今日はザ・タイガースのビューティフルコンサートから54年目 2025年01月24日 23時39分46秒 | ジュリー・メモリーズ 今日はザ・タイガースのビューティフルコンサートから54年目です。地方にいるとコンサートはTV放映でしか見るすべが有りませんが、放送のあの日は忘れません。 以下は、一昨年のブログから ザ・タイガース解散から52年 - (移転しました)Saoの猫日和/old 今日1月24日は、52年前の1971年にザ・タイガースが解散した日。ジュリーを一目見た小学生の日から、ジュリーとザ・タイガースのファンになりました。たった4年半しか活動し... goo blog 昨日のLINE CUBE SHIBUYA、ぺこりんさんからもライブレポを頂きました。有難うございます(^^♪ (ぺこりんさんより) 渋谷は暖かな日でしたが、ジュリーの、寒かったでしょう!冷えたでしょう?!もう、いい歳なんだからのお声がけから始まりました。ジュリーをお迎えした時にスタンディング、すると、(座って下さい~)と、小さめの声が。。それでも ジュリーが歌いだし、皆 チンアナゴのように、ニョキニョキと立ちはじめて。 遠い席でしたので、自分のペースで楽しみました。お顔色が 白く見えました。新バンドメンバーさんも、両手お手振りで、はいってくる方、下うつむきかげんにはいってくる方で、東京ステージはお初に。中でも♬麗人は ひきこまれましたね。 1列端の席で男性(おじい様?)が 座りながらも、♬一生懸命では、ホントに一生懸命、楽しそうにお手をくるくる、ジュリーは何度か そのおじい様の前に立ち、みつめて歌ってました。バンドさんにもお手振りしたり😊 MCでは、トークしながらジャケットのボタン、はずしたり 留めたりを繰り返して。 鼻水もすすりながら、もうすでに 話題は巷に溢れてますので(トリマ)アプリを早速、取り入れた方も多いのでは? 歩数が500歩?思いのほかと、スマホを体(お腹とか)に、こすりつけるポーズをしていました。振ると歩数が増えるんやなと。 時おり、言葉が思い出せずに答え(西日)では、遠回しに布施明さんの名前が。曲の歌詞が。私は、テレサテンさんが出てきましたが。「キネマの神様」の時の条件、宣伝活動はしない、髪は伸ばしの状態で、よければと、それで、ホラ、出演者 皆で、作品を褒め合う、、客席ざわざわ(舞台挨拶?)との声も聞こえたり。 とにかくそいうのは、性に合わない。笑いあり拍手ありの会場 ステージはお医者さんに見られたら(やめなさい!)と言われる。 渋谷だったら、あれ食べよう、横浜はシュウマイ弁当、楽しい稼業🎶 いろいろあっても、楽しく過ごせる為の中のひとつに、僕のライブがあるのであればと😚 去り際に又、客席のぞいて。愛しさ残して そのまま拍手が、♬俺たち最高の手拍子に。ちょっと頭ぼーでしたので。遅くのご報告ですみません。 ぺこりんさん、渋谷レポを有難うございます >『言葉が思い出せずに答え(西日)では、遠回しに布施明さんの名前が。曲の歌詞が。』 なんで西日が話題になったのか分かりませんが、それは布施さんの1974年3月発売「積木の部屋」の歌詞ですね。 西日だけが入る 狭い部屋で ふたり♬ もう50年以上も前になりましたが、幼馴染の同級生が、いい曲だわ~♪と口ずさんでいました。私は心の中で、ふん、ジュリーの方がいいわよ! しかも・・ だけど満ち足りていた~♪ の歌詞が、だけど みじかいていた~?? にしか聞こえず、意味がわからん? 随分たってようやく、正しい歌詞を知りました💦 なんかそんな しょうーもない、どう~でもいい思い出が50年も経って蘇りました(笑) 布施さんに限らず特に誰かをライバル視した事はあまりなかったのですが、あの当時の歌謡賞レースでジュリーのライバルでした。 1974年の3月ころなら、ジュリーは「恋は邪魔者」。 東京音楽祭の時の派手な衣装と、地べたにつきそうなほどの大股開きのパフォーマンスは、今でも忘れないほど強烈でパワー全開でした。現在の幾分見た目は枯れた風情の銀髪のジュリーと比べたら、やはり今は歳を取ったと言うべきか。いやいや、見た目は変わっても気力はまだ衰えてへんで!! 1974年3月21日、沢田研二「恋は邪魔もの」がリリース〜“ロックスター・ジュリー”の幕開けとなった名曲 【大人のMusic Calendar】 沢田研二にとって1974年は画期的な年となった。 完全に井上バンドの音だけで制作された「恋は邪魔もの」(作詞安井かずみ・作曲加瀬邦彦)が発売... ニッポン放送 NEWS ONLINE 今夜、夜9時からマリリンさんのXで、緊急ジュリーにチェックイン! « (1月23日)沢田研二LIVE 20... | トップ | 1月24日、ピーの24~25二十二... »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (あこ) 2025-01-25 08:14:53 解散から54年シローはいないけれど他のメンバーは歌手として俳優として活躍。トッポも参加でライブができれば素晴らしい!ライブレポありがとうございます。ジュリーをはじめ新バンドの方々まだこれからですね。渋谷には裕子さんも。なんかいいですね!✨ 返信する Unknown (sao) 2025-01-25 09:52:15 >あこ さんへ>解散から54年... への返信これからのライブがいっそう楽しみです。 返信する Unknown (高杉セブン) 2025-01-25 09:57:36 NHKBS伝説のコンサートで、70年の田コロライブと71年のビューティフルコンサート解散公演放送してもらえないかなと思います。映像や時間の尺等の問題も両ライブリンクして放送すれば良いかなと。ジュリーが体を仰け反らせながら歌う田コロの「ハートブレイカー」はみんなに見て欲しいです。あの時代の日本にこんなロックスターがいて、まだ現役で年間40公演やっているんだ。違った一面が見られると思います。 返信する Unknown (sao) 2025-01-25 18:09:36 >高杉セブン さんへ>NHKBS伝説のコンサートで、70年の田コロライブと71年のビューティフルコンサ... への返信まさに伝説のコンサートです。>『ジュリーが体を仰け反らせながら歌う田コロの「ハートブレイカー」はみんなに見て欲しいです。あの時代の日本にこんなロックスターがいて、まだ現役で年間40公演やっているんだ。』往年のファンだけではなく、幅広い世代の人に見てもらえたらいいなと思います✨ 感想を是非聴きたいです(^^) 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
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今日1月24日は、52年前の1971年にザ・タイガースが解散した日。ジュリーを一目見た小学生の日から、ジュリーとザ・タイガースのファンになりました。たった4年半しか活動し...
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昨日のLINE CUBE SHIBUYA、ぺこりんさんからもライブレポを頂きました。有難うございます(^^♪
(ぺこりんさんより)
遠い席でしたので、自分のペースで楽しみました。お顔色が 白く見えました。
新バンドメンバーさんも、両手お手振りで、はいってくる方、下うつむきかげんにはいってくる方で、東京ステージはお初に。中でも♬麗人は ひきこまれましたね。
渋谷だったら、あれ食べよう、横浜はシュウマイ弁当、楽しい稼業🎶 いろいろあっても、楽しく過ごせる為の中のひとつに、僕のライブがあるのであればと😚
ちょっと頭ぼーでしたので。遅くのご報告ですみません。
ぺこりんさん、渋谷レポを有難うございます


>『言葉が思い出せずに答え(西日)では、遠回しに布施明さんの名前が。曲の歌詞が。』
なんで西日が話題になったのか分かりませんが、それは布施さんの1974年3月発売「積木の部屋」の歌詞ですね。 西日だけが入る 狭い部屋で ふたり♬
もう50年以上も前になりましたが、幼馴染の同級生が、いい曲だわ~♪と口ずさんでいました。私は心の中で、ふん、ジュリーの方がいいわよ!
しかも・・ だけど満ち足りていた~♪ の歌詞が、だけど みじかいていた~?? にしか聞こえず、意味がわからん? 随分たってようやく、正しい歌詞を知りました💦 なんかそんな しょうーもない、どう~でもいい思い出が50年も経って蘇りました(笑) 布施さんに限らず特に誰かをライバル視した事はあまりなかったのですが、あの当時の歌謡賞レースでジュリーのライバルでした。
1974年の3月ころなら、ジュリーは「恋は邪魔者」。 東京音楽祭の時の派手な衣装と、地べたにつきそうなほどの大股開きのパフォーマンスは、今でも忘れないほど強烈でパワー全開でした。現在の幾分見た目は枯れた風情の銀髪のジュリーと比べたら、やはり今は歳を取ったと言うべきか。いやいや、見た目は変わっても気力はまだ衰えてへんで!!
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