は親の上下関係などはわかりません

最後は埼玉に来て失業した親父の代わりに働いて僕らを育ててくれました、自動車会社に勤めていた弟が栃木に転勤して不甲斐ない

兄の僕を横に見て家を建ててくれ、一緒に栃木県で生活し出したのが40年前だったでしょうか、親父が栃木で生活したのはせいぜい

10年位でしょうか、大きな病気をして30年前に亡くなっています、栃木で生まれて栃木が人生の大半を送った場所とはいえませんが

すっかり栃木県の人になっています、この頃は井頭温泉に巡回バスに乗って毎週月曜に通ってまして、カラオケなどを楽しんだようです

今は通えないと思いますが、楽しかった日々を思い出して下さい

母さんは何でもやる努力の人ですが、少し引っ込み思案で話下手でしたから友達なんかできないのかなと思ってたら色んな人と

交際していまして僕は羨ましくなりました、いい人もいたし、なかにはお仲間になりたくない人もいたようですが、何事も経験ですね

母さんは落ち込んだ時の人生も知っているので、誰とでも付き合えるのですね

(年取って友達ができるのは素晴らしいです、僕は道内に一人、長野に一人しかいません、仕事をやっていた時の友人達は

 今は誰もいないのです)

当時は文芸春秋、PHP、潮を毎月読み、瀬戸内寂聴さん、佐藤愛子さんなどの小説を読んでいました、絵画教室にも通ったりや

ジグソーパズルで頭を使って訓練していました、今でも新聞のコラムを筆写しています、息子がアルファベットで書かれた自作

英単語辞書を見て感心していました


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夜の寝室の窓に張り付いてい... | トップ | 長い間放置状態にあった高圧... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑感&放浪」カテゴリの最新記事