しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

南三陸町は女性職員が最後まで津波警報を出していました!(5月5日)

2011年05月25日 | 災害・地震・津波・原発脅威
・         【避難呼び掛けた女性職員か 南三陸町、遺体発見】

「津波に襲われ鉄筋の骨組みだけが残った防災対策庁舎。役場職員の遠藤未希さんは
 2階から放送で避難を呼び掛け続け、自らは行方不明となっていた遺体が2日までに、同町の沖合で見つかった。
 母親の美恵子さんによると、遺体は4月23日、捜索隊が発見。昨年7月に結婚した夫が
 プレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを、夫が遺体の写真で
 確認した」

津波警報を発していた「防災対策庁舎」と似た建物です!



○○薬堂と読めますからドラッグストアーだったのでしょう!


・            【ここまでメチャクチャに破壊する力とは何でしょうか?】

薬王堂:宮城志津川店だと思います、東日本を中心に展開しているチエーン店です
ここまで破壊する必要は無いのですが、大津波の被害は際限がありませんね

薬王堂の略図を検索して見ました!


・            【ここが南三陸の中心部だったのです】

近くには気仙沼線が走っていて、志津川駅もあって、役場もあったのにここからは全く想像できません

「南三陸町は、日本の宮城県北東部に位置し、太平洋に面する町である。
 いわゆる「平成の大合併」における志津川町と歌津町の合併によって平成17年に誕生
 現在本吉郡に属する唯一の地方公共団体(市町村)となっている」

なるほどいたる所に志津川駅付近は南三陸町なのに「志津川」の名前が見られます!



ここまでくれば災害になれてきます、でも全てを失った人が確実にいるのです


・            【南三陸町にあるのは湾口が広がった「志津川湾」なのです】

(写真右側が海へと続く川の流れなのです!)

解体してくださいのペイントが見えます、陸前高田と同じように津波は川を遡って逆流、船は橋を潜って
奥まで流されて来ました、海の水がこんな所まで流れて来るなんて信じられません!

(多分第一波の波の力でここまでやってきたと思います、そうでなければ瓦礫が橋に支えて
 橋の下を越えられません!)



どうしてこんな奥まで流されてくるのでしょうか?


・           【広い湾口を面して、緩やかな扇状地だと津波は遡上して行きます】

ここは海から相当に離れた橋の下です、遡る津波の圧力は小さな船なら何処までも流してきます
引き波のとき旨く波に乗れず橋の上流部で引っかかってしまい、この場所で溜まってしまったのでしょう
船は瓦礫と一緒に流れて来ました、本来一番海に近い場所にあった船ですが、浮力がついて
沈む瓦礫の上をサファーのようになって流れて、遠くまで運ばれて来たのでしょう



水が来なかった所ではチューリップが咲き誇ってました


・            【水が来なかった1mの差で被害は全くありません】

津波とはなんと惨い仕打ちをするのでしょうか?
地震で多少の被害はあったでしょうが、この1mの差は天と地ほどの差になりました
被災地でも津波の影響を免れた所は花も咲き、日常の風景となって被害の格差に驚きます

(これが現実の風景なのです、100年前の津波で住んではいけない所に住んでしまいました)



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