![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/f1/4f503762fbb66ccb15d2aa8e8911ad33.jpg)
・ 【皇居(江戸城)の石垣はいろんな所から切り出されました】
宇佐美、富戸、北川、稲取と西伊豆に回って松崎などに石きり丁場跡が見られます
(松崎には蝋人形での切り出し現場があってちょっと気持ち悪い:岩室堂が記念に残されていました)
千葉県金谷にあります「鋸山」からも築城石が切り出されたとありました、房総と伊豆は離れていますが
海を挟んでいろんな所で関係が深いです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
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こんなに大きな岩を切り出して船に積んで大海を渡っていったのです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ea/4be36c9b8f98628d39acb44691a512e4.jpg)
・ 【百人の人夫を使って石を引きました】
大変な重労働であったと思いますし、技術的にも難しい石の刻み方があったと思います
この石は小さいですから50人位で運んだのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b6/01250914bea929fce2644e55cd48bd65.jpg)
・ 【北川の断崖で旨く切り出せなかった岩が飾られていました】
もの悲しくも「ぼなき石」と銘々されておりました、旧道の陰で飾られております
稲取には船を岩で泊める:舫石(もやい石)東伊豆町指定文化財
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/b0/ecfc6ecb596af08dd5a5eafd64b95e6d.jpg)
・ 【稲取;もやい石が漁港に転がっています】
「もやい石というのは、船が流されないようにつなぎ止めておくための石です。
昔,稲取の漁業が盛んだった頃、もやい石が使われたのだろうと言われています。
このもやい石は、稲取東町の正定寺北側の防波堤の付け根の所にありました。
以前には、もやい石は、向野はまにあったと言われてますが、築港工事や
埋め立て工事が会った頃から見られなくなりました。
いつ頃、石に穴をあけ、もやい石として使用し始めたかははっきりしませんが
イルカの追い込み漁にも使われたとの言い伝えがあります」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_rain.gif)
やはり真四角には切り出せません!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/37/60c2066471624d385807a866ab139d86.jpg)
・ 【石垣に組み込まれるときは四辺が加工されるのです】
岩には必ず切り出した大名のマークがあります、島津家ならば丸十で一読できます
稲取の石切り場はどの大名が担当したのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/dd/a17c6f33c8bc83a691abd11d48fa7f4e.jpg)
・ 【前述によりますと稲取で石を切り出したのは?】
土佐藩ですから、丸に三ツ矢が刻まれていると思います、全国の外様大名がその任を命じられたはずです
稲取りの地に「文化公園」として残された岩が残ってました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_night.gif)
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宇佐美、富戸、北川、稲取と西伊豆に回って松崎などに石きり丁場跡が見られます
(松崎には蝋人形での切り出し現場があってちょっと気持ち悪い:岩室堂が記念に残されていました)
千葉県金谷にあります「鋸山」からも築城石が切り出されたとありました、房総と伊豆は離れていますが
海を挟んでいろんな所で関係が深いです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
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こんなに大きな岩を切り出して船に積んで大海を渡っていったのです
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・ 【百人の人夫を使って石を引きました】
大変な重労働であったと思いますし、技術的にも難しい石の刻み方があったと思います
この石は小さいですから50人位で運んだのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b6/01250914bea929fce2644e55cd48bd65.jpg)
・ 【北川の断崖で旨く切り出せなかった岩が飾られていました】
もの悲しくも「ぼなき石」と銘々されておりました、旧道の陰で飾られております
稲取には船を岩で泊める:舫石(もやい石)東伊豆町指定文化財
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/b0/ecfc6ecb596af08dd5a5eafd64b95e6d.jpg)
・ 【稲取;もやい石が漁港に転がっています】
「もやい石というのは、船が流されないようにつなぎ止めておくための石です。
昔,稲取の漁業が盛んだった頃、もやい石が使われたのだろうと言われています。
このもやい石は、稲取東町の正定寺北側の防波堤の付け根の所にありました。
以前には、もやい石は、向野はまにあったと言われてますが、築港工事や
埋め立て工事が会った頃から見られなくなりました。
いつ頃、石に穴をあけ、もやい石として使用し始めたかははっきりしませんが
イルカの追い込み漁にも使われたとの言い伝えがあります」
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やはり真四角には切り出せません!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/37/60c2066471624d385807a866ab139d86.jpg)
・ 【石垣に組み込まれるときは四辺が加工されるのです】
岩には必ず切り出した大名のマークがあります、島津家ならば丸十で一読できます
稲取の石切り場はどの大名が担当したのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/dd/a17c6f33c8bc83a691abd11d48fa7f4e.jpg)
・ 【前述によりますと稲取で石を切り出したのは?】
土佐藩ですから、丸に三ツ矢が刻まれていると思います、全国の外様大名がその任を命じられたはずです
稲取りの地に「文化公園」として残された岩が残ってました
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人面岩ではありません、岩を加工する文化はずっと昔からあったのですね、歴史の証拠になりますから
一生懸命彫ったと思います
割れた岩を下に落下させて船に載せます、1艘の船には大岩2個が100人係りで引っ張るのです
船に載せたら江戸までまっしぐらですが動力のない時代ですから大変な運搬作業だったと思います
もちろん反強制労働ですから僕のような身分のない人間が借り出されたはず、民主的な
現代に生んでくれた両親に感謝します!