京都のJ友さんより情報を頂きました。京都第三弾です。
京都新聞に入る折込番組表イルミルのコラム2月の「娯楽列伝」。今頃ですが、ジュリ~♪


記事はジュリーが田園でアルバイトしている高校時代から、ファニーズへ。ソロ歌手となり京都に凱旋した、比叡山フリーコンサートのエピソードに。
『ジュリーが挙式をあげた「延暦寺釈迦堂」には50年経った今も熱狂的ファンが訪れている。』
去年の11月にその場所に行ってきました。この年齢になると、若い時に行った場所に再び行きたい!という思いが、年々強くなってきています。あの時の私よりも、今の年老いた私の方が、ずっとその場所を広い眼差しで観察し、心の中に取り込むことが出来るはず。
釈迦堂は50年前にジュリーがコンサートの時に「釈迦堂で結婚式をあげてきました」と語ったので、特別な場所なんです。
『滋賀県大津市の比叡山延暦寺で世界遺産登録30周年を記念した特別企画をこの秋に開催する。
その一つ、西塔釈迦堂では秘仏本尊釈迦如来像特別ご開帳・内陣特別公開を実施。
最澄自身によるとも伝わる本尊が公開されるのは七年ぶり。本来は33年に一度公開される秘仏である。』
33年に一度しか公開しない秘仏が見られて、蛇ケ池スキー場跡地に出来たガーデンミュージアムを巡るツアーがあり、こんな機会は滅多にないと思い参加しました。33年後には生きていませんからね!



釈迦堂の中では、比叡山では初の試みだというプロジェクションマップ。


普段は公開していない釈迦堂の内部で、タンポポの花びらや綿毛が幻想的に舞い散りました。ただし、案内して下さった僧侶の方は、歴史ある比叡山での現代的な試みを歓迎していない口ぶりでした(^^;
この後は、フリーコンサートの跡地であるガーデンミュージアムへ。あいにくの小雨模様でした。季節は11月の末、モネの庭風の池

去年四月の大文字山登山のおりに、遠く比叡山を望めましたが、その時に山上に有る丸屋根が目視出来た、ガーデンの建物。

ここはかつて、ジュリーもファンの少女たちも皆が若かった1975年7月の真夏、フリーコンサートが開催された跡地。流れた年月はとても長いけれど、今でもジュリーは歌っているし、そのジュリーを追いかけ続けているって素敵な事ですよね❤
小雨のせいか、他に観光客たちの姿は一切無しで、1人きりでガーデンを楽しめました。
比叡山から見下ろした琵琶湖。

比叡山に行く前に、琵琶湖を望むホテルでランチ。
その隣には、京都会館が建て替え中にジュリーがライブを行った、びわ湖ホールがありました。あの時のジュリーの歌声の素晴らしさと言ったら・・ まったく身じろぎもせずに、ステージのジュリーの声を聴きました。

③びわ湖ホール - (移転しました)Saoの猫日和/old
びわ湖ホール続きです。席は12列の一番左端。神戸は11列右でしたが、ここの会館のほうが、ジュリーはもっと遠くにいる感じ。今回初めて、左側からのジュリーでしたが、席は...
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④びわ湖ホール、MC - (移転しました)Saoの猫日和/old
滋賀にはジュリーを通して、少なからずの思い出があると実感したバス旅でした。

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昨日のLINE CUBE SHIBUYA、ぺこりんさんからもライブレポを頂きました。有難うございます(^^♪
(ぺこりんさんより)
遠い席でしたので、自分のペースで楽しみました。お顔色が 白く見えました。
新バンドメンバーさんも、両手お手振りで、はいってくる方、下うつむきかげんにはいってくる方で、東京ステージはお初に。中でも♬麗人は ひきこまれましたね。
渋谷だったら、あれ食べよう、横浜はシュウマイ弁当、楽しい稼業🎶 いろいろあっても、楽しく過ごせる為の中のひとつに、僕のライブがあるのであればと😚
ちょっと頭ぼーでしたので。遅くのご報告ですみません。
ぺこりんさん、渋谷レポを有難うございます


>『言葉が思い出せずに答え(西日)では、遠回しに布施明さんの名前が。曲の歌詞が。』
なんで西日が話題になったのか分かりませんが、それは布施さんの1974年3月発売「積木の部屋」の歌詞ですね。 西日だけが入る 狭い部屋で ふたり♬
もう50年以上も前になりましたが、幼馴染の同級生が、いい曲だわ~♪と口ずさんでいました。私は心の中で、ふん、ジュリーの方がいいわよ!
しかも・・ だけど満ち足りていた~♪ の歌詞が、だけど みじかいていた~?? にしか聞こえず、意味がわからん? 随分たってようやく、正しい歌詞を知りました💦 なんかそんな しょうーもない、どう~でもいい思い出が50年も経って蘇りました(笑) 布施さんに限らず特に誰かをライバル視した事はあまりなかったのですが、あの当時の歌謡賞レースでジュリーのライバルでした。
1974年の3月ころなら、ジュリーは「恋は邪魔者」。 東京音楽祭の時の派手な衣装と、地べたにつきそうなほどの大股開きのパフォーマンスは、今でも忘れないほど強烈でパワー全開でした。現在の幾分見た目は枯れた風情の銀髪のジュリーと比べたら、やはり今は歳を取ったと言うべきか。いやいや、見た目は変わっても気力はまだ衰えてへんで!!
1974年3月21日、沢田研二「恋は邪魔もの」がリリース〜“ロックスター・ジュリー”の幕開けとなった名曲
【大人のMusic Calendar】 沢田研二にとって1974年は画期的な年となった。 完全に井上バンドの音だけで制作された「恋は邪魔もの」(作詞安井かずみ・作曲加瀬邦彦)が発売...
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