今回はかなり毒を吐きます
そんな他人の愚痴に付き合ってる暇はないという方はどうぞスルーしてくださいませ
Yahoo!辞書より
●チャリティー
慈善。慈善の心や行為。特に、社会的な救済活動をいう。「―バザー」「―コンサート」
●バザー
慈善事業などの資金を得るために催す即売会。慈善市。
昨日の日曜日は生涯学習センターのふれあい祭りだった。
かかわりのある自治体の自治会長や町内会長、そして地域の社会福祉協議会に属する団体の人たちが借り出されてお祭りを運営する
普通の公民館のお祭りは、その公民館で活動するサークルや講座の受講生が日ごろの成果を発表する場であり、それだけでは集客も少ないだろうし、地域の交流も深めようという目的もあってやはり自治体の役員さんたちが主体となって焼きそばとかたこ焼きとかの屋台を出したり、水風船とかの屋台を出したりするのだと思うけど、生涯学習センターの場合は社協が主催するため必然的にチャリティーの要素が強くなる。
昨年から私もそのお祭りの運営に好むと好まざるとにかかわらず借り出されることとなった。担当はチャリティーバザーである。
普通バザーというイメージは、たとえば幼稚園とか小学校のPTAが運営して売り上げは子どもたちのための備品購入に当てたりするわけで、みんなが家にあるものを子どもたちのためにと思って献品し、PTAの役員さんは子どもたちのためにいただいた品物にそれなりの思いをこめて値段をつけて、当日はPTA会員や地域の人たちが子どもたちのためを思ってバザーの品を購入するものだと・・・
私は勝手に思っていた。
幼稚園や学校だけでなく教会などで行われるバザーだって誰かのためを思って献品したり購入したりするだろう。
それは家にあるもらったけど使わない品物、あるいは本当は使うつもりで買ったけど子どもたちのためにまぁ一個くらいは提供してもいいかというものであるだろうし、手作りの思いのこもった品物であったりもするだろう。たとえば手作りの子供服とか手編みのアクリルたわしとか・・・
買うほうだってそりゃぁ家で必要なものがお安く売られてそれをゲットできればラッキーだし、趣旨は子どもたちのための資金を集めるためのものだからほしくもないけどまぁこれくらいのものなら買ってもいいかってものだって買うわけだ。
というのがバザーだと思っていた。
だから売るほうも買うほうもみんなで楽しく和気あいあいとお互い様の気持ちで行われるのがバザーの本質なんじゃないのか?
ところが・・・・・・・
献品されてきたものはといえば
そりゃお返しでいただいてもウチの趣味に合わないから使わないという香典返し・快気祝い・内祝いなどの類の品々(洗剤・石鹸・海苔・鰹節・タオル等々)もあるけれど(本来これらのものがバザーの主な商品のはずだと思うのだが)
押入れの奥にしまいこまれていたようなシミのついたシーツやタオル(そんなものは雑巾にでもして家で使ってくれ)
2枚一組で売っているうち1枚だけ使って残った肌着(全部使え)
カビの生えたもらいものの食器類(そんなもので飯が食えるか)
長年しまいこまれていた間に経年劣化して使えるのかどうかも不明な調理家電(使ったら火花が飛びそうな電気鍋とかね)
箱がボロボロの鍋やフライパン(そりゃぁ未使用だとは思うけどさ)
今さら1.5Lのペットボトルホルダーなんてなにを入れろというのか
景品でもらった皿やコップの類(もともとタダなんだから値段なんてつけられるか)
挙句の果てには発ガン性物質で話題になった花○の○コ○が6本ほど・・・
これを提供してくれた人は新聞やニュースを見たことがないのだろうか?
それとも承知の上で献品してくれたのか?
要するに自分はガンにはなりたくないが人がなる分にはかまわないと思ったか、それとも自分で処分するのはめんどくさいから誰かに捨ててもらおうと思ったか?
常識的に考えてこんなもの売れるわけがないと思うものがわんさか出てくる出てくる。
バザーは不用品の処分を代行するものではない
なんであたしらが貴重な時間を割いて汗水たらしてそれらを仕分けしなくてはならんのだ
ここまでがバザー前日の準備段階の話
そして当日
朝は8時半に集合して10時の開店のために会場内の準備をする。
30分前には300人くらいが列を作って待っていた。先頭の人は9時くらいにはもう並んでいたようだ。
10時になると同時に会場のドアが開けられ、最初の20人が入場する。
洗濯洗剤と石鹸は一人一つずつと制限してあるが、それ以外は特に規制はない。
いったいどうやって持って帰るつもりなのか両手いっぱいにタオルの箱やら食器洗剤やらを抱える人たち。
その中の一人のおばあちゃんが「ちょっとここに置かせてね」といって荷物を会計のテーブルの前に置き、また他のものを物色しに行こうとするので、会計担当の町内会長の一人が「ここは会計の場所だから邪魔になるから置かないでね」と注意する。すでに会計を待つ人の列ができ始めたので「早くどかして」と催促すると、列に並んでいた一人の男が「今の言い草はなんだ! それが客に向かって言う言葉か!! 何様のつもりだ」と怒鳴る。
客だぁ~~~~~
あたしらはあんたらから一文も報酬を得るわけではない。商売しているわけではないのだからあんたらは客でもなんでもない
何様のつもりはテメーだろうが
他の“客”は会計のテーブルで金を払うと「ちゃんと箱のふたを閉めて袋に入れてちょうだい」とクレームをつける
そんなことは自分でやれ ここはデパートでもなんでもないバザー会場なんだぞ
当初20人ずつ入場と言っていたにもかかわらず、あとからあとから“客”がなだれこみ会場内は品物を物色する人と会計を待つ人とであふれかえっていた。
なんなんだこのエネルギーは
ここはバーゲン会場か
「ちょっとこれ高いわよ! もっと安くして」
100円200円が主流の品物の中にたまに500円とかの値札がついているとクレームが出る。
市場価格8千円の羽毛ケットが500円でも高いのか?
バザーなら安く買えるのが当たり前と思っている“サモシい”エネルギーの塊が我も我もと“善意の品”を買いあさっていく。
どうせゴミの処分と同じ気持ちで献品されたであろう品々だから感謝の気持ちもわかないのだな。
11時半も過ぎるとめぼしいものはあらかた売れて正真正銘のガラクタだけが売れ残り“客”は潮が引くようにいなくなった。
他の部署を担当していた役員さんたちが覗きに来たので
「ちょっとこれ買って行って」と無理やり売れ残りを押し売りしていると、1歳半くらいの男の子を連れた若いお母さんが「まだやってますか?」と入ってきた。
「12時までですからどうぞゆっくり見て行ってね」と招き入れる。
ゆっくり見るも何も、残っているのは本当にガラクタばかりなのだけど中にはちょっといい品もあったりして
「これどう? 14cmの長靴 キャプテンサンタのミニリュックおまけでつけちゃう。」
「それなんですか?」
「これはプーさんのポーチとミニーちゃんの袋かな」
「あ、そうゆうのほしかったんです」
「よかった。買ってもらえて。お勉強しちゃうから」
長靴とプーさんのポーチとミニーちゃんの袋とおまけのキャプテンサンタのミニリュック、締めて120円お買い上げ
若いお母さんはそこにいた売り場の担当者に男の子と一緒に「ありがとう」「ありがとう」といいながら帰っていった。
最後の“客”がこの親子で少し救われた気がした。
「ありがとう」と言いたいのはこっちの方だ
結果売れ残った“善意の品々”は教会に寄付するらしい。
こんなガラクタ寄付されたって教会だって困るだろうに・・・
それこそゴミ処理代行を孫受けに出すようなものだ。
土曜日と日曜日 貴重な秋の二日間は慈愛の心など一切なく欲望と自己中のエネルギーに振り回され、怒りと虚しさの内に終わった。
この間 ダンナさんは私の代わりに洗濯物を干し、バァチャンのお昼を用意してくれた。
「また今年もどこにも行けないね。映画も見に行けないじゃん」
とぼやくダンナさん。ほんとうに申し訳ないと思う。
あんなチャリティーのかけらもなにもないもののために自分の時間と家庭を犠牲にすることにおおいに疑問を感じるのは私だけか?
子どもが中学のとき一緒にPTAの副会長をやった人が私より一期先に同じ役をやったけど、「あんなの時間の無駄よ。私の活動に支障をきたすだけだったわ」と吐き捨てるように言って私と入れ違いに辞めていった。
今彼女の気持ちがよくわかる。
私や彼女はいろんな理由で落ち込んでいるけどなんとか浮上したいと思っている人たちのサポートをしたいと活動している。自分の力でネガティブな状態からポジティブな状態へ変わろうと努力している人たちのお手伝いができたらいいと思っている。
でも今私が関わっているこの活動は、自分の置かれている状況はすべて人のせいで行政や地域の人たちが手助けをするのが当たり前と思っている人たちに手をさしのべる活動のような気がする。
(もちろん全部がそうとは言わないが)
母子家庭だとなにかと行政から援助がもらえるから、なんの我慢もなくちょっとしたいさかいでもあっさりと離婚する若い親
子どもの数だけ児童扶養手当がもらえるから働きもしない貧乏人の子だくさん
他人や行政から援助を受けることになんの疑問も持たずにその状況に甘んじている人たちがなんと大勢いることか。(もちろん不況というこのご時勢や病気とかDVとかでその状況から脱出できない人もいるけれど)
なんで私がそんなプライドもない連中のために時間を費やさなくてはならないのか?
かねてよりこの活動に誠心誠意尽くせない理由はそこにある。
「あんなの時間の無駄よ。私の活動に支障をきたすだけだったわ」
私もそう言って一期で辞めることができたらどんなにいいことか・・・
辞めたい・・・
いや、辞めよう
辞めるぞ~~~~~~~
誰か私の背中を押して
(そうゆう私も人頼みかよ)
p.s. 鳩山さん 長妻さん
子ども手当てなんてどうせ親のパチンコとか携帯代に化けるだけだよ。
幼稚園・保育園・学校の整備や無料化にお金をつぎ込まなけりゃホントの支援にはならないさ
追記)一般庶民の私ですらこの経済格差(というより意識の格差)に愕然としたのだから、いいとこのお坊ちゃんたちの集まりである国会議員の先生たち、特に首相経験者の皆様には、底辺の人間のことなんて皆目見当もつかないんだろうなぁ・・・
麻生君が「サモシい」と口を滑らしたのもわかるような気がするよ。
国民のすべてが明るい未来を目指して上昇志向を持っていたのはすでに昭和の幻影に過ぎないのさ。
今、日本国民の意識レベルがどんどん下がっていることに危機感を抱いている人たちが大勢いることも事実だけど、じゃぁどうしたらその下降線を止めることができるのかといわれると、それはかなり難しいことだと思うわけで、今さらどうしようもないよね。
2012年に未来につながることができるかどうかは本人の努力次第というわけなんだから。
そんな他人の愚痴に付き合ってる暇はないという方はどうぞスルーしてくださいませ
Yahoo!辞書より
●チャリティー
慈善。慈善の心や行為。特に、社会的な救済活動をいう。「―バザー」「―コンサート」
●バザー
慈善事業などの資金を得るために催す即売会。慈善市。
昨日の日曜日は生涯学習センターのふれあい祭りだった。
かかわりのある自治体の自治会長や町内会長、そして地域の社会福祉協議会に属する団体の人たちが借り出されてお祭りを運営する
普通の公民館のお祭りは、その公民館で活動するサークルや講座の受講生が日ごろの成果を発表する場であり、それだけでは集客も少ないだろうし、地域の交流も深めようという目的もあってやはり自治体の役員さんたちが主体となって焼きそばとかたこ焼きとかの屋台を出したり、水風船とかの屋台を出したりするのだと思うけど、生涯学習センターの場合は社協が主催するため必然的にチャリティーの要素が強くなる。
昨年から私もそのお祭りの運営に好むと好まざるとにかかわらず借り出されることとなった。担当はチャリティーバザーである。
普通バザーというイメージは、たとえば幼稚園とか小学校のPTAが運営して売り上げは子どもたちのための備品購入に当てたりするわけで、みんなが家にあるものを子どもたちのためにと思って献品し、PTAの役員さんは子どもたちのためにいただいた品物にそれなりの思いをこめて値段をつけて、当日はPTA会員や地域の人たちが子どもたちのためを思ってバザーの品を購入するものだと・・・
私は勝手に思っていた。
幼稚園や学校だけでなく教会などで行われるバザーだって誰かのためを思って献品したり購入したりするだろう。
それは家にあるもらったけど使わない品物、あるいは本当は使うつもりで買ったけど子どもたちのためにまぁ一個くらいは提供してもいいかというものであるだろうし、手作りの思いのこもった品物であったりもするだろう。たとえば手作りの子供服とか手編みのアクリルたわしとか・・・
買うほうだってそりゃぁ家で必要なものがお安く売られてそれをゲットできればラッキーだし、趣旨は子どもたちのための資金を集めるためのものだからほしくもないけどまぁこれくらいのものなら買ってもいいかってものだって買うわけだ。
というのがバザーだと思っていた。
だから売るほうも買うほうもみんなで楽しく和気あいあいとお互い様の気持ちで行われるのがバザーの本質なんじゃないのか?
ところが・・・・・・・
献品されてきたものはといえば
そりゃお返しでいただいてもウチの趣味に合わないから使わないという香典返し・快気祝い・内祝いなどの類の品々(洗剤・石鹸・海苔・鰹節・タオル等々)もあるけれど(本来これらのものがバザーの主な商品のはずだと思うのだが)
押入れの奥にしまいこまれていたようなシミのついたシーツやタオル(そんなものは雑巾にでもして家で使ってくれ)
2枚一組で売っているうち1枚だけ使って残った肌着(全部使え)
カビの生えたもらいものの食器類(そんなもので飯が食えるか)
長年しまいこまれていた間に経年劣化して使えるのかどうかも不明な調理家電(使ったら火花が飛びそうな電気鍋とかね)
箱がボロボロの鍋やフライパン(そりゃぁ未使用だとは思うけどさ)
今さら1.5Lのペットボトルホルダーなんてなにを入れろというのか
景品でもらった皿やコップの類(もともとタダなんだから値段なんてつけられるか)
挙句の果てには発ガン性物質で話題になった花○の○コ○が6本ほど・・・
これを提供してくれた人は新聞やニュースを見たことがないのだろうか?
それとも承知の上で献品してくれたのか?
要するに自分はガンにはなりたくないが人がなる分にはかまわないと思ったか、それとも自分で処分するのはめんどくさいから誰かに捨ててもらおうと思ったか?
常識的に考えてこんなもの売れるわけがないと思うものがわんさか出てくる出てくる。
バザーは不用品の処分を代行するものではない
なんであたしらが貴重な時間を割いて汗水たらしてそれらを仕分けしなくてはならんのだ
ここまでがバザー前日の準備段階の話
そして当日
朝は8時半に集合して10時の開店のために会場内の準備をする。
30分前には300人くらいが列を作って待っていた。先頭の人は9時くらいにはもう並んでいたようだ。
10時になると同時に会場のドアが開けられ、最初の20人が入場する。
洗濯洗剤と石鹸は一人一つずつと制限してあるが、それ以外は特に規制はない。
いったいどうやって持って帰るつもりなのか両手いっぱいにタオルの箱やら食器洗剤やらを抱える人たち。
その中の一人のおばあちゃんが「ちょっとここに置かせてね」といって荷物を会計のテーブルの前に置き、また他のものを物色しに行こうとするので、会計担当の町内会長の一人が「ここは会計の場所だから邪魔になるから置かないでね」と注意する。すでに会計を待つ人の列ができ始めたので「早くどかして」と催促すると、列に並んでいた一人の男が「今の言い草はなんだ! それが客に向かって言う言葉か!! 何様のつもりだ」と怒鳴る。
客だぁ~~~~~
あたしらはあんたらから一文も報酬を得るわけではない。商売しているわけではないのだからあんたらは客でもなんでもない
何様のつもりはテメーだろうが
他の“客”は会計のテーブルで金を払うと「ちゃんと箱のふたを閉めて袋に入れてちょうだい」とクレームをつける
そんなことは自分でやれ ここはデパートでもなんでもないバザー会場なんだぞ
当初20人ずつ入場と言っていたにもかかわらず、あとからあとから“客”がなだれこみ会場内は品物を物色する人と会計を待つ人とであふれかえっていた。
なんなんだこのエネルギーは
ここはバーゲン会場か
「ちょっとこれ高いわよ! もっと安くして」
100円200円が主流の品物の中にたまに500円とかの値札がついているとクレームが出る。
市場価格8千円の羽毛ケットが500円でも高いのか?
バザーなら安く買えるのが当たり前と思っている“サモシい”エネルギーの塊が我も我もと“善意の品”を買いあさっていく。
どうせゴミの処分と同じ気持ちで献品されたであろう品々だから感謝の気持ちもわかないのだな。
11時半も過ぎるとめぼしいものはあらかた売れて正真正銘のガラクタだけが売れ残り“客”は潮が引くようにいなくなった。
他の部署を担当していた役員さんたちが覗きに来たので
「ちょっとこれ買って行って」と無理やり売れ残りを押し売りしていると、1歳半くらいの男の子を連れた若いお母さんが「まだやってますか?」と入ってきた。
「12時までですからどうぞゆっくり見て行ってね」と招き入れる。
ゆっくり見るも何も、残っているのは本当にガラクタばかりなのだけど中にはちょっといい品もあったりして
「これどう? 14cmの長靴 キャプテンサンタのミニリュックおまけでつけちゃう。」
「それなんですか?」
「これはプーさんのポーチとミニーちゃんの袋かな」
「あ、そうゆうのほしかったんです」
「よかった。買ってもらえて。お勉強しちゃうから」
長靴とプーさんのポーチとミニーちゃんの袋とおまけのキャプテンサンタのミニリュック、締めて120円お買い上げ
若いお母さんはそこにいた売り場の担当者に男の子と一緒に「ありがとう」「ありがとう」といいながら帰っていった。
最後の“客”がこの親子で少し救われた気がした。
「ありがとう」と言いたいのはこっちの方だ
結果売れ残った“善意の品々”は教会に寄付するらしい。
こんなガラクタ寄付されたって教会だって困るだろうに・・・
それこそゴミ処理代行を孫受けに出すようなものだ。
土曜日と日曜日 貴重な秋の二日間は慈愛の心など一切なく欲望と自己中のエネルギーに振り回され、怒りと虚しさの内に終わった。
この間 ダンナさんは私の代わりに洗濯物を干し、バァチャンのお昼を用意してくれた。
「また今年もどこにも行けないね。映画も見に行けないじゃん」
とぼやくダンナさん。ほんとうに申し訳ないと思う。
あんなチャリティーのかけらもなにもないもののために自分の時間と家庭を犠牲にすることにおおいに疑問を感じるのは私だけか?
子どもが中学のとき一緒にPTAの副会長をやった人が私より一期先に同じ役をやったけど、「あんなの時間の無駄よ。私の活動に支障をきたすだけだったわ」と吐き捨てるように言って私と入れ違いに辞めていった。
今彼女の気持ちがよくわかる。
私や彼女はいろんな理由で落ち込んでいるけどなんとか浮上したいと思っている人たちのサポートをしたいと活動している。自分の力でネガティブな状態からポジティブな状態へ変わろうと努力している人たちのお手伝いができたらいいと思っている。
でも今私が関わっているこの活動は、自分の置かれている状況はすべて人のせいで行政や地域の人たちが手助けをするのが当たり前と思っている人たちに手をさしのべる活動のような気がする。
(もちろん全部がそうとは言わないが)
母子家庭だとなにかと行政から援助がもらえるから、なんの我慢もなくちょっとしたいさかいでもあっさりと離婚する若い親
子どもの数だけ児童扶養手当がもらえるから働きもしない貧乏人の子だくさん
他人や行政から援助を受けることになんの疑問も持たずにその状況に甘んじている人たちがなんと大勢いることか。(もちろん不況というこのご時勢や病気とかDVとかでその状況から脱出できない人もいるけれど)
なんで私がそんなプライドもない連中のために時間を費やさなくてはならないのか?
かねてよりこの活動に誠心誠意尽くせない理由はそこにある。
「あんなの時間の無駄よ。私の活動に支障をきたすだけだったわ」
私もそう言って一期で辞めることができたらどんなにいいことか・・・
辞めたい・・・
いや、辞めよう
辞めるぞ~~~~~~~
誰か私の背中を押して
(そうゆう私も人頼みかよ)
p.s. 鳩山さん 長妻さん
子ども手当てなんてどうせ親のパチンコとか携帯代に化けるだけだよ。
幼稚園・保育園・学校の整備や無料化にお金をつぎ込まなけりゃホントの支援にはならないさ
追記)一般庶民の私ですらこの経済格差(というより意識の格差)に愕然としたのだから、いいとこのお坊ちゃんたちの集まりである国会議員の先生たち、特に首相経験者の皆様には、底辺の人間のことなんて皆目見当もつかないんだろうなぁ・・・
麻生君が「サモシい」と口を滑らしたのもわかるような気がするよ。
国民のすべてが明るい未来を目指して上昇志向を持っていたのはすでに昭和の幻影に過ぎないのさ。
今、日本国民の意識レベルがどんどん下がっていることに危機感を抱いている人たちが大勢いることも事実だけど、じゃぁどうしたらその下降線を止めることができるのかといわれると、それはかなり難しいことだと思うわけで、今さらどうしようもないよね。
2012年に未来につながることができるかどうかは本人の努力次第というわけなんだから。
連絡してみます~~
来年は大祭りデスネ!キラ~ン
こちらは変わらない方がいいものデスネ~~
お仕事忙しそうですね。
急に冷え込んできたからお身体ご自愛くださいね。
Aちゃんが慈雲さんから連絡がないって心配してましたよぉ~
このふれあい祭りのバザーはまさに
“いらないものの叩き売り”
そのものですね。
確かに他の催しに対しての客寄せの効果はあるのかもしれないけど、
はたして他の部署にどれだけ貢献しているのかは疑問です。
せいぜい農産物買って帰るくらいじゃないでしょうか?
社会福祉への理解を深めるとか、赤い羽根共同募金に協力するとかなんて意識はないと思いますよ。
(全部の“客”がそうだとは言いませんが)
せめて一番広い第1会議室を会場にしてもらえれば対面販売などもできるのでおのころ島の石鹸みたいなもっと有意義なものもいろいろ売れるのでしょうけど、何しろ部屋が狭いのでそれだけで戦場状態なのです。
ほんとこのご時勢、10年前・20年前と同じような運営をしていたのでは趣旨とどんどんかけ離れたものになっていくようで、今一度運営方法を再検討すべきなんではないでしょうかね。
来年もこれをやらなければならないかと思うと今から憂鬱です
(あ・・・ 来年は大祭りだからふれあい祭りはやらないのかな? だといいけど)
その主旨が 客寄せみたいに ほとんど空っぽになってきたものが多い様に感じていました
小学校のPTAバザーの企画運営のときは
バザーで「安く買う」事にのみ意義を持つ人に
知らないうちに チャリティーに参加していただいちゃえ ってことで
(利用したとも言う)
おのころ島さんの石鹸を置かせて頂いたり
牛乳パックを集めて トイットペーパーに交換して 販売したり
フェアトレードのチョコを 献品して
(本当は販売を狙っていたんですが断念)
一人でも多くの方に知っていただいたり
どうせやるなら と、少し上のバザーを狙って 強行しました
例年通りの 「いらないものの叩き売り」 を 運営したって 虚しいだけだし って 思って。
この時は 大変だったけれど
悔いはありません。
1年目のバザーと10年目のバザーでは
同じままではいけないのでしょうね。
そこは トップの考え方やり方にゆだねるしかないのが歯がゆいところでもあり…
思い を 遂げるには
私の苦手な 地位 とか 力(権力とか影響力とか)を 身につけつつ
情熱も持ち続けないと って
最近つくづく思います。
そういう方の 行き着くところが 政治家さんとかなんですね
どこで 初心を忘れちゃうんだろう
あ、初心から 違うのか