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・ 【母さんの自分史がワードで完成していました】
いつの間にか完成していました、母さんはなんでも根気強くやります、母さんの兄弟は11人の長女ですが
最初の4人が同じお母さんでした、北海道の冬は厳しく子供だった少女時代も長女ゆえに一家の生活を背負って頑張りました
(北海道の旭川は寒いところです、雪解けの春先は昼間にとけた雪が夕方には寒気で固まりどこまでも歩いて行けるのでした)
この思いは僕も田んぼの跡に踏み入ったりして母さんと思いは共有しています、4番目のおばさんはどうしているのでしょうか
電話しても呼び出し音だけで連絡がつきません
・ 【母さんは貧しく二人の母親から育てられました】
やはり後妻さんからは冷たい仕打ちにあったようです、二人の母親がいても後妻さんの振る舞いは何かと先妻の子供に厳しい母親だったそうです
(僕の子供のころは後妻さんのことを本当のおばあちゃんだと思ってました、小さい写真を大事そうに持っていた母の姿を思い出しました)
同じ兄弟だっだおじさんもしばらくは実の母親の顔を知らなかったそうです、僕は随分大家族の実家だなあと思ってました
(おじおばの殆どは亡くなってまして、長女の母以外は二人だけが残っています)
従って残っている親戚というと従妹くらいになります
・ 【小学校に入るころから頑張り屋さんでしたね】
100日咳で3学期すべてを休んだ学年もありました、4,5年前には母が在籍した富良野線の千代ヶ岡駅の近くにある
千代が岡小学校を探すべく旭川に寄りました、創立100年にもなる学校でしたが現在は廃校になっていました
郷土資料館に寄るといつもはいない館長さんがいて資料を探してくれました
そこに記録があって妹の名簿を発見できました、母の記録も飛んでいて弟は昭和20年終戦の混乱で資料がなくなっておりました
(自分の母校がなくなるのは本当にさみしい事です、釧路にあった僕の卒業した寿小学校も市内のど真ん中にあったのになくなってます)
北海道は町がなくなるような時代を迎えております、廃線や廃村あとを探ると寂しいです
・ 【母さんにも青春時代がありました】
勤めていた会社に親父が飛び込んできたのです、戦争時代は暗黒の青春時代だったようで戦時体制の工場へ強制的に労働させられたそうです
(男は兵隊にとられていますから男の力仕事もさせられました)
戦後、満州にいた親父は東京に復員してきましたが、焼け野原の実家を見て戦友を頼って旭川の同じ工場へやってきたのでした
母は親父の裏表のない人柄に惚れて結婚の決意を固めたようです、物も家財道具もない時代の新婚生活時代に僕が生まれたのです
2年後には弟が生まれました、親父の自転車に乗せられスズラン狩りに行ったのは今でも覚えています
・ 【新婚早々ですぐに会社が倒産でした】
軍需工場の倒産は予定していたと思います、親父の長兄が先に行って成功しているブラジル移住を考えたそうですが
大手電機メーカーの営業マンとして就職先が決まりました、就職が決まって皆さんからお祝いを受けたそうです
これが僕の14、5回に及ぶ転校生活の始まりとなりました
(旭川で決まっていた小学校には行けず、札幌の2年間で、すでに3回の転校でした)
それから函館、旭川、釧路、札幌、北見と小学校時代にすでに8回の転校を数えました、この頃から僕の人生は一期一会だけの
性格が作られたと思っています
(我が息子たちよ何もできなかった親父ですが、転校続きで友達のいない生活はなかったので友達を大事にしてください)
母さんはその後にも苦労をしてます、会社から親父は退職して昔の同僚を頼って函館のホテルへ就職するも長続きはしませんでした
親父は性格は明るかったのですが、お酒に弱く溺れてしまいました、酒乱のような悪いお酒ではなかったのですが
高校生の多感な時代には許すことができませんでした、戦争に行っての負傷の傷跡もありましたが、戦争ののことは一切話しませんでした
戦争でアル中になるのはロシアを見てもわかりますが、そのおかげで人生を棒に振りました、後年は脳梗塞を患って
話も出来なくなりました、看病やリハビリで遠くの温泉病院まで母は看ました、親父は60前に亡くなりましたが
会社を辞めさせられた時から母は別人となって頑張ったようです、自分史の後半は弟との同居、弟の結婚、出産、姪たちの
育て方、姪たちの結婚、出産などで半分費やしておりました
(海外旅行にも何回も行きました、老人大学にも通いました、絵もジグソーもこなし、下手だった書道も免許をもらいました
母さんは人にできない羨ましいしい波乱万丈に飛んだ人生を送ってると思います)
経験は長く生きれば溜まるものではないのです、僕も裁判沙汰を経験してます、家族のエポックを一心に浴びた人生だと思います
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