カーくん&ポックンのお散歩日和

イケメンエジプシャンもどきのカーくんとお人(犬)よし黒ポメチワのポックン そしてその飼い主ののんびりまったりな日常

児童虐待のニュースを見て思ったこと

2010年06月10日 10時08分15秒 | それってど~よ!?
一昨日のお昼だったか・・・
ニュースで昨年の児童虐待の件数についての話を見ていたバァチャンが一言

「なんで自分の子どもを虐待するだかねぇ・・・ 信じられないねぇ」


その言葉を聞いて思わず箸を落としそうになった

・・・あんたがあたしにしてきたことも立派な虐待だよ・・・


子どもの前で夫婦で罵り合いをする
子どもを罵る
子どもを殴る
子どもを家の外に出す
熱があって学校を休んでいる子どもを一人だけ家において仕事に行く
(まぁ小学校の高学年だったけどさ)

身体的暴力・心理的暴力・育児放棄
今だったら立派に虐待で通報されてただろうと思う。

そうは言ってもわが身を振り返ってみると・・・

完璧なるパワーハラスメントの中で育ったので
自分が結婚して子どもを育てるときは絶対に夫婦喧嘩はしないと心に決めて相手を選んだ。
何しろ自分が子どもが嫌いだから結婚相手の条件の一番目は子どもが好きな人(で、なおかつ婿に来れる人)だった。
親のエゴを押し付けることは絶対にしないようにというのが育児をする上での信念だった。

でもね・・・

子どもにはなるべくやりたいようにやらせてあげよう
と思ったけれど、なんにも考えてないような、やりたいことのまったく見当のつかない少年Hにはイライラしてつい否定的な言葉をかけてしまった

殴ってはいけないと思いつつノンビリマイペースな幼児Hやイケイケドンドンの幼児Yのお尻をたたいたことは数知れず

あんまり言うことを聞かない幼児Hを
「そんなにママの言うことが聞けないならお家にいなくていいです」
と言って玄関の鍵を閉めたら
幼児Hは泣きながら隣の家に救いを求めに行ったので、恥ずかしいから連れ戻しに行った
(そうゆう手もあったかとそのとき初めて気がついた)

何度言っても粘土で遊んだ後お片づけをしないので腹を立てて
「お片づけできないのなら粘土板を捨てちゃいます」
と言って放り投げたらたまたま幼児Yに当たってしまい
いまだにY嬢はそれを根に持っている
(母は記憶にない・・・

自分が中学時代徹底して自己責任を教育されたので、子どもたちがお便りを学校から持ってこない限りは持ち物などそろえなかった。本来なら忘れ物をして困ったとか恥ずかしいとか感じれば次からちゃんとお便りを持ってくるだろうと母としては考えていたが、少年Hや少女Yはあまり困ったとか恥ずかしいとかは感じなかったらしい。
なのでウチの子どもたちは忘れ物の常習犯としてブラックリストに載っていた。
今なら学校側からするとネグレクト(育児放棄)に見られるだろう。

さすがに高校の授業料の引き落としのお便りを持ってこなかったため何度か学校から督促状をもらうハメになった少女Yが「あんた恥ずかしいよ」と言ったので、「恥ずかしかったらお便りちゃんと持ってこい」と言ってやった。それ以来少女Yはお便りを持ってくるようになったけど、少年Hは高校卒業するまで・・・いや大学生になってもお便りというものや学校からの連絡というものにさほど重要性を感じていなかった。
今さらながらにもっとうるさくお便りを持ってくるよう催促すべきだったと後悔している。
(一応毎日今日はお便りないの?と確認したり、お便り持ってこないと困るのは自分なんだよとは諭してはいたのだけれど、お便りを持ってこないことに対して怒ったりなじったりはしなかったなぁ・・・)

ウチの子どもは根性無しだったのでやらなかったけど少年Hの友達は真冬でも半そでのTシャツで通学していた。
それも今なら立派なネグレクトと見なされる。

そういえば友人がまだ子どもが赤ちゃんの頃
夏の間実家に帰ってたらアパートにダニがわいて、秋の健診のときに子どもが身体中ダニに食われた痕を見た保健士さんに煙草の火でも押し付けてるんじゃないかって疑われたって笑い話もあったっけ。

毎回児童虐待がテーマの会合のたびに虐待の具体例を書いた資料を渡される。
そして疑いがある状況を目にしたら迷わずに通報するようにと念を押される。
今のお母さんたちはちょっとカッとなって子どもをたたいただけで虐待してしまったと悩むらしい。

はたして・・・それは自虐的な感情となりかえって母親のストレスを増やしているだけではないのかと疑問に思うときもある。

それに親に一度もたたかれたことのない子どもはきっと大人になって打たれ弱い人間になりやしないかと老婆心ながら心配になったりする。

「殴ったね! 親父にもぶたれたことないのに!」
アムロだってブライトさんに殴られて成長したわけで・・・


要するに親は子どもを一人前の人間にしなきゃいけないという責任があるからしかったり怒ったり、時には手も出るしきつい言葉を投げかけたりもするわけで、そこにはちゃんと子どもに対する愛情があれば虐待という定義には当てはまらないと思うのだけど、
書面や文言にするとその責任とか愛情とかという部分が省かれてしまうのです。

きっとバァチャンにしてみれば自分のしてきたことは私への愛情と責任に裏打ちされての行いなんだろう。
(私的には愛情のあの字も感じてないけどさ

今のところ青年Hも家を出ることもないし、Y嬢も粘土板の恨みはたまに言うけど家に帰ってくれば私のTシャツをパジャマ代わりに着ているし、なんだかんだと無理難題を吹っかけてくるあたり親を当てにしているわけだからとりあえず私たち両親の愛情はこんなもんなんだと理解してくれているのだろう。

親だって試行錯誤しながら子どもと一緒に人間として育っていくわけだから、時にはカッとなることもあるし殴ることもある。でも子どもだって親が自分のことに真剣に向き合ってくれてるってわかってれば別に問題はないんじゃないかな・・・

ただ中にはどう見ても子どもと真剣に向き合っているとは思えない親もいるけれど。
(子どもと携帯とどっちが大事なんだか)


私や友人たちはほぼ子育てもひと段落して、今ならあんなこともこんなことも笑い話ですむけれど、今現実に子育てしているお母さんたちにはけっこう厳しい時代なんじゃないかって思います。

確かに子どもの命を奪うような事件も多発しているけれど、それは周囲の親や友人が見守っていてあげたら回避できることもあると思うのだけど、現実問題周囲とうまくコミュニケーションがとれない親が増えてきてるから事件も増えているのでしょう。
だとしたら今の子どもたちのコミュニケーション能力を高めていかない限り虐待の問題は解決しないってことだよね。

あ・・・ ウチにも一人居た。コミュニケーション能力の低い奴が。
まぁ奴が結婚して子どもができるって確率はかなり低いと思うけど・・・

虐待って面から考えると感情の起伏の激しいY嬢の方が危ないかもしれない。なにしろバァチャンそっくりの性格だからなぁ・・・
親元から離れたところで結婚して子ども産んだらちょっと目が届かないよねぇ・・・

そろそろ自分の子育てじゃなくて子どもの子育て(つまり孫育て)の心配をしなくちゃならないお年頃になってしまったんですねぇ・・・
(私よりはるかに若い、Y嬢のお友達のおかあさんが先日孫を連れているのに出くわした


親は自分が育てられたよう子どもを育てる
って話を聞いたことがあります。
無意識の中に刷り込まれた記憶が無意識に子育ての中に反映されるって事なんだけど・・・

私の場合はアンチバァチャンの顕在意識が自分がバァチャンにやられたことは絶対に自分の子どもにはやるまいと気張ってるんだけど、実は無意識のところで結局は似たような子育てをしていたということです。

ウチの子どもたちはどんな子育てをするんだろう・・・
心配だ。
(ってかその前に結婚できるのか? いや、そもそも就職できるのか

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2 コメント

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うーん (cuten)
2010-06-16 13:20:41
思わず、最後まで食い入るように読んじゃいました。

基本「愛情」があれば、親から子への精神的、肉体的に”多少”キツいことでも、結果的には許されると思うんですが…心情的にはツラいよね。受けた側としては。

育ち方、育てられ方って、身体の髄まで染み込んでいるものだから、意識的に「こうしよう」「これはしない」と思っても、無意識に出ちゃうのよね。

ウチもお便りにはずっと悩まされてるわ~。
とばっちりを受ける親の立場を全く理解しようとしないので、「そんなにもママに恥をかかせたいのか!」と本気でキレて以来、だいぶマシになりました。
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たまには (さとけ)
2010-06-18 09:27:05
>cutenさん

たまには親だってキレルことも大事よねぇ
(抵抗できない小さな子にはキレちゃいけないけどさ・・・)

それだけ真剣なんだって子どもにアピールしなきゃ

ただ感情に任せてだったりあまりにもエスカレートするとちょっと問題なんだけどね。


その辺の匙加減ってものが難しいですね。
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