綾小路きみまろTVで、ジュリーと布施さんのバチバチライバル関係の話がありました。他にも、森本マネの話など。放送をすっかり忘れていたのに見られたのは、BS日テレ「ゴジラ」のモノクロ放送を見ていたら、その次に始まったお陰です(^^;
小柳ルミ子さんが語る、ジュリーと布施さん。
ナベプロの全盛期、特番の制作でハワイに行き、バスに乗っていたら
布施さん「ジュリーはいいよな、落下傘背負ったり、化粧が似合っていいよな」
ジュリー「布施さん、いいっすね。タキシード1枚でいいから、ラクですね。」
小柳さん「後ろで聴いていたら、おかしくって(笑) 布施さんは、俺は落下傘を背負わなくても歌で勝負する。ジュリーは布施さんには似合わない、ということ」
番組の司会の綾小路さんは意外におとなしくて聞き役で、仕切りは女性タレントで、小柳ルミコさんが喋りまくり、松崎しげるさんが合いの手を入れる感じでした。昔は人気だった歌謡番組と、当時のナベプロがどれだけの大きな勢力を持っていたのか、それを小柳ルミ子さんが語りまくり、まだまだ語り足りないようでした。
「昭和の芸能界の凄さ」と題して、当時は歌番組が多くて、マネージャーがリハーサルでフルコーラスでフリもして・・小柳さんが「ジュリーのマネージャーのモリモト(笑) フリを全部覚えて、帽子も投げていた」と思い出して笑っていました。
ナベプロが当時はどれだけ儲かっていたか! 歌番組が多くて、紅白の出演歌手の半分がナベプロ。生放送の番組が多く、ヒットスタジオには名場面がいっぱいで、ジュリーのサムライは、CMの僅かな時間の間にスタジオに畳が敷き詰められて、凄かった。ジュリーに関する思い出話しが多かったです。小柳さんも松崎さんも、TVに出たらレコードが売れ、紅白に出たらギャラが上がり、大儲けすることができたそうです。
ナベプロ所属タレントは誰がいましたか?の質問には、あがった名前は沢田研二から始まって、終わりが吉川晃司さん。(森進一さんを忘れている)
そういえば吉川さんまででした、ナベプロで歌手、アーティストのスターと言えた最後の人は。吉川さんはナベプロが総力を挙げて売り出しておきながら、ナベプロはいつ頃辞めたん?時代はその辺から変化していきましたね~。
小柳さんはライバルは誰ですか?の質問に、天地真理さん。彼女は若い自分にはとても辛かったキャバレー周りもせず、自分の番組を持ち、自分のグッズがいっぱいあった、何かにつけて比較された。と、ちょっと恨み節でした(^^;)
私自身はジュリーファンとして、あんまり布施さんをライバルとして意識したことはないかも。同じナベプロだったせいかしらん。ナベプロのファンクラブ誌のYOUNGには、所属タレントが全員載っているので、布施さん情報も一緒に入ってきて、お仲間という感じがしていました。もちろん、布施さんはライバルには間違いないですが、ジュリーにはその時その時で、売れている人がライバルだったかな。