以伸伝伸

以伸伝伸早慶戦~それぞれの人生~

やっぱり僕は自己評価が不当に高い。(オフ会編)

2013年01月07日 23時09分42秒 | めがね 日記
オフ会編のあとはアーリーアダプター編に続く。

ぼくの中で最近オフ会がブームだ。
最近と言っても、2012年に入ったか入らないか、それぐらいのあたりだと思う。
ちょうど、サークルを引退して、就活を始めた頃だ。

理由はいろいろあって、サークルを引退したせいで「こいつらとつるんでいればいい」という所属欲求が満たせなくなったとか、おかげで一人で勝手に行動できる時間が増えたからとか、某就活をナビしてくれるサイトのイベントでツイッター大フォメー祭りが開催されたからだとか、そんな感じだ。
その2つというのがうまく作用し合って、めくるめくオフ会パラダイスに僕を誘(いざな)う結果になったのだと思う。

オフ会の中でもいろんなクラスタがある。ほとんどは就活。あとは早稲田、音ゲー。この3つに分類できる。

就活オフなんていうと、どこぞの意識高い学生とは違って就職留年オフなんていうものを数度主催したり、どちらかというと落伍者あちまれェ、みたいな雰囲気ではあった。
そういうわけで、そこに集まるのは僕も含めて落ちこぼれが多くなったわけだ。

早稲田オフとなると、知り合いの知り合いっていうパターンが多いので、先入観がどうということはない。

音ゲーは上2つとは格が違う。ここではあんまり多くを語っても仕方ないから省くけど、とにかくとんでもない大物とか、上手い人とか、そういうのばっかり集まる。えーっ、その名前聞いたことあるよぉ!みたいな。

そういうわけで、この3つの類型に大別できますね。クラスタに対する先入観、というか集団の特徴。しょぼいひと、すごいひと、特にそういうのがない人、たち。

こういう場に僕が飛び込んだ時に、相対的に自分を見てどう思うか、どう感じるか。いつもこういう事ばかり考えてしまう。今回の記事の要点はここです。

話を脇道に逸らしますが、
やはりブログをサボっていたせいで文章の組立、書き方がかなり下手になっていると感じる。
前置き長すぎるもの。しかし、もっと削ってもいいなと思う反面、冗長でも思ったことを漏らさず書けるという考え方もありかな、などと思ったりもする。

さて、例えば就活オフではどうか。だいたいみんな無い内定だったり留年してたりするわけです、その意味ではほぼ同じフィールドに立っていると言える。
言えるのだが。中にはスゲェ突出した奴がいたりする。えーっ、なんでお前無い内定なの。みたいな。
そういう奴を見ると「ああ俺ってダメだなぁ、今まで何してたんだろう」という劣等感に苛まれる。
というか、極端なもので、そのうち自分より一つでも優れたところを持つ人に出会うと「こらかなわん」と思うようにもなったりする。
もちろんその人も一長一短なのであって、俺のほうが優れているところはあるはずなのだが、あの劣等感がどうしても表に出てきてしまう。
それでもバランスをとっていきたいから、僕は相手を「イジる」ことで心の均衡を保っている。イジっている限りは自分の劣等に注意が向くこともないし、優位性を担保できている。根源的には自己評価は高いので、要は相手と対面している短い時間だけでもバランスをとりたくなるので、このような関わり方しかできない。

それでは音ゲークラスタはどうか?こちらは「音ゲー」という点では明らかに相手のほうが上だ。
無条件に自分の劣等を認めてハイおしまい、となりたいものだがうまくいかない。

ここからが要旨。

相手の実力は想像を絶するような努力と積み重ねに裏打ちされたものだ。自分はそれをしてこなかったから、負けて当然。相手のほうが上に決まってる。
決まってるのに、なぜか僕は自分と相手を同じ土俵で比べたがる。
そして「負けた」と感じている。
本来ならば勝ち負けを比較することすらおこがましいのに、それをやってのけてしまうのはひとえに「自己評価が高いから」ではないか?と考えている。
そのへんのロジックは自分で言っててもよく分からないのだが、間違ってる感じはしていない。

そういうわけで、このへんについては「絶対的な劣等感があるのに自己評価はメチャクチャ高い」みたいなよくわからん状態になってる。

負けず嫌いの性格がねじれた感じ?
それとも普通なんですかね、ここまでだらだらと書き連ねてイヤ普通そうだよとか言われたら卒倒モンだけど、それはそれで新発見だからいいか。

それでその、さっき述べた「努力と積み重ね」なんだけど、それに対する思いが「くそう、俺も若い頃からちゃんとやってればなぁ」しか出てこないのよね。
今からでも頑張ろう!じゃなくて。俺の中では今からじゃ遅いことになってるみたい。
とにもかくにも、何かに突出した奴が羨ましくて仕方がない。
突出しているということは、努力と積み重ねを繰り返し、また他のことを諦めてきた、ということにもなるのだと思う
(つまり、突出した面では僕より当然に優れているし、諦めてきたことはもしかしたら僕のほうが優れているかもしれない)
そりゃ当然の話で。なんだけど、その突出ということそのものに羨望の眼差しを向けているのかもしれない。
自分の平凡さと中途半端さに嫌気が差してきている。

あと、こんなことをグチグチ書いてる時点で、人のことを優れている優れていないで見ているということがバレてしまった。
良く言えば、相手の長所をみている、見出しているということにもなるんだろうけど…

勝ち組負け組の理論みたいでなんだか嫌らしいわね。

ああそう、それで、オフ会ばかりやっているとこういう事のループが何度も続くわけで、自己評価とかそのへんがメチャクチャにロードローラーされていうというかなんというか。

まとまらん。

↑冗長なので添削推敲中。

ブランド志向と礼儀について。(あとコミュニケーション)

2013年01月06日 03時00分57秒 | お気に入り
僕にはブランド志向と言うものが無い。

ブルガリとかコーチとかオメガとか聞いても、一体何の商品ブランドなのか、そもそも高級なのか女ものなのか、という判断すら明瞭にはできない。
そういうわけで、自分が買うものもブランドものではない。だったとしても、それは偶然で、「このブランドが良いからこれを買ったのだ」という事はほとんどない。

上記の例は衣料・アクセサリーとか、そのへんを取り上げたけれども、別にこれはなんでもいい。車でもパソコンでもメガネでも同じだと思う。
よくわかってない。

よくわかってないが、それは別に悪い事じゃないと思う。
そんなに損はしない。ブランドっていうのは見栄を張るための道具だから、いやそこまでして背伸びしたくねーよ、みたいな考えを持っていた。

でもそれだと人生うまく立ち行かないなあ、と考えさせられたのが、先日の幼馴染会での出来事。

詳細は(恥ずかしいから)省く。←こういうことするから、後から読み返すのが主義のブログなのに、主義主張の根拠が分かりづらくなってメッセージ性が薄れる。目的があってブログを書いているならば、しっかりをそれを果たすべき文章と要素を盛り込むべきだ。

ブランド志向が無い事は、ただ単に「カッコつかない」とか「見栄を張らない・張れない」という事ではなく、「身なり」の問題になってくる。と気付いた。
さらに今が入社を控えた23歳(!)であるということを加味すればもっともである。
まあでも、それはメチャクチャ甚大な問題ではないし、ここで大きく取り上げるつもりもない。

問題はプレゼントする場合である。

贈与ってことは、買うのは自分で、使うのは他人だ。
買うのが自分ってのは、その商品に対して判断をするのも当然自分でないといけない。
その時に「ブランド志向」がないと、トンチンカンなものを買って、相手を困惑させたり、失礼になったり、礼儀を欠く場合が起こるかもしれない。
恥をかくだけでは済まない。
これも学生のうちなら赦されるかもしれないが(といっても僕は臆病だから赦されるとか全然思ってない)、これからは違うと思う。

僕は誰かに何かをプレゼントしたことが無い。
無いっちゅーのは大袈裟だけど、ほっっっっっとんど皆無に等しいと思う。
あげたとしても食い物とか、ネタに走ったもの、そのぐらい。
彼女にも何かを買ってやったことは無いと胸を張って言える。張るな。

というのも誰かに何かを買ってあげるというのはあんまり好きな行為じゃない。から。
いやいやそれって何よ、好きじゃないからじゃ許されないでしょ、って言われたら僕は全身の穴と言う穴から血を噴き出して死ぬしかない。
でもやっぱり好きじゃないので、できるだけしないようにして生きてきた。
なので、「何を買えば、何を挙げれば相手が喜ぶか」ということも、当然できるだけ考えないようにして生きてきたのだ。

そうすると、「何かと世話になった人」「なんかくれた人へのお返し」等々、の状況に直面した時になにもできなくなる。
時にっつーか、今がまさにそれなんだが。
ほらやっぱ社会人になるし。親戚関係、結構仲悪いからそのへんは問題無いんだけどな。親の友達とかが結構よくしてくれるので。あと僕の友人のご両親か。つーかお母様だな。
いやいやそういうのでなしにしても、ただの友人にだってそう。
わりと最近そういうシチュが多い。で、だいたい全部のパターンでなにも出来てない。

ア...ア...

これが23歳じゃなくて3歳だったら「ぱぱ」とか題した絵を書いて似顔絵でも書いて渡してやりゃーこれでオールオッケーなのにな。
なんで今唐突にパパが登場したんだ。親には何もやらん。やらんこたないけど。

このへんの世間に対する疎さは、どこから来たのだろう。
だいたい、こういう自分が損してる現実に対する原因って、自分以外に求めちゃって、しかも親とか環境とか社会のせいにするからホントにタチ悪いと思う。
思うけど、それが自分の気持ちであるならばとりあえず書いてみていーか、もー知らん。

と思ったけど一番最初に浮かんだのは自分の性格だった。曰く「めんどくさがり」。
誰かに何かをもらったら最初に考えるのはこれ。
「えっこれくれるのマジでやったーうれしー。ありがとー。でもお返しとか用意した方がいいよね。いずれ。買いに行くのか。面倒だな。だったら最初から自分で買ったわ。なんで買ってきたんだテメー。貴重な時間が減るだろうが。」

たぶんこの「貴重な時間」ってやつはゲームかツイッターに消えるんだと思う(苦笑)
うれしいはうれしいのだが、どうもこうなってしまう。
これが「お返し」を意識させる「立場」にある相手だと余計こうだ。
なにをあげたら良いのか?もちろんこれに対する回答の材料が全くないんだから、それを解決させるための労力は、僕にとってはかなりハンパネェものとなる。
だったら最初から何もない方が楽だわ、とこうなりますわな

世間とずれてるよなー。ずれまくってる。
このへんの感覚を養うにはどうすればいいんだろう。
友達や彼女にだって何かをプレゼントしたことがほとんど無いのに、それから社会人になったらそういうレベルじゃない「贈与」の機会が発生するのに、どうするつもりなのか。

彼女にプレゼントをしたことがないのは、別に何かをプレゼントしてやる価値すらなかったとかそういうことじゃないです(ちなみに僕はモノをもらったことがあります)
いやもしかしたらお返しぐらいはしているのかも知れんが全く記憶にないので多分していない。
そのへんの距離感というか、人間関係に関する考え方みたいなのは別の機会に書いていきたい。
でも、友達が「彼女に誕生日に何買ったらいいか迷うよぉ~」みたいな事言ってると、「難しいよねー」とか適当に合わせつつ心の中では迷うぐらいつらい思いしてるなら買わなきゃいいだろセックスでもすりゃいいんじゃねとか本気で思ってる。

閑話休題

さらには欲しいもののためにバイトをしてお金をためたっていう経験もないので、やっぱりそのへんもちょっとアレ。
ていうかそこまでしないと買えないものならば諦めるしそのぶん労働したくない。
小さいときだって親におもちゃをねだった事は一度もない(母親談)。
だから、そういう物品を購入する(っていう目的だけじゃないってことはもちろんわかってるけど)ための労働はもともと僕の脳味噌にはない。

ちなみに今のバイトは借金返済のためにやってることで、お金は全然たまらないしなんかスゲー買い物をした記憶もない。
お金の使い道と言えばほとんど交際費で、このへんの比重はかなり大きい。そのへんについては次回にちょっと深く書いていきたい。

閑話休題っつったのにドンドンずれてってる。

なんでずれてってるかっていうと閑話休題って書いたその辺で、もう既に言いたい事はいい終わったからだった。そうだそうだ。てへ。

他人に何かをプレゼントするとき、その「モノ」はどんなジャンルになるだろう。
もちろん相手とかシチュエーションにもよるけど、そう考えた時、やっぱり僕が今までふわっと所属していた「おたくっぽいクラスタ」っていうのが足を引っ張っていると思う。
あの辺にいるとそーゆーのホントわかんねーから。
それを言い訳にするつもりはないけど、逆にそのへんのおたくっぽい人たちは誰かに何かをあげる時にどーしているのかたいへん気になる。
ていうか恋人の誕生日にいろいろ買っちゃう人たちもどこでその判断基準を身に付けるのか分からん。

どうすればそうなれるかを模索していきたい。

いつまでたってもまとまらないからこのへんでやめる。

要するにプレゼントできない社会人になりたくないんです。
根源的にはしたくないんだけど。
礼儀として。
コミュニケーションの一環として。

まあまだ若いしじっくりやっていくか。

しばらくこういう独白というか、自分の価値観、考え方、触れてきた世界についての記事が続きます。

辻堂のもとに集え

2013年01月06日 01時48分28秒 | めがね 日記
新年あけまして、1/2の午前5時ごろのこと。

謎の腹痛で目が覚める。
これがなかなかどうして、1時間ほど収まらない。
便意もなく、それどころかトイレへと歩く気力すらない。
呻く。

気が付いたらトイレで吐いてた。
具合悪くて吐いたのなんて多分数年ぶりだと思う。

そこらへんで動けなくなったので、這って布団に戻って気絶してた。
そのまま気絶していればよかったのに、腹痛でまた目が覚めてしまった。

1/2はそれで終わってた。
あ、深夜に救急外来行って薬貰ったんだ。

3日は大事な用事があったので、頑張って治そうとした。
びっくりする胃を叱りつけながらユーグルトとか食べた。
あと病院からもらった薬も飲んだ。ただのビオフェルミンだった。
でもこれがすごくて、熱が37度台まで下がって夕方には粥が食えるまで回復してた。

回復したので夕方飲み会に出かけた。

なんとなく疎遠になって、10年以上あってなかった近所の幼馴染が一堂に会する素敵な飲み会、これに欠席するわけにはいかなかった。

お通しのサラダ、お茶、その他つまみの一部を頑張って食べた。
頑張った。

人間の回復力は凄い。

帰ってから腹を下した。