・ 【あんなに父さんに苦労させられたのに】
死ぬときはまた一緒になりたいと言う夫婦の不思議です、父さんは亡くなったのは30年も前だったような気がします
埼玉県の大宮から栃木に移ってきて亡くなりました、母と結婚したのは戦争で引き揚げて東京の実家が空襲で焼かれて
行く当てがなかったそうです、当時の仲間に誘われて北海道の旭川までやってきて仕事を見つけて母と巡り合ったそうです
新しく仕事先を見つけてサラリーマンとなって親子4人家族は道内を転勤して回りました、採用されたのは旭川でしたがほどなくして
札幌支店に配属されてモーレツなサラリーマン生活を送る羽目になりました、函館、旭川、釧路、札幌、北見と道内を転々でした
最後には埼玉県に移動してきてここでも僕の転校生活は続きました、親父は豪放磊落の大酒のみですから体はこわす、釧路時代には
胃潰瘍でバケツ一杯の血を吐いて入院手術で胃の大半と十二指腸を切り取りました、暴力こそ振るいませんが、知らない土地
身寄りのない土地での手術は幼い子供を抱えて母は大変だったと思います
(親父が何の仕事をやっていたかまでは分かりませんが、僕の同級生が系列の会社に就職したときお前の親父が良い意味でか
悪い事なのか分かりませんが、支店の逸話話として会社を50年近く前に辞めているのに話を聞かされてびっくりしたものです)
遺影を自ら飾って悦に入ってました、形見わけでしょうか息子たち写真を用意してます、97歳xデーは近いのでしょうか
・ 【母さんのデジカメの日付が違ってます】
今は2022年ですよ、これも年とらないということかしら、あれだけ苦労させられたのに母はいまだに父さんは
あれだけ飲んでいたのに母には暴力を振るわなかったそうです、長い転校生活で初めて僕がぐれてしまったとき、素行不良で学校から
通知が来てその時初めて殴られました、思い出すだけでもその1回しかありません、従って真面目な弟は殴られていないと思います
(父さんも同じ額縁に入れて上げたいとまた注文されました)
小学校の校区は小さいのです、同じ札幌でも社宅ができたので転校、社宅には大小あって引っ越し荷物が家に入らないのでまた転校
旅館に泊まってる内に新年度が来てしましい取り敢えず入学、さらに家が決まって転校、学校にはいろいろ行事や都合もあります
入学手続きに行ったら本日遠足で明日来てくださいで家に戻ったら再び引っ越し準備をしているではありませんか?
今度は再び市役所に戻って入学学校の変更です、色んな事がありました、小学6年間で8回以上転校しました、僕には母校もありませんし
竹馬の友もいないのです、僕は気に入った居酒屋でも1年で馴染みになると遠ざかります、すぐに友達作りますが長続きはしません
こんな風なのは転校生活に由来していると思っています
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