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saoの猫日和

小学生5年生から、ジュリーとタイガースのファン。
猫が好き。ガーデニングとレトロ建築巡りが趣味です。

名古屋球場のジュリーライブにショーケンが飛び入り参加(1978年)

2025年04月16日 22時34分37秒 | ジュリー・メモリーズ

ジュリーのNHKホール(4月17日)でのMCで『名古屋球場でやるとき、キットカットのCMで地中海に行っていた。パンナムの乗り継ぎが出来ず、帰れなくなり、ショーケンが井上バンドと代わりにやることになった。せっかく大きなところでやれるのに、とガッカリしていたら、その日は雨で中止になった。(笑) 名古屋球場にいたショーケンが「おいケンジ、良かったよ。」「ごめんね」「イヤ、ワシはお前のが見たかったで」』

1978年のYOUNGのスケジュール欄を確認しましたが、7月6日~11日くらいまでオーストラリアでCM撮影のスケジュールがあり、これがキットカットのCMだと思います。その直後に名古屋球場の予定は入っていなかったのですが? でも雨で順延になったので、8月12日になったのでしょう。

ジュリーの名古屋球場のコンサートは、その前年(1977年)にもありましたが、ショーケンがコンサートに飛び入り出演したのは、J友さんから頂いた週刊誌の記事で間違いないと思います。やはり1978年の名古屋球場。

1978年8月の名古屋球場コンサートに、ショーケンが飛び入り参加 - (移転しました)Saoの猫日和/old

1978年8月の名古屋球場コンサートに、ショーケンが飛び入り参加 - (移転しました)Saoの猫日和/old

昨日のブログに改めて画像を追加します。昨日⇒萩原健一、「風の中のあいつ」で清水次郎長を拒み、黒駒勝蔵を選んだ天才的な勘の良さペリー荻野が出会った時代劇の100人...

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ショーケンとの出会いは、衝撃的だった。 - (移転しました)Saoの猫日和/old

J友さんから教えて頂きました。⇒キネマ旬報2021年3月上旬号No.1830短期集中連載:ドキュメント「キネマの神様」スタート上映は延期になりましたが、連載が楽しみです(...

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2021年のコメント欄に、皆さまから非常に興味深いコメントを頂いています(^^♪

 (ぷーさんより)
2021-02-10 19:45:36
懐かしい名古屋でのお話で出て来ました~
そう… '78.8/11にショーケンのコンサートが名古屋市民会館で、その日はジュリーは移動日で、ショーケンのコンサートをメンバー皆で見に行って🎵自由に歩いて愛してを歌ったんです。

そして12日はジュリーの名古屋球場でのコンサート、今度はショーケンが来てまた🎵自由に歩いて愛してを歌ったんだよね(^-^)/
ショーケンとの掛け合い楽しかったです。
そして補足ですf^^*)13日は野球大会があった野球を終えて金沢、京都へと5日間の旅
元気だったねージュリーもファンも、長々と失礼しましたo(_ _)o ペコリ

 (澤ノ井謙)さんより 2021-02-09 01:38:25
1978年のナゴヤ球場の「夢の競演」は、当時の週刊誌の切り抜が小生のスクラップファイルに残ってました。「自由に歩いて愛して」を歌ったらしいですね。
当時はネットとかもなく、友達のお姉さんに教えてもらい、その歴史的夢の競演の写真目当てに、勇気振り絞って女性週刊誌というものを初めて買いましたよ。既に、その前年ショーケンは渡辺プロを辞めて、ニーディグリーディ独立して事務所立ち上げてたから、映像も音源もないようですが(ショーケンがナベプロ在籍中に実現していたら.渡辺音楽出版で宝物の映像音源作品が残ったはずなのに、惜しかった!
この年のラジオ (文化放送で毎日15分放送されていた梶原しげるアナとやってた番組で、ジュリーが 「ショーケンのライブステージをナゴヤで初めて見たけど、カッコええのよ!歌は勿論、ハーモニカふきよんねん、それがまためちゃめちゃカッコええのよ!やっぱりこいつ、カッコええって改めて思った!」 と熱っぽく語ってましたけど、おそらく、自分がショーケンのコンサートに飛び入りした日の事を言ってたんでしょうね。
時代劇コラム興味深々拝読しました。ほぼ小生と同年代の方だけあって、全て共感!でしたし.「股旅」や小生のイチオシ「勝海舟」の岡田以蔵に言及されていたのには感動しました。あの以蔵ショーケンを語ってくれる人が俺以外にもいたんや!
しかしながら、市川崑監督が木枯らし紋次郎役に当初沢田研二氏を考えていたとは、まさに初耳の衝撃でした。「戦メリ」の大島監督しかり太陽にほえろ!の梅垣ブロデユ-サーしかり、名監督名プロデューサーにとって沢田研二氏という役者は魅力的で垂涎の的的存在だったのですね!

ショーケンの演じた岡田以蔵は、私も当時の記憶が残っています。

 (コナラブさんより) 2021-02-09 
> 「ショーケンが呼び捨て」ジュリーが言ったそうですよ、そうしてくれって。ショーケンは、「沢田さん、沢田さん」って懐いていたみたいですね。(かわいい。猫みたいw)この年代とか体育会系とかって、1年違うって凄いことだった。

名古屋球場にいたショーケンが「おいケンジ、良かったよ。」「ごめんね」「イヤ、ワシはお前のが見たかったで」、ショーケンは年下なのにタメ口だわ・・ と前から気になりましたが、ジュリーがそうしてくれと言ったのですね。情報を有難うございます。

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (高杉セブン)
2025-04-17 00:49:51
ショーケンを最後に歌番組で見たのは、2017年夏のFNS歌謡祭だったと思います。なかなか出てこなくて
最後の方で例の如く「ショーケントレイン」を歌いました。ニュースステーションでも歌ってました。歌詞の規制はあったみたいだけど、気狂いピエロみたいな事を言っていて、相変わらず危うい人だなあと。お薬をやってたから目もいっちゃってるし。司会の森高と渡部も困ったと思います。もうあの頃、体調崩されていたのだな。厚生年金会館かどこかでのライブで放水射持ち込んでぶちまけたとか。そんな所に痺れた客席は男のファンばかりで、多分ジュリーのライブには絶対に来ないような危ない方々もいたと思います。ワルの匂いよするじゃなくて本当のワルだったからリアリティーや説得力があったと思います。
「ショーケンはおいらなんかよりもずっと凄かった」
亡くなった時のコンサートでジュリーがそう悼んでいました。そんなショーケンは「歌では沢田にかなわない。ジュリーは歌の貴公子です」と自叙伝で綴ってあるのを読んだ時は本当に嬉しかった。ジュリーがレコード大賞受賞したお祝いのコメント「遅すぎるくらいです」。短いけれど心がこもっていました。
不仲も噂された時もあったけど、お互いライバル視したのはジュリーとショーケンだけだったかも知れない。石原裕次郎を語る小林旭にどこかショーケンと重なる物を感じます。
今のテレビはつっまらねぇ〜な
亡くなる少し前にそんな事を。確かにつまらない。貴方のいないテレビは。横山やすし、勝新太郎、萩原健一、松田優作。そういう人達が縦横無尽に駆け巡れたテレビの方が面白かったに決まっている。
そして沢田研二だけが生き残ってしまった。あの時にビルボードのショーケンのライブに行けなかった事を今も悔いています。行ける時に行っておかないと。だから沢田さんのコンサートだけは都合のつく限り行かせてもらおうと思っています。
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Unknown (高杉セブン)
2025-04-17 11:20:32
92年の秋たったかもうキャリア後半の映画になるけど、劇場で観た「いつかギラギラする日」
は最高でした。深作欣二監督。多岐川裕美、小林克也、荻野目慶子ら多才な方が脇を固めました。
ジュリーは「女神」でオブジェの乳を揉んでいましたが、荻野目さんは本物の乳を出していました。
圧巻は最後の殺人鬼との対決の場面です。殺人鬼演じた横山やすしさんの息子木村一八。最後にショーケンのナイフが首に横から刺さって倒れます。倒れて首に刺さったまま「ロックしようぜロック」と。それを見やるショーケンの目。圧巻でした。ありきたりですが、日本のロバートデニーロだと思いました。
ショーケンの十八番の「ラストダンスは私に」が最後に流れます。いつかショーケンを偲んでジュリーにもライブで歌ってもらいたいです。
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Unknown (sao)
2025-04-17 17:08:31
>高杉セブン さんへ
>ショーケンを最後に歌番組で見たのは、2017年夏のFNS歌謡祭だったと思います。... への返信

コメント有難うございます。
私も当時のFNS歌謡祭は、ショーケンが出るというので、楽しみに見ました。
予想どうり、声は出ていませんでした。TV内容をブログにアップしたら、ショーケンの歌のことをディったコメントがありました。
それに対して、ショーケンのファンから怒りのコメントが入りました。ショーケンファンが読むことを考えず、コメントを容認したことを、私は反省しました。

ジュリーを悪く言われたら、どれだけ怒り心頭になるか・・ショーケンファンの気持ちがわかります。
>『「ショーケンはおいらなんかよりもずっと凄かった」』
ジュリーとショーケンは似た所が無い、対極にいたと思います。だからこそお互いにない部分をリスペクトしあえたのかも、と思いました。
私も一度はショーケンのライブが見たかったです。それが心残りです。
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Unknown (sao)
2025-04-17 18:25:26
>高杉セブン さんへ
>2017年のFNS歌謡祭を見て、ブログに書いています。

https://blog.goo.ne.jp/nagatasatoko/e/b9579ab74366885cf2c6873d53cf7bc6
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Unknown (高杉セブン)
2025-04-18 06:08:24
しまった。添付されたブログに長々と打ち込んでしまいました。でも反映されなくてもsaoさんに伝われば良いです。私はジュリーもショーケンも大好きです。
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Unknown (sao)
2025-04-18 08:34:45
> 高杉セブン さんへ
> しまった。添付されたブログに長々と打ち込んでしまいました。でも反映されなく...... への返信

おはようございます😊
仕事から帰ってから見に行きます!!
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Unknown (高杉セブン)
2025-04-19 09:08:14
時間が出来たのでこの前、添付されたブログに打ち込んだ投稿を思い出すままに記したいと思います。夜中で思い入れて打っていたので大して長文でなかったかもしれませんが。
18件のコメント見て、「何を言っているか分からない。お経みたいだ」っていうのがありました。弟が「
ショーケンは味だよ」と前に言っていました。
それで良いんです。「何を言っているか分からない」
それはボブ・ディランにも同じ物を感じます。時に歌がお経のようにも聞こえるし。こんな事を書くとボブ・ディランのファンに怒られると思うけど。好き嫌いは別にしてそれが認知されてノーベル文学書まで取ってしまった。ジョン・レノンも取れなかった。それで授賞式まですっぽかして。やってくれるよなあと。
もうコンプライアンスが厳しくなっていた2017年のゴールデンタイムの生放送で「気狂い」って堂々と歌ってしまう。フジテレビも当然容認済みだったはずです。嫌なら出さなければ良いのだし。それが最後に許された稀有な人だったと思います。もうああいう人はいません。
矢沢永吉の自叙伝にショーケンとの事が出ています。口述筆記だと思うけど、捏造なんかではなくて永ちゃんの生の声です。ショーケンは売れていて格上だったけど、永ちゃんやジョニーよりも年少でした。キャロルを見に行った時に「オメェらかっこ良いな」と。ジョニーは恐縮してたけど、寝た振りしてた永ちゃんはココだとムックリ起き上がって、レーバンのサングラス越しに「そういうアンタも大したもんだね」と返したと。物凄いせめぎ合いだと読みながら思いました。
「ジュリーとショーケンは雲の上の人だった。ジョン・レノンと同じだっだ」。永ちゃんがそう書いてるのを見て本当に嬉しかったのを覚えています。
「今度、ミックと共演しますよ」。ジュリーなら言わないハッタリめいた事をショーケンはサラリと言う。ジュリーはそんな自由奔放な所を良いなあと思っていたかもしれない。「所詮、俺達は河原乞食ですよ」。ショーケンが言っていました。それはジュリーの「アーティストじゃなくて僕はタレントで良い」という言葉に重なります。けして投げやりなんかじゃなくて覚悟みたいな物を感じます。あの2人は荒海の板場の上で悪戦苦闘する漁師さんのようです。後年、ショーケンは凄く行き辛くなっただろうなと傍から見ていて思いました。沢田研二という人は破滅型と堅実型兼ね備えた稀有な芸能人だなぁとショーケン見ていて思います。80年代前半までのある種、テレビスターとしての狂気のような存在感とテレビを離れて毎年地道にコンサートと音楽劇をやって音源を切り続けた二刀流でした。華やかなりし頃よりも、今のジュリーが一番良いと最近思えるようになりました。ショーケンのおかげです。「レコード大賞取ったのは遅すぎるくらいです」、「ジュリーは歌の貴公子です」。そんな事を衒いもなく言えて、ケンジと呼べる間柄だった。
20年くらい前にファン友から「沢田はショーケンとトッポの事が大嫌いだ」と聞かされて少なからず心を痛めていた時期もあっただけに最後にお互いの真意を知れて。ジュリーもショーケンもすげー人です。pygの頃のゴールデン街の飲み屋で仲良くお酒を飲むプロモ
を見ました。佐藤輝さんが撮ったていたと思います。
あの空間に立ち会いたかった。遠くから遠慮がちにお二人の様子を伺いながら痛飲したかったな。当時、6歳だからそんな夢は叶わなかっただろうけど(笑)
こんな感じだったかな。結構、盛ってしまいました。
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