僕にはブランド志向と言うものが無い。
ブルガリとかコーチとかオメガとか聞いても、一体何の商品ブランドなのか、そもそも高級なのか女ものなのか、という判断すら明瞭にはできない。
そういうわけで、自分が買うものもブランドものではない。だったとしても、それは偶然で、「このブランドが良いからこれを買ったのだ」という事はほとんどない。
上記の例は衣料・アクセサリーとか、そのへんを取り上げたけれども、別にこれはなんでもいい。車でもパソコンでもメガネでも同じだと思う。
よくわかってない。
よくわかってないが、それは別に悪い事じゃないと思う。
そんなに損はしない。ブランドっていうのは見栄を張るための道具だから、いやそこまでして背伸びしたくねーよ、みたいな考えを持っていた。
でもそれだと人生うまく立ち行かないなあ、と考えさせられたのが、先日の幼馴染会での出来事。
詳細は(恥ずかしいから)省く。←こういうことするから、後から読み返すのが主義のブログなのに、主義主張の根拠が分かりづらくなってメッセージ性が薄れる。目的があってブログを書いているならば、しっかりをそれを果たすべき文章と要素を盛り込むべきだ。
ブランド志向が無い事は、ただ単に「カッコつかない」とか「見栄を張らない・張れない」という事ではなく、「身なり」の問題になってくる。と気付いた。
さらに今が入社を控えた23歳(!)であるということを加味すればもっともである。
まあでも、それはメチャクチャ甚大な問題ではないし、ここで大きく取り上げるつもりもない。
問題はプレゼントする場合である。
贈与ってことは、買うのは自分で、使うのは他人だ。
買うのが自分ってのは、その商品に対して判断をするのも当然自分でないといけない。
その時に「ブランド志向」がないと、トンチンカンなものを買って、相手を困惑させたり、失礼になったり、礼儀を欠く場合が起こるかもしれない。
恥をかくだけでは済まない。
これも学生のうちなら赦されるかもしれないが(といっても僕は臆病だから赦されるとか全然思ってない)、これからは違うと思う。
僕は誰かに何かをプレゼントしたことが無い。
無いっちゅーのは大袈裟だけど、ほっっっっっとんど皆無に等しいと思う。
あげたとしても食い物とか、ネタに走ったもの、そのぐらい。
彼女にも何かを買ってやったことは無いと胸を張って言える。張るな。
というのも誰かに何かを買ってあげるというのはあんまり好きな行為じゃない。から。
いやいやそれって何よ、好きじゃないからじゃ許されないでしょ、って言われたら僕は全身の穴と言う穴から血を噴き出して死ぬしかない。
でもやっぱり好きじゃないので、できるだけしないようにして生きてきた。
なので、「何を買えば、何を挙げれば相手が喜ぶか」ということも、当然できるだけ考えないようにして生きてきたのだ。
そうすると、「何かと世話になった人」「なんかくれた人へのお返し」等々、の状況に直面した時になにもできなくなる。
時にっつーか、今がまさにそれなんだが。
ほらやっぱ社会人になるし。親戚関係、結構仲悪いからそのへんは問題無いんだけどな。親の友達とかが結構よくしてくれるので。あと僕の友人のご両親か。つーかお母様だな。
いやいやそういうのでなしにしても、ただの友人にだってそう。
わりと最近そういうシチュが多い。で、だいたい全部のパターンでなにも出来てない。
ア...ア...
これが23歳じゃなくて3歳だったら「ぱぱ」とか題した絵を書いて似顔絵でも書いて渡してやりゃーこれでオールオッケーなのにな。
なんで今唐突にパパが登場したんだ。親には何もやらん。やらんこたないけど。
このへんの世間に対する疎さは、どこから来たのだろう。
だいたい、こういう自分が損してる現実に対する原因って、自分以外に求めちゃって、しかも親とか環境とか社会のせいにするからホントにタチ悪いと思う。
思うけど、それが自分の気持ちであるならばとりあえず書いてみていーか、もー知らん。
と思ったけど一番最初に浮かんだのは自分の性格だった。曰く「めんどくさがり」。
誰かに何かをもらったら最初に考えるのはこれ。
「えっこれくれるのマジでやったーうれしー。ありがとー。でもお返しとか用意した方がいいよね。いずれ。買いに行くのか。面倒だな。だったら最初から自分で買ったわ。なんで買ってきたんだテメー。貴重な時間が減るだろうが。」
たぶんこの「貴重な時間」ってやつはゲームかツイッターに消えるんだと思う(苦笑)
うれしいはうれしいのだが、どうもこうなってしまう。
これが「お返し」を意識させる「立場」にある相手だと余計こうだ。
なにをあげたら良いのか?もちろんこれに対する回答の材料が全くないんだから、それを解決させるための労力は、僕にとってはかなりハンパネェものとなる。
だったら最初から何もない方が楽だわ、とこうなりますわな
世間とずれてるよなー。ずれまくってる。
このへんの感覚を養うにはどうすればいいんだろう。
友達や彼女にだって何かをプレゼントしたことがほとんど無いのに、それから社会人になったらそういうレベルじゃない「贈与」の機会が発生するのに、どうするつもりなのか。
彼女にプレゼントをしたことがないのは、別に何かをプレゼントしてやる価値すらなかったとかそういうことじゃないです(ちなみに僕はモノをもらったことがあります)
いやもしかしたらお返しぐらいはしているのかも知れんが全く記憶にないので多分していない。
そのへんの距離感というか、人間関係に関する考え方みたいなのは別の機会に書いていきたい。
でも、友達が「彼女に誕生日に何買ったらいいか迷うよぉ~」みたいな事言ってると、「難しいよねー」とか適当に合わせつつ心の中では迷うぐらいつらい思いしてるなら買わなきゃいいだろセックスでもすりゃいいんじゃねとか本気で思ってる。
閑話休題
さらには欲しいもののためにバイトをしてお金をためたっていう経験もないので、やっぱりそのへんもちょっとアレ。
ていうかそこまでしないと買えないものならば諦めるしそのぶん労働したくない。
小さいときだって親におもちゃをねだった事は一度もない(母親談)。
だから、そういう物品を購入する(っていう目的だけじゃないってことはもちろんわかってるけど)ための労働はもともと僕の脳味噌にはない。
ちなみに今のバイトは借金返済のためにやってることで、お金は全然たまらないしなんかスゲー買い物をした記憶もない。
お金の使い道と言えばほとんど交際費で、このへんの比重はかなり大きい。そのへんについては次回にちょっと深く書いていきたい。
閑話休題っつったのにドンドンずれてってる。
なんでずれてってるかっていうと閑話休題って書いたその辺で、もう既に言いたい事はいい終わったからだった。そうだそうだ。てへ。
他人に何かをプレゼントするとき、その「モノ」はどんなジャンルになるだろう。
もちろん相手とかシチュエーションにもよるけど、そう考えた時、やっぱり僕が今までふわっと所属していた「おたくっぽいクラスタ」っていうのが足を引っ張っていると思う。
あの辺にいるとそーゆーのホントわかんねーから。
それを言い訳にするつもりはないけど、逆にそのへんのおたくっぽい人たちは誰かに何かをあげる時にどーしているのかたいへん気になる。
ていうか恋人の誕生日にいろいろ買っちゃう人たちもどこでその判断基準を身に付けるのか分からん。
どうすればそうなれるかを模索していきたい。
いつまでたってもまとまらないからこのへんでやめる。
要するにプレゼントできない社会人になりたくないんです。
根源的にはしたくないんだけど。
礼儀として。
コミュニケーションの一環として。
まあまだ若いしじっくりやっていくか。
しばらくこういう独白というか、自分の価値観、考え方、触れてきた世界についての記事が続きます。
ブルガリとかコーチとかオメガとか聞いても、一体何の商品ブランドなのか、そもそも高級なのか女ものなのか、という判断すら明瞭にはできない。
そういうわけで、自分が買うものもブランドものではない。だったとしても、それは偶然で、「このブランドが良いからこれを買ったのだ」という事はほとんどない。
上記の例は衣料・アクセサリーとか、そのへんを取り上げたけれども、別にこれはなんでもいい。車でもパソコンでもメガネでも同じだと思う。
よくわかってない。
よくわかってないが、それは別に悪い事じゃないと思う。
そんなに損はしない。ブランドっていうのは見栄を張るための道具だから、いやそこまでして背伸びしたくねーよ、みたいな考えを持っていた。
でもそれだと人生うまく立ち行かないなあ、と考えさせられたのが、先日の幼馴染会での出来事。
詳細は(恥ずかしいから)省く。←こういうことするから、後から読み返すのが主義のブログなのに、主義主張の根拠が分かりづらくなってメッセージ性が薄れる。目的があってブログを書いているならば、しっかりをそれを果たすべき文章と要素を盛り込むべきだ。
ブランド志向が無い事は、ただ単に「カッコつかない」とか「見栄を張らない・張れない」という事ではなく、「身なり」の問題になってくる。と気付いた。
さらに今が入社を控えた23歳(!)であるということを加味すればもっともである。
まあでも、それはメチャクチャ甚大な問題ではないし、ここで大きく取り上げるつもりもない。
問題はプレゼントする場合である。
贈与ってことは、買うのは自分で、使うのは他人だ。
買うのが自分ってのは、その商品に対して判断をするのも当然自分でないといけない。
その時に「ブランド志向」がないと、トンチンカンなものを買って、相手を困惑させたり、失礼になったり、礼儀を欠く場合が起こるかもしれない。
恥をかくだけでは済まない。
これも学生のうちなら赦されるかもしれないが(といっても僕は臆病だから赦されるとか全然思ってない)、これからは違うと思う。
僕は誰かに何かをプレゼントしたことが無い。
無いっちゅーのは大袈裟だけど、ほっっっっっとんど皆無に等しいと思う。
あげたとしても食い物とか、ネタに走ったもの、そのぐらい。
彼女にも何かを買ってやったことは無いと胸を張って言える。張るな。
というのも誰かに何かを買ってあげるというのはあんまり好きな行為じゃない。から。
いやいやそれって何よ、好きじゃないからじゃ許されないでしょ、って言われたら僕は全身の穴と言う穴から血を噴き出して死ぬしかない。
でもやっぱり好きじゃないので、できるだけしないようにして生きてきた。
なので、「何を買えば、何を挙げれば相手が喜ぶか」ということも、当然できるだけ考えないようにして生きてきたのだ。
そうすると、「何かと世話になった人」「なんかくれた人へのお返し」等々、の状況に直面した時になにもできなくなる。
時にっつーか、今がまさにそれなんだが。
ほらやっぱ社会人になるし。親戚関係、結構仲悪いからそのへんは問題無いんだけどな。親の友達とかが結構よくしてくれるので。あと僕の友人のご両親か。つーかお母様だな。
いやいやそういうのでなしにしても、ただの友人にだってそう。
わりと最近そういうシチュが多い。で、だいたい全部のパターンでなにも出来てない。
ア...ア...
これが23歳じゃなくて3歳だったら「ぱぱ」とか題した絵を書いて似顔絵でも書いて渡してやりゃーこれでオールオッケーなのにな。
なんで今唐突にパパが登場したんだ。親には何もやらん。やらんこたないけど。
このへんの世間に対する疎さは、どこから来たのだろう。
だいたい、こういう自分が損してる現実に対する原因って、自分以外に求めちゃって、しかも親とか環境とか社会のせいにするからホントにタチ悪いと思う。
思うけど、それが自分の気持ちであるならばとりあえず書いてみていーか、もー知らん。
と思ったけど一番最初に浮かんだのは自分の性格だった。曰く「めんどくさがり」。
誰かに何かをもらったら最初に考えるのはこれ。
「えっこれくれるのマジでやったーうれしー。ありがとー。でもお返しとか用意した方がいいよね。いずれ。買いに行くのか。面倒だな。だったら最初から自分で買ったわ。なんで買ってきたんだテメー。貴重な時間が減るだろうが。」
たぶんこの「貴重な時間」ってやつはゲームかツイッターに消えるんだと思う(苦笑)
うれしいはうれしいのだが、どうもこうなってしまう。
これが「お返し」を意識させる「立場」にある相手だと余計こうだ。
なにをあげたら良いのか?もちろんこれに対する回答の材料が全くないんだから、それを解決させるための労力は、僕にとってはかなりハンパネェものとなる。
だったら最初から何もない方が楽だわ、とこうなりますわな
世間とずれてるよなー。ずれまくってる。
このへんの感覚を養うにはどうすればいいんだろう。
友達や彼女にだって何かをプレゼントしたことがほとんど無いのに、それから社会人になったらそういうレベルじゃない「贈与」の機会が発生するのに、どうするつもりなのか。
彼女にプレゼントをしたことがないのは、別に何かをプレゼントしてやる価値すらなかったとかそういうことじゃないです(ちなみに僕はモノをもらったことがあります)
いやもしかしたらお返しぐらいはしているのかも知れんが全く記憶にないので多分していない。
そのへんの距離感というか、人間関係に関する考え方みたいなのは別の機会に書いていきたい。
でも、友達が「彼女に誕生日に何買ったらいいか迷うよぉ~」みたいな事言ってると、「難しいよねー」とか適当に合わせつつ心の中では迷うぐらいつらい思いしてるなら買わなきゃいいだろセックスでもすりゃいいんじゃねとか本気で思ってる。
閑話休題
さらには欲しいもののためにバイトをしてお金をためたっていう経験もないので、やっぱりそのへんもちょっとアレ。
ていうかそこまでしないと買えないものならば諦めるしそのぶん労働したくない。
小さいときだって親におもちゃをねだった事は一度もない(母親談)。
だから、そういう物品を購入する(っていう目的だけじゃないってことはもちろんわかってるけど)ための労働はもともと僕の脳味噌にはない。
ちなみに今のバイトは借金返済のためにやってることで、お金は全然たまらないしなんかスゲー買い物をした記憶もない。
お金の使い道と言えばほとんど交際費で、このへんの比重はかなり大きい。そのへんについては次回にちょっと深く書いていきたい。
閑話休題っつったのにドンドンずれてってる。
なんでずれてってるかっていうと閑話休題って書いたその辺で、もう既に言いたい事はいい終わったからだった。そうだそうだ。てへ。
他人に何かをプレゼントするとき、その「モノ」はどんなジャンルになるだろう。
もちろん相手とかシチュエーションにもよるけど、そう考えた時、やっぱり僕が今までふわっと所属していた「おたくっぽいクラスタ」っていうのが足を引っ張っていると思う。
あの辺にいるとそーゆーのホントわかんねーから。
それを言い訳にするつもりはないけど、逆にそのへんのおたくっぽい人たちは誰かに何かをあげる時にどーしているのかたいへん気になる。
ていうか恋人の誕生日にいろいろ買っちゃう人たちもどこでその判断基準を身に付けるのか分からん。
どうすればそうなれるかを模索していきたい。
いつまでたってもまとまらないからこのへんでやめる。
要するにプレゼントできない社会人になりたくないんです。
根源的にはしたくないんだけど。
礼儀として。
コミュニケーションの一環として。
まあまだ若いしじっくりやっていくか。
しばらくこういう独白というか、自分の価値観、考え方、触れてきた世界についての記事が続きます。