しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

伊東港に「いるか」がいます!

2014年05月07日 | 雑感&放浪
・             【入院して以来、6ヶ月がたちました!】

久しぶりに伊東港によります、ここには「おもちゃ屋」さんのプレジャーボートが置いてありますし、隣は知り合った
船長(キャプテン)さんのヨットが停泊しています、船長さんは陸に上がってタバコを吸いながら海を見ているはずです

(ヨットはありますが船長さんはいらっしゃいませんでした、隣の波止場には生簀のような大きないかだが組んであります)

「おもちゃ屋」さんは熱海港から出港していまして大島往復だそうです、くさやの干物をお土産に戴きました



何でしょうか?「養殖生簀」にしては回りが歩けるように木で取り囲まれています


・              【伊東港に大きな「いかだ」浮かんでました】

(テニスの仲間からはいつもあそこに居て珍しくないと仰ってますから知らないのは僕だけだったのです)

「いるか」がジャンプしています、どうやら「いるか」に触れたり、遊ぶ事もできるそうです


・               【中にいるのは「養殖魚」ではありません】

隣のテントでライフジャケットを身に着けて講師のレクチャーを聞いていました

多分スクーバダイビングで「いるか」と遊べる筈です!


・               【「いかだ」は二つに分かれていて、の中には「いるか」さんです】

「いかだ」には簡単に芸をやってくれる「いるか」さんが4頭2頭に分かれているみたいです

(大ジャンプしますから、簡単に外に飛び出て行きそうです)


・               【「いるか」は近くで見ると大きいです】

(でも絶対に出て行きません、何故でしょう!)

「いるか」は海の中では小さいですが、近寄られると大きな体ですね

観光の皆さんは神妙に説明を聞いています


・                【ライフジャケットをつけて「いかだ」に取り付いています】

若いカップルには癒し系の動物だと思います、昔は川名漁港と富戸漁港で争うように「いるか」を食べるために捕獲していました

海が真っ赤に染まり残酷な風景だったと思い出す人もいました!


・                【「ウエットスーツ」を着た人もテントで待ってます】

今は鯨類は指定の漁港でしか取ってはいけないし、たまに定置網で上がっても写真すら撮らしてくれません

【「川奈」と「富戸」のいるか漁】

「明治になってからイルカ追い込み漁が行われるようになったところもある。
 例えば静岡県の川奈、富戸(現伊東市)、田子(現西伊豆町)などでは明治以降に始められている
 川奈でイルカ漁が始まったのは1888年(明治21年)であり、1922年(大正11年)には
 地元の神社にイルカ漁の絵馬が奉納されている。
 イルカの追い込みは、カンカンと呼ばれる孟宗竹の節を抜いた棒で海面を叩いたり、
 ドウズキと呼ばれる150センチメートル位の棒を投げ込んだりして、13 ノット (24 km/h)ぐらいの速度で行われた。
 1回の漁獲量が1000~2000頭ほどだった。富戸では川奈から10年ほど遅れて始まったが、
 1903年(明治36年)に川奈と乱闘になるなどして戦後になるまであまりイルカ漁は行われなかった」

富戸と川奈の隣接している地区では昔「いるか」をめぐる大きな争いがありました、川奈港のビーチは
「いるか浜」とも呼ばれております、昔は「いるか」の追い込み漁で大島沖を通る「いるか」の
群れを港に追い込んで捕獲したそうです、沖にいる「いるか」にとって川奈・富戸のどちらに
追い込まれるかで争いになってしまいました!

「いるか」は食べましたけれど食べたいお味ではありません!!それとも調理方法にコツがあるみたいです



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

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