愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題83 飛蓬 漢詩を詠む-21 - 苦熱

2018-08-15 10:42:48 | 漢詩を読む
最近の気象・地象の変動は“半端でない!地球上の各地、各方面で、好ましくない天変地変の報が伝えられている。

7月には、瀬戸内海を挟んだ中国・四国地方で豪雨災害が発生した。一月以上経った今だに、失われた生活の場の復旧の見通しも立たない と報じられている。この炎天、被災地に思いを遣ると、いたたまれない気持ちになります。

「災いは重なってくるものだ」と成語に言うが、豪雨に続く、連日・連夜の炎天・熱帯夜である。何処かの、何物かに怨みをぶちまけたい衝動に駆られます。その想いが下の七言絶句になりました。

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苦熱        苦熱(上平聲 灰韻)。
誰堪連日灼熱哉,誰か堪えん連日(レンジツ)の灼熱(シャクネツ)哉(カナ),
禍不単行暴雨災。禍(ワザワイ)は単行(タンコウ)せず 暴雨(ボウウ)の災(サイ)。
知了集鳴喧殺我,知了(セミ)は集(シュウ)をなして鳴き、我を喧殺(ケンサツ)す, 
夢覚熱気会襲来。夢覚(サ)めて 熱気(ネッキ) 会(マタ)襲い来る。
註]
苦熱:厳しい暑さ
禍不単行:(成語)災いは重なって来るものだ
知了:蝉(セミ)の口語、鳴き声が“知了(zhīliǎo)”のように聞こえるから
喧殺:かまびすしい、殺は、程度が甚だしいことを表す

<現代語訳>
 苦熱
連日の灼熱の太陽には誰が耐えられるであろうか、
災害は重ねて来るもので、豪雨災害に続くこの苦熱である。
セミは群れをなして、ジイジイと大音声で鳴き、うるさくてたまらない、
夜明けに夢が破られ目が覚めると、また一日熱さが襲って来るのだ。
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かねてセミの鳴き声には、清涼感さえ感じたものである。しかし、ここ数年、特に今夏は状況が変わってきているかと思われるほどである。夜が明けるのを待たず、セミの大合唱が始まる。

クマゼミであろうか。ジイジイ、ジリジリ…と、 神経の感度を高めるに十分である。“蝉”という‘かわゆい’言葉より、やはり“zhiliao (ジリジリ)”がピッタリと来る。言葉は生きている ということでしょうか。

最近、セミの出生数が増えているように思われる。写真は、昨夏に撮影したものであるが、脱け殻が群れをなして認められた。今年も同様である。セミには罪はないと知りつつも、この酷暑には、ついセミを“当たる対象”にしたくなるのである。


写真:群れをなすセミの脱け殻

セミは‘うるさい’虫という思いは、詩句や成語としても伝えられている。中国最古の詩集『詩経』では「如蜩如螗」(蜩・螗ともにセミ)、また北宋代の蘇軾(東坡)の詩を基にできた「蛙鳴蟬噪」(蛙なき蟬さわぐ)が知られている。いずれも‘騒がしい’という意味を込めている。

ついでに‘セミ’について調べてみた。意外と面白い虫です。興味をひいた事柄を以下に挙げます。

受け売りで、主に瀬川千秋著『中国 虫の奇聞録』(大修館書店 2016)及び宋 成徳著『蝉、ひぐらしを詠む万葉歌と中国文学』(京都大学國文學論叢、2009)を参考にしました。

中国の皇帝や高官が被る“冠”、その正面を飾る記章は、玉、金、べっ甲などを用いて“セミ”を象った飾り物であった と。この習慣は、戦国時代に始まり、明の時代まで続いていたらしい。戦国時代に趙の武霊王が北方遊牧民族をまねたのが始まりとされています。

セミとは関係ありませんが、武霊王は、周囲の臣の猛反対を押し切って、漢民族として初めて北方民族の軍服-<弓を弾きやすい上着と二股のズボン>-を導入し、騎馬軍団を組織した。戦国時代に趙が、秦に対抗できるほど強国となった基のようである。

“セミ”は、・五穀を食わず、気を吸い清らかな露で口を濯ぐ、・棲む巣をつくらず、・高い木の枝に棲み、良く通る声で気持ちよさそうに鳴いている、・顔は天を向き、・生まれ、死ぬ季節を違えない等々。 

これらセミの特性は、高潔、超俗、節操を象徴するものとして、昔の中国知識人たちの心に響いたもののようです。そこで時代を越えて多くの詩人たちが詩の題材として、“セミ”を詠んでいます。

三国魏の詩人曹植は、セミを主題にした賦「蝉賦」の中で、“帝臣たちは、セミの曇りない高潔さを尊んで、貴顕の印として、頭に頂いているのである”と詠っている と。しかし輸入元の北方民族が同様の発想を持っていて、セミの飾り物を用いていたかは不明ですが。

セミの鳴き声は、‘毎日聞いても飽きない’(万葉集歌)とか、楽器の音に喩えて詩を詠む(漢詩)など、必ずしも"騒がしい音"としてではなく、"快い音"として捉えられていることもある。

当然ながら、“セミ”の種類が多く、季節・時節により登場する種類が異なる、また聞く人・環境によっても異なった印象を与えるであろう。“騒がしい”か“快い”か、一概に論ずることはできないようです。

セミに“当たり散らして”も苦熱から逃れることができるわけでもありません。人それぞれに、暑さを乗り切る術を心得て行かねばなるまい。
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1 コメント

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Unknown (Rumi)
2018-08-15 19:56:56
セミが増えてる?
セミも熱中症にかかって寿命前に死んでいる様に観察される、との記事を読んだ覚えがあるので、ここ数年の日本は異常な暑さな様なので、生息数が減少しているのかと思ってましたが。

フランス南部に行った時、久しぶりにセミの鳴き声を聞いて懐かしかったけど(ドイツにはいません)、お土産物店でセミグッズを目にした時は、美しいものではないのに誰が買うんだ???と思ったのだけど、、、、古代中国でもセミグッズが飾りものだったとは!笑
セミを飾りに使いたい!人達、って、時代を超えて国境を越えているのねー。笑笑笑

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