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PRESSな時間

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2014-05-02 20:18:20 | 社会
(写真:青井美帆 学習院大教授)
5/2「民主主義の感触」
昨日に引き続き「00の感触」シリーズを書きたいと思います。
今日は「民主主義の感触」
日本は今いわゆる「民主主義」の国家として成立し、運営されています。
しかし、
それは昭和20年8月15日以降の社会であり、
それ以前には
「大日本帝国憲法」の下で
生活を営んできました。
ですから、
日本での「民主主義」の歴史は欧米に比べれば年月的にも浅いと言えます。
又、
この社会は民衆の革命によって作られた訳ではないので
日本人の中での「民主主義」と言う概念や思想は
社会の中でまだ薄いと言えるかもしれません。
しかし、
戦後世代がそろそろ定年を迎えている今、
この思想や概念は社会の多くの理解を得ていると言う感触がします。
その中で安倍首相を始めとするごく少数のいわゆる体制側の人々は
「戦後レジュームからの脱却」
と言う曖昧な言葉の上にたって
この「民主主義」を一気に踏みつぶそうとしています。
そのような行為の中で
私達は私達の中にあった「民主主義」がこんなにも浅いものであり、
いとも簡単にひっくり返されようとしている事に気が付きました。
(そんな事を考えているのはもしかしたら、ごく一部かもしれませんが)
しかし、
翻って考えると
私達は本当に「民主主義」と言うものを知っているのでしょうか?
私達のご先祖様は
政権がひっくり返る様な革命を起こした事があったでしょうか?
スペイン内乱や今起きているソマリアの内戦のように
日本人同士が殺し合うと言う場面に遭遇したでしょうか?
そうして体制から
「もぎ取る様な」
民主主義を獲得した事があったでしょうか?
私自身は
「今こそ」私達の手で「民主主義」をもぎ取るべく、
その感触に触れようではありませんか。

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2014-05-01 23:26:06 | 社会

5/1「戦争の感触」
今日は一寸視点を変えて、いわゆる「戦争体験」と言う物を考えてみたいと思っています。
最近、ニコ生で
「東条英機氏」の人形が
自民党の宣伝車に乗ったと言う事をツイッタ-で知りました。
その件に対しては色々な意見があると思いますが、
私はこの件についてツイッタ-上でコメントした事がありません。
しかし、
やはり、コメントした方が良いと判断し、
ここでコメントをしたいと思っています。
自民党が何故、彼の人形を宣伝車に乗せたのかは判りませんが、
私自身はこの事について大変危惧しています。
なぜなら、このようないわゆる「ゆるキャラ」を戦争に利用し、
若者の戦争に対するイメージを良くしようとする意図が
ありありと見えているからです。
戦前の方々であればこの
「戦争の感触」
と言う物は生活の中や軍隊生活の中で
「実感」として
感じているのですが、
私を含め「戦後世代」はその実感は皆無なのです。
どうしてこのような事を書くかと言うと、
先日行なわれた「大切な人が戦場へ?集団的自衛権」
と言う集会の中で
「明日の自由を守る弁護士の会」の黒澤弁護士が
「私が「戦争」と言われると思い出すのは「湾岸戦争」です。ベトナム戦争は知りません」
と言われた事がきっかけでした。
私自身と言われれば
「ベトナム戦争」ですが、
それですら日本以外で行なわれた戦争であり、
「戦争の感触」と言うにはほど遠いものです。
その「戦争の感触」を知らない安倍首相が
今回「戦争をやろう」と言い出しているのです。
自民党改憲草案を仕切っている船田議員も
当然ですが
「戦争の感触」を知らない方です。
そんな方々が今回「集団的自衛権」を緩和し、
「憲法を改正」しようとしているのです。
皆様どう思われるでしょうか?
これについて又暫く書いてみたいと思っています。

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2014-04-30 22:04:22 | 社会
(写真:池田理恵子元NHKディレクター「大切なあの人が 戦地に行く事に?「集団的自衛権」@4/30参院講堂)4/30「戦後教育の終焉」
今日、参議院講堂では「大切なあの人が戦地に行く事に?「集団的自衛権」があった。
その中である発言者が
「私の子供の教科に「道徳」が入って来たので教科書を見てみると
最初のページには
「二宮尊徳」が書いてあった。」と言う。
「二宮尊徳」とは神奈川県の人物で今や発電所である
「報徳電力」の由来となった人物である。
二宮氏は幼い頃背中に薪を背負って勉学に励んだと言われており、
戦前の学校には彼の銅像が必ずと言って良い程建立されていたと言う
しかし、戦後教育の中では「道徳教育」が陰を潜め、
最近復活し、
ついには「教科」として点数化されるのではないかと言う恐れすら出て来た
曰く付きの物である。
今日の発言の中では
下村文科大臣が「道徳」の副読本として
戦前の「修身」を採用したらどうかと言う発言すらあると言う。
私は
この文科大臣の発言の中で感じる事は
「いよいよ日本も全ての物が形骸化してきた」と実感して来た。
つまり、
戦前の社会は全ての面で「形」が優先された。
例えば、
「国民は天皇の臣民(家来)である(或は国民は天皇の赤子(あかちゃん)である)
それを担保する為に
「修身」があり、
「道徳」がある。
今の文科省の考えも「夫婦は仲良くしなければならなない」
「家族は一体でなければならない」など、、、
そんなことを言っても
「結婚は経済的理由で出来ない」し
、「家族からの暴力で避難せざろう得ない」人々は沢山いるのである。
「こうあるべき」と言った
「型にはめる」思想は
国を権力に依存させ、最終的には「衰退」を招く。
私達は今「戦後教育」の終焉を見せつけられていると言う事を肌で感じ座路飢えないのである。

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2014-04-29 20:35:57 | 社会

4/29「長谷川発言に疑問を呈する」
今日もまた、「防衛装備移転3原則とそれに関連する動きに対してコメントを書きたいと思っています。
最近も取り上げましたが、
東京新聞の長谷川副主幹はテレビ朝日の番組「朝まで生テレビ」出の発言の中で
「個別的自衛権にこだわる事は自国の利益のみを守る事であり、憲法前文の国際協調に反する」
と発言したそうです。
そこで「憲法前文」で
この部分に相当する箇所を一寸だけ書いてみると
こうなります
「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
我らと我らの子孫のために諸国民との共和による成果と我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こる事のないやうにする事を決意し、、」
とあります.
私自身は憲法学者ではないので
今から書く文章は私の主観にもとずく物になってしまうのですが、
ザックリこの「憲法前文」を読んだだけでも、
「戦争はしないように」
と書いてあるのだと思っています。
長谷川氏はこの文(我らと我らの子孫の為に諸国民との共和による成果と)の解釈を
「個別的自衛権」と引っ掛けて述べたのだと思いますが、
個人的にはこの文章のクライマックスが「再び戦争の惨禍が起こる事のないやうに、、」と思っているので
「集団的自衛権」も「個別的自衛権」も
その区別はないと思っています。
ですから、
長谷川氏が述べているように
「国際協調主義に反する」と言う言葉自体、
憲法をじっくりと読めば書いてないと思っていますし、
ましてや「前文」にそのような解釈が出来る道理はないと信じています。
しかし、
長谷川氏は別の番組の中で「政府の(いわゆる)ポチと呼ばれる記者は優秀だ」
とも発言しています。
つまり、
彼のこの発言は彼の自説である
「政府のポチ発言」と解釈されるのではないでしょうか?
それならば、
この発言は全く理解可能です。
しかし、
そうなると、彼のこの「自衛権ポチ発言」が世論に与える影響は
少なからずあると言っても過言ではありません
彼の持論である「政府のポチが優秀な記者」ならば、
新聞記者は不要で
政府の役人自らが新聞にパソコンから記事を送れば住む事なのではないでしょうか?
そんな角度からこの問題を考えると
ますます、
長谷川氏の責任は重いと思うのですが
いかがでしょうか?